観音の図像と信仰

12月9日の授業への質問・感想



日本だと釈迦の妻よりも母の方がまだ知られているように思うが、摩耶は観音として拝まれていないのだろうか。キリスト教のことがあるせいか、母親や奥さんまで拝めるのは、ちょっと不思議な気もするが、多神教なんてそんなもんだろうか・・・。像の形をとると女尊だということはわかりやすいが、白描図だといまいち性別がわかりにくい。身体のラインがわかりにくいのって、性別を判断するのに大きいかと。
釈迦の母である摩耶夫人(まやぶにん)を観音とすることは、ひょっとするとあるかもしれませんが、私はこれまで見たことがありません。しかし、摩耶夫人への信仰はインド以来、連綿として存在し、日本でも有名は「釈迦金棺出現図」のような絵画を生みました。これは釈迦が涅槃に入る直前に、天上から摩耶夫人がその場に降り立ち、これに対し、釈迦が再び起きあがり説法をしたという物語を描いたものです。このほかにも、天上の摩耶夫人のために釈迦自身が昇天し、しばらく滞在した後、宝の階段を下った「三道宝階降下」というテーマも、インド以来好まれました。キリスト教におけるマリア信仰も重要ですが、仏教ではそれに匹敵するような摩耶夫人信仰も存在したようです。インドはもともと女神信仰が有力なところで、仏教の場合、それが摩耶夫人に集中したのでしょう。ターラーなどのさまざまな女神が生まれるまでは、女性的な聖なるイメージの代表が摩耶夫人だったようです。これに対し、妻のヤショーダラーはあまり信仰の対象とはならなかったようです。釈迦の妻としてはヤショーダラー以外の名称が伝えられることさえあり、名前すらはっきりしないようです。ヤショーダラーや釈迦の義母マハープラジャーパティーは、釈迦の教えにしたがって出家し、尼僧教団を作ったと伝えられています。摩耶夫人の場合、釈迦の生みの親であることと、釈迦誕生の直後に無くなったことが、その神格化をすすめる要因となったのでしょう。後半のコメントの、日本の白描図では性別がわかりにくいというのは、おそらく彫刻でも同様と思います。身体のラインが重要なのはそのとおりで、インド美術における女神や女尊などの女性像は、胸や臀部が誇張気味にまで強調されています。これに対し、日本の女性像は肉体よりも表情や物腰、髪型などで、女性美を表現しています。今回紹介する馬郎婦観音などはその典型でしょう。おそらく、中国の影響を受けていると思われますが、何によって女性の美を表現するかは、それぞれの文化で大きく異なるようです。

ターラーやブリクティーといった元来は観音の眷属が独立していくということに、非常に驚いた。なぜそれほどまでに眷属の聖性が増したのでしょうか。キリスト教では聖母マリアの像や絵画があり、仏教では母なるイメージの観音がある。なぜ、人々にあがめられるのは「母」の方なのですか。「父」(またはそのイメージ)の仏像・神像はないのですか。
眷属の独立というのは観音以外でも見られます。前回の授業でも少しふれた文殊と大威徳明王などもその一例ですが、観音の場合、その数が圧倒的に多く、しかも、すべてが変化観音として観音の一種となることが注目されます。日本における仏教の仏たちの分類では、仏、菩薩、明王と並び、観音もひとつのグループとして立てられます。これは、観音の種類が多いことによる便宜的な措置のようにも見えますが、むしろ、観音という名称がすでに単独の菩薩を指すだけではなく、尊格(仏たち)のグループ名として定着していたからと見るべきかもしれません。観音に種類が多いのはインドでも見られることなので、菩薩の中でも別格の存在だったのでしょう。「なぜ眷属の聖性が増したか」という問いへの答えになっていないのですが・・・。「父」よりも「母」というのは、上記の通りですが、宗教の世界で父のイメージは、むしろ「厳父」といったように、厳しい者、懲罰を与える者などのようです。ただし、例外もあります。拙著の『インド密教の仏たち』の中で「マリア信仰はキリスト教で有力であるが、これに対して父親のヨゼフはいたって影が薄い」という趣旨のことを書いたのですが、これは誤りで、中世のスペインではヨゼフに対する熱烈な信仰が起こったそうで、たとえばエル=グレコの絵画には、キリストとヨゼフの二人を描いた作品が多く含まれます。

