ヒマラヤと東南アジアの仏教美術
6月6日の授業への質問・感想
ソナムツェモとタクパゲルツェンの二人のサキャ派の祖師図でのインドの行者の描かれ方に驚かされました。踊ったり女性を侍らせたり・・・。行者というものは禁欲など過酷な修行をしているものなのではないのですか。
たしかに行者らしからぬ行者たちです。インドでもオーソドックスな修行者は、仏教でもヒンドゥー教でも禁欲や清貧を基本としますので、このような姿で表されることはありません。釈迦が衣だけを身につけた姿で表されるのも、世俗的な快楽や欲望をすべて放棄しているからです。しかし、密教の時代には、そのような現世拒否的な姿勢とは正反対の行者たちが現れました。彼らは従来の仏教では厳しく禁じられていた性交や飲酒、場合によっては殺人なども肯定し、それどころか、このような破戒行為そのものが宗教的な悟りに至る最適な手段であるとさえも説きました。彼らは成就者(シッダ)とも呼ばれ、修行の結果として得られる特殊な能力は「シッディ」(成就)といいます。彼らは僧院には所属せず、世俗の人々の中で暮らし、妻帯し、子どもを持つことも一般的でした。このような成就者については、さまざまな伝説が伝えられ、有名なものに『八十四成就者伝』などがあります。この文献は『八十四人の密教行者』(春秋社)として和訳も出ていますが、仏教の「浄く正しい」行者の姿を想像して読むと、卒倒するような内容です。祖師図に描かれた行者たちも、この中に含まれています。また、八十四成就者そのものもチベットのタンカで好まれた題材で、一枚に複数の成就者を描いたセットが残されています。
一枚のタンカに仏についての教えを伝えた人を最初から最後の人まで、ずらっと描くのはすごいと思いました。ラマ教だけのことはあるなと思いました。
祖師たちを並べて教えの系譜をイメージ化することは、チベットの仏教美術、とくにタンカの大きな特徴です。タンカでは、この作例と同じように、主題となる仏や祖師、マンダラなどのまわりに、教えの系譜が描かれることが一般的です。「集会樹」と呼ばれる独特の形式のタンカでは、このような教えの系譜そのものが、樹系図のようなイメージで表現されています。このような特徴は、インドの仏教美術との形式上の比較をする上でも、重要と考えています。インドではこのような祖師の像を単独で描くこともありませんでしたし、系譜図のような形で表すことも皆無です。これは、インドという国が歴史的な観念にきわめて乏しいことと関係すると思います。インドは「歴史書なき国」とも呼ばれることもあり、そのお隣の中国で、古代以来、膨大な量の史書が生み出されたことと、著しい対比を示しています。チベットもどちらかといえば歴史を重視する傾向があり、文献資料もよく残されています。ただし、チベットのタンカに教えの系譜が描かれるのは、密教における教えの伝わり方にも関係づけられるかもしれません。密教はその名の通り、師から弟子へとその教えが秘密裏に伝えられます。そのため、自分に伝えられた教えが、どのような経路をたどったかが重視されます。日本密教でも、寺院の中には「真言八祖」と呼ばれる、8人の祖師像が置かれていますし、教えの系譜を示す家系図のようなものが多く残されています。このような系譜を「血脈」(けちみゃく)といいます。師と弟子は血を分けた親子のようなものなのです。
祖師像の人物はどこかに必ず赤い衣を付けているように思えたが、高僧のあかしなのだろうか。
赤い衣はチベットの仏教では、宗派の別を超えて着用されている衣の色です。日本ではお坊さんの衣は「墨染めの衣」が一般的ですが、チベットのお坊さんたちはこのような色の衣を身につけています。内側には黄色い衣も着ていて、襟のあたりからのぞいています。また、寒い国ですから、一番外側にはガウンのような厚手の衣もまといますが、これも赤(というよりえんじ色)をしています。ソナムツェモとタクパゲルツェンが着ている衣装が赤くないのは、授業でも紹介したように、彼らが出家僧ではなく、在家の修行者であったことに由来します。
赤の色彩を際だたせるために、緑色を取り入れてコントラストを出すというのが、細かい美術的な技法だと思いました。ほとんどの絵画に出ているつる草は、チベットやネパールで一般的な植物なのですか。
赤と緑が補色の関係にあるので、コントラストができて画面にメリハリがつくということを授業でお話ししましたが、これはキリスト教の絵画でも見られます。キリストの母であるマリアは、キリスト教図像学では外側が緑(深緑)、内側が赤というガウンをまとっていることが決まっています。それぞれの色には教義的な意味が与えられていますが、それ以前に、すでに視覚的な効果をねらって塗られていたのでしょう。ダ・ヴィンチもラファエロもミケランジェロも、それぞれ独自のマリアを描いていますが、衣装の基本的な配色は同じです。つる草については、おそらくチベットにもネパールにも実際にはない植物だと思います。装飾文様としてすでに確立していたものを、洗練させていったようで、そのピークが14、5世紀の中央チベットだったようです。その起源はおそらくインドにあると思いますが、前々回の授業で取り上げたパーラ朝では、あまり見られません。一昨年、西インドのグジャラート州やラージャスタン州に調査に行ったのですが、そこのヒンドゥー教の寺院によく似た装飾文様がありました。ひょっとしたら、そのあたりと関係があるのかもしれません。
