第12回 ユングのマンダラ理解

はじめに
 今回は最終回ということもあり、記入していただいたものはすべて掲載しました(一部省略した部分もあります)。共通する感想も多かったため、総括的なコメントをはじめに少ししておきます。
 ユングにとってのマンダラがテーマでしたが、「ユングの解釈は強引、恣意的」という感想が多く見られました。それは私自身の理解でもあるのですが、「強引だから誤り」と言い切れないのが難しいところです。ユングにとって『観無量寿経』の翻訳が間違っていようと、マンダラとヤントラとの区別があいまいであろうと、それはたいした問題ではなかったと思います。人間の心理(とくに無意識)についてのユングの体系と、彼の理解したマンダラやそれに類するイメージがうまく合致することが彼にとって重要だったのでしょう。その場合、インド学者や仏教学者から批判があったとしても、おそらく議論はかみ合わなかったと思います。
 むしろ私が興味深く思ったのは、仏教の専門家を含め、日本において「マンダラは心を表す」という理解が主流をなしていることです。この誤解(?)のもとになっているのが、ユングの解釈であったとするならば、それはかなり重要な問題です。密教の文献のどこを探しても「マンダラは心を表す」とは書いていないからです。現在、心の問題が社会的にも大きく取り上げられますが、そのひとつの源流がユングにあるとすれば、「マンダラが心を表す」という主張はもっと自覚的に(あるいは慎重に)行われなければならないでしょう。
 ユングが実際に参照した文献を紹介しましたが、その中でのツィンマーの役割がきわめて大きいことは注目すべきだと思います。ツィンマーは40代のこれからというときに亡くなったので、学派を形成するなどの影響力は残しませんでしたが、すぐれたインド学者として定評があります。『インド・アート』はおそらく唯一の日本語訳のある文献ですが、宮元啓一氏による訳文も読みやすく、この学者の学風がよくわかります。執筆されたのは60年以上前ですが、内容はきわめて適切で、斬新ささえ感じます。ツィンマーの再評価と、ユングに与えた影響の解明が期待されます。


回復期の精神病患者が、マンダラのような図形を描くことはたしかにあるようで、「マンダラのような」というか、左右対称や上下対称など、線対称の図形を描くケースがあるようです。また、ある種の精神病の症状においては、すべての文字や絵が、実際のものと左右対称になるものがあるようです(森注・写真の裏焼きのような文字。鏡字といって、文字をおぼえたての小さい子がよく書きます)。レオナルド・ダ・ヴィンチもなんかそうだったということを聞いたことがあります。だから、精神(あるいは脳)の状態がある状態に達すると、認識の仕方あるいは認識したものの表現が対称的になるのかもしれないと思ったりしました。ユングとマンダラのことは知りませんでした。でも私たちが授業で学んだマンダラとは違って、何度も先生もおっしゃっていましたが、自分の議論に都合のいい資料を使ったり、そのように解釈したりと強引だなぁと思いました。ユングといい、フロイトといい、非常におもしろい議論はするけれど、かなり強引だな。
いろいろ教えてくれてありがとうございます。脳についての研究は今いろいろな分野でさかんですが、文字と絵とでは、それをあつかう脳の部位が違うということを聞いたことがあります。漢字のような文字と、アルファベットでは違うということも。失語症の研究なども、言語と脳の関係でよく注目されますね。対称というのはバランスがいいので精神の回復期にイメージとしてもあうのですが、必ずしも対称の形をとらない図であっても、そのようなときに描くような気がします。他に「箱庭療法」というのも、精神のバランスの回復に役立つそうですが、これも一種の「秩序化」でしょうか。

「人は精神を病んだとき、その回復期にマンダラに似た図形を描く」というのは、病んだ人の心の整理がついた証拠であり、病んだ人のこれからふたたび入ってゆく「社会」に対する希望的観測を表したものではないかと思う。
そのようにもとれます。ただ、社会に対するユングの関心はかなり稀薄です。

ユングの元型の中にマンダラが見て取れることは非常に興味深い。アニマやアヌムス、女性、男性の象徴などは知っていたのでおどろいた。円という形は、神秘的な形として、さまざまなところで使われていたりするが、それは何に由来するのか。
元型(archtype)はユングの無意識の理論の基礎にあるので、ひととおり知っておくと、ユングの著作を読むのに便利なようです。円が神秘的、あるいは象徴的な図形であるのは広く見られますが、その起源や由来を明確にするのは困難でしょう。参考書に次のようなものがありますが、事例を集めることが主眼になっているようです。
ルルカー、M. 1991 『象徴としての円』竹内章訳 法政大学出版局。

