観音の図像と信仰
11月11日の授業への質問・感想
授業で何度か出てきた飛天の位置づけがいまいちよくわからない。諸難救済観音の右の三番目は、何となく腹がふくらみ、あばらが出ているように感じたので、もしかすると餓鬼なのではないかと思った。龍王と同じように、悪に対しても救いをもたらすということだろうか。ウダヤギリの八大菩薩を伴う説法印仏坐像は、密教のマンダラの通じるものを感じた。
飛天はインドでは仏像の光背上部にしばしば登場します。飛天といっても羽根を持っているわけではなく、両手で花輪を持って浮遊し、中央の仏などにそれを捧げようとするポーズを取ることが多いでしょう。このような姿は、ガンダーラではプットーと呼ぶ童子像に見られますが、これと同じ系列のものが、ヨーロッパではキューピッドになります。その場合、羽根がついています。中央アジアでは龍門や敦煌などで見られますが、そこではいわゆる天女の姿をとります。日本でも飛天というとそのイメージが強いでしょう。至文堂から出ている『日本の美術』のシリーズに「飛天と神仙」という巻がありますので、参照してください。諸難救済観音の童子像は、たしかに餓鬼のように見えます(他にも同様の指摘がありました)。しかし、観音経には餓鬼に対する救済は明確には説かれていないので、もしその解釈をするのであれば、それを説明するための根拠卯が必要になります。ウダヤギリの八大菩薩は、たしかにマンダラに関係します。これについては私の『インド密教の仏たち』でくわしく述べていますが、単純に八大菩薩からマンダラが生まれたと言えないところがむずかしいところです。
トーラナという門が日本の神社にある鳥居を彷彿とさせるのですが、関係があるのでしょうか。ヒマラヤの八難救済ターラーは八臂でしたが、八難と対応させたのかなぁと思った。
トーラナを説明するときに鳥居に似ていると、私もしばしばいうのですが、関係は不明です。間をつなぐような建造物が、中国や東南アジアなどにないからです。サンチーのトーラナは横梁が3本ある立派なものですが、もっとシンプルなものもあったのではないかと思います。トーラナはマンダラにも描かれるのですが、そこではまた別の形態をしています。日本の鳥居はもともとは木造の建造物で、境界を示す道標のようなものだったのではないかと思いますが、詳しいことは知りません。八難救済ターラーが八臂であることが、八難と関係するのではという指摘は他の方の質問にもありました。これも是非はわかりませんが、八臂のターラーというのは一般的ではありませんので、可能性は考えられます。この作品については、以下の研究があります。
Allinger, Eva 1999 The Green Tara as Savaiouress from the Eight dangers in the Sumtsek at Alchi. Orientations 30(1): 40-44.
八難救済殻が物語性を帯びたものから、礼拝仏として変化したときに、坐像になったりとありましたが、物語性を帯びていたときにも礼拝仏としての役割は果たしていたのですか。それともどっちかというと、物語を象徴する意味合いの強い彫刻として作られたのでしょうか。
物語性を帯びた説話図と、礼拝像とのあいだには明確な境界線を引くことは、おそらく困難でしょう。全体の傾向として、説話図から礼拝像に次第に変化していったということです。アジャンタやオーランガバードの観音救済図も、説話的な要素が認められるという程度で、実際は礼拝仏として機能していたと思われます。これを前にして、僧侶が絵解きのように、それぞれの場面の説明をしていたかもしれません。
なぜ、説話的要素とのものから、礼拝のためのものに変わっていったのだろうか。まったく別の種類として作られているものだと思っていた。説話的要素があるというと、キリスト教だったら、フレスコ画とかで聖書の読めない人にも聖書がわかるように説明しているみたいな目的があるように思う。授業であつかったものは、どのような人が見ることを意識して作られたものだろうか。お経の中身を聞いてショックだった。
インドの仏教美術を概観すると、初期のサンチーやバールフットでは、仏伝やジャータカなどの説話的な図と、蓮華、ヤクシャ、マカラなどの民俗的なモチーフが中心でしたが、マトゥラーやガンダーラで仏像が出現すると、礼拝像が主役となり、パーラ朝になると、説話的な主題がほとんど姿を消してしまいます。その背景には、仏教美術に人々が何を求めたか、あるいは、仏教美術は何のために作られたり、飾られたりしたのかという問題を考慮しなければなりません。一般信者への教化も、そのひとつです。もっとも、このような図像に関する知識は、僧侶にとっても必ずしも自明なことだったわけではなかったようです。『根本説一切有部毘奈耶』という律の文献には、参拝にきた信者が石窟の壁画について僧侶に尋ねたが、僧侶は答えることができなかったという記述があります(ショペン『インドの僧院生活』)。お経の中身については、すこし乱暴な言い方をしましたが、もちろん思想や教理に関する情報が含まれています。しかし、それは教科書や概説書のように、読者にわかりやすい形で示されていません。断片的な記述や抽象的な表現の中から、それを読みとる作業が必要です。むしろ、経典の大部分は教えそのものがどのように説かれ、なぜそれほど重要であるかを強調することにあてられています。
