仏教における空間論

4月19日の授業への質問・感想



階段井戸がおもしろいと思いました。昔の水浴場の上に寺院が建てられたのでしょうか。「子どもにとっての空間」が均質でないという話は、中学校の家庭科の授業で幼児向けの絵本を作ったときのことを思い出させます。空間だけでなく、時間も子どもは独自のリズムを持っています。子どもは常に「自分が主人公の物語の世界」の中で生きていると思います。
パタンの階段井戸(step well)は、ゆっくりお見せできなかったのですが、インドの建造物の中でも異色の存在で、昨年はじめてここを訪れた私も、強烈な印象を受けました。階段井戸は西インドにかなり見られ、インドよりも西の乾燥地帯(砂漠など)で流行していたものが入ってきたそうです。生活をする上で必要な水の供給源ですが、宗教的、あるいは国家的な建造物としての機能も与えられたようです。規模はさまざまですが、パタンのものは最大級で、巨大なビルが地中に作られたようにも見えます。ただし、天井などはほとんどなく、柱と梁だけで構成されているので、地下という感じはあまりありません。パタンの場合、さらに壁面にびっしりとヒンドゥー教の神々の彫刻があり、それだけでも圧倒されます。パタンの階段井戸の研究書がありますので、今回回覧してもらうつもりです。子どもについては、たしかに独自の時間や空間の感覚を持っていると思います。空間の話で子どもを例に出すのは、それがおそらく誰もが共通して持っている原初的な空間体験だと思ったからです。宗教全般に共通して言えることですが、おそらく、われわれの親や祖父母の世代までは、ごくふつうの宗教的な感覚も、われわれ自身には理解しがたいものになりつつあるようです。子どもの時には、それがまだ残っているような気がします。ついでですが、私はマンダラの構造を説明するときなどにも、小さい子どもの絵を例に出したりします。

マンダラはごちゃごちゃしている平面的なものだと思っていたけど、何となく、空間なのだと感じられた。十忿怒尊は何に対して怒っているのですか。瞑想はなぜ東からなのですか。
いろいろなものが混じり合って、渾然一体としているものというのが、おそらく日本人の一般的なマンダラの理解でしょう。じつはこれはマンダラの本来の意味からは最も遠いものです。マンダラは昨年度の授業で取り上げたので、今年度はあまりくわしくは見ませんが、この授業でもときどき出てくると思います。拙著『マンダラの密教儀礼』を読んでいただくと、マンダラとは何かがわかってもらえるはずです(宣伝です)。十忿怒尊は特定の人やものごとに対して怒っているのではなく、もともとそのような姿をしている仏たちで、日本の明王に相当します。そのメンバーには不動、大威徳、降三世などとおなじ仏も含まれます(名前が違うものもいます)。異教の神(たとえばヒンドゥー教の神)にたいして、威嚇的であるという説明もありますが、もともと忿怒の姿そのものは、そのようなヒンドゥー教の神の影響を受けたものが多いので、文化史的には複雑です。瞑想を東から行うのは、インドでは東が一番はじめにあげられる方位だからでしょう。これはインドに限らず、中国や日本でも同様です。日の出と関係があるという説もあります。サンスクリット(梵語)で東を表すpuurva(uuは長音のu)という言葉は、「前」という意味もあります。東を向いた状態ということです。