高校の倫理でウパニシャッド哲学とか梵我一如とかは、ブラフマンとアートマンの合一であるとかひととおり習って、丸暗記してきましたが、こんな風に具体的に見ることができると、少し納得できました。意外とそのへんの用語はみんな知っているかもしれないですよ。思い出したのですが、『ガラスの仮面』の40巻あたりで、よく自己と森羅万象も同じとするような「悟り」が出てきています。紅天女を演じるための精神を主人公たちが身に付けていく話だったと思います。よく覚えていないので、もう一度読んでみようと思いますが、作者が何を参考にしているのか、少し気になるところです。
私は世界史で梵我一如という言葉を高校時代に知りましたが、何のことかさっぱりわかりませんでした。大学に入ってこういうことを専門とするようになってからも敬遠していましたが、仏教や密教のことをやったあとで古代インドの哲学を見ると、納得するところが多々ありました。三千年も前の思想なのに、きわめて現代的な問題にも見えます。インド哲学は面白いですよ。『ガラスの仮面』ははじめは「ど根性もの」だったような気がしますが、いつのまにか「精神世界」のマンガになってしまったようです。作者の美内すずえにもともとそういう素地があったのかもしれません。それにしても紅天女ってそんなに大傑作のお芝居で、月影先生は本当にそんな悟りというか神の領域に到達していたのでしょうか。それから、もう最終回を迎えたのでしょうか。それともまだ放置されているのでしょうか。かなり前にインタビューで、もう最後のシーンは決まっているという話も読んだことがあるのですが・・・。

マンダラは仏の世界への窓であり、それを観ずれば我が心への窓となりうるものなのかと愚考した次第。ただ、ユングの考えとは多少相違あり。
回覧された絵本はおもしろいと感じた。配色の妙が曼荼羅の見所だと思うが、それを自分でやってみるとは。受け身の自分には考えられもしなかった。
「マンダラが仏の世界の入口」というのは、マンダラに対するオーソドックスな見方です。それを「自分の心」と解釈するのは、現代的だと思います。民博でおこなわれた「マンダラ展」では、「マンダラ塗り絵」というのを実践するコーナーがあり、かなり人気を集めていたようです。図録にもそのサンプルがついています。そこではたしかに「配色」が重要でしたし、自分の表現したものが客観的に見られることの新鮮さがあったようです。しかし、円と正方形を主体とするだけの幾何学的な模様を「マンダラ」と呼ぶのは、いささか「マンダラ」という語の濫用という気がします。それはともかく、このマンダラ塗り絵を紹介する正木氏に「これで心のあり方がわかるのですか」と聞いたところ、「精神に何らかの問題のある人が塗ったものは、明らかにそれとわかる異常さがある」と言っていました。

水に関しての夢はあまり見たことはないが、個人差があるのだろうか。ユングは仏教にどのくらい、知識があったのだろう。仏=マンダラとはその理解はどうなのだろう。ルリとはどんなものかいまいちわからなかった。氷がルリになるとは?ユングのマンダラ理解は後世どれだけ影響を与えたのだろう。そしてユング自身にどれだけ影響があったのだろう。
ルリというのは瑠璃のことで、ラピスラズリという名で一般に呼ばれる宝石です。青色をしていて、氷のイメージともつながりますので、氷が瑠璃に変わるというのは理解できます。ユングのマンダラ理解については、上記のまとめを参照して下さい。

ユングのマンダラ理解は少しわかりにくかったけれど、「マンダラが心である」ということは、具体的にではないけれど、何となくわかるような気がする。マンダラとは「全」で、心とは「個」であり、人間は心を鎮めることによって、形ある世界ではなく、観念体系としての世界と通じることができるような気がする。それは「全」イコール「個」ではなく、「個」と「全」がシンクロするような感覚であるように感じた。瞑想とはこのシンクロのために行われる手段でしかあり得ないように私は感じました。
なかなか的確な理解だと思います。授業では資料を紹介するだけに終始しましたが、時間があれば、配付資料や参考文献のユングの著作を読んでみて下さい。とくに「東洋的瞑想と心理」は、短いながらユングの仏教観(あるいは東洋観)がよくわかると思います。意外にユングは読みやすいというのが、今回の私の感想です。

