観音の図像と信仰

10月28日の授業への質問・感想



この部屋の椅子はいつもお尻が痛くなって、今日もたいへんでした。スーチームカの顔があまりにリアルで怖かったです。オンマニペメフンにはびっくりしました。その言葉は五体投地するときの言葉として知っていたのですが、考えればあれもチベット仏教ですから、ルーツはそこにあったんですね。
オンマニペメフンはチベット人が日常的にとなえる観音の真言で、日本の念仏のようなものです。「オーム、蓮華の中の宝珠よ、フーン」という意味です。サンスクリットなのですが、そのまま発音しています。蓮華が観音のシンボルであることは、授業でも繰り返して言っていることです。チベットではお寺のまわりにマニコルという金属や木の円筒形のものがならんでいますが、その表面にもこの真言が刻まれて、これを回すことで、真言を唱えた功徳があるといわれています。中にも真言を書いた紙が入っています。携帯用のマニコルもあって、道行く人が、よく回しながら歩いています。五体投地、つまり両手、両足、頭の五箇所を地面につけて礼拝する方法は、チベットでよく見られますが、日本でも僧侶が行うことがあります。かなりの体力の必要とするのですが、巡礼をしている人はこれで寺院の周りなどを右回りに回っています。見ていると胸打たれるものがあります。教室の椅子の座り心地の悪いことは知りませんでした。他の教室よりも新しいので、てっきり快適だと思っていました。

仏教では女人と交わることは、執着の始まりであるとされるのに、女神をしたがえているのが不思議に思えた。土着の信仰と結びついたものもあるのだろうか。
たしかに仏教では愛欲は否定されるものでした。しかし、密教の時代には、そのような禁欲的な傾向が緩和され、むしろ悟りへのエネルギーとして、活用されることさえおこります。仏教の仏たちの世界への女神の登場は、このような教理的な変化とかならずしも一致するものではありませんが、何らかのつながりも想定されます。女性の仏、すなわち女神への信仰の流行は、インド全体の文化的な潮流の中で理解すべきことでもあります。ヒンドゥー教でも従来のシヴァやヴィシュヌなどの男性神中心の神々の世界から、女神の台頭が起こったのが同じ頃でした。ドゥルガーやカーリーの名がよく知られています。その中にはたしかに、本来は土着的な女神であったものが、汎インド的な広がりを持つことも起こります。仏教の女神(女尊)も、そのようなローカルな神だったものが大勢います。

密教系観音には、いわれがなく、文献に記述のみがあるという話でしたが前期の教養の話にもあったように、文献が先行しているのでしょう。文献中で姿のイメージのみ増殖していくという話があったと記憶しています。
そのとおりです。私の教養の「密教美術の世界」を取っていた方には、すでにおなじみの考え方でしょう。仏伝のような説話的な図像とは異なり、仏像そのものを表すことが多いこの時代には、文献と作例の関係が、大きく変化しています。今回の授業でそのあたりのことをはじめにお話しするつもりです。

エローラとオリッサと、場所が違うのに同じ像が彫られるのは、どちらか先に作った方から、誰かが何らかの方法でその像の造りを伝えたということなのでしょうか。またそうならば、何のために伝えられたのでしょうか(師匠と弟子の関係とか)。
エローラとオリッサで図像的につながりのある作品があることは確かなのですが、その歴史的な背景についてはまだよくわかっていません。人的な交流があったことも予想されます。仏像を刻む職人は、依頼主があってはじめて生計が立てられるので、政治的、経済的な状況も関係すると思います。エローラ石窟の造営は国家レベルの事業でしたから、それを支える王朝がどの程度の領土を有していたか、あるいは隣国との関係はどうであったかなどが問題になります。エローラとオリッサはインドの東西の端なので、その間は相当の距離があるのですが、交易があったことも予想されます。これよりも前の時代ですが、南東インドのアーンドラ地方の仏教美術も、アジャンタの壁画に影響を与えています。方向は東から西なので、オリッサとは逆ですが、われわれが思うよりも、インド内部の文化の伝播は、大規模で活発だったようです。

脇侍が変化することで、観音のイメージが変わるのでしょうか。つまり、餓鬼であれば観音の慈悲深さを表し、ターラーやブリクティーならば柔和さなど。
そういうことがあれば、たしかにおもしろいですね。でも、作品を見る限りでは、あまり関係はないようです。観音の脇侍に登場する4人の脇侍の組み合わせは、中心の観音の図像上の特徴などとも関係しないようです。餓鬼が登場する作品と、そうではない作品の場合も同様です。どうもこの時代の作品は、構成する要素をパズルのピースのようにとらえて、適宜、組み合わせているようにも見えます。

東寺講堂のいわゆる立体マンダラの菩薩部に、金剛法菩薩があったのを思い出しました。変化観音の一種だったのですね。
東寺講堂は中心の五仏が、向かって右の菩薩のグループ、左の明王のグループへと姿を変えたものとして作られています。菩薩の中の金剛法は五仏の中の阿弥陀と結びついています。これは金剛界マンダラを背景としたもので、このマンダラで西の阿弥陀のまわりにいる4人の菩薩の代表が金剛法だからです。阿弥陀と観音の結びつきは浄土教にも見られるように伝統的で、密教はこれをそのまま利用したのですが、名称を密教的な「金剛法」と変えています。金剛法は金剛界よりも前に成立した胎蔵マンダラにすでに現れ、蓮華部の中心に位置しています。これは仏を中心として、観音と金剛手がならぶ三尊形式と関係があるといわれています。東寺の講堂で、菩薩の反対側に明王がいることも、これによく似た発想です。

