仏教における空間論

7月12日の授業への質問・感想


祇園祭の時など、京都の街は歩行者天国になります。あの祭りに行くたびに、僕はグリッド様式はややこしくて迷子になりそうで、利便性が悪いと思っていました。昔の人はグリッドプランに不便を感じていなかったのでしょうか。あと京都や奈良など、長安を模倣した都市は、宗教的イデオロギーと経済性が両立されていたのでしょうか。僕はどっちの街もよく知っていますが、とくにあの街の造り方に経済性があるとは認識しがたいのですが。京都や奈良の宗教的イデオロギーはよくわかりません。
祇園祭は先日行われていたようですが、現在では華やかなこの祭りは、本来は御霊会といって、悪霊退散のための呪術的な祭りだったようです。それはともかく、グリッドプランの街は御ご指摘のとおり、実際の生活にはあまり住みやすい形ではないと思います。わたしは京都や奈良に住んだことはありませんが、学生のころに住んでいた名古屋が、中心部がグリッド状になっていて、車で運転しても、どこで曲がればいいかよくわからなくなりました。名古屋は戦災で焼けた後、戦後の復興時に道路を中心に整備された街です。また、都市ではなく建造物でも同じような感覚を持つことがあります。大阪の国立民族学博物館は、黒川紀章氏による設計ですが、中心に大きな中庭のような空間を作り、そのまわりに回廊状に研究室や会議室が並んでいます。四つの角のところにエレベーターがありますが、行くたびに、エレベーターを降りてどちらの方向に進めばいいのかわからなくなります。研究室などのドアは方角ごとに色分けしてありましたが(風水と関係?)、少しも役に立ちません。全般に使い勝手が悪く、専任の方にもずいぶん不評のようです。おそらく、人間の空間認識は、鳥瞰的なものではなく、直線的、つまり、自分が進むにしたがって、どのような景色が現れるかということが、情報として重要なのでしょう。これは今回の巡礼についても当てはまると思います。都市空間と経済性についての関係は、私もよくわかりません。宗教性やイデオロギーとの両立と言っても、さまざまなパターンがあると思います。これからの課題にしておきます。

夏休みに高野山に行きたくなりました。
高野山の話をときどき授業でするので、高野山に行きたいと感想に書かれた方がほかにも何人かいらっしゃいました。先日の世界遺産登録で、この夏休みはかなりの観光客が訪れるようです。私は4年ほど前まで住んでいましたが、そのころは、観光客が毎年減り続け、苦肉の策というか起死回生の道が世界遺産登録だったのです。昨日(19日)はNHKの特別番組で取り上げられるほどで、高い注目を集めるようになり、よかったと思っていますが、あまり観光客が増えすぎても雰囲気が失われるのではと、余計な心配もしています。それはともかく、高野山や熊野は、日本に残された伝統的な宗教的な空間という点でも貴重なものだと思います。機会があれば、ぜひ行ってみて下さい。おすすめのところや穴場的なところも、知りたい人には紹介します。

長安という都市が、グリッドプランに基づいていることの象徴として、プリントの「地上における宇宙の鏡としての都を作り出す天文思想」にはじめは納得がいかなかった。というのも、宇宙というのはグリッド(碁盤)もしくは幾何学的な整合性が成立しないものであるという私の直観があったからです。このことは宇宙(あるいは万物の起源)は人間によっては洞察できないものとして、カオスとかト・アペイロン(無限定なるもの)という述語を使って、何とかしてそれらを表現しようとした古代ギリシアの哲学者たちの理論をもっても裏付けられると思います。また、宇宙と宗教性を同一視するのは論理的飛躍かもしれませんが、ミルチャ・エリアーデによれば、宗教的なもの(宇宙?)こそが均質ではないということであり、「宇宙の鏡としての都=グリッド」という図式は成り立たないと思いました。しかし、授業の最後の方で、グリッド・プランに関して「宗教的イデオロギーと経済性の両立が(長安という)都市の持つ意義である」という板書を見て、なんだか納得がいきました。都市の持つ宗教的イデオロギーにのみ考察の目が届かなかった私が、誤っていたのだと思ったのです。
長文のコメントありがとうございました。ギリシャ哲学の空間論はわたしのカバーできる領域ではないので、また、詳しく教えて下さい。エリアーデのことばは、おそらく『聖と俗』の冒頭の「宗教的人間にとって、あらゆる空間は均質ではない」というものだと思いますが、これは、聖なる空間と俗なる空間の間に必ず断絶があり、連続しないこと、それぞれが密度が異なることを指しているのだと思います。その中で、聖なる空間は秩序を持ち、中心と周縁が緊張関係をそなえていると、書いていると思います。都市というのは、そのような聖なる空間のひとつの現れで、それだからこそ、北極星を中心とした構造や、風水、陰陽五行などが適用されるのではないでしょうか。「宗教的イデオロギーと経済性の両立」という二つを、授業では強調しましたが、王権の問題も視野に入れなければならないと思っています。ただし、イデオロギーや経済性とは無縁の王権というのは存在しないので、むずかしいでしょう。『長安の都市計画』を読んで印象に残ったのは、都市を聖なる空間としてとらえること自体は、宗教を論ずるわれわれにとって自然なことなのですが、唐の時代という文脈で都市を見ると、成立当初は都市とは「聖なる空間」であったのに対し、安定期になると「生活空間」へと変わっていったことです。宗教学者は概して構造や概念を先に立てますが、そうすると歴史的な視点が抜け落ちる傾向があることを痛感しました。

