インドと日本の仏教儀礼
第5回の授業への質問・感想
このような人生儀礼・通過儀礼は、仏教独特なものなのだろうか。それとも宗教に関係なく、全世界にいろいろな形で存在するのだろうか。キリスト教の洗礼も通過儀礼に入るものなのか。表を見ると、こんなにもたくさんの儀礼があることに気づかされた。しかし、長い人生から見れば数多く見えるようで、実際はそんなに多くないのかもしれない。
人生儀礼や通過儀礼は、われわれにとって最も身近な儀礼でしょう。誕生の後のお宮参り、初節句などにはじまり、七五三、成人式、結婚式、還暦や古稀のお祝い、葬式と、人生は儀礼の連続です。これは日本やインドにとくに多いのではなく、世界中で普遍的に見られるものです。むしろ、近代化や都市化によって、多くの通過儀礼が消滅したり、形骸化したりしています。成人式のように「おかみ」が代わって行っているものもあります。キリスト教の洗礼はもともとユダヤの民族に見られる通過儀礼だったようで、イエスもヨハネ(福音史家ではなく洗礼者の方)から受けています。通過儀礼をはじめて本格的に取り上げたファン・ジェネップの『通過儀礼』は、前回の資料でも紹介したように古典的名著です。エリアーデをはじめとする宗教学者も、境界の持つ意味などにしばしば言及しています。
儀礼を怠ると不浄のものとされるなど、身分や儀礼があると縛られて身動きがとれないものだと思った。そのような世界ではとても生きていけない。
たしかにそうです。伝統的な社会であるほど儀礼が重要であるようです。インドの場合、儀礼が浄・不浄の観念と結びつけられ、さらに不浄なものが社会から排除されるという構図になっています。儀礼なんて面倒だからやらないという人には、居心地が悪かったでしょう。しかし、その反対に儀礼さえ行っていたら、社会の成員と認められるというのは、楽な社会だったかもしれません。あるいは、儀礼を行うことによって、自らのアイデンティティを確認することができるという、積極的な意味も認められます。そのように考えると、われわれの社会だって、そうとは気づかず儀礼でがんじがらめになっている社会かもしれません。
月の満月の日の儀礼や、はじめてひげ剃り、散髪など、すごく細かいことまで書かれているのでおどろいた。
『マヌ法典』をはじめ、インドのダルマシャーストラには、日常生活の事細かな規定がたくさんあげられています。たとえば、うがいや洗顔の方法まで決められています。見ようによっては当時のインドの人々の生活のありさまをうかがうことができる重要な資料です。満月の日や新月の日がよく登場するのは、当時のインドの暦が太陰太陽暦で、月の満ち欠けが基準になっているからです。毎月繰り返される儀礼の基準となる日なのです。
釈迦は仏教を開いた人なのに、結婚はヒンドゥー儀礼にのっとって行ったのですか。儀礼は儀礼としてアーリア社会のものだから、仏教がどうとか関係ないということでしょうか。
たしかにお釈迦さんがヒンドゥー教の方式の結婚式をしたというのは、何か違和感がありますね。でも、結婚をした時点では釈迦はまだ悟りを開いていないので、われわれが仏教とよぶものはありませんでした。また、仏教そのものが世俗的な儀式にはほとんど関心を示さず、結婚式やお葬式の方法を定めたりはしていません(僧団の中で死者が出た場合の律の規定などはあります)。基本的に初期の仏教は儀礼に無関心で、出家や受戒の作法も必要に迫られて整備したという感じです。釈迦の結婚式がどのように行われたかは、経典などの文献にはほとんど記述がありません。釈迦は王族の出身ですから、アーリア社会ではクシャトリヤに属します。おそらく、当時一般的に行われたアーリア人の結婚の方法だったのでしょう(地方的な特色もあったかもしれません)。今回取り上げることになりましたが、ガンダーラの仏伝図に釈迦の結婚の情景を表した浮彫が多数残されています。これらはほぼ共通して、グリヒヤ・スートラに記述されている結婚式の方法に一致します。もっとも、これらの作例も釈迦と同時代、同地域の資料ではないことには注意を要します。それでも、仏教文献では解釈することができないこれらの作品が、儀礼文献によって説明できるのは興味深いところです。
人生儀礼のはじまりが結婚というのはとても不思議な感じがする。もし、一生結婚しないならば、人生儀礼とは無縁なまま一生を終えたのだろうか。
そのとおりで、アーリア社会の基本が結婚をして家族と子孫を持つことです。ホーマをはじめとする儀礼の目的のひとつに、子宝を得ることや子孫の繁栄があります。それによって伝統が世代を越えて受け継がれることになるからです。これは日本でも、それ以外の国でも同様でしょう。なお、人生儀礼のはじまりは結婚以外にも、成人式にあたるウパナヤナにも置かれることがあります。この儀式もアーリア社会への加入儀礼に相当します。
中国の風水も土地に龍を見立て、龍穴を探したり、儀式を行って、建築物の場所を取り決めたりしますが、ヴァーストゥナーガとの関連性はありますか。
それは興味深いですね。風水については私はほとんど知識がないので、具体的の記述を教えて下さい。実際に関係があったとすると、どちらが古いのかも知りたいところです。ヴァーストゥナーガはそれほど古い建築文献には登場せず、地域的にもインド北東部からネパール、チベットと、中国に近いところですから、ひょっとすると中国起源かもしれません。
