観音の図像と信仰
10月21日の授業への質問・感想
日本の十一面観音は頭に観音の「別の顔」が乗っていて、あわせて「十一面」というのはすぐにわかったが、これのひとつ前の中央アジアのハラホトの十一面八臂観音では、観音の顔ではない顔もあったり、顔の数を数えても十一ではなかった気がしたのですが・・・。インドネシアのチャンディ・ムンドット内部の正面にすわっている仏像のすわり方が、サイドの2体に比べてけっこう無防備だと思った。フツーにすわっている感じ。他のは足を組んだりしてるのに。
向源寺の十一面観音は正面の顔の横に一面ずつ、真後ろに1面、その上の段に6面、一番上に1面で合計11面になります。これは十一面の配列としてはかなり特殊です。また、それぞれの表情に違いがあり、とくに正面の左右や後ろの顔は見応えがあります。別の方の質問に、後ろの面はどうやって見るんですかというのがありましたが、現在はこの像は本堂の横の小さな宝物館に安置されていて、後ろにも回って見ることができます。お像のわりにはぱっとしない建物なので、本堂の方に安置した方が雰囲気はいいのですが・・・(文化財保護法などの関係でむずかしいようです)。ハラホトの十一面観音は下から順番に3,3,3,1,1で11面となっています。これはチベットの十一面の一般的な配置です。チャンディ・ムンドットの姿勢はたしかに無防備という感じですね。衣が肌に密着しているので、着けていることがあまりよくわからず、足を開いた状態ですわっているので、そのような印象を受けるのでしょう。この三尊像はインドネシアの仏像の中でもとくに有名なものですが、様式的にはインドのグプタ期の彫刻に通じるものがあります。
先週のプリントのチャンディ・ムンドゥットの像で「仏倚像」というのがありましたが、「仏像」とは何が違うのですか。「半跏思惟像」は「思考にふけっている」と辞書に説明がありましたが、何か悩んでいるような邪念があるかのような印象を受けました。こういう像でもありがたみを感じられるものなのでしょうか。
倚像はイスに腰掛けている像のことをいいます。仏像はその姿勢によって立像(りゅうぞう)、坐像、倚像などがあり、さらにすわり方に結跏趺坐、半跏坐、輪王坐などに分かれます。これに仏の名称そのものを加え、弥勒半跏像とか、阿弥陀仏立像などと呼ばれます。半跏思惟像はいろいろ問題がある像です。われわれのよく知っている弥勒半跏思惟像は中国で成立したものでインドでは存在せず、ガンダーラのものは釈迦か観音と比定されています。さらに古い時代のものでは、降魔成道の場面で、悩めるマーラ(魔)の王が、この姿で表されます。授業でも少し言及しましたが、ヨーロッパの美術では「メランコリア」(憂鬱気質)という寓意像のモチーフに同じ姿が現れ、ルネッサンスをはじめ現代にいたるまで、大きな潮流を形成しています。半跏像については田村圓澄・黄壽永編『半跏思惟像の研究』(吉川弘文館、1985)、メランコリアについてはF.ザクスル『土星とメランコリア』(晶文社)という文献があります。
坐っている仏像は普通、跏趺坐の坐り方をしていますが、三千院の阿弥陀三尊像の脇侍の観音、勢至は日本式の正座に近いので、驚きました。よく見ると腰を少し浮かした姿勢で、すぐに動き出せる態勢なのは、来迎図の趣旨なのかとも思いました。
そのとおりで、三千院の阿弥陀三尊像は平安時代末の迎接像(ごうしょうぞう)の代表的な作例です。観音・勢至の姿勢は跪坐(きざ)と呼ばれ、ひざまずくポーズで来迎者を迎えます。知恩院の有名な来迎図「早来迎」と同様、来迎の場面の緊迫性や臨場感が込められています。この三尊が安置されているのは、往生極楽院といい、名前もそのまま来迎思想を反映しています。
作品によって、同じ観音や弥勒であっても、雰囲気が違っていて、私にはどの像がどれを表しているのか見分けがつきませんでした。
それがふつうだと思います。授業が進むに連れて、同じ作品を見ても、別の印象を受けたり、他の作品と区別が付くようになっていくのでご心配なく。
