観音の図像と信仰

1月20日の授業への質問・感想



北陸生まれ北陸育ちで小さい頃両親とよく登山に行っていたが、当時は仏教などに全く興味がなかったため、今回の授業で得た知識をもとにもう一度行ってみたいと思った。補陀落渡海の話を聞いていて、秦の始皇帝の名で数十人の幼い男女を連れて不老不死の秘薬を求めて補陀落をめざしたと言われる徐福のことを思い出した。これらには関係があるのだろうか。
私は北陸とは全く関係ないところにいたので、金沢に来てからこちらのいろいろな信仰や風俗を知りましたが、その中でも北陸修験はとくに興味がひかれるテーマです。私は密教を専門とするのですが、日本の場合、密教が定着する上で、修験が大きな役割を果たしたことがその大きな理由です。補陀落信仰と徐福は関係があります。熊野地方は古くから徐福伝説があちこちに伝えられた土地だったようです。実際に中国から渡来した人もいろいろいたようです。補陀落渡海のまとめとして、日本人の他界観に収斂させていくつもりですが、海上他界観の具体例として徐福伝説、蓬莱思想、常世観などがキーワードになります。

自分は「補陀落渡海記」をたしか、井上靖の短編集の中で読んだと思うのですが、たしかにショッキングな内容でした。それ以前にもたとえば即身仏などで宗教のため、自分で命を捨てる僧たちのことは聞いていましたが、みんな望んでなっていると思っていました。しかし、この小説では偉大なる先人たちが行った渡海から、周囲の人たちが期待し、その圧力に負けておこなうといった、とても人間的に描かれていたのが衝撃的でした。(とくに最後の渡海に失敗して島に打ち上げられた主人公の僧を、見張りの人が発見し、ふたたび無理やり海に流す描写は強烈でした)
すでに小説を読んでいると話の理解は早いと思います(読んでいない人はぜひ読んでください)。「補陀落渡海記」は井上靖の小説の中でも、よく読まれているもののようです。私が補陀落渡海を初めて知ったのもこの小説ですが、たしかに強烈な印象を受けました。しかし、知られているわりには補陀落渡海に関する研究は、日本史の分野では意外に少なく、授業で紹介したもの以外は数点しかありませんでした。授業でもふれたように、補陀落渡海の背後に観音信仰や他界観、修験道の捨身行などが指摘されていますが、熊野信仰の重層性と関係を持つだけに、他にもいろいろなアプローチや解釈が可能かと思います。

立山曼荼羅について、実際の風景の中に極楽や地獄を描くといった図は、他にもあるのでしょうか。また、それらが描かれている位置は、極楽や地獄を彷彿させる何かが実際に存在すると考えられていたいわくつきの場所だったりするのでしょうか。
立山曼荼羅に描かれている地獄や極楽は、実際の地名としても存在します。立山町の中には三途の川も流れていて、それを越えると「あの世」に行くことになります。修験の修行が「死と再生」を枠組みとするというのは授業で紹介したとおりで、実際の地名にもそれは反映されます。立山曼荼羅は地獄絵の流れの中でも重要な作品ですし、他にもいろいろな要素があります。日本の仏教絵画の集大成としてもとらえられます。しかし、皮肉なことに、立山曼荼羅には密教的な意味での「マンダラ」だけはありません。日本における「マンダラ」の展開としても、立山曼荼羅は重要なところに位置します。

