仏教における空間論

6月14日の授業への質問・感想


日本人にとって地獄は目的地ではなく、途中経過であり、最後は救済されるのは、日本人独特の楽天的思考なのか、あるいはテレビドラマ「水戸黄門」に見られる最後はめでたしで終わる「予定調和」を求める心なのかと思います。それとも、もっと高い宗教性、たとえば「煩悩即菩提」のように「地獄即極楽」地獄と極楽は所詮、紙の表と裏みたいなものだという考え方があるのでしょうか。
「水戸黄門」的な「予定調和」というのはなかなか穿った解釈だと思います。それはともかく、日本の地獄絵でも時代によって変化があり、先回の授業の最後に紹介した長岳寺の作品は室町時代、つまりかなり後代のものです。平安時代の『往生要集』に代表される地獄の描写を読んで、当時の人々は本当に恐怖におののいてその情景を想像したでしょう。実際、日本人の地獄観にこれほど大きな影響を与えた作品は、他に例を見ません。「煩悩即菩提」は日本のみならず、インドでも認められる考え方ですが、そのような教学的な解釈と、地獄の捉え方の変化とは少しレベルが異なるのではないかと思います。むしろ、日本人にとっての他界観や自然のイメージと関係すると思います。

・ 前回の授業の質問、回答集の一つ目「脱衣婆」について。何の本かは忘れましたが、一説によると脱衣婆は日本独自のものらしく、中国では自分で川岸の木に衣を掛けて行くはずです。また脱衣婆
は苦痛を伴わないということでしたが、もし、死人が裸、つまり衣を着ていないと、「生皮をはいで置いて行け」というものもあるとか。著者によれば「人間はこの世に生まれると<えな>という衣をいただく。死に際して、この世を去るときは、この衣を脱いでいかなければならない(死ぬときは何一つ持っていけない)。脱衣婆は産婆さんと対応しているのかも?」とか。最後は深読みしすぎな気がしますが。
・ 地獄の責め苦があまりに人間的なので、つい忘れがちですが、そもそも地獄に入るということは「人間」でも「餓鬼」でも「畜生」でもない存在になるということであり、前回に質問回答集にあった「人間の尊厳と衣服」の関係は、おもしろいと思いました。
・ 三途の川の渡り方について。生前の業により、比較的、罪の軽いものは「橋」を、中位は「浅瀬」を、罪の重いものは「深いところ」を行くそうですが。その本にはこの川でおぼれたり流されたものがどうなるのか、言及はなかったと思います(気になります)。地獄絵で地蔵に救済されていたのが、橋を渡っている人物だったので、やはり罪が軽いものから救われていくのでしょうね。この世とあの世のクッションとしての地獄について。「二河白道図」でも、極楽に行く橋の手前に餓鬼や畜生、阿修羅がいるし、橋(白道)がかかっている川も「火」と「水」の責めがあったと思います。
・ インドの空間重視に対する日本の時間重視について。十王を横一列に並べるのも、初七日に始まる「時間的流れ」と言えるのでしょうか。
・ 前回の授業の質問回答(最後から2個目)について。獄卒のことですが、中国では地獄に堕ちた罪人が地獄の官僚になることもあるようです。(著者は忘れましたが『鬼の話』上下巻にたくさん入っています)。たとえば、治水工事の監督役や書記係等々になります。牛頭、馬頭はじめ「鬼」とはちがうようですが・・・。刑の執行人になることもあるらしいです。さらに「賄賂」で楽な職場に回ることもできるらしい。泰山地獄に由来する地獄=官僚制社会のようです。参考まで。
長文のコメントや授業の補足をありがとうございます。「えな」(胞衣)は胎児を包む膜や胎盤のことですね。日本史の分野で『的と胞衣』(横井清、平凡社)という本があり、胞衣が民俗学的にも重要であったことが知られています。また、一般に胎児は胞衣を破って生まれてくるのですが、まれにそのままの状態で生まれることがあり、そのようなものには特別な力が備わっていることを、西洋史の分野であつかった『ベナンダンティ』(C.ギンズブルク、せりか書房)という名著もあります。脱衣婆の位置づけも含め、死を再生ととらえる考え方が、基本になっているのでしょう。「二河白道図」は浄土系の絵画のひとつの形式で、たしかに極楽図と地獄図の両方の要素が含まれています。後期のこの授業は「浄土教美術の研究」なので、そこでたぶん取り上げます。十王の配置については、たしかに時間の経過と関連すると思いますが、十王図そのものが中国の成立なので、必ずしも日本的なとらえ方にはならないかもしれません。

よく山に行くと「異界に来た」という感覚になり、街のことを「下界」などといいます。昨今の登山客にしてみれば、3000m位の高山も観光地に近いのかもしれませんが、誰もいない冬山とか、高山で霧に巻かれたりすると、やはりここは人の踏み入れるべきところじゃないのかもしれないという気分になります。そういうときは、わが観光地化された現在に生きるわれわれでも、此岸と彼岸の境界にいることになるのかもしれません(まぁ、実際、生死の境をさまよっていたりもするわけですが)。
少しレベルが違いますが、私は標高1000mほどある高野山に何年か住んでいたことがあり、そのことを思い出します。高野山に住んでいる人は、そこを「お山」と呼び、下の町のことを「山の下」と言います。後者は、たしかに下界や俗界というニュアンスが込められています。1000m程度の標高でも、山の下とお山はずいぶん環境が異なり、気温はもちろん、湿度、植生、雨や雪の降り方などの違いは、住んではじめて体験するものでした。霧も頻繁に発生して、視界がほとんどきかないこともたびたびありました。空海がこのようなところに修行の場を作ったのは、それだけ山という存在が、彼を含め当時の日本人にとって特別だったということなのでしょう。