たしかにダライラマは日本ではほとんど出ませんね。情けない。しかし、リチャード・ギアがチベット仏教徒だったとは・・・。もしかしたら「セブンイヤーズ・イン・チベット」はブラット・ピットよりリチャード・ギアがやりたかったのかもしれませんね。前々から疑問でしたが、仏=ブッダはよく画中像で描かれていますが、他の高弟などはどのくらい描かれているのでしょうか。キリスト教では聖〜の像などけっこうありますが。
リチャード・ギアが敬虔なチベット仏教徒であることは、この世界ではよく知られています。「セブンイヤーズ・イン・チベット」にリチャード・ギアが関係しているかどうかはよくわかりませんが、同じころに公開された「北京のふたり」に出演し、中国の人権問題を取り上げていました。ちなみに「セブンイヤーズ・・・」は登山家ハインリヒ・ハラーの同名の小説にもとづいていますが、これは日本の河口慧海の探検記のまねをしたタイトルです。この他、映画界とチベット仏教との関係では、女優のユマ・サーマンの父親が、有名なチベット学者ロバート・サーマンというのもあります。ユマ・サーマンの名は正しくはUma Karuna Thurmanといいますが、Uma も Karunaもサンスクリット語です。たしか、子どもの名前もTaraとつけた記憶があります(女尊のターラーです)。釈迦の高弟の作例については、インドでは釈迦の生涯を描いた仏伝のなかに登場する程度で、単独像はありません。これはインドにおいて聖なる像つまりイコンを作るときの題材に、高弟のような歴史上の人物を選ぶことがほとんどなかったということにも関連します。これに対し、チベットや日本では歴上の有名な僧たちを描くことが一般的で、同じ仏教美術といっても民族性のようなものが現れます。(質問文の画中像というのは絵の中の絵という意味で使いますが、作品一般と理解しておきます)
温泉地等にあるような山中の大きな観音像は、いつ頃作られるようになったのでしょうか。また、体内にはいることのできるものもあるそうですが、入ることによって何か利益を得られるものなのでしょうか。話はずれますが、東大寺の大仏の鼻と同じ大きさの穴を通り抜けると、無病息災にということがあったはずですが、観音の体内にはいるのと、同じような感覚でしょうか。
加賀温泉駅の北にあるような巨大な観音像は、学期の終わりの方で、観音信仰の多様化というような問題でできれば取り上げたいと思っています。いつ頃からかはよくわかりませんが、日本中のあちこちにあるのは、高度成長期以降のものが大半だと思います。最近、このような仏像を見て回ったエッセイとして、宮田珠己『晴れた日は巨大仏を見に』(白水社)という本が出て話題になっています。宗教学や神話学から的見れば、巨大な生物の体内に入って、ふたたび外に現れるというのは「死と再生」のモチーフになっていて、別の人間になって生まれ変わるという通過儀礼的な意味が読みとれます。わかりやすい例では、ピノキオで最後に鯨に飲み込まれて、ふたたび外に出て「よい子になってハッピーエンド」というのがあります。そこまで深読みしなくても、巨大な仏像を見るのは特別な体験ですし、中に入れるのならば入ってみたいというのも人間の本性のような気がしますが。
臨終する人が五色の糸を握って阿弥陀に祈るという話がありましたが、タイの仏教でも聖糸という糸があるという話を聞きました。仏教にとって糸には何か意味があるものなんでしょうか。
五色の糸は浄土教以前の密教の思想に関係があると思います。密教では大日如来を中心とした五尊の仏( 五仏 )を仏の世界の頂点におきます。これらの五仏はそれぞれ仏の智慧にひとつずつ対応し、それを象徴的に五種類の色で表します。そのため、密教では五色というのが重要な意味を持ち、五色の糸がいろいろな場面で用いられます。たとえば儀礼を行う壇の上を結界をするときには五色の糸(実際はロープぐらい太いものもあります)を張り巡らせます。われわれの世界と仏の世界の境界の機能を持ち、これは臨終行儀における阿弥陀と往生者(つまり死者)とをつなぐ五色の糸とも共通するように思えます。タイの仏教の聖糸は調べてみましたが、よくわかりませんでした。たぶん、そのようなものがあると思います。ネパールの仏教では儀礼で糸が用いられ、やはり天上世界の仏たちと、われわれをつなぐ役目をもっています。
