ヒマラヤと東南アジアの仏教美術
6月20日の授業への質問・感想
今回のツォクシンは非常に興味深いものでした。中央にツォンカパ(もしくは釈迦)がいて、そこに向かってなみいる名僧が注目している。構図としてすごいと思いました。そこで疑問に思ったのですが、中央にもっとも主要な人物がいるのなら、やはりそこを中心として、同心円上にランク付けされているのでしょうか。
ツォクシンを以前に調べたとき、私が注目したのもその点でした。先回配布した論文の最後にもまとめてありますが、ツォクシンは基本的には同心円上の構図を取りません。上下の垂直軸が基本となり、仏たちは上から下に、順に位が高いものから低いものへと並びます。むしろ、前々回取り上げたペンコルチョルテンの各階の内容と同様に、ピラミッド状に組み立てられているということもできます。これは、マンダラに見られるような中心をもち、同心円状に仏たちが配される構図とは全く異なります。さらに、チベットのタンカにしばしば現れる祖師たちが、これらの仏たちとは別に、しかも彼らよりも上部の空中に現れます。以前から強調しているように、インドの絵画や彫刻では祖師に当たる人物像は、単独でも集団でも現れることがありません。これは、インドの宗教美術が、祖師のような歴史的な存在に対して無関心だったことによるのでしょう。以上のようなチベット独自のタンカの画面構成については、以前に「解体されるマンダラ:タンカの画面構成に関する一考察」『加藤純章博士還暦記念論集 アビダルマ仏教とインド思想』春秋社 2000年10月、pp. 373-386という論文を書きました。関心がある方は読んでみてください。この授業に出席していれば、内容はそれほど難しくないはずです。
装飾という目的以外で、ツォンカパに一本の樹木が描かれている理由は、どんなものがあるのでしょうか。
ツォクシンのように樹木の中に仏や人々を描いた絵が、なぜ現れたかはよくわかりません。基本的な構図は浄土図をベースにして、それに世界樹のようなコスモロジカルなものを背景に加えたのではないかと思いますが、ツォクシンには古い時代の作例があまりないので、成立の過程が不明です。樹木が仏教絵画に現れる例としては、インドの如意樹があります。望みを何でもかなえてくれる魔法の木で、マンダラにも描かれます。これも起源のひとつにあげることができるかもしれません。ツォクシンについては数回、学会で発表したことがあり、そのときの質問やコメントで、中央アジアにやはり樹木を仏の背景に描いたものがあることや、キリスト教の絵画に「エッサイの木」といって、樹系図のような主題があって、よく似ているといったものもありました。キリスト教の影響を受けたとはあまり思えませんが。
前回のペンコルチョルテンなど、チベット密教は古いものよりも新しいものを発展した教えとして位階が高いものとしていたと理解しています。ですが、サキャ派の祖師像や今回のパンチェンラマ1世と前生者の図など、インドに近い前生者ほど、絵の中で高い位置に描かれているようにも思われます。その点で新しいもの、古いものに対する考え方に矛盾が生じているようにも思われますし、僕自身もよく理解できていません。
難しい問題ですね。ペンコルチョルテンで上の階の方が、密教の発展段階の進んだものになっていくというのはそのとおりなのですが、チベット人たちはこれを歴史的な発展とか「古いもの」「新しいもの」という捉え方はしていなかったのではないかと思います。チベットではインドで段階的に発展していった密教の教えを、まとめて受容することができましたので、それを理解し、体系づけるために、たとえば前に紹介した「タントラの4分類」のような枠組みを用いました。これは経典に説かれる内容や、マンダラの構造などにもとづくのですが、このようなものは、われわれの視点から見れば、「歴史的な発展」に大きく関わっています。チベット人が「より優れた教え」として、後期の密教をとらえたとしても、それはわれわれの見る「歴史的な発展」とは異なるのです。前生者の配列がインドを上位に置くのは、むしろ、チベット人たちにとって、過去の人ほど優れた人という、一種の「古き良き時代」志向にもとづくでしょうし、それは日本でも同様で、各宗派は自分たちの教えの源として、龍樹や世親のようなインドの祖師たちをあげます。その教えを忠実に伝えたのが、各宗派の開祖たちであるという、一種の権威となります。
先週までは人の手のひらは赤かったと思いますが、今週の分になると、白いのはやはり中国の影響なのでしょうか。
わたしもそれに気が付きましたが、前々回の作品とは200年ほど時代差があるので、どの時点で白くなったのかよくわかりません。中国の影響を受けた新メンリ派の作品でも、忿怒尊などはまだ赤い手のひらをしているようです。中国的な写実的な表現が、現実の人間に対しては適用されたということでしょうか。
パンチェンラマが2世、3世となっていうのはわかるけど、さかのぼって前生者を見つけていくのは意外でした。パンチェンラマ1世とその前生者たちを描いた赤っぽい作品がありますが、よく、上がインドで下がチベットなど特定できるなぁと思わされました。
このようにインドにまでさかのぼる前生者の絵のセットは、あまり他にはありませんが、パンチェンラマとならび、ダライラマのものがあります。おそらく同時期の成立と考えられて、研究もいくつかあります。そこにもやはり、ダライラマの前生者がどんどんさかのぼって現れ、中には吐蕃時代のソンツェンガンポなども登場します。これは、ダライラマ政権が吐蕃時代といういわば古代チベットの黄金時代を再現しているというイデオロギー的な要素もあるからです。実際の作例はダライラマよりもパンチェンラマの方が圧倒的に多いようです。その理由はよくわかりませんが、パンチェンラマの持住の寺であるタシルンポ寺で、このタンカセットの複製をさかんに制作したことや、前回紹介したように、セットの中から人物像を切り取り、別の作品に仕立て上げるということが頻繁におこなわれたからでしょう。「パンチェンラマ1世とその前生者たちを描いた赤っぽい作品」は、インドとチベットの人物の分類は、着ているものなどから可能ですが、個々の人物の比定は、私自身もよくわかりませんでした。これはチューイン・ギャンツォの真作として紹介されている作品で、もしそれが正しければ、チューイン・ギャンツォが「パンチェンラマの前生者のタンカ・セット」を制作する前の、まだそれぞれの前生者の図像が固定化される前の作品であったのかもしれません。
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