ユングがマンダラの思想を仏教を理解せずに利用したことが、このような無理な解釈を生み出したのでしょう。つまり、マンダラではエゴを捨てるべき世界、仏の世界を説いているのに対し、ユングは無意識から自我(エゴ)を推論しているというまったく正反対の考え方をしているように思われたからです。
たしかに仏教の基本とする「無我」は、ユングのマンダラ理解において、ほとんど意識されていないようです。ヤントラ(ユングにとってはマンダラと同等)の場合、ヒンドゥー哲学が基本となるので、アートマンすなわち我の実在が前提となっています。その限りでは、ユングにとってヤントラ(マンダラ)は都合のよい図形です。

今回は概念の話が多く、スライドもなかったので非常に難解でした。ユングという人物は名前だけは知っていましたが、これだけマンダラという東洋のものに対して思い入れをいだいていることに驚きました。ユングがマンダラに興味をいだくきっかけが知りたくなりました。
スライドはともかく、難解に感じさせたのは、私自身もまだ未整理だったということで反省しています。ユングがマンダラと精神病患者との関係に興味をいだくきっかけとなったのは、『個性化とマンダラ』の中に紹介されているX夫人と呼ばれる患者の症例からのようです。マンダラそのものは当時のスイスやドイツなどのインド学者、チベット学者たちからの影響でしょう。ツィンマーもそのひとりです。この時代のヨーロッパの学問は、意外に学際的で、さまざまな分野の研究者が刺激を与えあっていました。エラノス会議という、哲学、心理学、東洋学、宗教学などのさまざまな分野の第一級の研究者が集まる学際的な会議があり、ユングもその中心的存在でした。

ユングはとくに円や二組の対立するもの、上下、左右など、幾何学的な図形をマンダラらしさとしてとらえているので、日本のたとえば参詣マンダラなどはマンダラとしてみなかったのだろう。けれど、ユングの言うマンダラというイメージの方が、一般には多いようだ。ユングの心理学で機能しているマンダラとは異なるようだ。
たしかに、日本のマンダラをユングがどのように解釈したかは興味あるところです。参詣曼荼羅や神道曼荼羅には、ユングがマンダラの定義としてあげるものはほとんど備わっていないようです。でも、1961年まで生きていたのですから、日本のマンダラも知っていてもいいはずですが。

ケルトにもマンダラがあるのに驚きました。世界中、普遍的に人間の心の中にはマンダラのようなものがあるんですね。それを宗教に利用するのは、とても効果的なことに思えたんですが、ユングが解説したマンダラ=仏教的なマンダラではないということは、心理学で分析すべきものと、できないものがあるということでしょうか。ユングが仏教側から見て多くの勘違い、無理やりな解釈をしたけれど、今後も心理学で宗教のマンダラを見ることは不可能なんでしょうか。
ケルトのマンダラは、おそらくケルトの伝統的な文様を、ユングが紹介するようなマンダラの形にしたものだと思います。人間の心の中の普遍的なものこそが、ユングの言う元型です。現代の臨床心理学で、マンダラが用いられることがあるのかは、私も興味あるところです。

精神病患者が描いたマンダラと、宗教的なマンダラとが似ていることにとても驚いた。
ユングもその驚きから出発しているようです。

マンダラをそれが作られた世界だけから見るのでなく、ヨーロッパという他地域から見た考え方はとてもおもしろいなぁと思った。ユングはマンダラを信仰しているわけではないために、精神病とかと結びつけたが、その見方はマンダラを作っている側からの視点ではなかなか出てこないのではないかと思う。こういう見方からマンダラを考えていくのも、マンダラの本質にはそぐわないとしても、そのような考え方は新しい考えとしてありうると思うし、マンダラを考える上でよりおもしろくなると思った。
「アジアのマンダラ」という授業のテーマとしては、前回の日本との対比でほぼ内容は尽きていたのですが、ユングのマンダラ理解を取り上げることで、違う視点からマンダラを見て、興味を持ってもらえたのはうれしいことです。

