観音の図像と信仰

12月16日の授業への質問・感想



巡礼ブーム・・・うちの父にもおとずれていました。三十三カ所回って、せっせと御朱印を集めていましたよ。三十三カ所は熊野詣がかかわっているとのことですが、高野詣は関係していないのでしょうか。院政期に上皇らの中ではやったものとして、熊野詣と高野詣はセットで覚えるよう高校で習いました。だとすれば、どうして高野詣でにそった巡礼コースがあってもおかしくはないような気がするのですが。
三十三カ所の中には高野山は含まれていませんが、高野詣もたしかに院政期以降重要な巡礼となります。高野山の場合、参詣道は町石道(ちょういしみち)と呼ばれ、麓の九度山町にある慈尊院から高野山まで続いています。この道は現在でも残っていて、七時間程度でのぼることができるようです。このほか、高野山のまわりには女人道(にょにんみち)というルートがあり、女人禁制の山内に入ることのできない女性たちが、ここを回ったといわれています。高野山は紀伊半島の参詣道の重要なポイントのひとつとして、ここから吉野や熊野へと道が続いています。世界遺産にこの三カ所がまとめて登録されたのはそのためです。信仰と道は密接な関係があるのです。なお、巡礼との関係では、高野山は四国八十八カ所の打ち止め、つまり、全体を回った後で締めくくりとしてお参りするところとなっています。四国巡礼が大師信仰を基礎としているからです。

西洋の教会でも「聖遺物」という広告をもとに巡礼者を集めていましたが、日本も同様だったのには驚いた。このような広告があると人を集めやすいのと同時に、巡礼に訪れた人々にも観音の奇跡が起こるかもという期待から信仰も篤くなるのでしょうね。
宗教が単なる人々の心の問題ではなく、社会的な存在であるためには、制度や組織として自立する必要があります。仏教のように世俗的な経済活動が制限される宗教は、その経済的基盤を参拝者による布施や寄進に頼らざるを得ません。巡礼はそのような参拝者を広く他地域からも集めるメカニズムと見なすことができます。これはキリスト教でもイスラム教でも同じでしょう。インドでも同様なことがあり、古くから釈迦の仏跡を巡礼することがさかんに勧められ、実際にインド各地やスリランカなどから、釈迦が悟りを開いたボードガヤなどに多くの参拝者が訪れました。それはただ単にお参りをするのではなく、その地でさまざまな「非日常的な経験」をします。たとえば、霊験や奇跡が伝えられる仏像を拝観したり、写経、寄進などをしたことが伝えられています。これらの経験にともなう経済的な効果が、当然期待されていたのでしょう。インドにおける巡礼については、最近、密教の時代のものをまとめたものがありますので、関心のある方は読んでみてください。
森雅秀 2004 「インド密教における聖地と巡礼」『東洋文化研究所紀要』144: 177-202。

自然の名が付く観音が多いということに関して、自然に神などといったあがめる存在が多くいるといった思想から出てきたのかなと思いました。また、自然といったものが尊いが移ろいやすいものとして考えた結果の名なのかなと思いました。
たしかに三十三観音の中には水月観音や楊柳観音のように自然のものを名前に付けた観音がいます。しかし、それが自然崇拝というような感覚から来ているというわけではないようです。もともと自然ということばも仏教では「じねん」と読んで、われわれ現代人が用いるような意味は持っていません。環境や生態系のようなものに対する関心は、仏教ではきわめて希薄なのです。

観音が常に(たぶん)髭を生やしているのには、何か意味があるのですか。インドの中年男性はたいてい髭を生やしているのと関係あるんでしょうか。釈迦ははやしてないですよね。
とくに意味があるわけではなく、仏像には髭が付き物だからです。日本人はあまり意識していませんが、仏像や菩薩像にはたいてい髭が表現されています。日本の仏像では強調されていないので気がつかないことが多いのですが、よく見ると鼻の下に細い口ひげが左右に伸びています。釈迦も同様です。髭の表現は地域や時代で異なり、ガンダーラの釈迦や菩薩像は、ふさふさした髭がしばしば表されています。中年ではなくでもインドの男性は髭を生やすことが多いですね。私もこの冬休みにインドに行って来ましたが、町の中で見かける男性のほとんどは髭を生やしていました。町の中には映画のポスターがあふれていますが、おそらく男性主役の九割程度は髭が生えた肉付きのいい姿をしています。おそらく、日本の俳優であれば悪役でしかないようなイメージなのですが。