曼荼羅図が情景や順路や歴史など、さまざまな内容を表していることをはじめて知った。昔の人々は曼荼羅図を参考にしてめぐるなどしたのだろうか。
参詣曼荼羅は日本独自の曼荼羅で、インドではこのようなものは曼荼羅とは呼ばれません。参詣曼荼羅は絵解きを前提とした絵画で、そこに描かれた寺社への参拝者を募るために、人々の前で語られました。その場合、単なる情景図ではなく、開山縁起や御利益などが織り込まれている必要があり、おのずと説話図的な性格もそなえるようになります。実際に参拝するときには参詣曼荼羅ではなく、名所図絵のようなもっと簡便な印刷物などを参考にしたと思います。

今昔物語集がもとになって、芥川龍之介の「地獄変」が成立したのは有名だが、今日の講義を聴いて、同じ芥川の「杜子春」も仏教説話に材がとられているのだと思った。(地獄で自分の両親が獣になっているのを見てしまう場面)。
今昔と芥川の「地獄変」については、別の方も指摘されていました。この小説は良秀という絵師を主人公として、芸術と狂気を主題にした短編ですが、「地獄変」つまり地獄絵が重要なモチーフとなっています。良秀は実在の絵師で、不動の絵を描くときにその光背の火炎がどうしても描けず、自分の家の燃える様子を見て、ようやくそれを描くことができたという逸話が、『宇治拾遺物語』に含まれ、良秀の手になる不動の画像のことが、世に「よじり不動」として知られるようになります。これに今昔第31巻第4話の巨瀬広高による地獄絵の説話に着想を得て、芥川は「地獄変」を書いたようです。芥川には他にも「羅生門」や「六の宮の姫君」など、今昔に関連する短編が数多くあります。「杜子春」の方はたしかに目蓮説話が関係しているようです。しかし、こうして芥川の作品を眺めてみると、「地獄変」にしろ「杜子春」にしろ、あるいは「蜘蛛の糸」のような単純な物語も含め、私にはある種の「後味の悪さ」が気になります。

去年、祖父の葬式で御詠歌なるものを聞きました。集落の垣内(かいと、ご近所の人々)が田舎の祖父の家に集まり、快いリズムで御詠歌を披露していました。その内容として、死者は死んでからすぐに浄土へ行くのではなく、死後、七つの関所を各々七日、計49日かけて、やっとこさ浄土へ行けるというものでした。関所の種類としては、ものすごく高い山を越えるものや、針の山のように、地獄絵と似通って、つらそうなものばかりでしたが、それらの困難を乗り越えて浄土へ行くという点は、地獄巡りをし終わった最後に、救済が待っている日本の地獄絵と関連しているのかなと思いました。
日本にはいろいろな習俗や民間的な信仰がまだまだ生きていることを感じます。死後の49日間は中有(中陰)といって、次の生まれ変わりの前のさまよっている期間です。その起源はインドにありますが、日本でもしっかり定着していて、葬式の後の法事のサイクルがこれに対応しています。ちなみに、チベットの死者の書という有名な経典では、この間に死者が体験するできごとがヴィジュアルに説かれています。

源氏物語で義母藤壺と密通した源氏が、「地獄に堕ちてでもあなた(藤壺)を手に入れたかった」と話しかけていたのを、昔の私は源氏は何を調子のよいことを言ってるのかと思ったものでした。でも、地獄絵図を見た今、彼は彼なりに相当覚悟をした上で、逢瀬をしたのかと考えが変わりました。昔の人だったら、死後のことをすごく怖れていただろうし。仮に彼が地獄に堕ちたとしたら、今まで手を付けた女性たちの顔をした蛇に絡まれて動けないでしょうね(両婦地獄ならぬ多婦地獄?)。
たしかにそうですね。文学作品を読む上でも、当時の文化や信仰を知ると、今までとは違った理解ができるようです。

ヨーロッパにも地獄という概念はありますよね。仏教のように輪廻転生の思想はないと思うのですが、ヨーロッパでは死人で地獄に行くとそのまま消滅してしまうと考えられていたのですか。
ヨーロッパの場合、地獄の他に煉獄と言うところがあり、地獄よりも少し楽で、一定期間、火に焼かれることで、生前の罪が消えて天国に行けることができるようです。煉獄のこのようなあり方は、日本の境界としての地獄に似ているような気がします。煉獄については『煉獄の誕生』(ル・ゴッフ、法政大学出版局)という大部の研究書が出ています。ちなみに、先日、日本史の平瀬先生とこの本についてお話ししていたら、翻訳をされたのはうちの仏文の渡辺香根夫, 内田洋の両先生であることを教えていただきました(渡辺先生はすでに退官されていますが)。


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