「空間は均質ではない」というのは、日本人にとってはけっこうわかりやすい概念だと思う。家の中では靴を脱ぐのも、「家」と「外」の空間を区別しているからではないか。(家の中を土足で汚したくないからというのもあるのだろうけど)。いわば「家」が「外」より聖なる空間なのであって、ひとつの「結界」であるということなんだと思う。そうした日本人の空間意識が、仏教の空間意識とどうかかわっているかについて、調べてみるのもいいかもしれない。
「家」は「ウチ」であり、外(ソト)の世界と対立するものとして、しばしばとらえられるのはたしかです。靴を脱ぐ習慣も、清潔感だけではなく、そのような感覚からくるのも、おそらくそうでしょう。その境界である門や入口が、宗教的に重要であることも広く認められます(門松やしめ飾りはそのなごり)。ただし、ウチとソトがそのまま「聖と俗」に対応するかというと、それほど簡単ではないと思います。ウチはむしろ日常的な空間であり、身近なものですが、その分、無防備な空間です。靴を脱いだり、普段着でいるのもそのためでしょう。ソトに出るときにそれにふさわしい身なりをするのは、ソトの空間をそれとは異質なものととらえているからだと思います。家の中にも仏間のように聖なる空間を作って、居間や台所と区別する場合もあり、聖と俗の空間は重層的であったり、包含的であったりします。また、聖と俗だけではなく、空間を区別する観念として「浄と不浄」があったり、民俗学でしばしば用いられる「ハレ、ケ、ケガレ」という区分があります。これらの宗教学的な分析概念については授業でもどこかで取り上げる予定です。ただし、日本人の空間意識そのものはあまり詳しく扱えないと思いますので、自分でいろいろ調べてみて下さい。

「空間」というものはイメージがあって構造がある。つまり、空間は意識的に区切った「囲まれた場」である。一方、時間は言葉で表象される観念である。よって「無限の広がり」を感じさせる。これら両者が結びつくには、どのような「ねじれ」が生み出されるのか、知りたいと思う。
空間がイメージや構造と結びつき、時間が言葉や歴史と関係するということを、授業の最後にお話ししました。わかりにくかったかと思いますし、私自身もまだ具体的にそれをどのように発展させるかは、はっきりわかっていません。もともと、時間と空間という観念そのものが近代的なものであり、インドも含め、両者は不可分な状態でとらえられていたとも考えています。インドの宇宙論で世界の構造と時間の循環が結びつけられているのは、その例としてよく取り上げます。授業のはじめのあたりで、何か大きい問題やテーマで、しかも他の人があまり言っていないようなものを設定するのは、わたしの「くせ」のようなものです。事例を紹介するだけの授業では物足りないと思うからなのですが、そこにうまく収斂するかどうかはわかりません。努力しますが・・・。

子どものころ、母の実家の仏間が暗かったのもあって、嫌いだった記憶があります。雷と神が近しいもの、また由来がそこから来ているというのは、何となく理解できていたが、オオカミもまたおなじところにあるものだというのに驚きました。
仏間が好きという子どもはおそらくあまりいないと思いますし、私も同じでした(仏教に関心を持つようになったのはずっと後です)。そのような感覚がこの授業であつかう空間の基本にあるので、はじめにお話ししました。雷などの話は、私が大学生の時に、教養の国語学の授業で金岡孝先生からお聞きしたことです(金岡先生は『広辞苑』の改訂にも携われた国語学の大家)。確認のため手許にある白川静『字訓』(平凡社)の「かみ」の項を見ると、「神秘な力を持つ神聖なものをいう。すべての自然物や獣畜の類、また雷鳴のようなものも、神意のものとして神とされた」と説明があります。神様の「かみ」ですし、雷は「かみ」が鳴るもので、オオカミは大きな「かみ」となります。これに対し、上下の上を表す「かみ」や、紙の「かみ」は別のことばです。なぜ別であるかというと、国語学の基本的な知識ですが、古代の日本語には甲類と乙類という違いが特定の仮名にあり、現在では、同じ発音であっても、もともとは別の音だったからです。また、この2つの系列の中で、特定の2つ以上の音韻がひとつの単語の中に共存しないとして、「母音調和」という法則があったことも知られています。これはウラル=アルタイ語系の言語に特徴的であることもわかっています。これらのことも『字訓』のはじめのあたりで説明されています。雷が聖なる存在であることは、また別の話になりますので、ここでは省略しますが、音や光に加え、天と地をつなぐ稲妻という形態が重要だと思います。