資料をひととおりと今日回ってきた本の最初の部分を読んで、非常に興味を覚えました。熊野のことをよく知らないのですが、どういう土地なのですか。なぜ聖地なのですか。苦行、修行、捨身という言葉が羅列されていて、まるでインドの僧院がヴァラナシのサドゥーたちのようですね。生きながら船に入って海に身を投じるというやり方から、即身仏とかチベット僧なども連想します。聖地の聖性を保つあるいは向上するための修行(渡海などの)であるという解釈は、タイ仏教などの在家者と出家者との交渉を思い出させるものがありました。世界中の宗教に見られるひとつの構造なのでしょうね。
熊野はおもしろいですよ。古くは古事記の国生みの神であるイザナギ、イザナミが死んだ後に赴いた世界とも言われますし、平安時代の熊野詣、修験道、観音信仰などについては授業でもふれたとおりです。隣には伊勢神宮がありますし、吉野や高野ともネットワークがあることも世界遺産登録でよく知られるようになりました。捨身や苦行の伝統は、たしかにインドに通じるものです。インドでは古くから修行のひとつの形態として苦行が重要と考えられていました。苦行を意味する「タパス」という言葉は、「熱」という意味も持っていて、苦行をおこなうことで、ある種のエネルギーが生じると考えられていたのです。捨身も苦行のひとつの極端な形なのでしょう。釈迦がその前世の物語であるジャータカで、命を捨てて人々(場合によっては動物)を救うという話がたくさんありますが、これらも単なる美談ではなく、このようなインドの伝統を受け継いでいます。聖地の聖性を保つ方法はいろいろあると思います。かつて奇跡があり、その片鱗を現在でも見ることができるとか、お祭りのように何か楽しいイベントがあるとか(場合によっては厳しい修行ができるとか)、いろいろ工夫があります。聖地に限らず、宗教の存続のためにはできるだけすそ野を広げることが必要であることは、たしかに洋の東西を問わず共通でしょう。補陀落渡海とはきわめて残酷なイベントでもあるのですが、民衆が残酷なことを好むのは、ヨーロッパの魔女狩りなどでも見られます。「怖いもの見たさ」は人間の本性でしょう。

仏教に明るくなく、たぶん基本的なことへの疑問で申し訳ありませんが、補陀洛山は観音、西方浄土は阿弥陀仏の極楽浄土と、仏教では信仰する神々によっていく天国は異なるのですか(つまり神々一人一人に天国、あるいは地獄があるのですか)
一般には浄土のような仏国土は、仏一人ずつにあります。これは古い時代の仏教からの「きまり」のようなもので、一世界一仏という原則があるからです。阿弥陀の極楽浄土はその中でもっともよく知られていますが、他の仏も自分の世界を持っていて、たとえば薬師如来も浄瑠璃世界という浄土を持っています。これに対し、菩薩はまだ修行のみなので、自分の世界を構えるだけの力を持っていませんが、観音は別格のようで、『華厳経』などに記述のある補陀落が、一種の浄土と見られます。このほかに、弥勒は兜率天が浄土と見なされます。この世に現れるまで待機しているのが兜率天だからです。

たとえば、キリスト教にも殉死という考えがあるし、十字軍で死んだ騎士が聖人として扱われたということも聞いたことがある。「死」というものを何かしらの意味、価値を持つ行為であるとし、自分の聖性を一段と高めてくれるのだという考えは、特定の宗教に限らず、ある程度普遍的なものなのではないだろうか。
宗教と死はしばしば密接な関係を持ちますね。宗教の基本構造として、自己否定、つまり神のような絶対的な存在を前にした場合、自己の存在が無に等しい、あるいはそのような絶対的な存在の一部でしかないという感情が生じることが多いようです。自己否定のもっともわかりやすい現れ方が「死」なのです。キリスト教の殉死に限らず、現在の中東世界の自爆テロも宗教がらみですし、第二次世界大戦における日本人の精神構造も宗教的といえるでしょう。オームの事件以降、「宗教は危険だ」という言明をよく聞きますが、宗教が危険であるのは当たり前のことなのです。「宗教は阿片だ」という有名なテーゼもあります。

石川は文化財が少ないという話があったが、別の授業(日本の絵画・文様を読む)の授業を昨年取ったときに、すばらしいものがあるが、きちんと整備や保存がされていないというものもあるらしく、もったいないと思いました。
おそらくそういうことなのでしょう。文化財の指定は必ずしも平等に行われているわけではなく、文化庁の職員の専門分野などにかなり左右されるそうです。たとえば、ある地域のある時代の作品を専門とする方がいると、それに該当する作品が指定されるということがあります。「石川県の文化財は少ない」というのも比較の問題で、もちろん京都や奈良などに比べての話です。授業で紹介しているような白山や能登のことを考えると、たしかにもっと指定されてもいいはずです。

