ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

7月4日の授業への質問・感想


距離、気候が変わったほどには、仏像の形式は変わっていなくて驚きました。ボロブドゥールについては、立体マンダラというふうには聞いていましたが、構造よりレリーフの方が重要なように思えました。チベットの方はああいう説話的な部分が少なくて、もっと位置関係に左右される部分が大きいような気がしました。
たしかにジャワ島の仏教美術は、おどろくほどインドのものに似ています。それは、今回取り上げるクメール(カンボジア)のものが、同じ東南アジアでありながら、まったく別の姿にかわったことと対照的です。その理由は両者の歴史的背景、風土、気候、民族性、地理的条件などさまざまなことが考えられますが、そこから文化のあり方のようなものを考えてみようと思います。ボロブドゥールが立体マンダラであるという説明は、昔からしばしば見られるようですが、実際は、授業で紹介したように、もっと複合的です。基本にあるのは仏教の世界観ですが、それも大乗仏教の代表的な経典である『華厳経』と密接な関係があります。また、レリーフに見られる説話的なモチーフは、一般の信者のために刻まれたとは思えず、その目的や機能もよくわかりません。このようなことも、いろいろ考えてみると、おもしろいですね。なお、授業ではほとんど取り上げませんでしたが、チベットの美術でも説話的な素材があらわれます。たとえば、釈迦の仏伝やジャータカ図は、チベットでも好まれた主題で、壁画やタンカの形で多くの作品が残っています。ボロブドゥールのレリーフと同じ『華厳経』「入法界品」の内容も、西チベットのタボ寺というお寺の壁画に有名な作品があります。

気候のせいでしょうか、全体的にインドネシア・ジャワ島の仏像(とくに女性像)は、チベットに比べて華やかな印象を受けました。チベットは迫り来るような派手さが魅力でしたが、おおらかな感じのこの地域の美術もすてきです。
インドやチベットと同じ特徴を備えていても、インドネシアには独自の様式があるのもたしかです。インドネシアの仏教美術は、あまり日本に紹介されることがないのですが、もっと注目されてもいい分野だと思います。女性像(あるいは女性美)をどのように表現するかは、ほんとうに地域によって異なります。インドの豊満な肉体を持った女性像は、中国や日本ではおそらく受け入れられなかったでしょうし、逆に、東アジアの清楚の女性像は、インド人の目には、ほとんど魅力的にはうつらなかったと思われます。それは今回のカンボジアでも同様です。西洋美術でも女性像やその裸体像は好まれた主題です。聖書やギリシャ神話の物語を借りて、多くの作品が生み出されました。有名な美術史家のケネス・クラークに『ザ・ヌード』(美術出版社)という本がありますが、これは西洋美術における裸体表現をきわめてまじめに取り上げた名著です。

欠損が生じている四臂観音立像は、中は空洞のように見えたのですが、他のものはたいてい、中まで詰まっていますよね。銀製だからとか、あるんでしょうか。
残念ながら、銀製以外でも鋳型で作ったブロンズなどの仏像は、ほとんど中は空洞、すなわち中空です。とくに銀だからというわけではありません。銅も銀も貴重なのです。まれに中の詰まったものがありますが(無垢といいます)、小像に限られます。仏というのは金色のすがたをしているのが基本なので、素材としても金を使うのが理想なのですが、そうそう入手できるものではありませんので、インドでも他の国(日本も同様)でも、金属製の仏像で多いのはブロンズ(青銅)です。チベットでは表面に鍍金(ときん)をしたものが多いので、金ぴかなのですが、それは表だけです。これを金銅仏といいます。

チベットが中国の影響を色濃く受けたのに対して、インドネシアでは東南アジアを通じてインドの影響を受け続けたようで、南北にキレイに分かれた仏教の伝播ルートが、絵画や仏像を通してみられるのがおもしろいと思いました。
たしかに、チベットの場合、中国の影響は絶対的に大きかったようです。しかし、東南アジアもヴェトナムに見られるように、中国の文化は古来、強力に入り込んできています。現在でも、華僑の人々の最も重要な活動の場はおそらく東南アジアでしょう。それにもかかわらず、東南アジアの仏像は、あまり中国的な様式は見られません。それよりも、インドネシアやカンボジアでも古い時代はインドとの結びつきが顕著ですし、タイは独自の様式を持ち、それがカンボジアにも影響を与えています。チベットの場合、ダライラマ政権に見られるように、政治的にも中国とは強固な関係を築いたことが、美術においても影響を受けた大きな要因だったと思いますが、はたしてそれを政治という現実的なレベルでのみ説明することが妥当かどうかは検討が必要です。

ボロブドゥールは聞いたことがある程度で、ほとんど知らなかったのですが、その大きさには驚きました。仏教遺跡は規模が大きくて、キリスト教の教会の比ではないくらいです。多神教ということもあるのだろうかと思いました。
今回のアンコールワットも巨大な遺跡で、それに比べればボロブドゥールはむしろつつましやかという感じさえ受けます。古代の遺跡は、ピラミッドや古墳に見られるように、巨大な墳墓の建造物が多いのですが、それはこれらが「神の家」や「仏の世界」を表していることにもよるのでしょう。その点では、キリスト教の教会も、伝統的に「地上に現れた神の家」を表すと言われるので、よく似た状況にあります。ボロブドゥールやアンコールワットは墓ではありませんが、仏の世界を現実に再現しようという意図や、王という強大な権力者がみずからを神や仏と同一視することが、その背景にあるようです。


別に知識はないが、東南アジアは彼らだけの特徴ある美術品があると勝手に思っていた。今日見てみたように、こんなにもインドから伝わったことがはっきりしているなんて思わなかった。
インドネシアの美術だけを見ていたら、おそらく、この地域のものはこのようなものなのだろうと思って終わってしまいますが、インドやチベットとの対比から、その共通点や相違点がしばしば浮彫になります。仏教美術を考える場合、チベットでもネパールでも東南アジアでも、やはりインドの仏教美術が基本になることも、これらの作品からもよくわかります。文化というものは単独で存在しているのではなく、つねに周囲の文化と交渉を持ちながら変化していることを理解してもらえるといいと思います。


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