ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

5月16日の授業への質問・感想


チベットという場所は地図で見るだけでも、たいへんなところだと思います。中国やカシミール地方に囲まれ、高所に位置する。まわりを海に囲まれ、高くなく、歴史的にも、ほとんど外国からの侵略を受けていないわれわれ日本人では、そのたいへんさはよくわかりませんが、そういうところだからこそ、人の救いとなる宗教がより発展し、それを彩る美術も多数生まれたのかもしれないと感じました。
そのとおりですね。チベットの美術が極彩色で描かれるのは、そのまわりが荒涼とした環境であることと、関係があるかもしれません。インドのラダックもそうでしたが、およそ日本にはないような広大な景観の中で、絶壁に張り付くように僧院が建っています。その外観も、白や黒を基調としたモノトーンであることが多いのですが、一歩、中にはいると、壁も天井も一切の余白を許さないような極色彩の世界が広がっています。仏像も金ぴかで、ほんものの豪華な衣装を実際に身に付けているものも多くあります。外界とのこのようなコントラストは、中央アジアの砂漠の中の仏教遺跡でもよく見られます。ただし、チベットのすべての地域が荒涼としているわけではなく、とくに南部では農業や遊牧が一般的で、緑が豊かな地域が広がっています。

映画「クンドゥン」でも美しい砂マンダラが印象的でしたが、なぜ、あえて砂で描くことになったのでしょうか(砂が身近にあって豊富だから?)。砂マンダラは完成しても、崩して川に流してしまうはずですが、これも一種の儀式なのですか。
砂マンダラと一般に呼ばれているマンダラは、チベットのオリジナルではなく、インドの密教ですでに確立した形式です。われわれ日本人にとって、マンダラとは掛け軸の形式の仏画であるという理解が一般的ですが、本来、マンダラは地面の上に作られました。マンダラは密教の儀礼のひとつである灌頂(かんじょう)で用いられるため、そのために準備され、灌頂が終わると壊すことがきまりです。仏教的な理解として、すべてのものは無常であり、仏の世界を描いたマンダラであっても、その例外ではないと、一般書などには書いてありますが、むしろ、このような儀礼の装置や設備は、儀礼の終了時には壊すことが、インドでは正統的な考え方なのです。逆に、マンダラを作ることも、儀礼の重要なプロセスと見なされます。なお、砂マンダラと一般に呼ばれるものは、砂というよりも、岩石を砕いて作った粒状の物質を使います。インド密教の文献によれば、財力があるものは、赤はルビー、青はラピスラズリといった宝石を用いるのがよいとのことです。マンダラと儀礼については、私の『マンダラの密教儀礼』(春秋社)のなかで、くわしく説明しているので、読んでみてください。

「西の要素」と聞いても、あまり具体的なイメージが浮かばないのですが、たとえばどんな作品があるのですか。
いちばん密接な関係があるのが、カシミール地方の美術です。これはリンチェンサンポがカシミールの工人たちを招いて、ラダックなどの西チベットの寺院を造らせたことによります。カシミールは大乗仏教の時代から、インド北部の仏教の重要な拠点でしたが、美術作品も多く作られ、それらはいずれも、インドの他の地域とは異なる独自の様式を持っていました。スライドの中にも、カシミールのブロンズをひとつ入れておきました。さらに、アルチ寺の三層堂壁画に数多く見られるのですが、王侯貴族などの世俗の人々を描いた絵には、現在のパキスタン、アフガニスタン、イランなどのイスラーム世界でしばしば見られる人物表現があらわれます。イスラーム美術はインドでも細密画やモスクなどで見ることができますが、ラダックのものはそれよりもずっと早い時代に、すでにこの地で文化の交流があったことを示しています。

「ナクタンの前で、怖い儀式をした」と先生が授業中にいいましたが、具体的にどのようなものですか。仏教に怖い儀式があるんですか。
「怖い儀式」というのは漠然とした説明で、わかりにくかったかもしれません。具体的には呪殺のような儀礼です。密教では儀礼が特定の目的のために行われることがありますが、その目的のひとつに、このような黒魔術があります。日本では調伏(ちょうぶく)とか、降伏(ごうぶく)と呼ばれ、護摩(ごま)の種類のひとつとして、平安時代以来、しばしば実践されてきました。怨敵退散(おんてきたいさん)という言葉もあります。チベットでもこのような儀礼がインドから伝わり、さらにチベットの土着的な宗教とも結びついて、さまざまな「怖い儀礼」があったようです。これらの儀礼では特定の忿怒尊に祈願して、その力を発揮してもらうのですが、そのための儀礼の場にナクタンが懸けられます。仏教の教えとこのような儀礼は矛盾すると思われるかもしれませんが、それなりに正当化しています。たとえば、どんなに悪しき者たちであっても、仏の慈悲の力によって命が奪われれば、それが逆に功徳になるといった具合です。当の「悪人」とされた人たちにとっては、とんでもない論理ですが。