今回の四国三十三カ所の話を聞いて、四国の遍路を連想した。あちらも集客のために、スタンプラリー的なシステムになっているのかと考えると、少しがっかりした。
むしろ、スタンプラリーが巡礼をマネしたと考えればいいのではないでしょうか。私自身は四国遍路の経験はありませんが、巡礼をされた方からお話を聞くと、やってよかったという感想をほとんどの人が持たれるようです。とくに、バスなどを使わない本来の「歩き巡礼」を行った場合、行程が苦しい分、やり遂げた充実感は格別のようです。本来、人々が宗教に求める、非日常的な経験や新しい自分への生まれ変わりのようなものが、巡礼では確実に得られるのでしょう。一度、やってみてはいかがでしょう。

馬郎婦観音のような普通の女性みたいな観音があるのに少し驚きました。しかも、妻であるというから、もはや観音というものが何なのかというのがよくわからなくなりました。女性らしいイメージを象徴するものはどんどん観音に取り込まれていったということなのでしょうか。
観音が仏の世界だけではなく、われわれ日常生活の中に登場するというあり方が、中国や日本の観音の場合重要なのでしょう。前回紹介した絵巻物の中での観音が、本来の姿をとらず、童子や老僧、尼などの姿をとるのも、その流れの中で理解すべきかもしれません。これはインドの変化観音が、独特の身体的な特徴をそなえつつも、基本的には観音の姿を維持していることと対照的です。日本とインドとの「変化」や「化身」の持つ意味の違いにもかかわると思いますが、これは今回の本地仏としての観音の問題にも関係してくるでしょう。観音が女性的なイメージをとるようになることも、このような流れの中で理解するべきかもしれません。

蓮華部の規則正しく並ぶ観音の間にちょこちょこいる仏?も、皆ちゃんと名前があるのだろうか。
ちゃんと名前があります。基本的にマンダラに登場する仏はすべて名前が付いていて、それは経典などの文献で規定されています。蓮華部の場合、それを含む胎蔵曼荼羅は『大日経』にもとづいています。ただし、日本に伝わる胎蔵曼荼羅は伝来の過程で仏の数がどんどん増えていって、その一部は『大日経』には含まれず、その他の経典や曼荼羅から取り入れられたものもあります。石田尚豊先生の『曼荼羅の研究』東京美術(1975)は、このような成立過程を解明された労作です。

正観音という観音はいるんでしょうか。たまたま昨日読んだ本に出てきたんですが、聖観音の誤字かなと思ったんですが。縁起に出てくる観音は金色のみでしたが、絵巻物でもっときれいな色づけの観音は出てこないんでしょうか。
聖観音を正観音と表記することもあります。発音も同じ「しょうかんのん」で、変化観音の中のおおもとの観音という意味も込められています。十一面観音や千手観音のような異形の観音が現れた中で、もともとの観音をそれらと区別するために用いた呼称です。絵巻物に限らず、観音には色があまり登場しないようです。これは、昨年の授業で取り上げた不動と大きく違うところです。不動の場合、赤不動、青不動、黄不動と呼ばれる有名な不動画像があるのですが、観音にはありません。不動のような仏の持つイメージに色が関係するのは、その仏の瞑想や修法(儀礼)と関係があるのですが、観音の場合、それらとの結びつきが希薄なようです。不動と観音の間で、それぞれのイメージの形成が異なることを示すのでしょう。なお、ネパールでは「白観音」「赤観音」と呼ばれる有名な観音がありますので、観音に普遍的なことではないようです。



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