仏教における空間論
5月17日の授業への質問・感想
釈尊の前世の説話すなわち本生譚は、古代インドの「輪廻転生」の思想がもとになっていると思われますが、釈尊は弟子たちが死後の世界を論ずるのを禁じたと何かで読んだか、聞いたことがあります。釈尊自身は「輪廻転生」を説いたのでしょうか。
たしかに本生譚、つまりジャータカは釈迦の前世の物語なので、釈迦は輪廻転生していることになります。しかも、それぞれの物語のはじめと終わりに釈迦が「これは私の過去世のことである」と言っているので、釈迦自身がジャータカを説いたことになっています。しかし、実際にはジャータカのほとんどは、すでに民間に広がっていたさまざまな物語を、釈迦の前世の物語として翻案したものです。そのため、本当に釈迦がこれらを説いたとは考えにくいでしょう(信仰としては別です)。死後の世界を説くことを禁じたというのは、おそらく十無記のことだと思います。死後の世界はあるか、ないか、霊魂はあるか、ないか、世界は常住か、無常かというような形而学上の問題については、釈迦は回答を拒否したというものです。そのために「毒矢の喩え」という教えを説きます。ただし、釈迦が実際に輪廻転生を説いたかどうかはわかりませんが、輪廻転生やその前提となる業の理論は、当時の人々に一般的に信じられていたでしょう。
インドの話でよくバラモンに奥さんがいますが、アリなんですか。
アリです。バラモンは聖職者階級、つまりお坊さんのようなものなので、妻帯が禁じられていると思うかもしれませんが、インドにおいては社会階級の一つで、世襲によって受け継がれていきます。いわゆるカースト制度は、本来は「ヴァルナ」といって、インド社会の中心的な成員であるアーリア人の職能集団を表しています。バラモン(発音は「ブラーマン」といった方が正確)は、その中の最上位に位置づけられますが、その下のクシャトリア、ヴァイシャも、いずれも自分たちの身分(というより社会的な役割)を子孫に継承させます。アーリア人社会のおいて最も重要なことは、自分の子どもたちによって社会が受け継がれ、維持されることでした。バラモンは成人するまでに修行の時代が定められ(梵行期といいます)、その間は性的な行為は禁じられていますが、この期間が終われば結婚をして、家庭を作っていきます。
サーンチーでの奥行きの表し方が独特で、印象に残った。描こうとしているのは三次元の世界であるはずなのに、どうしても平面的に見えてしまう。写実的に描こうとすれば、もっとそう見えるように描けるはずなのに、それでもこんな風になるのは、何か思想的なものが働いているのだろうか。慣れないと何が手前にあるのか奥にあるのかわかりにくいですね。
たしかにそのとおりです。でも、そこが空間表現としておもしろいところでしょう。むしろ、三次元の世界を絵画に表すときに、写真で取ったように描くことが「正しい描き方」という思いこみが、われわれにあるのかもしれません。「写実的」というのは重要なキーワードで、「ありのままに描く」ことと、「最も対象や主題にふさわしく描く」ということは必ずしも同じではありません。今回はヨーロッパや日本の絵画を紹介する予定ですが、その中で「写実的」と思える作品は、ごくわずかです。
一つの絵の中に、物語のいくつかのシーンが時間軸にそって描かれている構成は、日本の絵巻物の構成に近い印象を受けました。
インドの仏教説話図に多く見られる異時同景図は、日本の絵巻物をはじめ、世界各地の説話的な絵画にしばしば見られます。今回その代表的なものである『信貴山縁起』を少し紹介します。ただし、バールフットやアジャンターに見られる異時同景図は、「時間に沿って」いないところが注目されます。紙芝居のように、場面が時間軸に沿って並べられているのではないからです。むしろ、アジャンターの六牙象に見られたように、森のシーンと宮廷のシーンという二つの舞台に大きく分け、それぞれの場所で起こったことを、時間に関係なくまとめていることが興味深いのです。インドの人々にとって、空間と時間の関係は、われわれのそれとはかなり異なるのではないかと思います。このことは、以前に見た哲学的なレベルにおいても、時間よりも空間が優位に置かれていたことと、関係するのかもしれません。
・古代仏教美術に遠近法は用いられていないということでしたが、中世や近世(この時代区分が適切かどうかわかりませんが・・・)ではどうなのでしょうか。個人的には変化はないだろうと思うのですが。
・残酷なシーンをいやがるので云々・・・という説明がありましたが、ギリシャ神話にも似た傾向があります。ギリシャ神話では誰かが死ぬ場面を直接描写することを避け、その現場を見た人の口から、間接的に述べるという手法を取っていました(美術ではありませんが)。中国や日本ではどうなっているのでしょうか。日本はストレートに描いているという気がするのですが。