タンカやマンダラ等、写実性や現実的な遠近感より、テーマをはっきり表す、つまり、仏を描ききるということが優先されているので、ちょっと異様な印象がした(大きいプリントの例での目の表現など)
絵画を見るとき、われわれは「本物をありのままに描いたもの」という立場を、暗黙のうちに認めていますが、けっして絵画はそのようなものではありません。これは、ピカソなどの20世紀の美術ばかりではなく、たとえば、日本人の好きな印象派の絵や、イタリア・ルネッサンスの絵であっても、じつは画家の巧みな策略の中で、われわれは絵を見ているのです。もともと、3次元の現実の世界を、絵という平面に置き換えること自体が、一種のまやかしなのです。その中で、質問にある写実性と遠近感という要素は、絵を描くときにも見るときにも重要になります。チベットの絵画でも、時代によって、これらをどのように表現するかは大きく異なり、これからの授業で注意するポイントにもなります。

金剛界マンダラの前図中尊は、四面なら後ろ向きの顔があってよさそうなのに、正面向きの顔が二つあるのには、何か意味があるのでしょうか。
絵画で四面を表すときには、左右どちらかの顔の横にもうひとつ顔を加えることが多いのですが、ラダックでは、後ろの面を正面向きの顔の上に重ねるように描きます。同じような表現は彫刻でも見られます。これによって、正面から礼拝するときに見えない顔まで、はっきりと見ることができます。絵画がこれにならったのかもしれません。これも一種のリアリズムの表現ととらえることができます。

「タンカ」という素材はどういうものなのですか。
綿のキャンバスを作り、その表面に膠(にかわ)に塗り、顔料絵の具で彩色した絵画です。キャンバスは、はじめに木の枠を作り、それに麻紐などでピンと張った状態にしておきます。木炭(現在は鉛筆)で下絵を描き、それにもとづいて、彩色を施しますが、準備も含めて、全体のプロセスはきわめて複雑です。今回、参考となる資料を配付しますから、関心のある人は読んでおいて下さい。なお、この文章は『マンダラ:チベット・ネパールの仏たち』という本に収録されています。これは以前に大阪の国立民族学博物館で開催された同名の展覧会の図録で、マンダラやチベット、ネパールの仏教美術を知る上では、なかなか便利な本です。手許に在庫がありますので、希望者には二割引で頒布します(1,680円→1,350円)。

赤い大きな紙の絵、三本に分かれている手の、手のひらの部分が赤いのは、何を表現しているのですか?あと、この絵(壁画?)の所蔵場所を教えて下さい。この絵の右下の髪の長い人の構図が、何となくキリスト教のマリアの絵に似ていると思いました。翼と天使の輪みたいです。
手のひらが赤いのは手のひらを表しているからです(説明になっていないようですが)。私もはじめてラダックやチベットの絵を見たときに、仏の手のひらが真っ赤に塗られていて、いったいこれはなぜだろうと思いました。しかし、インドに行って現地の人の手を見てわかりました。日本人は一般に手の甲と手のひらでは、ほとんど色の違いがありませんが、インドの人たちは、手の甲がどんなに黒くても、内側は鮮やかなピンク色をしているのです。彼らにとっての手のひらの色は、はだ色(これもよくわからない色の名前ですが)とか白ではないようです。仏の場合、身体の色は白、緑、赤などさまざまですが、いずれの場合も手のひらは共通して朱や赤に塗られています。これはインドの仏教絵画でも同様です。マリアに似た人物像は、ラダックの中でもとくに重要な寺院であるアルチ寺の三層堂の壁画です。おそらく高貴な女性で、反対側に描かれた男性(おそらく王侯)と対になっています。これらの人物像がインドっぽくないのは、上記の通り、イスラーム的な雰囲気を持っているからでしょう。そこからさらに西に行けば、キリスト教世界がありますが、さすがにそことの直接の交流まで考えるのは、少しむずかしいでしょう。


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