装飾や姿形の変化によって、さまざまな意味をなすことがわかった。前日配布されたプリントの6頁目の左上の男性の観音立像の説明の時に、ネパールでは百八観音があり、日本では三十三観音があるという話がありましたが、どのような理由で聖なる数なのか疑問に思いました。
百八は除夜の鐘などでもおなじみの煩悩の数ですが、それ以外にも仏教で古くから重視された数です。とくに仏に対する行法として、仏の名前を108あげて祈る「百八名讃」というのがあり、いろいろの仏が108の異名で賛嘆されたり、108の仏を集めてその名を唱えたりしました。108という数そのものが3の3乗×2の2乗というきれいに分割できる数であることも重要でしょう。三十三観音の方は日本の変化観音の時に取り上げる予定ですが、帝釈天を中心とする神々のグループに三十三天というのがあり、それにならったものといわれています。数を調べると、その仏の起源や性格がわかることがあります。
これまでに見てきた仏像は、みんな人の形をしているようです。神社などには狛犬の像があったりしますが、仏像が動物を連れている例はありますか。
動物が仏像に現れるのは、密教仏にいくつか例があります。いずれも仏や菩薩などが乗ったり踏んだりする例が大半で、文殊が獅子、普賢が象、大威徳明王が水牛、阿弥陀が孔雀などに乗ります。馬頭観音は変化観音のひとつですが、その名前の通り、頭部が馬で、日本では化仏のように小さな馬の首を頭につけています。仏像に現れる動物のモチーフについては、参考書に指定した私の『インド密教の仏たち』でも取り上げています。
特徴は簡単に分類できないというが、壁画などの作り手(彫り師?)らは、何にもとづいてそれらを作ったのか。マトゥラーの弥勒菩薩像には、男性器のようなものがあったようだが、弥勒などに性別は存在したのか。
壁画や彫刻の作者たちが、どのような情報源をもっていたのかは、仏教美術を考える際の重要な問題です。大きく分けて二つあり、ひとつは技術者としての伝統で、もうひとつは文献にもとづく知識です。前者は、何をどのように描くか(あるいは刻むか)というもっとも基本的な技術に関して、師から弟子に受け継がれた伝統です。後者は制作を依頼した仏教徒や僧侶たちが、このように作ってほしいとか、経典のこの記述を参考にしてほしいというような情報が予想されます。インドの仏教美術はこの2つの情報のバランスをどのようにとるかで、ずいぶん様相が異なります。弥勒の性別と性器ですが、基本的に菩薩は男性なので、男性器がついているはずです。マトゥラーもそうですが、グプタ期のサールナートの仏像などは、衣が肌に密着しているのでこのことはよくわかります。ただし、仏の三十二相のひとつに「陰蔵相」というのがあって、仏の男性器は馬のそれの如くであるが、ふだんは牛のように体の中に隠れていて、よくわからないというのがあります。
観音や菩薩がさまざまな印を結んでいますが、印はなぜ結ばれるようになったのですか。そもそも印とは何なのでしょうか。
印はサンスクリットでmudr?(ムドゥラー)といって、インドで古くからあります。ヨーガを行うときも、手の姿勢は重要で、坐法などと並んで、詳しく規定されています。仏教の場合、釈迦の仏伝図像が印の背景にあり、それぞれの場面で釈迦が取っていた手のポーズ(たとえば降魔の時の触地印、初説法の時の転法輪印)などが形式化して、他の仏たちにも登場します。密教では行者が印を結ぶことがよく見られますが、これは仏の姿勢を自分でとることで、仏と一体となる(つまり成仏する)ことを容易にすると考えられています。また、儀礼の中で、特定の所作を表すための象徴的な印も見られ、たとえば、供物をそなえる姿勢を、実際には供物はない状態で、手だけで表したりします。
サールナートとアジャンタ間で、それまでの観音、弥勒が入れ替わったようになっているのは、もしかしたら両者が間違って伝えられたという可能性はないのだろうか。
ひょっとするとそうかもしれませんが、それではあまり発展性がないので、いろいろ考察します。もっとも、観音や弥勒を比定するのは、別の要因(たとえば過去七仏と弥勒)からなので、そのような体系全体が大変換している必要があります(つまり過去七仏の隣には観音が来るようになるとか)。
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