プリントで26から背景がはっきり細やかになっているように思えるのですが、何か特別なことがあるのでしょうか。今までのものが削れてしまっただけですか。インドの十一面観音は日本のものと比べて立体的で、面というより頭という感じがしました。初期の変化観音は少なくて、少し寂しいですね。獅子吼観音の獅子の顔は、人の顔のように見えてしまいました。渋面のような観音の表情とは対照的かなと思います。
一般にパーラ朝のものは時代が下るほど装飾が増えて、光背や頭光が豪華になります。その分、仏像そのものは迫力や写実性が失われ、形式的になります。そのため、一般的にはインドの仏教美術はグプタ期に最盛期を迎え、パーラ朝はすでに衰退的な傾向になるいわれています。しかし、パーラ朝の作品にも多様なものがあり、その中には芸術的にすぐれたものもたくさんあると思います。カーンヘリーの十一面観音はお団子がならんでいるようで、たしかに日本の十一面観音とは印象が異なります。十一面の「面」は「おもて」というよりも顔という意味ですが、実際は頭と理解されます。獅子吼観音の獅子はあまりライオンらしくありません。顔もそうですが、足の表現なども、何だか変な感じです。同じようなライオンは文殊の座にも現れ、むしろ、獅子吼観音はこのような先行例をマネしただけのようです。稚拙なライオンの表現は、インドにライオンがいないのでしかたがないとも思いますが、古くはアショーカ王の石柱に見事なライオンの彫刻があったり、ヒンドゥー教の女神のドゥルガーが迫力あるライオンをしたがえていたりするので、技術的には可能だったはずです。

脇侍のターラーとブリクティーは、それぞれ日本語ではどんな意味なのかなぁと思った。
ターラーはいろいろ解釈されますが、「渡る」という意味の動詞tィに由来するともいわれ、この場合、「衆生を彼岸に渡らせるもの」と解釈されます。このほかに、瞳を指すことばであったり、星の名前、あるいは「ラーマーヤナ」に登場する猿の王妃の名前などがいずれも「ターラー」です。ブリクティーもよくわからないことばですが、「眉間のしわ」というのが辞書に出てきます。そのため、観音の眉間から現れたと説明されることがあります。眉間にしわが寄るのは困ったときとか怒ったときなので、あまり観音のイメージと結びつきません。仏教の仏の名前は、このようによくわからないものもたくさんあります。

八大菩薩の並び方は、無作為なのかもしくはきまりがあるのか。六畳の小さく暗い部屋にあれだけの仏像がならぶと圧巻だろう。作者もその効果をねらって作成したのだろうかと思う。観音と金剛手を対にするという配置は、日本の仁王を想起する。それは同じ流れを汲むからだろうが、仁王像に観音などの痕跡を見ることができるのか。
八大菩薩の並び方は法則があるようです。ただし、それは厳密なものではなく、また、地域によっても少しずつ異なるようです。これについては私の『インド密教の仏たち』で取り上げています。エローラで八大菩薩がならぶ祠堂は、六畳よりももう少し大きかったかもしれませんが、真っ暗闇の中で等身大の石像たちに囲まれるのは、本当に迫力があります。ときどき、足下に高さ5,60?の合掌する帰依者の像があることがありますが、これもなかなか印象的です。仁王はただしくは「密迹金剛力士像」といい、金剛手の流れを汲むものです。仏の近くにボディーガードのように筋骨たくましい金剛手が描かれるのはガンダーラで好まれ、仁王のイメージの源流もここにあります。

前回のQ&Aで名称の当て字や意味にそった付け方の質問がありましたが、A国の言語をB国の言語に翻訳するときにスムーズに翻訳できる場合と、両国の間に大きなカルチャー・ギャップがあって、スムーズに翻訳できない場合があると思います。(明治時代の日本においても西欧語を日本語に翻訳するのに非常に苦労したことは森鴎外も書いています)とくに宗教的な専門語は適当な翻訳語がなかったり、あるいは言語に含まれる聖性を保持するために意図的に言語の音韻を生かして訳(音訳)することもあったようです。これが質問者のいわれる「当て字」だと思いますが、この翻訳の系列に属するものに真言や陀羅尼といわれるものがあります。これは音韻の持つ響きに重要な宗教的意味があります。正しく発音されたことば、さらに真実を伝えることばは単なる伝達のツール(道具)ではなく、実存世界の象徴としてわれわれにエネルギーを発信していると考えられたようです。真言や陀羅尼の響きが宇宙の響きと共鳴すると直感されたのでしょう。瀬戸内寂聴さんは「仏教塾」(集英社刊)の中で、山岳修行で登山をしていたときに息切れしそうになったので、不動明王の真言を繰り返し唱えていたら、息切れが収まり元気も出てきたと述べています。真言や陀羅尼には息を整える呼吸法としての働きもあるようです。また僧侶作家の玄侑宗久さんはエッセイ集「釈迦に説法」(新潮社刊)で、陀羅尼などは1時間くらい大声で詠んでいても声がおとろえたり喉が痛くならないが、カラオケではそうはいかないと述べています。ですから質問者のいわれる「仏教の教えの中で重要でないものが当て字・・・」ということはないと思います。
長文のコメントありがとうございました。私の回答は仏の名称に限定して答えたものですが、たしかに真言や陀羅尼についてはおっしゃるとおりでしょう。不動の真言は修験道で山林を歩くときに唱えるものなので、そのような効果もたしかにあると思います。中国では外国語であるサンスクリットを音訳するときにも、漢字に置き換えなければならなかったので、いろいろ苦労があったようです。意味をとりにくいようにわざと普段は使わないようなむずかしい字を使ったり、発音記号のようなものを工夫しています。このために、密教経典を電子化するときに、パソコンで出ない文字がたくさん含まれたりして、苦労するのですが・・・。


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