仏教における空間論
6月7日の授業への質問・感想
地獄の多様さを絵で見ると、一体誰が考えたのかが気になった。奪衣婆などはなぜ死人から衣服を取るのか気になった。衣服を奪う程度では、他と比べてなんでもないように思う。
地獄のさまざまな情景や拷問を、誰が考えたかはわかりません。インド、中国、日本へと地獄の思想が伝わる過程で、さまざまな要素が加わり、整備されていったのでしょう。サディスティックなことを考える人はどこにでもいるでしょうし、実際の刑罰や拷問としても、残虐なものはいくらでもあったでしょうから。奪衣婆が地獄に登場したのはおそらく中国だと思いますが、日本では懸衣爺と夫婦になり、三途の川の手前の賽の河原で亡者から衣服を取り上げるようです。たしかに苦痛などは伴わないので、たいしたことではないようにも見えますが、むしろ衣服を取り上げることで、人間としての尊厳を奪うと見るべきだと思います。衣服というのは、単に体を覆うだけのものではなく、社会的な存在までもそれによって示されます。刑務所に入る受刑者が決まった服を身につけることや、軍隊が軍服を着用するのは、そのような社会的なあり方から、彼らを切り離すためでしょう。だいたい、素っ裸になった人間ほど、哀れな存在はありません。ナチスドイツのユダヤ人収容所の写真や映像で、収容された人々が、裸にされて、さらに髪も切られて一列に並んでいるのを見ますが、これも人間の尊厳の剥奪として典型的なものです。
インドの輪廻世界が構造的に描かれ、固定されている一方、日本の輪廻世界が流動的だということに驚いた。「輪廻」というイメージから、世界は日本的な定まらず動く時間的観念を持っていたからだ。インドの輪廻世界は、流転する人間よりも、他世界同士の関係の方を重視しているように思えた。釈迦の姿も端的にその世界を説明するのに役立っているように思う。
私自身も、インドの五趣輪廻図が固定的であることは、授業の準備をしながら気がついて、少し驚きました。このような図はチベットではよく見るので、生死輪つまり回転するものという先入観があったからです。しかし、テキストに「上には天と人、下には地獄、餓鬼、畜生を描け」と場所が規定され、さらに輪全体を無常という鬼がしっかりと固定しているという記述を見て、実際は動かないことを知りました。これと、前回から今回にかけて取り上げている六道絵(実際は地獄絵)を対比させると、同じ輪廻の世界を描きながら、インドと日本で根本的に異なるのではないかという見通しを持っています。その場合、空間とともに時間がひとつのポイントになると考えています。
地獄絵をこのように詳しく見る機会があまりなかったので、かなり具体的な表現だなと驚きました。このような絵は「地獄にいったらこうなりますよ」という教化のために描かれたものなのでしょうか。それともただの美術作品?また、前回との関連で、地獄の方の宇宙観はどうなっているのか気になります(遠くなるほど広がりを持つのかなど)
基本的に地獄絵のほとんどは教化のために用いられていたと思います(絵師の本領発揮というところもあるでしょうが)。平安時代の貴族社会では、師走に行われる仏名会(ぶつみょうえ)という儀式で、地獄絵を掛けたり、屏風のものを立てたりしたようです。この法会によって悔過滅罪を願ったようですが、地獄絵の持つ一種の浄化作用が見られ、興味深いです。時代が下っては、一般の信者や参拝者の前に示して、悪いことをすればこのような罰が地獄で待っているという説法に用いられたのでしょう。このような説法は「絵解き」と呼ばれ、長い伝統があります。今回取り上げる予定の参詣曼荼羅も、絵解きを前提とした作品です。立山曼荼羅や那智参詣曼荼羅は、絵解きをする勧進元が日本各地を巡り、参拝客を募るために用いられました。仏教美術に限らず、宗教美術はわれわれの知っているような美術作品であることはまずありません。仏像を前にして、これは美しいとか、様式がどうのこうのというのは、あくまでも近代的な世界での特殊な見方です。礼拝の対象であることはもちろんですが、儀礼の道具であったり、このように絵解きで使われることもしばしばあります。作品がどのような機能を持っていたかは、その作品を理解する上ではきわめて重要です。地獄の宇宙観の方ですが、上に広がっていったのと同じように、下にも拡大します。ただし、地獄の方は上の天と異なり、爆発的に広がったり増殖することはないようです。授業ではふれませんでしたが、時間の単位も宇宙が広がるにつれて変わっていきます。天でも地獄でも遠ざかるほど単位となる時間が長くなります(たとえば、1日が人間世界の50年に相当するなど)。したがって、地獄の場合、下に行くほど、長い時間苦しむことになります。天の場合は長時間楽しめるので、その差は逆に大きいのですが。
小学生の頃、近所に照円寺という浄土真宗のお寺があり、春と秋のお彼岸に本堂で地獄極楽の掛け図が展示されていました。地獄図の方が多かったようですが、子供心にも怖かったです。そういえば、江戸時代の禅僧白隠も幼少の頃、お寺で地獄図を見て、今でいうノイローゼのようになってしまったと何かで読みました。京都文化博物館で白隠の書画展を見たときに、かれの「南無地獄大菩薩」という墨跡のすさまじい迫力に圧倒されました。
まさに教化としての地獄絵ですね。白隠のエピソードについてもありがとうございました。どうしても、のんびりした浄土図よりも鬼気迫る地獄絵の方がインパクトが強いです。浄土系のお寺の場合、親鸞や法然の行状絵巻がかけられて、これも絵解きされることがあります。わたしも、幼稚園か小学校の低学年の頃に展覧会で地獄絵を見た記憶があり、かなり長い間怖かったです。浄土真宗関係の展覧会に親が連れていったようですが、あまり小さい頃に見るとトラウマになってよくないですね。そういう子どもがトラウマを克服するために、大きくなって仏教を研究するようになるかかもしれません。