経典には○面○臂ということは書いてあっても、男性的あるいは女性的であるとわかるような表現はないのか疑問に思いました。
性別を強調するような記述はたしかにあまり見られませんが、女尊の場合は身体的な特徴や美しさ、慈悲深さのようなイメージが言及されることがあります。男性の場合でも忿怒尊に対しては、力強さや髭、髪の毛などの記述が含まれることが多いようです。しかし、このような記述は抽象的で、それにしたがって作品が作られたとはあまり考えられません。むしろ、それぞれの国の造像の伝統にしたがって、美しく優美な女尊とか、たくましく勇猛な男尊といったイメージが重要であったと考えられます。それだからこそ、同じ女尊でもインドと日本では強調するところが異なったり、観音のイメージが中国や日本では女性的になったのでしょう。

日本で観音といえば、安らかな顔をしてるのが多いと思っていたし、だからたまに見ると、なぜか安心感が生まれると思っていたけど、馬頭観音はほとんど表情が豊というか、やはり怒っているような威嚇しているような気がして驚いた。昔の人々は、必ずしもすべての「観音様」に、赦しや安らぎを求めていたわけではなかったということなのだろうか。
一般に仏といえば、悟りを開いた穏やかな姿や、一般の観音に見られる慈悲深い姿が連想されますが、密教系の仏たちには、このような怒りに満ちた表情のものがいろいろ含まれます。その多くは明王というグループに属し、日本ではとくに不動明王が重要です(これは昨年の同じ授業で取り上げました)。馬頭に似たすがたの忿怒尊としては、降三世明王や大威徳明王などがいますが、頭の上に馬の首を付けているのは、他に例が無く、また、インドの馬頭と思われる彫刻でも見られません。名前が「馬頭」なのですから、その通りの姿なのですが、どこでこのような特徴を持つようになったのか、よくわかりません。神や仏などの超越的な存在に怒りや威嚇のイメージが現れるのは、別に珍しいことではありません。人は神や仏に赦しや安らぎのみを求めるのではなく、「怒れる神」や「罰する神」も求めるからです。しかし、実際にそれをイコンとして表すのは、慈悲や悟りを表すことよりも困難であるような気がします。別に「怖い顔」や「怒った顔」を表現するのがむずかしいわけではないのですが、このようなものは形式化するとむしろ滑稽な姿になるからです。たとえば、チベットの忿怒尊などは、怖い姿のはずなのですが、見方によってずいぶんコミカルです。

マリア観音は日本のどこで見られるのですか。私は竹久夢二館で見たことがあります(掛け軸だったような)。塗り絵をする場合、観音たちの着ている布のようなものは一枚なのか、いろいろなカラフルな布を何枚か付けているのか、気になります。白衣観音の絵はまるで禅画の達磨のようだと思いました。パルナシャバリーの足の模様は何ですか。
マリア観音は隠れキリシタンの伝統のある地域の資料館や博物館などで、しばしば展示されています。出版物として『隠れキリシタンの聖画』(小学館)という写真集があります。マリア以外にもキリストや聖家族などもありますが、登場人物はいずれも江戸時代の日本の着物を着て、ちょんまげなども付けて描かれていて、不思議な雰囲気を持っています。ずいぶん素朴なイコンなのですが、実際に、隠れキリシタンの人々が、命がけで信仰し守ってきたものであると思うと、見続けていると圧倒されるような気持ちになります。「怖くなる」という印象を語った人もいます(私の研究室にありますから見たい方はどうぞ)。観音の衣は腰から下と、上半身とで大きく2枚に分かれ、さらに天衣(てんね)といって、帯状の布も肩や腕にかけています。白描図像は塗り絵ではないのですが、実際の彩色画の仏画を描くときの図案となるものです。白衣観音をはじめ、鎌倉以降の新しい女性の観音たちは、禅宗で好まれたものが多く、このような水墨画で表現されたものもたくさんあります。パルナシャバリーの足の模様は、身につけている衣の模様のようです。花柄のズボンのようなものが足に密着しています。

