観音の図像と信仰

1月13日の授業への質問・感想



錦絵の中で起こる虚実の反転はどのようなことを目的として起こされているのだろうか。観音が童子や老人の姿で俗世に現れるのは、それらが俗世の汚れや悪い部分から離れた純粋な存在であるからなのかなと思った。スライドの「御衣木」は何と読むのでしょうか?木といえば「オンモラキ」というのをどこかで聞いたのですが。神様だったか妖怪だったか。
錦絵の仕組みについては、前回の内容だったのですが、私自身の関心も深いので、説明に時間をかけてしまいました。虚実の反転の明確な「目的」を示すことは困難ですが、このような一種の「あそび」が江戸文化のひとつの特徴だと思います。錦絵の場合、観音霊場という仏教的な世界と、歌舞伎役者という現実世界、そしてそれをつなぐ観音説話という3つの要素が絡み合い、しかも一方を「実」とすれば他方が「虚」になるという反転の妙が、見る人を喜ばせたのではないかと思います。これに似たものとして、浮世絵などにも「見立て」と呼ばれる技法が凝らされています。有名な歌舞伎役者をモデルにしながら、古典文学や芸術に関する知識をそなえていなければ、理解できないような作品が多数あります。一種のパロディーですが、高等な知的遊戯となっています。もっとも、このようなレトリック的な遊戯は和歌の世界にも見られますから、江戸に限る必要はなく、日本人の精神構造に深く根ざしているのかもしれません。観音が童子や老人の姿で現れることについては、日本における観音の変化(化現)のあり方として、この後も注意していきたいと思いますが、童子や老人が社会においては一種の「異界の人」「マレビト」であるからでしょう。昔話に現れる神や仏の化身としても、このような童子や老人はもっとも一般的なものです。場合によっては、童子と老人がセットで現れる場合もあります。これらの信仰形態を、日本民俗学では「翁童信仰」と総称することもあります。「御衣木」は「みそぎ」と読みます。「オンモラキ」については、京極夏彦氏の小説に同名のものがあることを、インターネットで検索して知りましたが、それ以上のことはわかりません。

木であることがどうしてそんなに重要視されるようになったのでしょうか。根っこからはえている聖観音には驚きました。こういう考え方は日本以外では見られないのでしょうか。
樹木に対する信仰はおそらく世界中に見られると思います。インドでも聖樹信仰は昔からさかんで、現在でも木の根本のあたりに小さなほこらを作り、参拝されているのをよく見ます。宇宙樹つまり世界の中心軸としての樹木のイメージも、一種の聖なる木に対するものでしょう。北欧のイグドラシルなどが有名です。白檀を用いた檀像は、中国でも重要でした。南方からもたらされた白檀などの香木を用いて仏像を刻むことは、中国から日本に伝えられたものです。その伝統はネパールやチベットにも受け継がれています。白檀がなかなか入手できない場合、別材を用いて表面を檀像に似せて塗装する檀色も中国に先行例があります。しかし、霊木を刻んで仏像を作り、しかも「ナタ彫り」のように木であることをあえて強調する例は、他にはあまり見ません。日本独自の樹木信仰と見ることができるかもしれません。

仏と神という異なる二種の存在を混合し、また土着の樹木信仰まで融合させてしまうのはさすがであると思った。これは仏教だったから可能なことで、もし、キリスト教やイスラム教が日本で広まったとしたら、不可能だったのではないだろうかとも思う。日本に伝わった仏教では、多くの仏が入り交じり、柔軟にその形態を変容させているから。
たしかにキリスト教やイスラム教の神を、日本の伝統的な宗教と結びつけるという動きはありませんでしたね。イスラム教はともかく、キリスト教は正式に日本に伝来してすでに500年近い歳月が流れていますが、日本の神と習合するようなことは起こりませんでした。それ以上に、日本の精神文化に根を下ろすこともほとんどありません(日本の場合、クリスマスやヴァレンタインはキリスト教の行事ではありません)。遠藤周作が『沈黙』の中で、イエズス会の神父の口を借りて、日本とはキリスト教の精神を腐らせてしまう恐ろしい国だという意味のことを書いていますが、これも真実でしょう。同じように極東の国でありながら、隣の韓国ではキリスト教が有力な宗教のひとつとなっていることと、著しい相違を示しています。なぜなのでしょうね。

