観音の図像と信仰

10月14日の授業への質問・感想



名称ひとつとっても、当て字(文殊、弥勒)であったり、意味にそった付け方(観音/観自在)であったり、違いがあっておもしろいと思った。こうした名称の仕方の違いには、意図があるのでしょうか。たとえば「仏教の教えの中でも重要なのは、意味にそって付ける。そうでないものは当て字」とか・・・。それとも、日本に伝わるまでにたずさわった人の気まぐれですか。

前回の授業では観音の名称について少し時間をかけすぎましたが、サンスクリットというなれない言語でとまどった方も多かったようです。サンスクリットそのものは印欧語の代表的な言語のひとつで、名詞の格変化や動詞の活用などがとても複雑です。しかし、仏の名称程度であれば、それほど多くはありませんし、語尾を変化させることもないので、少し知っておくとその本来の意味などがわかり、便利です。(もちろん本格的に勉強してもらってもいいですが。)仏の名称を意味で訳すか当て字にするかは「気まぐれ」かどうかはわかりませんが、とくに法則はないようです。先週も紹介したように、同じ仏でもその両者が現れる場合があります。阿弥陀仏と無量寿仏や、大日と毘盧遮那などはその例です。仏の種類は大乗仏教まではそれほど多くはありませんが、密教の時代になると、一気に増大します。中国に伝わるときには必ず漢字(つまり中国語)に翻訳されますが、もともとの仏の意味がよくわからないような場合は、当て字にならざるを得なかったようです。さらに、中国には伝わらなかった密教経典もたくさんあり、そのような仏をわれわれが論文などで取り上げるときには、カタカナを用いるしか方法がないこともあります。


ガンダーラの三尊像のあとにマトゥラーの方を見ると、脇侍の扱いが小さいように感じました。菩薩信仰の差と関係するのでしょうか。また、どうして釈迦の脇侍は観音と弥勒が多いのでしょうか。一部、金剛手も現れていましたが、他の菩薩は使われないのでしょうか。

たしかに本尊との大きさの比率が、ガンダーラとマトゥラーとではずいぶん違いますね。マトゥラーの場合、脇侍の二人が菩薩ではなく、単なる従者であると解釈されることもあります。その姿も、ガンダーラの脇侍菩薩に比べると、ずいぶんあっさりとしたというか、質素な身なりで、いわゆる菩薩形の豪華な装身具や衣装は見られません。確かに、菩薩信仰が背景にあるかどうかの違いかもしれません。脇侍に登場する菩薩に観音と弥勒が多いのは、実際の作例から確認できるのですが、その理由は必ずしも明らかではありません。観音が戦士階級、弥勒が聖職者階級を代表する存在と見る研究者もいます。古代インド以来、インドでは社会の支配階級として、この二つがともに重要な存在でした。いわゆるカースト制度(ただしくはヴァルナ制度といいます)の上位の2階級のバラモンとクシャトリアにも対応します。ヒンドゥー教の神の世界でも梵天と帝釈天がこの二つの階級の機能や性格をそなえています。このような解釈はフランスの神話学の泰斗ドゥメジルが唱える「インド・ヨーロッパの神々の三機能説」も背景にあります。脇侍の場合、観音と弥勒以外にも、マトゥラーにあるような観音(あるいは蓮華手)と金剛手の組み合わせもひとつの流れを持っています。また、文殊が現れる例もわずかですがあります。密教の時代になると八大菩薩が四仏の脇侍に分配されることがあり、そこでは観音と弥勒の組み合わせは解消されて、それぞれ別の菩薩と対になります。

 

観音と他の菩薩との見分け方はこれから勉強するとして、ブッダとの見分け方は単に「観音っぽい装飾」だけでよいのでしょうか。豪華な装飾の紛らわしい仏陀や、質素な格好の紛らわしい観音などはいないのですか。

基本的に仏陀(如来)は装身具などはいっさい身につけず、法衣のみをまとい、それに対し、菩薩は頭髪を結い、瓔珞、臂釧、腕釧、腰飾り、条帛、足首飾りなどさまざまな装身具を飾ります。そのため、前者を「仏形」(ぶつぎょう)後者を「菩薩形」(ぼさつぎょう)と呼ぶのですが、確かに、その両者が混同したり、交代したりする場合もあります。バラモンのイメージを基本とする弥勒が装身具を身につけないのは、前回紹介したとおりですし、地蔵は中国や日本では僧侶の姿、すなわち比丘形をとります。また、如来でも密教の大日如来は垂髪すなわち肩までたれた長い髪をそなえ、衣装や装身具も菩薩と同様です。このような大日を「菩薩形の大日」と呼びます。また、基本的には仏形なのですが、宝冠のみをかぶる仏陀像もインドにはあり、宝冠仏と呼ばれます。このような特殊な姿をするのは、仏教図像学のいわば常識破りなので、その理由がいろいろ考察されています。

 

観音が女性的なのは日本の特徴だということに驚きました。男性的と女性的というのは両極端なことのように思えますが、これは日本人が観音に対して求めたものが、他の地域とは違ったということなのでしょうか。

観音のイメージが男性的な女性的というのは、かなり重要なことだと考えているので、授業でもしばしば言及しますが、なぜ中国や日本では女性的なイメージになったのかは、よくわかりません。これからの授業でいろいろ考えていきたいと思います。インドの観音は男性的だと言いましたが、女性的にみえたというコメントもありました。たしかに腰をひねった姿や優美な表情などは女性的な印象を与えるかもしれません。

 

千手観音がインドにないのには驚きました。ということは日本へと移ってくる過程で手が増えたのでしょうか。僕は多数の手を持つ存在としては、古代エジプトの神を思い出します(アテン神?)。あれは太陽から射す光を手に見立ててありました。