私は富山県の立山町出身なので、立山信仰にたいへん興味があります。曼荼羅やら神話じみた話など、多くの見所があると思います。白山の信仰がそんなに大きなものとは実は知らなかったので、白山信仰についても調べて比較してみたいと思いました。立山信仰をもっと取り上げてほしかったです。
立山も白山も北陸の民俗学のもっとも大きなテーマでしょう。立山町には富山県[立山博物館]というすぐれた博物館があることは、ご出身ならご存じだと思います。立山曼荼羅を含めいろいろな展示があり、立山信仰を知る上では格好のところとなっています。常設展の他にも、ときどき特別展をやっているので、帰省の折などに出かけてみてください。近くには巨大スクリーンでの「現代の地獄絵」のビデオの上映や、地獄巡りなど、いろいろな趣向もあります。授業で立山信仰を取り上げるのは、今回は少し無理かと思います。

金属製の仏像が多いことに関して、山だからこそ木製が多いんじゃないかなぁと思ったが、山伏の生活に必要な道具として「金属」のありがたみもあるのかと驚いた。
現代ではほとんど失われてしまっていますが、日本には「山の文化」というものがあったようです。修験道のような山の宗教も、このような文化の一部と見るべきとも言われています。金属の原料を産出する鉱山は、山岳地帯にあるのが一般的ですし、それを加工するための燃料として、木材も山から伐採されます。スタジオジブリの「もののけ姫」などは、このような世界を描いたものでしょう。巨大なふいごを用いて鉄砲のような金属製品を製造するのが、かれらの「産業」でした。

越前永平寺の雲水たちは、毎年夏に白山拝登をして、奥宮の前で般若心経を読誦します。白山権現は永平寺の守護神になっているということです。加賀の大乗寺でも昨年から雲水たちが白山拝登を行っています。ベトナム戦争の頃、アメリカへの抗議のために、焼身自殺をするベトナムの仏教僧がいて、何度かニュースになっていましたが、今から思うとこういうのは捨身行のひとつと考えられますね。
永平寺や大乗寺の事例は知りませんでした。禅宗(曹洞宗)でも白山信仰を重視するのですね。私の知っているものとしては、奈良の薬師寺を本山とする法相宗が吉野の大峰山などをのぼったり、高野山で狩場明神や丹生津姫が土地の神として重要な役割をするなど、奈良や平安初期の古い仏教と、修験との結びつきでしたので、鎌倉新仏教の曹洞宗は意外でした。ベトナム戦争の時の僧侶の焼身自殺は、ベトナム戦争のセンセーショナルな写真として、「捕虜の路上処刑」や沢田教一の「川を渡る母子」などとならんで、有名です。私の手許にも「写真が語る20世紀」という写真展の図録の中に含まれていますが、見ると痛ましいばかりです。

那智参詣曼荼羅を見て思ったのですが、この曼荼羅は実際の那智を表しているのでしょうか。小さい頃、那智に行ったことがあるのですが、こんなにたくさん建物が建っていたか・・・。記憶違いかもしれませんが。こういう曼荼羅や絵巻というのは、現実の中にも脚色が混じっているものなのでしょうか。
建造物に関しては、たしかに現在の那智とはずいぶん違いますが、おそらくある時代の景観をかなり忠実に描いていると思います。参詣曼荼羅の目的のひとつが、名所案内のようなものだったので、あまり違いすぎるのは問題になるでしょう。しかし、登場人物などはそうではありません。神話や伝説の中の人物や、過去の有名な人物などが登場します。那智参詣曼荼羅では滝で水に打たれる文覚や、奥の宮で参拝する白河上皇などです。フィクションとノンフィクションが混ざり合っているのです。また、ここでも絵巻物や錦絵でも見られたように、仏や菩薩はそのままの姿では登場しません。本来「曼荼羅」というのは仏や菩薩のみで構成され、景観や物語などの要素を排除した図絵だったのですが、社寺参詣曼荼羅ではその逆を押し進めているのです。


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