以前に何かの本で、ナタ彫りの観音を見たのですが、あれは木の素材を生かすのが目的ではなく、木であることを見ている人に認識させるためだったのですね。ほとんど木が1本立っているようにしか見えない西光院の聖観音立像が印象的でした。
ナタ彫りの像は関東地方を中心に流行し、奈良や京都などの「先進的」な地域ではほとんど見ることがありません。一種の地方色なのですが、単にひなびた素朴な技法というのではなく、木という素材の持つ霊性と関係があるということは、授業でお話ししたとおりです。これと似たものに磨崖仏があります。岩壁などに仏の姿を浮彫にする方法ですが、九州などの特定の地域で流行しました。これも修験に関係を持ちますが、岩という自然の素材から浮き出たように表されることが重要なのでしょう。磨崖仏は日本ではそれほど一般的ではありませんが、中央アジアやインドの石窟寺院では、むしろ仏像や神像の形態としてよく見られます。このあいだインドに行ったときも、多くのヒンドゥー教の寺院を訪れましたが、その中には石窟の中にヒンドゥー教の神の像を浮彫にし、そのまわりに寺院を構築した例がいくつかありました。岩の中から神が浮かび上がるようで、独特の雰囲気がただよい、宗教美術が作られる場の重要性を改めて痛感しました。

修験道や山岳信仰に対する知識が少ないので疑問なのですが、信仰の対象になったのは「山」そのものや「木」そのものにたいしてなのか、「山」や「木」に宿っている神々(半ば擬人化された)だったのでしょうか。
おそらく山や木そのものだと思います。神ということばからわれわれはキリスト教の神のような人格神を想像しますが、本来、日本人はこのような神を信仰の世界では有していなかったでしょう。日本語で「カミ」というのは、畏怖すべきものや恐ろしいものという漠然としたイメージでとらえられ、イコンとして表されることもありませんでした。先回の授業では雷に「天の神」という説明を与えましたが、これは言語学からも妥当なことで、「カミナリ」とは「カミ」が鳴ることなのです。ほかにも「オオカミ」も「大きなカミ」から来ています。これらの「カミ」は、上下(かみしも)の「カミ」とは、本来、発音が異なる別の言葉です。日本人にとっての神のイメージが人格神ではないことと、観音がこの世に姿を現すときに、本来の観音の姿をとらないことも、これに結びつけることができるのではないかと考えていますが、これについては授業のまとめのあたりで考えてみたいと思います。

観音を作るための素材にもこだわるのは、まぁ当然といえば当然だが、香木で作った観音とはどのようなものなのだろうか。スライドを見る限り、あまり大きなものというイメージはないが、いい香りがしそうでいいと思った。
白檀のなかで本当にいい香りがするのは木心だけであるため、巨木からでもそれほど多くの材をとることができないそうです。そのため檀像は30?程度の像高しかないものが大半です。玄奘の『十一面観音神呪経』という代表的な雑密経典でも、その程度の大きさの像を白檀から作れと指示されていて、現実の作品を前提にして説かれていることがわかります。

観音そのものは描かないというやり方は、イスラム教とかの絵画でアッラーの顔を描かないように、聖なるものに対するタブーみたいのがもとになっているのかなぁと思った。時代によって本地仏の主流がどんどん変わっていくのが不思議だなぁと思った。その時代の主流の仏教に影響されるのだろうか。
いわゆる偶像崇拝の禁止というのは、イスラム教のような異国の宗教の特殊な考え方のように、現代の日本人はとらえがちですが、授業でも紹介している日本古来の宗教でも広く見られますし、むしろ、宗教美術としては正統的な考え方と言ってもいいでしょう。キリスト教や仏教が、人間に似た姿で神や仏を表現する方が、特殊なのです。聖なるものは表現不可能であるゆえに、その聖性が保たれているのです。本地仏がそれぞれの時代の仏教によって変わるのはそのとおりです。本地仏の実例を見ていくと、室生寺や醍醐寺のように、われわれの知っている有名寺院の仏像も、そのかなりが本地仏として信仰されていたものであることに驚かされます。