ユングの言うマンダラは、マンダラというよりもむしろ魔法陣のような感じがする。あれをマンダラと呼ぶ理由は納得できないこともないが、参詣マンダラ並にこじつけくさい気も・・・・。
八つの方向に光が伸びていると聞いて、時輪マンダラ(だったはず)を思い出した。
マンダラが光のイメージに満ちているのはたしかで、それはマンダラの瞑想からも確認できます。しかし、『観阿弥陀経』の場合、八方向への光というのは経典の原文に合致しません。浄土の瞑想とマンダラの瞑想とは、瞑想の系統が違うのではないかといわれています。魔法陣はずっと昔から世界中でその作り方が論じられたり、神秘思想と結びついたりします。作り方にもいろいろありますが、関心があれば紹介します。

はじめてマンダラを見たとき、ユングは何を思ったのだろうか。あとになったユングが自分の考えをまとめたり、理解するのにマンダラが都合がよかったというか、目に付いた部分が自分の考えと合って嬉しかっただろうか、などと思ってしまう。
ユングの思想形成とマンダラへの関心の高まりが、どのような関係にあるかがわかるとおもしろいですね。たぶん、ユングは自分のマンダラ解釈に自信を持っていたでしょうし、恣意的な解釈をしていることも十分自覚していたのではないかと思います。天才とはそういうものでしょう。

ユングの考え方はおもしろいが、たしかに解釈が恣意的で、ともすればフィクションに近いものがあると感じた。水と無意識を同一視したり、さまざまな点において門外漢の私には理解できない。もっとユングをよく知ればもちろん違ってくるだろうが、どうも仏教に関する不理解などが先入観になるのか、素直に賛同しかねるものがある。機会があったらもっとユングの著作を読んでみるのもいいかもしれないと思った。
ぜひ読んでみて下さい。「ユングのマンダラ理解」というテーマなら、卒論でも十分扱える大きなテーマです。日本のユング研究者で有名な河合隼雄氏は仏教への関心も高く、最近は中沢新一氏と『仏教が好き』とかいろいろ本を出しています。ユングから仏教へという流れは、ユングの著作を見ると納得できます。いささかうさんくさくかんじますが・・・。

ユングはヤントラ=マンダラと考えていたり、仏教の常識的な部分に対する理解が欠けていたりしたようだが、やはり根本的なマンダラに対する考えの違いによるのかなという感じを受けた。
ユングが東洋の宗教に対して無知であったような印象を与えたかもしれませんが、とてもよく勉強しています。東洋だけではなく西洋の神秘思想、たとえば錬金術や占星術についての知識も豊富です。そういう点からも、「マンダラに対する考えの違い」というのが、たしかに基本にあるのでしょうね。

ユングとマンダラに関して、以前から興味があったのだが、評価の割に論理的に強引な点が多いのに驚いた。日本ではフロイトよりユングの方が支持されているようですが、どっちもどっちな気がしました。
私の印象ですが、日本の場合、ユングもフロイトも人気があるような気がします。おそらく、学問的な系統がそれぞれあるのたと思います。心理学の先生には嘆かわしいのでしょうが、心理学をうたった通俗的な本が、しばしばユングやフロイトと結びつけられて出版されるのも、日本でよく見られます。

ユングのマンダラの理解がおもしろいと思った。精神を病んだとき、回復期にマンダラの図形を心に浮かべるという思いつきはすごいと思った。今回は少し内容が難しかった。
たぶん、現代のマンダラ研究者が、ユングと同じように患者が描いたマンダラに似た図形を見ても、マンダラとは思わないでしょうね。授業での説明の不備な点は、配布した資料に目を通してみて下さい。

チベット・ネパールなどのマンダラに比べると、ユングのマンダラはなんだかナンパな感じを受けた。ところで、町全体がマンダラになっているというサムイエに行きたい。たしか、ラサからちょっと行ったところだったような・・・。気になります。パーミットが居るらしいですが。
「ナンパ」というのは、絶妙な表現ですね。サムエ(サムイエ)は日本人が撮った写真を見たことがありますが、パーミッションがいるのですか。サムエはチベットではじめた建てられた本格的な仏教僧院で、「サムエの論争」の舞台となったことでも有名です。僧院全体は仏教の世界観に基づいていると言われます。僧院の上の方の階に、かつては胎蔵大日如来があったと思いますが、今はどうなのでしょう。