第5回 チベットのマンダラ(4):図像集と集会樹
集会樹は十六羅漢とか三十五仏とかが、一応規則的に並んでいるみたいだけど、今まで見たマンダラのように線で整然と区画という感じではなく、密集という感じで、ちょっと気持ち悪かったです。最初見たときに浄土図みたいだと思ったけど、さらっとそういうことも言っていたので、やっぱりそうかと思った。でもチベットにも浄土図があるんですね。
ツォクシン(集会樹)をマンダラの授業の中で取り上げたのは、同じ「仏の世界」を描きながら、両者がまったく異なる理念で作られているからです。これについては今週のはじめにまとめるつもりですが、マンダラが中心と周縁という緊張関係でできた仏の世界図であるとすれば、ツォクシンは垂直軸に沿って、仏たちが積み重なった情景図と言えます。たなびく雲、青い空と海、そこにそびえる大木という舞台も、マンダラの持つ人工的な空間とは正反対です。樹木の上部や樹木の中に、歴史的な存在である祖師たちの姿を描いていることも、歴史上の人物を含むことのないマンダラと大きく異なります。また、登場する人物や仏の姿が、既存の図像集から集められていることもツォクシンの特徴です。マンダラは逆にこのような図像集の題材となっています。しかし、その一方で、チベットの僧侶の実践と深く結びついているのは、マンダラと共通しています。実際、ツォクシンの中で右隅に描かれた僧侶が手にしている供物は、この世界を表す「マンダラ」と呼ばれます。これまで見てきたマンダラとは形態も意味するものも違いますが、このマンダラを媒体にして、僧侶は仏の世界に接することができます。浄土図については簡単にふれただけですが、チベットにも浄土信仰はあって、浄土図も描かれます。後期の授業のはじめのころに紹介したラダックのサスポールという石窟には、かなり古い様式の浄土図が壁画に残されていて、注目しています。
木のツォクシンはまるで宇宙樹のようだと思った。立体マンダラキットはおもしろそうだと思いました。日本にも祖師像はありますが、ツォクシンのようなタイプはない気がします。
たしかに宇宙樹ですね。私も論文の中で、基本的にツォクシンは宇宙樹であると書きました。古代の宇宙論で世界の中心に「軸」があることは有名ですが、インド的な世界観では須弥山という山が相当します。ヒンドゥー教の創世神話には、乳海という原始の海を攪拌するための軸として、実際に須弥山が用いられる話があります。樹木が世界の軸となるのは北欧神話が有名です。祖師像は日本でも高僧図のような形で多くの作品が残されています。古くは空海が唐から将来した画像の中に、インドや中国の祖師たちの絵がありました。しかし、いずれもツォクシンのような形をとることがないことは、ご指摘の通りです。それどころか、基本的に仏と同じ空間を占めることもありません。同じ絵画の中で、仏と祖師が同時に描かれたりはしないのです。もちろん、絵巻や絵伝のように、説話的な主題の作品では、物語のシーンとして両者が登場することがあります。しかし、礼拝を目的とした仏画や仏像として、同じ扱いを受けることがないということなのです。(ただし、例外的に来迎図には往生者としての高僧が画面に含まれることがありますが、これは来迎というドラマティックなシーンが礼拝像として機能していると見ることができます。)つまるところ、これらの問題は、高僧や祖師という歴史上の人物を、仏たちの聖なる世界に対してどのように位置づけるかということになるのでしょう。なかなか興味深いところです。ちなみに、インドにはこのような高僧図や祖師像がまったくありません。これも不思議ですね。
ツォクシンに描かれている人物一人一人に名前があるということにおどろきました。最初はたくさんお坊さんがいるなぁとしか思わなかったのですが、名前があると聞いて、一人一人見てみようという気になりました。
私も最初はみんな同じようにというか、適当に書いているのかと思っていました。授業で紹介した形式のツォクシン(タシルンポ版と私は呼んでいます)は、比較的大版の図版が出版されていて、細部をよく見ているうちに、とくに樹木の上の僧侶たちがそれぞれ個性的に描かれていて、しかも見覚えのある姿をしているものがあることに気が付いたのです。調べてみると、パンチェンラマの歴代ラマと、その前生者たちを描いたタンカ集がそのモデルであることがわかりました。パンチェンラマというのはチベットの代表的な活仏で、ダライラマと並び称せられますが、本来はダライラマよりも格上とも言われています。このパンチェンラマの本拠地がタシルンポという僧院で、授業で取り上げた作品も、この寺院への巡礼者のために描かれたことがわかりました。歴代パンチェンラマのタンカ集も、タシルンポではじめは作られたようで、その後、その転写本や木版本が大量に作られ、ゲルク派のお寺に広まっていきました。私も今年の夏にラダックに行ったとき、寺院の中に実際にかけられているのを見ることができました。