観音が多く垂迹神になっているのは、観音の変化する性質から、違う姿の神となっても受け容れやすかったのかもと思いました。
私もそのような可能性を考えていましたが、本地仏の多様性を見てみると、それほど単純化することはできないとも思っています。薬師如来や阿弥陀如来などは「変化」することがないにもかかわらず、本地仏として多くの作例が残されているからです。むしろ、修験において観音信仰、とくに十一面観音が流行したことが、本地仏としての観音が、数多く残されたことの大きな要因だったようです。

観音霊験記錦絵において、なぜ「虚と実の反転」が行われたのだろう。やはり霊験記の物語を理解するということに重きを置いているからだろうか。しかし、たしかに歌舞伎役者など、今で言う大河にジャニーズを起用することで、人々の関心がより多く集まり、理解しやすくなると感じた。以前から不思議だったのだが、胎蔵界と金剛界とは何が違うのか。
「虚と実の反転」については、すでにはじめの方の回答に書きましたので、参照してください。霊験記の内容は、絵巻物をはじめ、さまざまな作品や伝承を通じて、おそらく多くの人々に浸透していたと思われますが、このような錦絵もそれに一役買っていたでしょう。錦絵そのものが三十三カ所の巡礼の勧誘の機能も果たしていたと思います。ジャニーズの起用にもたしかに通じます。錦絵には絵巻物の図像の伝統が受け継がれている点も興味深いですし、ひょっとすると、その伝統は現代のアニメなどにもつながるかもしれません。胎蔵界と金剛界は日本に伝わる代表的な二種類のマンダラで、いずれも空海によって中国から伝えられました。胎蔵界は『大日経』、金剛界は『金剛頂経』という経典にもとづいて描かれ、中央の仏が大日如来という共通点がありますが、それ以外の仏の顔ぶれや、全体の構成、曼荼羅にかかわる儀礼など、さまざまな点が異なります。インドではこの二種以外にも多くのマンダラが生まれましたが、たまたま日本にはこの二つがセットで伝わったことから、マンダラの代名詞のようにとらえられています。

スリランカやプーケットでの津波の被害が連日のようにニュースで報道されていますが、インドでもホテルの1階が丸ごと水に浸かってしまうほどの被害があったと聞いて、今回の津波の大きさを痛感しました。
授業とは関係ない話で時間を使ってしまいましたが、今回の津波を現地で体験して、いろいろ考えさせられました。当日はマーマラプラム(マハーバリプラム)という海沿いの町で調査をしていたのですが、「海水が押し寄せてくる」という声があちこちから起こり、みんな海とは反対側の方に向かって逃げ始めました。まさかインドで津波がくるなどとは思いませんので、半信半疑のままわれわれも車で移動したのですが、そのあいだも「群集心理でパニックになっているだけ」というような話をしていました。しかし、落ち着いてからホテルに戻ったら、朝出発したときとは変わり果てた姿になって、さらにその後、テレビや新聞の報道に、文字通り、驚愕する日々が続きました。帰国してから、そのころの日本の新聞を読み返したのですが、現地で接した報道とはどこか一致しない思いがしました。被害の写真が違うことに授業ではふれましたが、その他にも、日本の新聞は出来事全体を示すことよりも、個々のケースを感傷的に伝えることに、多くのエネルギーをさいているからかとも思いました。たとえば、特定の被害者の例を出して、その家族が亡くなったことをエピソードを交えて紹介し、読み物に仕立てているような感じです。もちろん、15万人とか18万人の被害者と言われてもわれわれにはピンとこないため、具体的な物語に頼ることになるのでしょう。しかし、このような手法は日本国内の小さな事件や災害であれば有効であるかもしれませんが、今回のような規模の災害の場合、被害のイメージを矮小化するような気がします。日本の新聞において国際ニュースの位置づけが著しく低いことを痛感します。


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