ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

5月9日の授業への質問・感想


・神にいろいろな種類があって、仕分けされているのはおもしろいと思いました。でも神なのか仏なのか、分類の仕方がよくわかりませんでした。また、他宗教の神を構造の中に組み込むというのは、よくあることなんでしょうか。
・今日、示された「仏教のパンテオン模式図」内の仏や神々は、すべてインド由来のように思えますが、チベット土着の神々等が、このような体系に取り入れられているという事例はあるのでしょうか。それとも、チベットの高僧等がそれに相当するのでしょうか。
「パンテオンの模式図」は、以前に「マンダラ展」という展覧会が、大阪の国立民族学博物館でおこなわれたときに作ったものです。会場では幅3メートルほどのパネルとなって、壁に掛けてありました。このときの展覧会は、チベットとネパールのマンダラと仏画、仏像を中心としたものでしたが、この図自体は、インドや日本の密教の方に主眼をおいて作ったため、チベット固有の神などは含まれていません。たしかに、高僧が「土着の神」のような役割を果たすことは、パドマサンバヴァやツォンカパの変化身などでも見られますし、それ以外にも、チベット土着の神がたくさんいます。それらはこの図では登場しません。チベットの神や仏の模式図としては、もう少し別のものを作らなければなりません。今回はとりあえず、仏教の仏たちの世界が、いくつかのグループに分かれ、その中にはさらにさまざまな仏や小グループに分かれるというイメージを、ここから持っていただければいいと思います。また、その構造が固定的なものではなく、流動的であることも、各層からはみ出た仏たちがいることからも、重要なことだと思っています。いずれにせよ、具体的な仏たちは、これからさまざまなものを紹介しますので、それがだいたい、どこに相当するか、見当を付けていただくためのものでもあります。

ダライラマがモンゴルから与えられた称号ということは、昔、世界史でならっていたので、知っていましたが、与えられた人が一世ではないというのには驚きました。三世が一世を決めるに当たって、選んだ基準というのは何だったんでしょうか。また、一世を決めたとき、周りからの反対とかはあったんでしょうか。あと、活仏が始まるときは、一体どういうときなんでしょうか。これだけの人物なら生まれ変わるだろうというような見通しが立ったりしたんでしょうか。
ダライラマの称号が与えられたのは3世ですが、その数え方は、5世が決めました。3世はその前の2世の生まれ変わりということだけは、自覚がありましたが、1世はそこには数えられていませんでした。一世のゲンドゥントゥプが一世になったのは、没年が2世の誕生年に近いことが決定的だったでしょう。ツォンカパにはたくさんの弟子がいましたが、彼が一番近かったからのようです。転生ラマ(活仏)がはじまるときは、いろいろな場合が考えられますが、転生ラマそのものがチベット中にゴマンといるわけですから、一概には言えないでしょう。現在、あらたに活仏を作り出すことはおそらくほとんどないと思います。歴史的に見れば、その転生ラマを生み出した寺院や宗派が勢力を拡大しているような時代に、大量生産されたのではないかと思います。転生ラマについては以下の文献がわかりやすいでしょう。
田中公明 2000 『活仏たちのチベット』 春秋社。

一般常識なのかもしれませんが、ダライラマとはチベット仏教の最も偉い人物のことなのですか。政治的にも高い身分であったりするのですか。また、現役の14世はなぜ悲劇の法王と呼ばれているのですか。
ダライラマは本来、ゲルク派の転生ラマのひとりで、デプン寺という寺院の管長です。現在、2世に数えられるゲンドゥン・ギャンツォが亡くなった後、3世のソナム・ギャンツォが、その転生者として選ばれたのがはじまりです。ダライラマの称号が与えられたのも、3世であるのは、授業でも紹介したとおりです。デプン寺はゲルク派の中でも重要な寺院で、ダライラマも数あるゲルク派の転生ラマの中で有力なもののひとりでしたが、ゲルク派全体、あるいはチベット仏教全体の最高指導者というわけではありませんでした。ダライラマがチベット全体を支配するようになったのは、剛腕なダライラマが5世の時代で、しかも、モンゴル勢力のひとつジュンガル部を滅ぼしてからです。しかし、その後も、清との勢力争いで、実際にチベットをダライラマが支配したのは、7世、13世、そして現在の14世の時代の一部に限られます。14世は1935年生まれで、1939年にダライラマ13世の転生者として認定されました。しかし、長じて後は中国共産党によるチベット制圧、支配が続き、時代に翻弄されます。最終的には1959年にインドに亡命し、インド北部のダラムサーラに亡命政府を立てて、現在に至っています。