雲の上に仏が乗っている。雲の上に立てるんじゃないだろうか?という発想、また、雲の上に神や仏がいて、もしくは神や仏の世界が広がっているという空想は、世界共通なのだろうか。一枚の絵に時間的な流れと世界観が表現されている。現世を超越した世界があり、そこでは時間の概念をも貫いている。でかいなぁー。仏の世界は。だって、須弥山世界は右下にちょろっとあるだけで、しかも、僕らの世界はそこにあるちっちゃなかけらのひとつ。ああ、ちっちゃいなー。私たち。しかし、この人々がたくさんならんでいる様はなんと美しいことだろう。(実際、男の人があんなにいたら、近寄りたくないですが)。「ウォーリーを探せ!」みたいになっていますが、人がたくさんならんでいる絵はとてもおもしろい。それを儀礼に用いている。すごいなぁーと思う。
仏の世界であるツォクシン、われわれの世界である須弥山世界、そしてそれを模型の形で手にする僧侶(つまりわれわれ人間)という、まったく次元の異なる三つの世界を一枚の絵の中におさめるという発想は、たしかになかなか考えつかないものでしょうね。子ども向けの科学の本で、人間や地球からどんどん世界を拡大し、太陽系、銀河系、そして宇宙全体を示しものがありますが、それと似た感覚を覚えます。ただし、ツォクシンがすべてチベット人の独自の発想というわけではないようです。たとえば、仏の世界の片隅に人間を描くのは、インドの仏像の台座に供養者や礼拝者を小さく描くものがあって、その伝統を受け継いでいるのではと考えています。また、須弥山世界を小さな円筒形の道具(あるいはお盆のような台)を用いて表す方法も、ネパールの仏教儀礼で見られます。これらの先行する表現方法を取り入れながら、さらに浄土図や宇宙樹のようなイメージを組み合わせて作り出したのがツォクシンなのでしょう。
ダライラマの生まれ変わりに関しては、現代でも有名だが、パンチェンラマの名ははじめて聞いた。パンチェンラマもまだ現代に生まれ変わり(とされる人)がいるのだろうか。
「マンダラ」の中身が米なのはなぜか。日本で仏壇に米を供えるのとはたぶん違うと思うが・・・。
パンチェンラマは現代でもいます。前の回答にもふれたように、ダライラマとパンチェンラマは、チベットを代表する活仏です。政治的な権力はダライラマにありましたが(形式的な時代も含めて)、パンチェンラマも政治的に重要な位置を占め、しかもしばしばダライラマと対立しています。チベットが中国の支配下になった後も、ダライラマがインドに亡命たのに対し、パンチェンラマは中国政府の側について、中国本土で要職にありました。先代のパンチェンラマは十年ほど前に急死し、その生まれ変わりをインドの亡命政府と中国側の双方が立てたのですが、亡命政府の方の生まれ変わりは現在行方不明で、いろいろ憶測を呼んでいます。ダライ、パンチェン以外にもチベットにはたくさんの活仏がいます。主な宗派の貫首の地位にいる僧侶はたいてい活仏です。チベットの活仏については、そのままのタイトルの『活仏たちのチベット』(田中公明、春秋社)という本が出ていて、一般向けに詳しく説明されています。マンダラの中身がなぜ米なのはわかりません。もともとは信者から僧院に寄進された米だと思いますが、マンダラの容器とともにいつもは風呂敷のようなものでくるんで、しまってあります。非常食とかではないと思うのですが・・・。機会があれば詳しい人か、チベットのお坊さんに聞いてみます。
仏教で「樹」と聞けば、すぐさま菩提樹を連想しますが、菩提樹と集会樹には、何か関係はないのでしょうか。
直接は関係はないようですが、前にも述べた「宇宙樹」ということで、両者を結びつけることができます。菩提樹はもちろん、釈迦が悟りを開いたときにその根元に坐った樹木ですが、同時に釈迦が悟りを開いた場所は「世界の中心」として経典などでは紹介されています。仏教にとってもっとも重要なできごとである成道(釈迦が悟りを開くこと)は、宇宙論的な意味を持っているのです。それとは別の視点からですが、釈迦の生涯の重要な出来事は、しばしば樹木と結びつけられています。誕生の時には母親の摩耶夫人がアショーカ(無憂)という木の枝を右手でつかんでいます。涅槃が沙羅双樹の間で起こったことは、平家物語の冒頭の文章でよく知られています。これらの背景には、当時の仏教が樹木信仰と密接に関係していたことを表しています。
