浄土教美術の形成と展開

10月25日の授業への質問・感想

浄土教は侮れないと思いました。キケン・・・。

そうです。浄土教はなかなか手強いです。それだからこそ、授業で取り上げているのですが。

練り供養はとても興味深いです。セットや見た目が狂言などに出てきそうな感じに思われました。一度見に行ってみたいです。いつ頃行われているんですか。

当麻寺は5月14日です。前に資料で紹介した即成院は10月第三日曜でした。現在も練り供養が行われているのは近畿地方や中国、四国地方にほぼ限られていますが、比較的近いところでは、愛知県海部郡美和町の蓮華寺(4月第三日曜)、三重県上野市の西蓮寺(4月12日、ただし5年ごとで今年あったようです)があります。練り供養と芸能の関係は、歌舞伎の花道などをあげて他にも指摘がありましたが、私自身はよくわかりません。練り供養の回までに、できれば調べてみます。

 

授業を聞いて、自分の知らないことというか、勉強不足がわかりました。仏教のシステムがよくわかっていないので、後半の方はほとんどわかりませんでした。あと、宗派によって、どの部分が違うのかってのが、イマイチ見えてこないです。

わからないことは「わからない」と言ってくれる方が、こちらもやりやすいです。仏教とは何かをここで簡単に説明するのはなかなかむずかしいので、入門書のような参考文献を読んでみて下さい。そのとき気をつけてほしいのは、世の中に仏教関係の本は無数にありますが、いいかげんなものやあてにならないものがたくさんあります。中には読まない方がましというのもあります。内容のたしかそうなものを選んで下さい。必要なら、情報を差し上げますが、出版社がしっかりしているもの(宗教団体関係ではないとか、安易なビジネス書を出しているところではないなど)を、とりあえず見ればいいと思います。岩波新書などの老舗の新書が最初は手頃でしょう。

 

法蔵菩薩が五劫思惟して、阿弥陀仏になって、さらに十劫たっているという、その時間の経過に思いをはせると・・・というか、そんな時間に思いをはせることができません。でも、もうわれわれは救済されていると思うと、まぁいいかと思いました。

ほんとうにそうですね。劫というは天文学的な時間の単位で、百万年とか何億年といった長さなのですが、むしろわれわれの思慮を超越していると思った方がいいのでしょう。浄土教の経典や典籍に、法蔵菩薩がもう成仏して、極楽でわれわれを待っていてくれるという記述を知った法然や親鸞などの浄土教の高僧たちは、さぞかし驚いたでしょう。たしかに「まぁいいか」という気になります。

 

阿弥陀もかつては菩薩だったことは何か意外でおもしろく思いました。浄土教、真宗では念仏を唱える必要性さえ薄くなっていると言われましたが、お経を唱えることはどうなのですか。

同じ浄土教といっても、法然の浄土宗と親鸞の浄土真宗徒では、救済のあり方がずいぶん違います。法然は「 専修 ( せんじゅ ) 念仏」という立場をとり、念仏を重視したのに対し、親鸞は「弥陀の本願への信心」つまり、法蔵菩薩の四十八願に対して、絶対的な信頼をもつことを他力の信仰と考えました。このような信仰心をもつ人は、阿弥陀の無差別的な愛情によって救済されることが決まっているのです(これを「弥陀の摂取不捨の御心により、 正定聚 ( しょうじょうじゅ ) の位に住する」と言います)。そこでは来迎や臨終行儀のようなことも不要になります。お経を唱えることは仏教儀礼の基本的な要素であり、このような信仰のレベルとは別の問題になります。浄土宗や浄土真宗の儀礼は、南都仏教や天台の中に伝わるそれまでの伝統的な法会に、自分たちの新たな要素(その中に念仏も含まれます)を組み合わせて、作り出されているようです。宗教というのは個人の内面的な信仰だけでは成り立たず、儀礼のような形式的な行為が必ず必要となります。

 

現実世界から極楽浄土への道の描かれた絵を見て、また来迎図などをたくさん見て、そういえば地獄絵図が出たのは、いつだったろうと考えたが、思い出せなかった。来迎図の構図の変化もそうだが、どのような背景をもって生まれてくるのか興味深かった。

地獄を描いたものとしては、平安時代の「地獄草紙」が古いのですが、それを除けば、源信の『往生要集』が著されてから、そこに説かれる六道すなわち、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の世界を描いた「六道絵」や、これに閻魔王庁などを描いた「十王図」からはじまります。この2つを組み合わせたものもあります。いずれも13世紀以降のものとなりますが、時代によって、表現方法や地獄のとらえ方などに違いがあっておもしろいです。地獄を描くというのは芥川の『地獄変』のように、そこに描かれた内容や描く絵師の方に興味が向きますが、地獄図を飾って行う法会なども平安時代以来あり、どのように用いられたかという点でも興味深い対象です。二河白道図のときに六道絵なども取り上げるつもりです。

 

斜め向きの来迎図で、左上から右下に向かって菩薩たちが来るのは、絵巻の表現と重なりおもしろいです。絵巻は通常、画面右→左に流れていくのですが、それと逆行する左→右の流れや、真正面を向いた図は、何かの異変、神変等の重大事を意味するのだそうです。正面向きの来迎図にしても、斜め向きの来迎図の説話性とも関連するのですね。

絵巻の画面の法則としてたしかにそういうことはあります。ただ、来迎図の斜め構図と、「法然上人絵伝」のような来迎を描いた絵巻とは、前後関係からすれば、来迎図の方が先のような気がします。正面向きの絵が絵巻の中に現れるのも、「信貴山縁起絵巻」の大仏殿の場面のように仏像を表現するようなところでも用いられます。これらはむしろ絵巻に取り込まれる個々の図像表現の伝統が、そのまま現れているとも見ることができます。

 

「二河白道図」において、この世とあの世をつなぐ橋は、なぜあれほど細いのだろうか?少しシビアな感じがしました。

人生とはシビアなものですね(橋を渡るのは死んだ後なのですが)。それはともかく、二河白道図は中国の善導の著作を典拠としますが、むしろそれまでの来迎図と異なり、三つの世界を登場人物が移動するというプロセスが表されているのが重要でしょう。橋がどんなに細くても、こちらの世界では釈迦に励まされて出発し、極楽では阿弥陀が待っていてくれます。二河白道図のヴァリエーションとして、この三つの要素である橋と釈迦と阿弥陀だけを描いたものも、時宗で流行しました。来迎図が受動的な往生だとすると、二河白道図は能動的な往生ととらえられます。ただし、それは釈迦と阿弥陀によって保証されているのですが。

 

阿弥陀浄土図は、近景が上から見た視点、中心の仏などが正面から見た視点、天上の風景(?)が下から見上げた視点で描かれているようですが、一点透視図法に近いものを感じました。絵として奥行きがありますし、一種の遠近法と考えてよいのでしょうか。

前期の仏教学特殊講義「仏教の空間論」でも取り上げましたが、浄土図のような空間表現ももちろん遠近法です。ただし、われわれのよく知っているひとつの消失点をもつ線遠近法とは異なり、建物や舞台の線を延ばしていくと、中心を通る垂直線に並ぶ方法です。これもルネッサンス以前の遠近法として、キリスト教絵画などにもよく見られ、インドの絵画や日本の絵巻物などにも共通です。図学では「魚の骨的構成」というそうです。遠近法というのは一種類ではなく、これらを含め、さまざまなものがあるのです。


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