第7回 ネパールのマンダラ(2):寺院構造への投影

マンダラの発展と儀礼の発展そして建築の発展という三者の関係はどのようなものなのでしょうか。
簡単には説明できません。一般化していえば、それぞれ自立的な展開を示しつつも、相互に関係しあっているということでしょう。マンダラを用いる儀礼はマンダラの種類が変わったり、歴史的に変化することで、儀礼そのものも変わる場合があります。一方、マンダラの構造や表現方法も、儀礼を視野に入れること理解できることがあるので、儀礼の発展と密接な関係を持ちます。これに比べると建築が儀礼やマンダラに直接かかわることは少ないかもしれません。家を建てるためには建築学的な知識が必要ですし、その場合の前提となるのは安全性や居住性であって、マンダラの構造ではないからです。ネパールの建築は独自の伝統をもっていますが、インドの建築学やヒマラヤ地域の様式と密接な関係を持っています。これはマンダラや儀礼とはあまり関係はありません。しかし、それにもかかわらず寺院建築に見られるマンダラとの関係は、他の地域には見られない独自の特徴であるからこそ、注目されるのです。

百八観音の名前は一定しているのであろうか。やっぱりいろいろあるのでしょうか。百八観音はかなり同じようなデザインのものが多いのですか?見た感じそんな感じがしました。
百八観音の名前はおおむね一定ですが、いくつかの系統があるようです。系統ごとに一部の名称も変わり、全体の順序にも異同があります。観音は大乗仏教以来もっとも人気の高い菩薩で、しばしば他の名称や姿を持つことがあります。これらは「変化観音」(へんげかんのん)と呼ばれます。日本でも不空羂索観音、馬頭観音、十一面観音、千手観音などがあります。百八観音の108という数は、変化観音の種類としてはおそらくもっとも多いものでしょう。授業でもふれたように、その中には日本の変化観音と共通するものもありますが、大半はネパール固有の名称をもっています。ヒンドゥー教の神や仏教の他の仏の名前を冠したものや、持物をそのまま名称とするものなどもあります。これらの観音が独立して信仰されていたとは考えられず、108という数を満たすために、人工的に作られたという印象を受けます。尊容も同様で、不空羂索や十一面は伝統的な姿をとりますが、あとは持物のような顕著な特徴のみを変更しただけです。百八観音の絵を紹介した文献はいくつかありますが、下記のものにも全体がのっています。
森 雅秀 2001 「ネパール国立古文書館所蔵『百八観音白描集』」『密教文化』206: 56-107。

日本の護摩法では派手に火を燃やしているが、ネパールのホーマではあまりそんなことはなさそうに見える。もとは同じ儀礼でもここまで違うものかと思った。(あんなところで火を扱ったら、火事になりそうで・・・)。チベットの砂マンダラといい、今回のマンダラ台や寺院といい、様々な形態のいかにも作るのに苦労しそうなマンダラが現代にも伝わっているのはすごいことだと重う。これらを作り続けた僧や職人のマンダラへの信仰、興味の高さがうかがえる。
護摩はインドに起源を持つ儀礼ですが、仏教に取り入れられたことで、チベット、ネパール、日本へと伝わりました。このほか、ヒンドゥー教の護摩がインドで現在も行われていますし、インドネシアにもあるようです。火を用いた儀礼というのは人を惹きつけるものなのです。各地の密教の護摩を見ると、外見は異なるのですが、全体のプロセスや基本的な道具、マントラなどはおどろくほど共通しています。これは儀礼を伝える文献が存在したことと、儀礼そのものを忠実に受け継ごうとつとめたことによるのでしょう。ネパールの護摩の研究はあまり進んでいませんが、日本やチベットの護摩と比較してみるとおもしろいのではないかと思います。マンダラがさまざまな形態をとることは、後期で取り上げているマンダラに共通している点です。日本人が一般にもっている「マンダラ=仏教絵画」という観念が、いかに一面的であるかがわかります。たしかに、われわれがこのようなさまざまなマンダラを見ることができるのは、これらを作ったり、守ってきた人々がいたおかげですが、近代化や都市化の中で、そのような伝統が急速に失われているのも事実です。とくにネパール仏教の荒廃は目を覆わんばかりです。

マンダラを建造物という立体構造にすることで、拝礼する人々に仏のコスモスをより感じ取りやすくしているのですか。(ペンコル・チョルテンのように巡礼者に仏の世界を実感させているのですか)
たぶん、参拝する人には「仏のコスモス」は感じ取ることができないと思います。実際、われわれがムシュヤ・バハやチュシュヤ・バハのような小規模なネパールの寺院に行っても、建物の構造からマンダラを感じることはありません。寺院のほおづえに見られた仏たちの姿は、あくまでも建造物の一部で、むしろ装飾的な要素でしょう。これをマンダラと理解するためには、マンダラに関する知識を持ち、かつ、寺院全体を鳥瞰的な立場から見る必要があります。このような視点は寺院におまいりに来る人には無縁です。寺院にマンダラが投影されているという解釈は、あくまでもわれわれ研究者にあるもので、参拝者や僧侶のような実際の当事者にはおそらくないでしょう。しかし、マンダラが建造物の構造と密接な関係を持つことは、ネパールや日本、インドネシアでも見られ、マンダラの機能や形態を考える上で重要なことなのです。