イスラームはイスラームを礎とする国を建設することをめざしていると聞いたのですが、チベット仏教にもそのような考え方があるのでしょうか。氏族教団と政権争いの話を聞いてふと疑問に思いました。
チベット仏教そのものには政治的な要素は希薄です。チベット仏教の国を建設するという考え方もないでしょう。チベットでは「人の法」(mi chos)と「神々の法」(lha chos)という二つの考え方があり、世俗的なものと宗教的なものを区別する傾向があります。その中で、仏教教団が実質的に政治的な支配権を持つようになったのは、仏教教団が社会的、経済的な力を持ち、これと現実の政治的勢力が結びついた結果でしょう。ただし、ダライラマ5世のように、仏教的な理念を現実社会に実現するというイデオロギーを、かなり政略的に利用した人物もいます。

カルマ派の一部の僧がそうだったように、キリスト教絵画もそうであるように、他の僧にも他の僧と区別を付けるための何かはきちんと備わっているのですか。
いくつかのパターンがあるでしょう。僧を描いた高僧図は、基本的には肖像画なのですから、本人に似せて描かれたはずです。その中で、顕著な特徴があるとき、それが他の僧と区別を付ける機能を持つことになります。しかし、すべての僧がそのようなものを持っているわけではありませんから、他とは区別できないような絵、あるいは誰が描かれているか分からない絵もたくさんあります(もちろん、描かれたときにはわかっていたでしょうが)。身体的特徴以外にも、衣の種類、帽子、持物なども判断の材料になります。チベットの絵画では、中心となる人物のまわりに他の登場人物や、さまざまな出来事が描かれることがあり、これらが人物比定の根拠となることもしばしばあります。

「金剛薩☆」(☆はつちへんに垂)と「金剛手」の違いがよくわかりません。
金剛薩☆は菩薩のひとりで、密教の時代から現れます。とくに『金剛頂経』という経典以降、菩薩のグループの中でもとくに重要な存在となり、しばしば、仏と同格となります。金剛手はその前身にも位置づけられる菩薩で、古くは金剛力士として、ガンダーラなどの彫刻でもしばしば見られますし、蓮華手とともに仏の脇侍にもなります。金剛というのはもともと雷霆をイメージしたもので、古代インドの神インドラ(帝釈天)の持っていた武器です。これを手にすることから金剛手と呼ばれ、ヤクシャ(夜叉)のひとりの名として、初期の仏典にも現れます。なお、金剛薩☆の薩☆は、菩薩の正式名称である菩提薩☆(ぼだいさった)の後半部分と同じです。

・模式図を見ていて、仏の中で釈迦よりも上に、五仏や守護尊が飛び抜けているのが意外に思いました。
・仏教のパンテオン模式図では、たくさんの仏と釈迦が同じ位置にいますが、私のイメージでは釈迦は仏教の開祖だと思っていたのですが、仏というのはずっと昔からいて、その昔からある仏の教えを「仏教」として世に知らしめたのが釈迦ですか。釈迦はただ単に教えを伝えただけの立場になるのですか。
仏とはいかなる存在であるのかというのは、仏教の根幹にかかわる問題です。仏教が釈迦によって開かれたことは自明のことのように思われますが、文献には、シャカ自身の言葉として、いにしえの仏たちの教えを私が「再発見」し、それを伝えたという記述が実際に見られます(ご質問のとおりなのです)。そこから、釈迦以前にも「過去仏」がいて、釈迦より後にも「未来仏」が現れるという思想ができます。とくに未来仏としては弥勒が代表的で、釈迦なき後の救済者として、アジア各地で信奉されることになります。その一方で、この世界以外にも、別の世界に仏がいて、実際に衆生救済にあたっているという思想も現れます。空間的な拡がりの中に、無数の仏を想定することになります。その代表に極楽浄土の阿弥陀仏がいます。これらの無数の仏たちが登場すると、彼らがどのような関係にあるかが問題になります。そこで登場するのが「仏身論」という考え方で、仏というのは無数にあるように見えるが、かれらは「おおもとの仏」が姿を変えただけの化身のようなものであると考え、前者を法身(ほっしん)、後者を応身(おうじん)と区別したり、釈迦や阿弥陀仏のように、長い修行の結果、仏になったものを報身(ほうじん)と呼んだりします。五仏や守護尊の一部が飛び抜けているのは、彼らの一部がこのような法身と見なされることがあるからです。

映画「リトルブッダ」を見たときに、活仏の候補者として、アメリカ人の子どもがあげられていました。チベット出身者でなくても、つぎの活仏になれるのでしょうか。
なれます。活仏が生まれ変わる範囲はチベットに限られるわけではないので、別にどこの国の人であってもいいはずです。火星に人がいれば、火星人の活仏でも、おかしくはありません。15年ほど前に私がロンドンにいたときに、スペイン人の子どもが活仏に認定されたといって話題になっていました。その後、わたしのイギリス人の友人の子供も活仏に選ばれたと聞きました。いずれも熱心なチベット仏教の信奉者で、多分に政治的な配慮があったと思います。でも、ある日突然、あなたの子どもは何とかという高僧の生まれ変わりですと言われたら、困るでしょうね。


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