マンダラとツォクシンは瞑想の対象であり、儀礼と密接に関係しているという点で共通していると言える。しかし、マンダラの場合は、時代ごとに形式が変化することがあっても、同時代における地域差は、文献に忠実に制作されるがゆえに少なかったように思える。反面、ツォクシンは宗派によって、同時代であっても、形式の違いや、配置する仏や人物にも違いが多かったように思える。また、ツォクシンの場合、宗派による教えの系統や伝統などを表現する絵画的な柔軟性があったように思える。こうしたツォクシンにも、制作方法を記した文献のようなものが、宗派ごとに存在するのか、また、マンダラは弟子の入門の時に行われることが多いが、ツォクシンはどのようなときに頻繁に行われるのかが知りたい。ツォクシンに描かれる人物の中には、先行する図像を参考にして描かれたものも多く、教えの伝統制をかもし出している点は非常におもしろかったと思う。
授業ではあまりふれなかった、ツォクシンに見られる形式の不統一を、マンダラとの対比で指摘していただいて、よかったと思います。ツォクシンの制作方法を説明するようなチベットの文献は、今のところ見たことがありません。画家たちが適宜、先例などを参考にしたり、僧侶のアドバイスを受けたりして描いたのではないかと思います。中に描かれる個々の仏や高僧たちは、図像集の中からとりだして描いているようです。ただし、チベットのことですから、ひょっとしたらツォクシンの文献もあるかもしれません。ツォクシンを用いた儀礼については、あまり詳しい説明をしませんでした。これについては、文献に紹介した私の論文で取り上げています。以下に該当個所の抜粋を載せておきます。
ツォクシンの観想をチベットの僧侶たちは日常的に行っている。観想したツォクシンを礼拝供養することによって、三宝とラマへの帰依が行われるからである。多くの僧侶たちは一日の始まりとしてツォクシンの観想を行う。また、ツォクシンの観想とそれへの礼拝は「前行」(ngon 'gro)とも呼ばれ、さまざまな儀礼の第一段階におかれている。主要な儀礼を行うためのウォーミングアップのような性格を持つ。
ゲルク派の場合、前行は以下の六段階からなる。(1)道場の浄化と尊像の配置、(2)清浄なる供養、(3)正しい座方と帰依と発心、(4)聖衆の世界の観想、(5)「七支分」とマンダラ供養、(6)至心な祈願。このうち第四がツォクシンの観想、第五がツォクシンへの礼拝にそれぞれ相当する。第五の段階は「七支分」あるいは「七種無上供養」とも呼ばれる。その名称どおり、?礼拝、?供養、?懺悔、?随喜、?勧請、?発菩提心、?回向の七段階のプロセスからなる。「七支分」の中核をなすのはその第二段階の「供養」である。僧侶は観想されたツォクシンに対し、四種の水、灯明、花などの供物を供え、続いて「マンダラ」を捧げる。この場合のマンダラは金属でできた円筒形の容器で作る立体的なマンダラで、大きさの異なるいくつかの容器に米を満たし、塔のように積み重ねて作る。最後に宝珠形の飾りを上部におく。このマンダラはスメール山をかたちどり、そこに満たされた米は世界を飾るさまざまな宝のかわりとされる。僧侶は実際にはスメール山を瞑想し、その周囲に大陸や山脈、月、太陽を観想する。さらに転輪王の七宝によってもこの世界は荘厳されている。これら宝石で満ちあふれた全世界を、僧侶はツォクシンの仏やラマたちに寄進するのである。
ツォクシンの絵の右下に小さく描かれたマンダラを捧げる僧侶の姿は、マンダラ供養を行うツォクシンの観想者の姿に他ならない。そして、その近くに描かれたスメール山はツォクシンに献ぜられた全世界を、七宝はその装飾品をそれぞれ表している。
ツォクシンの観想法と七種無上供養を中心にすえた儀式もチベットの僧侶たちは行っている。これがラマチューパで、ゲルク派の寺院では毎月10日と25日の2回、寺院のメンバー全員が参加して行う。三宝とラマへの帰依という形を取りながら、実際は寺院に寄進された供物を享受する前に、仏やラマたちに供え、その一部をお下がりとして僧侶に配分するために行われる。半月に1回、定期的に行われるのはそのためである。この儀式で用いられているのがパンチェンラマ一世の「ラマチューパの儀軌」で、ゲルク派内ではおそらく彼の時代に制度化されたのであろう。