千手観音のイメージが成立したのは中国のようですが、チベットやネパールにも作例はあります。おそらく中国から伝播したものでしょう。インドの変化観音はあまり研究がないのですが、最近、私のものも含めていくつかの論文が発表されています。同じ名称をもつ観音でありながら、日本とインドではずいぶん異なるイメージをそなえていることに驚かされます(もちろん、その一方で正確にイメージが伝わった場合もあります)。また、日本や中国ではまったく信仰されていない変化観音がインドにいくつもあることもわかってきました。変化観音のあり方の違いは、この授業のひとつのテーマになると思います。エジプトの太陽神は私も知りませんでしたが、調べたところ「アテン神」で正しく、「先端に手のついた光線をもつ太陽円盤(または太陽球)としてあらわされる。元来は太陽のものをあらわしていたが、新王国時代になり太陽神として神格化され、第18王朝のイクナテン王により唯一神としてアメン神に代わる国家の最高神にまで高められた。」とありました。たしかに円盤のようなところから手がたくさんまわりに伸びたユニークな姿の神様でした。

 

「観ず」という言葉は、「雑念を払って物事の姿を観察して、その本質を悟る」という意味の仏教語として室町時代にとくによく使われた(『時代別国語大辞典 室町編』)。はっきりいつから使われたかはよくわからなくて申し訳ないのですが、「観音」から来ているのかと少し興味を持った。

たしかに「観」というのは重要な仏教用語です。浄土三部経のひとつ『観無量寿経』などでも経題にも含まれ、内容的にも「無量寿仏を観ずる」ことが説かれています。ただし、この場合は「観仏」つまり仏を観想するという一種の瞑想法を意味して、その用語も観音のava-lokとは異なるようです。また「禅観経典」というジャンルの経典もあり、これは「禅観」という、やはり瞑想法というか修行法がテーマとなっています。これらの経典は中央アジアやいわゆるシルクロードで成立したと考えられで、インド内部まではその起源はたどれないようです(したがって「観」の原語は不明なのですが)。観仏や禅観の場合、観想する対象が仏や菩薩なのですが、観音の場合は観察するのはやはり観音の側だと考えられます。

 

インドや日本という広い範囲に、これほどまで仏教信仰が広まったのはどうしてなのかと思った。仏のイメージを生み出したのは誰だったのかと疑問に思った。

基本的にはそういう関心で私も仏教を見ています。仏教が2千年以上にわたって生き続け、しかもそれが生み出した文化的な所産は無限にあります。「イメージを生み出したのは誰」というよりも、「何が生み出したのか」あるいは「なぜ生み出されたのか」に興味があります。授業でもそのような視点から考えて行くつもりです。

 

不空羂索観音立像が、上半分は風化してボロボロだったが、下半分はまるで本物のような足だったのでびっくりした。今、見られる作品の姿よりも、できた当初のものは数段美しかったに違いない。そうした想像とともに作品を鑑賞するのも悪くないと思った。

ご指摘のように、この作品はインドの作品の保存状態を表すために、私もしばしば紹介します。腰から上はずっと風雨や日光にさらされていたのですが、下は土中に埋もれていたようで、実にきれいに残っています。これはたまたま私が調査に行った頃に掘り出されたようですが、一年後に同じところに行ったときは、再び土の中に埋められていました。一番保存するのによいと判断したのでしょう。そういう意味で、貴重な写真なのです。インドの遺跡に行くと、日本の平安時代やそれよりも古い石像などが、ごろごろと散乱している姿を目にすることが多く、胸が痛みます。

 

観音像の特徴として蓮の花を持っていることをあげられたが、腕の数などは変化しているのに、なぜこれだけがまったく変化を見せていないのだろうか。地域の文化、社会によって、都合のいい花に取って代わられてもよかったのではないかと思った。

確かにそのとおりですが、観音と蓮の結びつきはとても強く、日本以外でもチベットやネパールの観音も同じ花を持ちます。このような図像的な特徴が維持されるのは二つの理由があります。ひとつはそのように経典などに規定されているからです。仏像のイメージは適当に作るのではなく、規範があることが多く、しばしば経典やその他の文献に定められています。もうひとつの理由は蓮というのがきわめてシンボリックな花であるからです。古代インドより蓮の花をモティーフとしたデザインが大量に作られましたし、蓮を重視するのはインドだけではなく中東やヨーロッパでも同様です。実際、それほど重要ではないシンボルは異なる文化圏に伝播するときに別のものに置き換えられることがあります。また、同じシンボルであってもインドと日本ではその表現形態はずいぶん異なることがあります(これは蓮でも言えることです)。

 

観音経(詩偈)を読みますと「念彼観音力○○○」という形で、観音の利益がいろいろ述べられて、衆生の声を聞いてくださる慈悲深い菩薩ということは想像できますが、観自在が出てくる般若心経は「五蘊皆空」とか「色即是空 空即是色」というように、どちらかというと哲学的、知的なイメージが強く出てきます。観音は慈悲という面と知的な面と両方持っているのでしょうか。

これはその経典が含まれるジャンルに関係します。観音経を含む法華経は代表的な大乗経典ですが、その中には仏塔崇拝や多仏信仰などさまざまな要素が現れ、いろいろな衆生救済の方法が説かれています。一方、般若心経は般若経典類とよばれるジャンルに属し、「空の思想」を基本としたきわめて哲学的、思弁的な内容を持っています。法華経と般若経は同じ大乗経典でも、説かれた内容や対象が大きく異なります。なお、般若心経は般若経典の中では少し異色の存在で、最後に説かれている陀羅尼が最も重要で、「陀羅尼経典」として、歴史的には流布してきました。般若心経が哲学的な内容を持つというのは、かなり現代的なとらえ方です。


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