浄土教美術の形成と展開
1月31日の授業への質問・感想
*今回は最終回なので、全体を通した感想などもいくつか見られました。カードに書いていただいたものを、原則としてすべて掲載し、私のコメントや回答は最小限にとどめました(一部、掲載を希望しない方のものは掲載していません)。そのかわりに、はじめに少しまとめたコメントを付けておきます。
授業の方は一応、当初予定していたテーマを何とか終わらせましたが、最後の平等院鳳凰堂はやはりずいぶん駆け足になってしまい、かんじんの九品往生図や雲中供養菩薩をゆっくり紹介することができませんでした。また、最後の10分ぐらいでお見せするつもりだった「総集編」のスライドも、時間がなくて断念しました。一番最初の時間にお見せした「浄土教美術の諸相」に、少し手を加えたもので、とくに新しいスライドはないのですが、授業全体をふりかえることができなかったのは残念でした。同じスライドでも、学期のはじめと終わりではずいぶん印象が異なるはずで、この授業で新しく得られた知識をそこで確認していただこうと思ったのですが・・・。授業でも紹介したように、スライドはすべてPowerPointで作成していますので、見ることができる人には、ぜひ入手してほしいと思います。
浄土教美術は日本の仏教美術の中のひとつの大きな流れです。それは中国、中央アジア、さらにインドにまでさかのぼることができますし、日本の中では密教や修験道の美術や、絵巻物、地獄絵、六道絵などとも関係を持ちます。平安後期の末法思想の流行とともに、さまざまな浄土教美術が生まれ、平安末から鎌倉期にいたり、多様な展開を示すことも、興味深い点です。授業ではこれらの流れを追いながら、主要な作品の紹介と、その位置づけ、意義などを明らかにするようにつとめました。とくに、浄土図、当麻曼荼羅、来迎図、往生図、山越阿弥陀、二河白道図などの浄土教の絵画に見られるつながりと変容は、その背景となる浄土教の変質や、さらには日本人の他界観、往生観の変化をも示すものとして、私自身も強く興味を引かれました。
作品の紹介に多くの時間を使った分、その背景となる仏教の教えや、あるいは社会情勢などについての説明が不十分だったと思います。この点は、私自身の勉強不足もあり、反省しています。少なくとも、作品が直接、典拠とする文献の内容を、授業の中で確認しておくことと、平安時代と鎌倉時代の仏教史をもう少し体系的に説明する時間を作っておくべきでした。これらの点に留意して、将来のために少しずつ改善を加えていきたいと思っています(来年度は別のテーマの授業の予定ですが)。
二河白道図を見てると、まさに今でもわたしたちが怖がったりするものがあり、現在と昔の根本的なものがあまり変化していない証拠なようにも思いました。平等院鳳凰堂が浄土教と密教の融合的なモニュメントということにおもしろいと感じたし、何というか今まで感じていた仏教というものの違う側面が見れた気がしました。
六道絵の人道不浄相を順に見ていくと、あぁ、人間はこういうふうに腐るのかあと、素直に納得してしまいました。昔(当時)の人々も、こんなふうに思ったのでしょうか。平等院には一度行ってみたいと思ったのですが、本尊はいつ頃帰ってくるのでしょうか。
平安時代には京都の町の中に死体がごろごろしていたようです。当時の人々にとっては見慣れた光景だったかもしれません。鳳凰堂の阿弥陀如来坐像については、平等院のホームページによれば、今年の7月まで鳳凰堂内部拝観停止とあるので、少なくともそれまでは帰ってこないようです。
二河白道図は構図がわかりやすくておもしろかったです。真言僧を悪役にしてしまったのには驚きました。平等院が浄土教と密教が混ざり合っているとは知らなくて意外でした。きれいなので、ぜひいってみようと思いました。
このほかに、大分県の富貴寺大堂も、浄土図を中心としながら、密教の仏たちを柱などに描いていて、当時の仏教の複合的な性格を表す例として知られています。
平等院鳳凰堂の写真を何枚か見て、今までのイメージが少し変わった。10円玉に描かれたものなどを見て、相当豪華なものを想像していたのだが、案外質素なもので驚いた。
平等院の構造は立体マンダラみたいですね。ネパールとかにもそれに似た寺院があったような・・・。解説を聞いてて、たしかに「あぁ密教だ」と思いました。
自分は平等院鳳凰堂に行ったことがなく、10円玉のイメージしかなかったので、内部の図とかは何か新鮮でした。また、鳳凰堂が浄土教と密接な関係があるということで、お金を持ち歩く自分たちは浄土教に普段から接しているのだなぁーと思いました。
単なる「つっこみ」ですが、べつにお金に描いているからといって、樋口一葉の小説や福沢諭吉の思想に接しているわけではないと思うのですが・・・。
去年は三度も宇治に行ったので、宇治駅や駅前のスライドに見覚えがありました。平等院鳳凰堂は宇治川沿いの道を通ったときに、裏側を眺めただけだったので、内部の構造等が見られてよかったです。が、実際に見ておきたかったと思いました。
やはり10円玉の裏側に常にあるだけあって、平等院鳳凰堂って奥が深いんだなぁと思った。浄土教だけじゃなく、密教の要素も含んでいて、ものすごく興味がわいてきた。浄土教美術だけ取り上げても、複雑でいて、それでもきちんと秩序のある構成なんだと改めて思った。
「プロがとった」という写真、近い地点からぐっと引いてとったのではないでしょうか?影のできかたがものすごく左右に広がっている気がするのですが。
少なくとも私よりは近くでとっているようです。でもそこは池なのですが・・・。少し、高い視点からとっているようなので、足場を組んでいたかもしれません。
数々のグロテスクな写真にびっくりした。
中品中生図(平等院)などの説明で、先生が「落書き」といっていた、あれは本当に落書きなのですか。平等院の浄土教、密教の融合を見ていると、なんていうか、程良いセンスを感じた。それは、極楽浄土に対する熱についても、世界観の厚みに関しても言える気がする。余裕というか。
本当に落書きです。とくに江戸時代の文化文政あたりのものが多いようです。見ると痛ましいばかりです。
手を挙げそこねていましたが、平等院は中学生の頃、一回、おととし友人と一回見に行っています。九品往生図なども見ましたが、何が描いてあるのかわかりませんでした。印象に残っているのは雲中供養菩薩ですが、「雲に乗っててかわいい」とか「何か演奏している」という程度の認識でした。当麻曼荼羅の時も同じことを思ったのですが(当麻寺に見に行ったことがあります)仏教美術は鑑賞の前提となる知識が必要になるのに、私にはそれがほとんどありません。もっと本を読むなりして授業にのぞむべきでした。いろいろ自分で勉強しなければと思いました。とはいえ、おもしろい絵などたくさん見ることができて半年間楽しかったです。
ぜひ、いろいろ勉強して、自分の専門にも生かして下さい。私の授業は仏教の専門家を養成するためのものではなく、仏教を素材としながら、文化のさまざまなあり方を伝え、その魅力を知ってもらうことなので、少しでも刺激になればよかったと思います。
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