数年前に熊野三山に詣でたことがあり、ほとんどの行程はバスでしたが、那智へは鬱蒼とした杉木立の中の熊野古道を杖をついて歩いていったことを懐かしく思い出します。
わたしも熊野三山には2度行ったことがあります。高野山から車で行きましたが、どこまで行っても山の中で、本当に紀伊半島は山ばかりだという印象を受けました。那智大社の近くは熊野古道がよく保存されているところで、往事の雰囲気を感じることができます。高野山も古道がいくつかあり、麓の九度山町の慈尊院から続く町石道(ちょういしみち)や、高野山のまわりをめぐる女人道(にょにんみち)がよく知られています。こちらもぜひどうぞ。

熊野古道では神社もお寺(高野山)も一緒に結んでいますが、聖地をめざして参詣の旅に出る人々が求めたのは、神道的な救いなんですか。
熊野詣がさかんになった平安時代の院政期は、現在のような神道はありませんでした。修験の歴史にも関わりますが、この時代には古来の日本の神々と、外来の仏教の神々との本迹関係が整備されていきます。仏教の仏を本地仏と呼び、日本固有の神々が、かれらが姿を変えて現れた垂迹神と解釈されたのです。現在のように神仏分離が徹底されたのは明治期以来で、それまでの日本人の神々の世界は、神も仏も入り混じった、総体的なものだったのです。

・中国の都、長安と洛陽について。とくに長安ですが、大河のたもとにあって交通の要衝であったことが、農業以上に大きなポイントだと思います。黄河が北に大きく曲がるところにあるので、ここで一度、積み荷を陸に揚げた方が、輸送にかかる時間がだいぶ短縮されます。必然的に、その曲がり角に市が立つようになり栄えた・・・ということだと思います。後の南京についても、内陸から船で運んできた荷物を、海外に輸出する際の関所になったのではないでしょうか。つまり、国内流通に加えて、南京の繁栄は海外流通の発達を示すものでもあると思います。加えて、用水路の整備が進んで、長江の氾濫が改善されたこともポイントだと思います。
・「世界の箱庭」の「國」、「国の箱庭」の「都市」「都市の箱庭」の「城」・・・と続いていって、最終的に「○○の箱庭」の「皇帝」に集約するのだと思いました。つまり、皇帝が「天」と直線上につながる関係にあるわけです。この直線は皇帝(支配者)の「天命」思想となって現れています。自然界の中に「まっすぐな線」自体、ほとんどあり得ないものなので、直線を多用すればするほど、何らかの超自然的秩序を象徴しているのでしょう。と同時に、これは支配者の富と権力の象徴(誇示)でもあります。
 都市の成立と流通の関係はもちろん重要だと思います。河川を使った流通という点では、黄河と長江を結ぶ大運河の完成も重要だったでしょう。『長安との都市計画』では長安をはじめとする王都の立地が「ユーラシア東部の空間構成と歴史の展開に規定されているために、東アジアの政治・経済動向の指標となり、ユーラシア東部の歴史の変動の一端は、中国の代表的な都の変遷に象徴的に示されているのである」とまとめられています。
 自然界にまっすぐな線がほとんどないことが、正しいかどうかはわかりませんが、たしかに、人工的な形態が、かならずしも自然のものと一致しないのはよく見られます。まったく違う分野の本ですが、『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)を思い出しました。たとえば、動物の移動方式に、タイヤのような輪を用いたものがないことが、いろいろ理由を挙げて同書では説明されています。われわれが洗練された形と思っているものは、自然界で進化して生み出されたものとは、根本的に違うことが多いようです。都市や村落というのも自然物とすれば、その形態は紙の上でデザインされるものではないのでしょう。

「玄」には「黒」という意味があります。例「玄米」「玄冬」。
たしかにそうですね。「玄人」は「くろうと」と読みますし。さっそく白川静『字統』を引いてみました。「玄は象形文字で、糸たばをねじった形。黒く染めた糸をいう。染色は赤黄よりして次第に紅赤の度を加え、黒よりして玄となる。その複雑な色相よりして幽深の意となり、その色彩感覚よりも、むしろ理念的な意味を持つものになった。」とありました。幽玄というような用例は、その最後の段階なのですね。また、糸を染めるときに、黄色からはじめ、黒にいたるというのは、陰陽五行の中心に黄色が置かれることとも関係あるようです。ちなみに、同じような色を示す黒という字も象形文字で、ふくろの中のものをくゆらせて、そのすすをとる方法を示す字形だそうです(これは『字訓』より)。漢字の世界はおもしろいですね。


(c) MORI Masahide, All rights reserved.