遠近法については説明不足だったようです。遠近法が使われていないのではなく、われわれになじみのある遠近法を用いてはいないということです。たとえば、画面の上部に遠景を、下部に近景を描くというのは、われわれもよく用いる方法であり、遠近法の一種です。しかし、バールフットの成道の作例のように、まったく同じ大きさで、上下に積み重ねるのは、やはり独特です。また、建物の側面を正面から見た姿の横に、ほぼ並行に接続させる方法も、われわれは取りませんが、子どもの絵などにも見られ、これも奥行きを表しています。アジャンターになると、軸測投象と呼ばれる方法が見られるようになり、われわれの遠近法に近いものが認められます。遠近法については、今回の授業で、少しまとめて説明する予定です。残酷なシーンについてのギリシャ神話の扱いは知りませんでした。残酷なシーンそのものではないですが、グロテスクなものをどのように表すかは宗教美術の重要な課題です。グロテスクなものや恐ろしいものは、しばしば聖なるものと見なされるからです。しかし、その表現は一様ではありません。たとえば、日本では地獄絵がしばしば描かれ、絵師の本領発揮という印象すら受けますが、インドではこのような作品は見られません。インドの経典ではきわめて具体的に地獄の描写が見られにもかかわらずです。一方、チベットでも絵画にしばしば地獄や墓場の情景が描かれます。これもなかなかグロテスクですが、日本の絵とはずいぶん趣が異なり、むしろ滑稽に見えることすらあります。
説話を絵画などで表現するときに、同じ空間でまとめたり、一定の決まりがあるようだけど、わりと描く人の気まぐれみたいな部分もあるのではないかと思ってしまいました。
たしかにそうかもしれません。もちろん、決まりがあったとしても、それが文章に書き記され、実際に制作に当たる人が見ていたということはないでしょう。むしろ、無意識のレベルで画家が最も適切と判断して、描いているでしょう。しかし、そのようなところで何か一定の法則が見いだせたとしたら、それはその時代や地域の独特の表現方法であると解釈することもできるのです。
・柱状になったレリーフの区分がおもしろかった。下から上へ行くにしたがって
(1)手前から奥へと階層的に奥行きを表す
(2)人間に身近な俗界から聖界へと聖性レベルの上昇を表す
という二つの意味になっていると知った。インドの人々は自分に身近なものを手前に、遠いものを上へ描いていったのかもしれない(距離的にも世界観的にも)。
・ジャータカでは前世の善行、悪行にもかかわらず、転生するのですか。釈迦が動物だったり、六牙象の王妃が象から人間へ生まれ変わっていたり。
そのとおりですね。次回からは世界観を中心に見ていきますが、インドの世界観に、このような空間表現が関係しているのではないかという話の流れになる予定です。われわれ日本人にとって、世界全体を構造にとらえることは得意ではありませんし、まして、遠ざかるほど聖性が上昇するという発想もおそらくないと思います。遠くのものは曖昧模糊として、茫洋としたものになっていくのではないでしょうか。ジャータカの話は善因善果、悪因悪果が守られているわけではありません。すでにはじめにも書いたように、もともとが独立した物語なので、物語相互の合理的な説明まではされていません。重要なのは、信じられないくらい多くの生涯を、お釈迦さんが修行のために費やし、その結果、悟りを開くことができたということなのです。六牙象の物語で、嫉妬にかられた象の王妃が人間として生まれ変わって王妃になれたのは、ひとえに彼女の「執念」によるものです。インドでは願望成就のために苦行をするという伝統もあり(神様などもよくやります)、その威力というか効果も広く信じられていました。この世で一番おそろしいのは、そのような「おもい」なのでしょう。
・高校の修学旅行で太秦近くの寺の半跏思惟象を見に行きました(森注・広隆寺の国宝像)。滑らかな体つきや繊細な指とその仕草にうっとりしたのを覚えています。それがインドでは悪魔を表しているなんて・・・。びっくりしました。ひっそりたたずんで悪巧みしているように見えるから、悪魔に見られるんでしょうか。
・今日は物語が多くて楽しかったです。バカな王子の話で、バラモンに「仕方ないから」と言って子どもを売ってしまうなんて、愛情はないのか?と思ってしまいました。
半跏思惟像については説明不足でした。この広隆寺の弥勒像などから、われわれ日本人は半跏思惟の姿は弥勒像の代表的なポーズとしばしば思っていますが、インドにまではさかのぼれません。インドの弥勒像は半跏思惟のポーズは取らないのです。(ちなみに広隆寺像は日本ではなく朝鮮半島で作られたことがわかっています)。一方、インドの仏教美術で見られる半跏思惟のような姿は、降魔成道の場面で釈迦の悟りを妨害しようとしたマーラたち(魔のこと)に見られます。どんなに攻撃しても釈迦が動じないので、落胆しているポーズなのです。悪巧みをしているわけではありません。なお、片ひじをついて、もの思いにふけるこのポーズは、ヨーロッパの絵画でも伝統があり、憂鬱気質を意味するメランコリーのイメージとなります。デューラーの銅版画に「メランコリアI」という有名な作品がありますし、ロダンの「考える人」もこの流れを汲むものです。
バカな王子の物語はヴェッサンタラ・ジャータカですが、もちろん、物語の中に「バカな王子」と書いてあるわけはありません。釈迦の前世がこのヴェッサンタラ王子で、布施という仏教の重要な徳目を、ひたむきに実践したということです。また、二人の愛児をバラモンに「売った」のではなく、譲ったのです。お金がほしかったわけではありません。ヴェッサンタラの物語は、数あるジャータカの中でも最も有名なもののひとつで、絶大な人気がありました。今のわれわれにすれば、理解に苦しむ内容かもしれませんが、王子という地位や家族というかけがえのないものまで犠牲にして、理想を追求する姿が、人々の心を打ったのでしょう。それは、人間が生きていく上での普遍的な問題とも言えます。とくに、こどもと別れる場面などは、涙なくしては読めません。
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