「日本人と地獄のイメージ」(『地獄遊覧』)の最後に書かれていた、通り抜けるために地獄というイメージは、日本人に独特な地獄観なのだろうか。それとも仏教における地獄観がそういうものなのだろうか。
これについては今回詳しく見るつもりですが、おそらく日本に固有な地獄観だと思います。「通り抜けるための地獄」というのは、他界としての地獄や、輪廻のひとつとしての地獄とは決定的に異なる見方です。同じ仏教でありながら、また同じ五道や六道の輪廻の世界を前提としていながら、インドと日本でかくも異なった表現が現れることを問題にしたいと思います。あの世とこの世という二つの世界の関係についてもふれていきます。
「日本人と地獄」のイメージの最後の段落で、「描かれた地獄の風情が思いのほかのんびりしている」とあるが、地獄絵図というものをあまり見たことのない私にとってはそうは見えません。むしろちょっとショックだったりします。他のものと比べるとのんびりしているんでしょうか。
これは判断の分かれるところでしょう。執筆者の鷹巣氏はずっと地獄絵の研究をしてきた方で、おそらく見慣れているということで、「のんびりしている」という印象を持っていたのかもしれません。先週の授業の後、気分の悪くなった人がいなかったか心配しています。その一方で、グロテスクなものというのは、度を超すとむしろ滑稽になることもあります。チベットの絵画などにもそのようなものがしばしば見られます。また、「怖いもの見たさ」というのは人間に共通する本性のようなものだとも思います。ただし、地獄絵を含め死にまつわるものはきわめてデリケートな問題なので、私自身はあまり突き放したり、茶化したりしないように気を付けるようにしています。
今日の資料の「日本人と地獄のイメージ」で、「地蔵幅」と書いてあったり、先生が六道輪廻図の地獄の方の中に、地蔵が描かれることがありますと言っていましたが、ここの地蔵はふだん、私たちが見ている「お地蔵様」とは違うものなのですか。お地蔵様というと、穏やかな優しいイメージがあるのですが・・・。あと、地獄変の中に描かれている鬼たち(亡者に罰を与えているもの)も、生まれ変わるんですか。輪廻では何に当たるんですか。天ですか。
中国と日本の地蔵信仰は、地獄と密接に結びついています。とくに日本でこれほど地蔵が信仰されているのは、地獄に対する恐怖の裏返しでしょう。地蔵は子どもの守り神でもありますが、これも賽の河原で石を積んでいる子どもたちを、地蔵が救済することがその背景にあります。地蔵はインドでも信仰されていましたが、それほど人気があったわけではなく、その作例もほとんどありません。八大菩薩という菩薩のグループの一員として、いくつかの彫刻があるだけです。日本では道祖神などとも習合し、道ばたや村境に置かれることで、境界を守る神としての役割も果たしています。一方、地獄で裁きを行う閻魔もよく知られていますが、地蔵と閻魔も密接なつながりを持ち、閻魔の本地が地蔵とされます(つまり、地蔵が姿を変えて閻魔となる)。このような対応は、閻魔を含む10人の王が、順に一週間ごとに裁きを行うという十王信仰へと中国では展開します。地獄絵の上に一列に並んでいるのがこれらの十王で、さらにその上に小さく描かれている仏たちが、本地仏です。鬼は閻魔天などの眷属なので、広い意味での天のグループにはいると思います。鬼も輪廻の対象になるはずです。
地獄の責め苦はほとんどが「因果応報」と関係するのと並んで、「熱」系の苦があります。「必修」の熱地獄、プラス「選択必修」の因果応報の地獄・・・という気がします。舌や腕に対する苦は、人間の特徴「言葉」「道具(を使う手)」に対する攻撃として象徴的な気がします。つまり、この二つが不具になることが、人間性に大きく関わる問題だと、当時は考えられていたのではないかと。もちろん、舌が「熱」に対する、腕(とくに人差し指の腹)が「触覚−痛覚」に対する感覚神経がもっとも多く集まったところ(もっとも敏感なところ)であるという事実も大いに関係すると思いますが。よく言われることですが、「八熱地獄」はこんなに明確に詳細に描かれているのに、「八寒地獄」は名前ぐらいしかわかっていないのは不思議です。しかも、その名前もほとんどは「悲鳴」などの音写らしいです。温帯に属する(寒苦に縁の薄い)日本だけならともかく、世界的にそうだというのは、地獄の性質(地獄観)と大きく関わるかとも思います。
地獄の苦しみを因果応報系と熱系に分けるのはなかなかおもしろいです。必修と選択必修というカリキュラム的な分類もいいですね。でも地獄には、いわゆる針の山や血の池、あるいは大きな岩に挟まれつぶされるものとか、のこぎりや斧で解体されるものもありますので、簡単には二分するわけにもいかないかなと思います。苦しみを与える方法ですが、その時代の刑罰や拷問とも関係が深いでしょう。じわじわ殺すことや、死なない程度に苦しめるというのが、人間にとってもっとも苦痛に感じるはずです。火あぶりの刑のような火を使った苦しみも同様です。寒い地獄に具体性が見られず、悲鳴が名前になっているというのはその通りですが、8つある八寒地獄のうちの最後の3つは、蓮華やウトパラという花の名称から付いています。これは寒さのあまり肉がはじけている様子を表すそうで、これはこれでけっこうこわいと思います。
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