森先生が配布されたM.エリアーデと森先生自身の論文の中の「宗教的空間」と「日常的な空間」という空間概念に興味を持ちました。今回の授業の冒頭で先生は「この授業で扱う空間とは物理学・・・のそれとは異なります」等とおっしゃっており、その際「哲学はちょっと違うかな」と付け加えていたのを記憶しています。では先生は哲学的な空間概念へのアプローチをどのように位置づけているのですか?M.エリアーデおよび森先生のアプローチの仕方はおもしろいと私は言いましたが、エリアーデの「宗教的人間にとって空間は均質ではない」のような言明は、私にとって神秘主義のように感じられ、やや受け容れがたいという気持ちがあるのも否めません。
哲学的な空間論はおそらく私の手に余るので、正面切っては取り上げないと思います。むしろ、哲学的な立場から、宗教的な空間や実践的な空間という捉え方へのコメントを期待します。ただ、今回はインドの空間論として、インド哲学で空間をどのように扱っていたかを確認しておきます。これからの授業でもっぱら扱うのは儀礼空間や、寺院空間のような宗教的な空間ですが、それがインドの哲学体系や仏教の教理の中での空間の捉え方と、どのような関係があるのかを確認しておきたいためです。エリアーデの空間の説明はだれにでも経験される普遍的な感覚と理解していたので、神秘主義というのは少し意外でしたが、たしかにそのようにも感じられるかもしれません。エリアーデは実際にインドでヨーガや瞑想の修行を行い、神秘主義にも強い関心を持っていました。ちなみに彼の学位論文は「ヨーガ」というタイトルで、日本語でも読めます(せりか書房)。

結界の話に興味を持った。子どもが遊ぶときによく「バリア」と言って、自分のまわりに他の子が近づけないようにするが、その「バリア」が「結界」と同じ性格を持っているのではないかと思った。日常的な空間に異質な空間を作り出すという概念が宗教儀礼と子どもの遊びに共通してみられるということが興味深いと思う。
結界はまさに「バリア」です。結界は日本の宗教の中のいたるところで見られ、われわれにとっても宗教的な空間のもっともわかりやすい例のひとつではないかと思います。子どもの遊びはしばしば社会の構造や人間関係、さらには人間存在そのものを端的に、あるいは象徴的に表すことがあり、人類学者や社会学者なども関心を持っています。下記のような研究が有名です。話は別ですが、結界は西洋史に登場する「アジール」にも似ていると思います。アジールとは権力者の管轄外の扱いを受けた修道院などの宗教施設のことで、権力の及ばない特殊な空間でした。日本でも仏教寺院がアジール的な機能を持っていて、犯罪者をかくまったり、出家させて捕縛を免れたことなどはよく知られています。縁切寺などもアジールの一種でしょう。
ホイジンガ、J. 1973 『ホモ・ルーデンス』中公文庫。
カイヨワ、R. 1970 『遊びと人間』清水幾太郎, 霧生和夫訳 岩波書店。

チュシュヤバハは平面図を見たとき、とっさにモスクに似ているかもしれないと思いました。中庭のあるあたりなどが・・・。
たしかにモスクは礼拝用の大きな広場がありますが、ネパール寺院の基本的な構造はモスクとは少し違うようです。チュシュヤバハなどのカトマンドゥの寺院構造は、むしろ、インドの僧院の影響を受けていて、バハという名称も、インドで僧院を指す「ビハーラ」に由来します。インドの僧院も中央の中庭を取り囲んで、周囲に僧房を造ります。入口の反対側が本堂で、礼拝用の本尊が安置されているのもネパールのバハと共通します。ただし、ネワール仏教は在家仏教なので、周囲の建物に住んでいるのは僧侶の一家をはじめとする在家の人々で、出家者のみが住んでいたインドのビハーラとは異なります。また、インドは石造の僧院が一般的であったのに対し、ネパールでは木造が普通です。


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