ゴル寺のマンダラを作成するのに、わざわざネパールから職人を呼ばなければならなかったのでしょうか。チベットでは、あれほどすばらしいものはできなかったのでしょうか。
おそらく、この時代、タンカを描く技術はネパールの方が進んでいたのでしょう。この時代の中央チベットの絵画にネパール様式の影響が顕著なのは、単に漫然と様式が伝わったのではなく、職人の移動が頻繁にあったことが大きな要因としてあげられます。ゴル寺のマンダラ集は、そこに描かれたマンダラそのものにも、ネパールの仏教が深く関与しています(これについては前回の配付資料参照)。単にネパールの方が技術的にすぐれているというだけではなく、ネパール仏教とより密接な関係があったことがその背景にあったこともわかっています。チベットとネパールとの文化的な交流は、きわめて緊密でしたし、それは両地域の歴史を通じて一貫しています。なお、今回紹介するペンコル・チューデ仏塔の壁画は、ゴル寺のマンダラ集よりも少し時代が下りますが、そこではネパール的な様式が残りつつも、チベット独自の様式として十分消化されたすぐれた作品が見られます。
マンダラを見ていて、中心から四色に区切られているものが多かったので、それぞれの色に意味があるのかなぁと思いました。
マンダラの背景の色は、仏たちの住む世界の地面の色を表しています。マンダラそのものは四角い枠で囲まれていますが、これは仏たちの住む建物です。日本に伝わった金剛界や胎蔵マンダラでは、地面の色を四方で塗り分けることはありませんでしたが、インドの後期密教や、チベットのマンダラでは、対角線によって区切られた四つの区画に、東に白、南に黄色、西に赤、北に緑の各色が塗られていることが多いです。これは、四方に描かれる四人の仏、すなわち、大日、宝生、阿弥陀、不空成就の描く仏の身体の色に一致しています。また、後世の時輪マンダラというマンダラでは、これとは異なる配色となります。これは仏たちの住む世界の基礎となっている須弥山(しゅみせん)という山が、各方角でそれぞれ異なる宝石で覆われていて、それが輝いていると説明されます。
いつも思っていたのですが、今週はとくにマンダラの精密性に驚かされました。スライド番号18のマンダラは、写すことすらできないと感じました。ここまで細かいと研究者は洞察力が必要になりそうですね。
マンダラを見ると、多くの人が同じように感じるようです。幾何学的な模様の中に、仏などの姿が細密画のように細かく描かれていて、それだけで圧倒されるようです。実際はマンダラの輪郭線は、線を引く方法が厳格に定められていて、それに従って長さを測って描いていきます。マニュアル通りに実行すれば、とくに技術や芸術性を必要とするわけではありません。私でもパソコンを使って線を引くことができます。問題はその中に描く仏や装飾で、これはたしかに相当の技量がないと描くことができません。ただし、チベットのマンダラを見ると、とくに新しい作品では、明らかに手抜きの稚拙な絵が多く見られます。仏ひとりひとりの大きさが小さくて、しかもたくさん描かなければならないだけに、丁寧に描かれたものはまれです。その中で、ゴル寺のマンダラ集は細部に至るまで全く手を抜かず、実にしっかりと描かれています。15世紀初頭にサキャ派の高僧の指示のもとで、ネパールの絵師によって描かれた由緒ある作品として、チベットのマンダラの中でも屈指の作品なのです。全体がそろっていないのが残念ですが、現存する作品は、いずれも美術館や展覧会などの目玉にもなっています。
いくら歴史上重要な高僧でも仏ではないのに、こんなに豪華な装飾で描かれるなんて贅沢だなと思いました。このように僧が持ち上げられることで、仏の価値が下がるのではとも考えましたが、僧ではなく仏と同じくらい尊いものとして扱われていたのだと思いました。サキャ派の僧たちがみんな同じ印を結んでいるのはなぜですか。ターラーの緑には何か意味があるのですか。
チベットのタンカで最も興味深いテーマのひとつが祖師図で、解釈するためには歴史的な知識や、それぞれの宗派についての情報が必要となります。現存する祖師図には名前もわからないような作品もたくさんあります。また、中心の人物は有名でも、まわりに描かれた人々まではなかなかわからないことが多いようです。欧米のチベット美術研究家も祖師図を取り上げる人がたくさんいます。サキャ派の高僧が結んでいる印は転法輪印ですが、なぜこの印を結ぶのかはよくわかりません。ゲルク派の開祖ツォンカパは両手に蓮華を持ち、その上に剣と経典を載せているのですが、これはツォンカパが文殊の生まれ変わりと信じられているためです。サキャ派の場合も、何かそのような背景があるのかもしれません。ターラーが緑色をしているのはインド以来の伝統で、文献にも明記されています。この色はおそらくターラーのパートナーである不空成就の身体の色を踏襲したものです。ターラーの身体の色は、他に白い場合などがありますが、緑のターラーはこれらの中で最も位が高いと言われています。
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