浄土教美術の形成と展開

1月24日の授業への質問・感想


悟りの道から呼び戻そうとするお坊さんの絵が印象的でした。宗派による対立というと、カトリックとプロテスタントのことを昔習ったけれど、仏教でもあるものなんですね。
「二河白道図」の中で、悪人としての僧侶の姿が現れるのは、前回取り上げた光明寺本だけのようです。香雪美術館本をはじめとするほとんどの二河白道図では、呼び戻す悪人は俗人の姿となっています。いわゆる鎌倉新仏教が登場したときは、旧仏教やそれと結びついた体制側からはげしい弾圧があり、法然や親鸞、日蓮などが流罪になっています。弾圧された側からの反発も当然強かったようで、とくに日蓮が他宗派をきびしく弾劾した文言などは有名です。仏教美術を正しく理解するためには、単に仏教に関する知識だけではなく、その作品が生まれた社会状況を考慮に入れなければならない格好の事例です。

臨終行儀は死ぬ間際に行ったのでしょうか。絵の中には、ずいぶん元気そうな人もいたので、本当に死ぬの?と思ってしまいました。死ぬ寸前の人には少し見えないです。死ぬ間際には絵を見たり、仏を念じたりできるのでしょうか。それとも、2、3日が山だなぁと思うときに早めに行儀を行っておくのでしょうか。
絵の中に描かれている臨終の人物が、あまりそのように見えないというのはたしかにそうですね。絵巻を描いた絵師が、苦しんだり、衰弱している臨終者の姿を描くことは、地獄絵のような作品があることを考えれば、別にそれほどむずかしくはなかったと思います。それにもかかわらず、臨終の人物が健康な?姿をしているのは、それが来迎の場面と結びついているからでしょう。つまり、臨終行儀で見事に来迎を実現させたような人物は、死の間際で苦しんだりはしないという一種の思いこみがあると思います。絵に描かれているのは必ずしも現実の姿ではなく、フィクションのようなものなのでしょう。死ぬ間際に「正しく」臨終行儀を行えたかどうかもよくわかりませんが、その場合でも取り乱すことがないように二十五三昧講のような協力体制があったはずです。また、早めにやった場合もあったかもしれませんが、実際にいつ亡くなるかは、本人はともかく、まわりにいる人たちもはっきりとはわからないわけですから、早くなったり、遅くなったりすることもあったでしょう。なお、前回のレジメにあげておいた以下の論文には、明恵という有名な真言の僧侶が臨終行儀を行った様子がくわしく紹介されています。それによると、亡くなりそうだったので臨終行儀を行ったが、もう少し亡くなるまでは時間があったので、もう一度行ったことなどが伝えられています。明恵は浄土系の僧侶ではなく、密教なのですが、それでも臨終行儀を行っていることも興味深いところです。彼は熱心な弥勒信者だったため、阿弥陀の来迎ではなく、弥勒の来迎があったそうです。
三宅守常 1999 「中世の臨終行儀と明恵」『大倉山論集』44: 1-40。

地獄極楽図屏風は「なるほど!そして凝ってるなぁ」と思いました。よく見ろとやっぱりおもしろいです。臨終する人がパッと見たら、赤い炎なんかがどうしても怖いだろうと思ってしまいますが(私だったら怖い)もともと自分が救われていると信じることができていれば大丈夫なんですね。そんな教えが広まっていったのもまたおもしろいです。ところで、現代の人は「死」を怖れても「地獄」を怖れる感じではないように思います。いろいろな理由があるとは思いますが、私もときどき仏様に手を合わせるだけで何となく安心しています。これは良いことか悪いことか・・・「浄土教の現在」という感じでなかなか興味深いです。
金戒光明寺の地獄極楽図屏風は、浄土図、往生図、地獄図がすべてまとまって描かれていることと、それと組みになる山越阿弥陀があることが注目されています。最近の研究では授業で紹介したようなとらえ方が提唱されていますが、じっさいに記録が残っていたりするわけではないので、あくまでも推測の域を出ません。授業でも紹介している加須屋氏は、臨終者のみが見るのではなく、そのまわりの人々にとってもこれは重要な絵画であるということを強調しています。つまり、死者を見守る人々にこそ、その救済がたしかであると信じられることが重要だったのです。加須屋氏はそれを「看取り」ということばでとらえています。現代人にとって、地獄への恐怖心が希薄であるというのはたしかにそうですね。死を恐怖の対象としてとらえることと、これは連動しているような感じもします。最近は少し取り上げられることが少なくなりましたが、かつて脳死(さらに臓器移植)に関する論議がさかんだった頃、現代の日本人は死を否定的にしかとらえることができず、苦や消滅というイメージが強いというものがありました。これに対し、たとえばインドなどでは輪廻転生を人々が実際に信じているので、死はけっして生命の終わりではなく、ひとつの区切りにすぎないというような話が紹介されていました。地獄の存在が信じられれるというのは、それ以外の死後の世界も同じように信じられているからで、それが死の恐怖を和らげることにつながるのかもしれません。しかし、戦争や飢餓、虐殺などを繰り返してきた近現代を経験した人類は、もはやこの世の外に地獄を想像する必要がないという見方もあるでしょう。