特徴が喪失しているのに、マンダラを通して葉衣という女尊が伝わっているのを不思議に思いました。インドでは疫病から人々を守り、治癒神としてあがめられていたのなら、日本ではどのような神として信仰されたのでしょう。
日本で葉衣が単独で信仰された形跡はほとんどないようです。インドでも確実にパルナシャバリーと言える作品は、授業で紹介したものを含め数点にとどまり、どの程度の信仰の広がりがあったかは不明です。従来から、インドの林住民族の土着神が仏教に取り入れられたと説明されていますが、実際にどの地域のどのような民族であるかは明らかにされたことはないようです(仏教やヒンドゥー教に起源のない仏は、しばしばこのような漠然とした「土着信仰」に、安易に起源が求められます)。インドでは天然痘などの疫病の神として、しばしば女神が信仰されます。日本にも伝わる鬼子母神もそうですし、ヒンドゥー教の女神チャームンダーも同様です。この場合の「疫病の神」というのは二つの意味があり、病気をもたらす神であると同時に、その病気から守ってくれる神です。漢訳経典には『葉衣観自在菩薩経』(大正蔵1100番)という経典があり、国中に疫病が流行したときには、この観音の像を安置して所定の儀礼を行えば、効果がある云々という記述があります。ここで造られる像には、すでに木の葉の衣装などへの言及が見られません。

忿怒形についてもう少し知りたいと思いました。たとえば日本には古くから逆髪伝説があって(かなり場合は違いますが・・・人間と仏ですし)髪が逆立ったことについて異論があります。逆髪は狂ってしまうのですが、髪が逆立ったから狂ってしまうのか、狂ってしまったから髪が逆立ったのか・・・明らかにされないままです(私もはっきりわからなくて申し訳ないです)。いずれにしても、髪が逆立っていることが重要です。馬頭も髪を逆立たせることで怒りを表現するということでしたが、「髪が逆立つ=忿怒」または「怒り=髪が逆立つ」というイメージが、古くから世界にあったということが、ここからもわかるのかな?と思って興味深かったです。
日本の逆髪についての情報ありがとうございました。たしかに髪の毛によって怒りを表現するというのは、普遍的な方法ではなく、かなり特殊であるかもしれません。ただし、密教の仏の場合「逆立つ髪=忿怒」はほぼ共通しているようで、日本の明王系の仏たちもそうですし、インドやその伝統を受け継いだチベットの密教美術の場合も同様です。インドではその形が炎のようなことから「炎髪」とも呼ばれ、さらに「怒りで燃え上がる髪の毛」などと文献の中でも説明されます。怒りからうまれるエネルギーが、炎としてイメージされ、それが髪の毛と結びついているようです。髪の毛がこのようなエネルギー、とくに男性の暴力的なエネルギーと結びつくのはかなり一般的なようで、旧約聖書のサムソンとデリダなどでも見られます。また、髪の毛そのものも宗教的にも重要なシンボルとなります(たとえばメドゥーサの蛇の髪など)。髪の毛が逆立つのは怒りだけではなく、恐怖もあげられます。日本語でも「総毛立つ」という表現がありますし、実際、鳥肌が立つのと、髪の毛が逆立つのは同じイメージでとらえられるでしょう。狂気というのは、仏教美術ではあまりイメージされることがないのですが、インドの文学作品や日本の仏教説話などを探せば、髪の毛によって表現されることもあるかもしれません。


(c) MORI Masahide, All rights reserved.