仏教における空間論

6月21日の授業への質問・感想


インド人は神の世界をこの世に投影して構造として認識し、日本人は二つの世界を行き来して、プロセスを体験して認識する、ということだったが、前者のインドの場合は、インドだけでなく、世界のいたるところで見られるような気がする。うまく具体例は挙げられないけど。その点「異界」というものを作り出して、ある意味大事にして、そことこの世との行き来を重要視するというやり方は、わりと日本に特有ではないだろうか。地獄、妖怪、魑魅魍魎、霊界などなど。日本人は異界大好きな気がする。そして、自分を一度死なせて生まれ変わらせることに浄化を見いだしているところが、まさに動いている円環という感じがする。どうして日本人は異界に行き(そして戻り)たがるんだろうか。たぶん、農耕社会とか四季がはっきりしていることも関係あるんじゃないだろうか。日本人は季節の移り変わりを生き、それにしたがって、世界のすべてが動いていくさまをよく見ている。地獄は冬で、極楽は春だと表現したら言いすぎだろうか。また、それに比べてインド人は固定的とまで言わないけど、「同」が好きなのかなという感じがする。さまざまなものや世界が同じひとつの構造を持つという考え方は、なかなか日本人にはできないと思う。
世界を構造的に認識し、その構造をさまざまなレベルに投影するというのは、前回からの寺院の構造などでも見られ、たしかにインドでは普遍的なものと思われます。これに対し、異界を設定することは、おそらく日本だけではなく、世界中で見られるでしょう。インドでも同様です。また「死と再生」というモチーフも、神話や儀礼などを通して、さまざまな宗教で見られます(エリアーデなどの宗教学者が好んで用いる概念です)。日本人の時間のイメージは円環的で、繰り返しを基本とするのはそのとおりです。四季の変化や、一年を周期とする農耕社会であることがその大きな理由でしょう。私は時間と空間を結びつけて考える習慣がありますが、日本においては宇宙論(コスモロジー)は発達せず、インドに見られた五種輪廻図のような構造的な世界図が、日本ではプロセスを重視する「巡るための境界」に変化してしまうところが、おもしろいと思いました。その点、日本人は世界を構造としてとらえるのが不得手であるというのは同感です。

時間的な世界観といえば、「逢魔が刻」を思い出します。インドなどには、こうした時間帯が考えられていたのでしょうか。時間的な世界観は経験的であるのに対し、空間的な世界観は観念的だと思います。
インドでも明け方や夕刻は一種の「逢魔が刻」のようです。このような時間帯を特別視するのは、昼と夜の境界ということが重要なのでしょう。人間は時間でも空間でも両義的なものに対して、畏怖の念を抱く傾向があります。境界というのは文字通り、二つの領域の接点であり、空間的なイメージでとらえられますが、たしかに「境界の時間」とでも呼ぶべきものがあります。余談ですが、赤ん坊は夕方になるとよく泣く傾向があるそうです。託児所などでゼロ歳児などが集団でいると、夕方に一人の赤ん坊が泣き始めると、たちまち泣き声の大合唱になります。このような時間帯を怖れるのは人間の本能かもしれません。

広辞苑によると「よ」[世・代]は「節(よ)」と同じで、限られた時間の流れを意味するだそうです。
「よ」について少し口走りましたが、手許にあった荒木博之『やまとことばの人類学』(朝日選書)を見ていて、授業のテーマと関係があるかなと思ったものです。同書によれば、「よ」は古代の日本語では代、世、節、齢などの漢字を当てたことばです。本来は竹の節と節の間を指したようですが、空間的な距離だけではなく、時間的な幅も指すことがおもしろいと思いました。授業で取り上げた地獄や異界は、まとめて呼べば「あの世」であり、それに対して、われわれの生きているのは「この世」となります。ここで用いられている「世」も「よ」なのですが、インド的には空間的な異界が、日本では時間の幅となっていることは、授業でも見たとおりです。この本では、「よ」が時間的な周期を表すようになるとともに、それに関わる人々や社会が、周期的に刷新され、ふたたび力をよみがえらせることも、古くから伝わる民間の祭礼などを例にして紹介されています。なお、この本はもとは『日本語から日本人を考える』というタイトルで出ていたもので、選書になるときに上記のものに改題されました。当時は人類学が一種のブームになっていたからのようですが、あまりに安易な変更で、もとのタイトルの方が内容に即しています。

大峰山が世界遺産に登録されるに当たって、山上が丘の「女人禁制」がいろいろ問題になっています。宗教的空間に於ける「女人禁制」は単なる女性差別とは違うのではないかと個人的には思っていますが、世界の人々が見に来たときに、とくに西欧の人々にどのように説明するのか、難しい問題になると気になります。
大峰山の女人禁制はたしかに新聞などでもよく取り上げられて、当事者は困っているようです。私個人の考えですが、寺院や教会のような「聖なる空間」というのは、中に入ることに制限を設けることでその聖性を維持するところがあると思います。インドではヒンドゥー教徒しか入れない寺院があちこちにあって、せっかく見に行ったのに中に入れずに悔しい思いをしたこともありますが、だからこそ「生きた寺院」として機能しているとも考えられます。女人禁制では高野山が有名で、明治時代のはじめまでかたく守られていました。しかし、実際、行ってみて知ったのですが、山全体が女性の立ち入りを禁止していたのではなく、女性がのぼってきて参籠する「女人堂」という建物が、山内のあちこちにありました。女性が入れなかったのは本当の町の中心だけなのです。また、高野山のまわりには女人道(にょにんみち)という巡礼の道があり、そこから奥の院や伽藍を拝観したと言われます。山の麓には「女人高野」の別名を持つ慈尊院という重要なお寺があり、高野参詣の重要な拠点となっています。このように、完全に女性を排除するのではなく、女性に対する特有の参拝の方法を用意することで、聖地に必要な聖性と大衆性を、制度として有していたのです。だからこそ、何百年にもわたって、高野山は日本有数の聖地でありえたのでしょう。