「六の宮の姫君」について、以前から疑問だったのですが、「きわめて楽しみも悲しみもない人生を送った姫君は、死後、浄土はおろか地獄に行くこともできず、あてどなくさまよう浮遊霊となることしかできなかった」という解釈をよく聞きます(「精一杯生きず、運命に流されるまま受動的に生きて、死後もやはり主体性なくふらふらただよう霊となった」という考え方です。個人主義とかアイデンティティとかの観点からすれば、現代的なストーリーといえましょうか)。しかし、仏教のめざす「悟り」とは「心の平安」だとすれば、極端な喜怒哀楽なくすべてを受け容れていき、死んでいく姫君の生き方は、往生に値するのではないでしょうか。「近代的、日本的な、あるいは芥川的な「幸福」(浄土)のとらえ方はこういうものだ」といってしまえば簡単ですが・・・。
先週、別の授業(「仏教文化論」)の準備のために、『今昔物語集』の観音菩薩関連のところ(第十六巻)を読んでいたら、「六の宮の姫君」のような話がたくさん出てきました(もちろん、芥川は『今昔』を使っています)。観音の功徳や霊験を説く物語ということで、主人公が女性であることが多く、貴族の両親が死んでしまい、没落するというパターンが大半でした。それを読むと、女性たちがいかに主体性がないかということがよくわかります。尋ねてきた男性と成り行きで結ばれて、幸運をつかむ、あるいは災厄から逃れる、それは観音菩薩の御利益であるというのが、ほとんどです。今昔の作者や読者は、このような女性像がむしろ理想的であったのでしょう。しかし、同じような境遇の女性を主人公としながら、芥川はまったく違う結末とします。つまり、最後の臨終の場面で、極楽を表す蓮華や地獄を表す火の車などを、主人公に一瞬見せたあと、「あとは真っ暗なところをただ風が吹いているのしか見えない」という状況で絶命させます。日本人にとっては、極楽はともかく、たとえ地獄であっても、自分が予想しているものであれば、むしろ救われるのかもしれませんが、そのいずれでもないところというのは、耐え難い恐怖だったのではないでしょうか。主人公の主体性というよりも、芥川にとっての死や運命がいかなるものであるかが感じられます。「浮遊霊」を暗示するような「六の宮の姫君」の後日譚は、むしろ余計な部分のような気がします。いろいろな解釈が可能であると思いますが・・・。

山はたしかに日常的な風景でありながら異界であるという「身近な異界」であると思います。その中に阿弥陀仏という聖なる、超越的存在がふっと現れると、意外な感じがします。それは仏を身近に感じるからかもしれませんし、そうした身近なところに異物が現れてぎょっとする不気味さのせいかもしれません。身近な日常の中にふっと現出する非日常とは、良くも悪くも幻想的であり、そういう意味では妖怪なんかに近いかもしれません・・・(実際、ダイダラボッチとか、似たような性質の巨人妖怪もいます)。
ダイダラボッチのような妖怪としてとらえるのもおもしろいですね。日本のあちこちには山に立てられた巨大仏がありますが(近くのものでは加賀温泉駅の北側にも金色の観音があります)、これもその流れを汲むものかもしれません。それはともかく、「異界としての山」というのが「山越阿弥陀」を読み解くキーワードであり、それは来迎図が阿弥陀などの背景として山岳を描くようになったこと(たとえば早来迎)と関係を持つことは、授業の中で紹介したとおりです。また「山越阿弥陀」が月とも関係することも少しふれました。密教の瞑想にある「月輪観」が、阿弥陀の観想と結びついているということです。実際、地平線の近くの月は驚くほど大きく見え、山を背景とするそのイメージは、山越阿弥陀ときわめてよく似ています。さらに、平安時代や鎌倉時代の人々にとって「月」がもつイメージも重要となるでしょう。月は単なる天体ではなく、たとえば真理を表すもの、あるいはそれを見る人の心を映し出すものというとらえ方があったのかもしれません。このあたりは仏教よりも文学の方からいろいろアプローチが可能ではないかと思います。

「死」を儀式化することで、悲しみを忘れるという側面もあるのかなぁと思いました。来迎にしても「死」というのを祝福している気がしました。
そういうところもあるでしょう。それは死者のためというよりも、むしろ残された者たちにとって重要なプロセスだったはずです。現代でも葬儀や法要という儀式が死に続いて行われるのは、死者を悼むだけではなく、残されたものが心理的、あるいは社会的に何らかの「救い」となるからです。


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