日本のものはテーマが何であっても、見れば日本のものだとわかりますね。インドとかチベット、東南アジアの像や絵も刺激的でいいですけど、日本のものが出てくると何か安心します。
前回は『観音経絵巻』と『華厳経五十五カ所絵巻』を紹介したので、同じように「日本のものを見るとほっとする」という感想が多く見られました。たしかに私もそう思います。授業ではこれから日本の観音にうつっていきますので、紹介するスライドのほとんどが日本の作例になっていきます。はじめにインドを紹介することで、日本の観音の特徴の中で、どこがインドに起源があり、どこが日本的に変化したのかがわかるはずです。イメージの比較を通して、日本とインドの文化のあり方の違いを見つけていっていただきたいと思います。
八難救済のあのポーズ(飛んでる姿)が、あれだけ並べられるとおもしろかったです。19番のアジャンタのものは、助けられる側が飛んでいるようで、礼拝像化のはじまりかとも思います。ダッカ博のターラーが生んでいるものが、台座の蓮弁と同じデザインに見えたのですが、あれは何なのでしょうか。ターラーは蓮を踏むものなんでしょうか。それとも靴ですか。インドではだんだん統一化されていくために、日本では説話がくっついたり、像では手が増えたり(千手)増やすのが好きだなぁと思いました。
アジャンタの作品で、救済者も飛んでいるのはたしかに特異でおもしろいですね。観音が救済に飛んでくるというよりも、観音のところに逃げていくという感じです。ターラーが右足を乗せているのは蓮華の台で、ご指摘の通り、蓮台と同じものです。蓮華は仏の座として一般的ですが、坐像が足をおろした場合も、そこに蓮台が置かれます。このような蓮を「踏割(ふみわり)蓮華」と呼ぶこともあり、日本の仏像でも見ることができます。インドでは古くは釈迦が誕生の直後に七歩歩いたことを示すために、七つの小さな蓮華を並べる作例もあります。観音の図像の日本的な展開は、これから少しずつ見ていきたいと思います。説話との結びつきや、図像上の変化もその中で現れます。
今回のレジュメの質問の回答に「実際は日本の仏像もほとんどが補修をしてある」とありましたが、それは専門的な職業として、ということですか?絵画の修復工としての職があることは聞いたことがあるのですが、それと同じことなのでしょうか。また、インドにはそういった職業はないということですか。
日本では仏像を作る人を仏師、絵画を描く人を仏画師と伝統的に呼びますが、修復はそのような人たちがあたったと思います。多くは工房を構え、複数の職人が所属していたので、修復専門の人もいたかもしれません。現在では文化財の修復をする場合、科学的な知識や技術が必要なので、重要な作品を修復するときには職人ばかりではなく研究者などそれにふさわしい人たちがチームを組んで行うのが一般的です。美術史の研究者もたいてい動員されます。これはヨーロッパなどでも同様でしょう。インドでも仏像は工房や現地で職人によって制作されますが、修復はあまり行われなかったようです。これは、インドの仏像の素材が木材ではなく石なので、いったん安置すれば、破損することは少なく、また、寺院が荒廃して仏像も破損してしまったら、それを修復することはほとんどなかったでしょう。
八難救済観音が八難救済ターラーになっていますが、ターラーという仏尊は日本人になじみが薄いです。他のアジア仏教国ではどうなのでしょうか。
インドではターラーに対する信仰はかなり有力だったようで、女尊の作例数としては突出して多いです。その影響を受けているネパールやチベットでも流行しました。とくにチベットでは膨大な数のタンカ(仏画)や彫刻が残されています。ターラーも観音のように一般的なものと、特殊なものが現れます。また、21種類のターラーをまとめたグループもあり、タンカの題材として好まれました。ターラーは多羅の名で中国や日本にも伝わっているのですが、それほど知られていません。中国や日本では女尊というグループを立てることがないため、多羅菩薩として信仰されました。多羅菩薩に関する経典も何点かあります(先週の配付資料もそのひとつ)。東南アジアでも密教が伝播したインドネシアでは、ターラーの作例があります。
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