老年式について。99歳9か月9日にまつる神が、長寿をもたらす神というところがすごいと思いました。99歳でさらなる長寿を・・・というよりは、長寿を感謝するということなのだろうかと思いました。仏像を安置するだけではなく、柱まで仏としてしまうのは、考えたというか、本当に建物自体がマンダラというか、仏にとりつかれているような感じがしました。
 老年式については、ネパール仏教を専門とする吉崎一美氏(『ネパール仏教』の共著者のひとり)と今週、話す機会があり、詳しい話をお聞きしました。グラハマートリカーとヴァスダラーと仏頂尊勝という3種の仏は、もともと別の役割をそれぞれがもっていたようです。このうち、グラハマートリカーは子どもが産まれたときに作るマンダラで、その子の幸せな将来を願うためです。ヴァスダラーは現世利益的な目的、具体的にはお金が儲かるということが期待されます。もともと長寿と結びついていたのは仏頂尊勝だけで、これは漢訳経典にもたくさん残っていて、中国や日本でもその目的で信仰されました。仏頂尊勝の陀羅尼を唱えると、7か月の寿命は7年になり、7年の寿命は70年になると経典に説かれています。7を重ねた77という数は吉祥な数ですが、仏頂尊勝のこのような信仰とも結びついているようです。これにグラハマートリカーとヴァスダラーを組み入れる形で、3種の類似の老年式が整備されていったと考えられます。実際に99歳まで生きて、この儀礼を行うことのできる人はまれだったでしょうが、もしあったとしたら、やはり長寿に感謝し、まわりのものもその御利益にあずかることが期待されたでしょう。
 寺院の柱に仏像が刻まれているのはなかなか壮観です。紹介した寺院は小規模なものですが、屋根が三層も四僧もある大寺院や、王宮などにもよく似た装飾が見られます。「とりつかれた」という感じはしませんが、神々が生きている街という印象をうけます。カトマンドゥは欧米からも多くの観光客が訪れる街ですが、そのような雰囲気が人気の理由でしょう。

儀礼の写真で、男の人が豪華なヘルメットのようなものをかぶっていたが、服は普通のお父さんが着るようなジャケット姿だったので、ちょっと面白かった。せっかくなのだから、民族衣装のようなものを着ればいいのにと思った。女の人は全身着飾っていた。
ヘルメットは真鍮製でたしかになかなか豪華です。おそらくインド以来の伝統で、儀礼の司祭が五仏を統轄する大日如来(ネパールでは金剛薩☆)と同体となることを表します。服が普通だったのが意外という感想が他の方にもありましたが、言われてみればそうですね。ネワール仏教の僧は僧院の中で修行する出家僧ではなく、家庭を持ち家族とともに寺院を経営する在家の僧ですが、そのことも関係すると思います。チベットでは出家が原則ですから、僧侶はつねに僧衣をまとっています。日本の僧侶のように普段は家にいて普通の姿をしているのに、葬式や法事などの時だけお坊さんの格好をするのも、いいかげんというか中途半端なような感じもします。

ネパールの目のある仏塔は、テレビとかでネパールのことをやっているとよく出てくるのでよく見ますが、初めてみたときはほんとに怖かったのを覚えています。私には異国情緒があふれ出すぎているように見え、ネパールの人は何を考えて建物に目なんか付けたんだと思っていました。何かでその真意を聞いたり、こうして先生の講義を聞いたりしていると、そんなに怖いものでもないなぁと思えるようになりました。むしろネパールの人の信仰心はとても強いのだなぁと感じるし、そのように見方を変えてみると、何となく親しみやすそうだと思いました。日本の五輪塔よりもわかりやすいし・・・。
授業で紹介した仏塔は、カトマンドゥ市郊外にあるスヴァヤンブーナートというところの仏塔で、ネパールの代表的な観光地です。ガイドブックやテレビなどでもしばしば紹介されています。このほか、ボーダナートというところにもこれより大きな仏塔があり、やはり目が描かれています。このように仏塔に目を描くのは、ネパールの各地で見られますし、チベットでも同様です。その背景には、仏塔をひとつの仏とみなすことがあります。四方に目を描くのは、世界全体を見ている、つまり支配下に置いていることを表します。授業で紹介したように、スヴァヤンブーナートの仏塔は四方に仏龕を置き、金剛界の四仏を置いています。仏塔全体がマンダラに対応し、中央の目は中尊の大日如来に相当します。金剛界マンダラの大日如来も四面をそなえています。仏塔全体をひとりの仏とみなすという発想は、仏塔にかかわる儀礼からもわかります。仏塔を建立したあとに行う完成式では、仏塔全体が仏として扱われるからです。その方法は仏像の完成式とまったく同じです。日本の五輪塔は五つの元素(地水火風空)を表します。形が丸や四角、三角などがあるのは、これらの元素の形として、インド以来の伝統があります。ただし、五輪塔と同じものはインドにはありません。五輪塔は北陸地方ではあまり見ませんが、たとえば高野山では奥の院の参道に何千何万という五輪塔があります。これらの五輪塔は遠くから見ると本当に人間の姿のようです。五輪塔を仏の姿と見ることは日本密教でも古くからあります。