神への供え物を燃やして煙にして届けるというのがおもしろいなと思います。あったものがなくなって、本当に神のもとへと届いたのだと思えるからなのか。
古代インドのヴェーダ祭式は、火を用いた儀礼が基本です。これは日本密教でも行われている護摩(ごま)の儀礼にも受け継がれていきます。ヴェーダの祭式の場合、火の中に投ずる供物は動物性の油脂です。牧畜を生活基盤とする当時の人々にとって、これはもっとも重要なものだったからです。油脂を燃やすと煙が出ますが、これが天界に届くことで、神々は供物を享受して喜んだと考えました。なくなると言うよりも、煙の形で神のもとに運ばれるのです。それを運ぶ役目をするのがアグニという火の神です。アグニはインドラとならんで、もっとも当時の人々の信仰を集めた神でした。なお、日本の護摩では火の中に投じられるのは油ばかりではなく、穀物や薪(護摩木)などさまざまなものがあります。これはヒンドゥー教の類似の儀礼にも見られます。アーリア人が定住し、農耕社会を築くことが、このような供物の種類の変化をもたらしたようです。仏教徒が護摩を行うようになったのは、このようなヴェーダの祭式がヒンドゥー教の儀礼へと変容した後のことです。

ヒンドゥー教における「儀礼の場は宇宙の投影である」という先生の板書を見て、なぜ人間は自分たちが物事を行うのに宇宙とか自然(「自然」は先生はふれていなかったと思いますが、これも宇宙と同類の扱いをしてもよいと私は思います)とかを意識するのでしょうか。
人間の行為の中でも儀礼のような宗教的な行為は、しばしば宇宙や神のような聖なる存在と関係を持とうとします。古代のインドにおいて、儀礼とは、そのような存在と関わりを持ち、何らかの影響を与えることであると考えたからです。その場合、宇宙と言っても、神と言ってもあまり差はありません。梵我一如の思想として知られるように、世界はブラフマンであり、そのまま「聖なるもの」であるからです。ヒンドゥー教では人格神的な神が現れますが、その場合でも世界と神は一元論的に解釈され、この世界は神が姿を変えたもの、あるいは神そのものがさまざまな現れ方をしたものと説明されます。なお、自然については、たしかに世界や宇宙と同列に扱うことも可能ですが、一般に日本語では自然は人工的ではない環境や生態系を表すと思います。空間にこのような自然を加えることもありますし、はじめに紹介した参考文献でもそのような立場で書かれたものがいくつかありましたが、私には手に余るので取り上げられません。ついでに言えば、仏教では「しぜん」とよばずに「じねん」と呼び、その場合、さらに意味は異なります。

身体が媒介にされているというのは、けっこう普遍的なことだと思います。儀礼の場が宇宙を投影しているのなら、そこからインドの宇宙観をたぐっていくことができると思いますが、それは私たちのよく知る「宇宙」とは別のものであると思います。なまじ日本語で表現するから、インドで言う「宇宙」観は現実の「宇宙」と何か関係があったりするのだろうかと思ったりするのですが、(というか、宇宙と聞くと必ずと言っていいほど暗闇と惑星、銀河・・・と想像してしまうのですが・・・)実際のところはどうなのでしょうか、インドでは宗教的な宇宙と、そうでない宇宙を分けて表現したりしているのでしょうか。
最後の質問から考えますが、インドでは宗教的な宇宙と、そうではない宇宙というような分け方は伝統的にないでしょう。授業で用いる「宇宙」や「世界」が、現代の日本人がイメージする「科学的な知識に裏付けられた宇宙」のようなものではないことはすでにおわかりと思います。しかし、この「科学的な知識に裏付けられた宇宙」という宇宙像は、ほんとうに「正しい宇宙のイメージ」なのでしょうか。コメントにもある「暗闇と惑星、銀河・・・」という宇宙のイメージは、私も「宇宙」という言葉から即座に連想しますが、われわれが実際にこの目で見たものではありません。もちろん、このようなイメージは理科の教科書などに天体望遠鏡の写真としてあげられているので、事実だと思うかもしれませんが、たいていは特殊な撮影法で撮った写真ですし、想像図であることもあります。そもそも、無限の広がりを持ち(あるいは、膨張し続ける)宇宙を、暗闇と星の点だけの平面的な画像で表して、これは正しい姿であると言うことはできないはずです。古代のインド人がイメージし、表現した須弥山世界と実際は大差ないのかもしれません。そのような見方をすれば、「科学的な知識に裏付けられた宇宙」を別格扱いし、そうではない伝統的な、あるいは神話的な宇宙と区別することそのものが、現代の日本人のコスモロジーであると言ってもいいのかもしれません。



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