ダルマというのが秩序であり、ダルマスートラの主題が習慣(秩序の再構築のような?)であるといわれましたが、儀礼を(そのほかのも)すること自体が秩序でもありそうなのにと思いました。儀礼をもしないことがあればそれが秩序の崩壊であるといえるのではないかと感じたので。アーシュラマの「幼児期」の説明で、「父母から受け継いだ罪と汚れ」とありますが、父と母は不浄なものとはとらえられていないのですか?子どもに託すことで自分たち(父母)の汚れはなくなるとかいう考えもあるのでしょうか。
ダルマの語源が「保持する」という意味の動詞dh ィで、秩序や習慣という意味に近いということです。日本では『マヌ法典』というように、ダルマスートラは法律書のように翻訳されていますが、内容的には生活規範や儀礼・儀式に関する記述が大半を占めています。儀礼を行うこと自体が秩序であるというのは、そのとおりですし、それによって社会の秩序が再確認あるいは再構築されるという効果も期待できます。はじめの頃にお話ししたように、インドでは「儀礼」に相当する言葉はあまり見あたらず、この「ダルマ」や、行為を意味する「カルマ」がおそらくそれに対応します。「父母から受け継いだ罪と汚れ」については、私自身、あまり知識を持っていません。基本的に、インドでは神々に対して人間が不完全なものとして位置づけられます。また、浄・不浄の観念が強く、人生儀礼などによって浄化される存在であることから、逆に人生儀礼を受けていない新生児や子どもの段階を、不浄としたのかもしれません。あるいは、生殖行為や出産を不浄なもの(とくに血との接触による不浄)と理解されることも関係があるのかもしれません。調べておきます。
子供が産まれてすぐに黄金?、蜂蜜、澄ましバターなど食べることができるのだろうか。入門式ウパナヤナは日本でいえば元服のようなものなのだろうか。
たぶん、食べられないでしょう。おそらく口のところに付けるぐらいの形だけのものです。日本でもお食い初めをするときにはまだ離乳食も食べていないので、まったく形だけです。そもそも儀礼というのは形式的なものなのです。ウパナヤナは元服などと同じですが、日本ではそのほかにもさまざまな加入儀礼が行われています。人類学や民俗学ではこのような成人式や加入儀礼をとくに重視し、多くの研究が積み重ねられてきました。授業でふれる予定の「死と再生」というモチーフも、その中から抽出されたものです。
完成式(プラティシュター)のところがよくわかりませんでした。同じ名称であるけれど、内容等は地域によって違うということは理解できたのですが、完成式がそもそもどういうことかが聞いていて理解できなかった。
完成式については、以前に灌頂(アビシェーカ)と一緒に説明したと思います。仏像を作ったときにそれが礼拝や信仰の対象となるには、言いかえれば、本当にそれが仏であると信じるためには、特定の儀礼の手続きが必要です。ちなみに日本にも「仏作って魂入れず」ということわざがあります。このような儀礼はいろいろな宗教で見られると思いますが、インド世界では「プラティシュター」という儀礼を行います。この言葉の意味は「しっかり立てること」で、文字どおり、仏像や神像を安置することを指します。実際の儀礼は仏像などに、その仏そのものを招き寄せ、「灌頂」を与えるプロセスが中心になります。このとき、マンダラが準備されることもありますが、それはマンダラが、その仏が本来住している宮殿の模式図だからです。仏像をおさめた寺院は、仏の世界を地上に再現したものと理解されますから、マンダラはその二つをつなぐ設計図のようなものです。灌頂という儀礼は、一般には密教の中で弟子に与える入門儀礼なのですが、その目的も弟子を「仏にする」(厳密にいえば「将来、仏になることを約束する」)ことにあります。プラティシュターにおいて仏像が占めていた位置を、人間である弟子が占めることになります。さて、ネパールでもこれらの完成式や灌頂が広く行われていましたが、興味深いのは、インドの伝統を受け継いだ人生儀礼(サンスカーラ)が、仏像の完成式の中に組み込まれていることです。授業では省略しましたが、逆に人間の人生儀礼にも完成式のプロセスが取り込まれています。さらにその完成式は、すでに述べたように灌頂とパラレルな内容を持っています(ややこしいですね)。要するに、これらのネパールの儀礼はきわめて密接な関係を持って、相互に包含関係にあることになります。さらに、その歴史的背景として、インド以来の儀礼の伝統があります。灌頂は国王即位儀礼としてシュラウタ祭式に本来含まれ、完成式は寺院内で僧侶が行う儀礼でした。一方、人生儀礼は家庭内の儀式としてグリヒヤ祭式の主題のひとつで、さらに、ダルマシャーストラ(法典)の文献群において整備されました。このように、起源や種類も異なる複数の儀礼が、密接な関係を持ちながら、ネパールで行われていることになります。ネパールの儀礼を表層的に観察しても、このことはおそらくわからないでしょう。インド世界における儀礼研究の難しさがあります。
儀礼書の内容を見ていると、現代でいうマニュアル的な感じを受けた。生活の細事にまで言及しており、当時の儀礼とは法律であり、作法であり、流行であったのではないだろうか。儀礼書どおりに行っておけば、「他人に馬鹿にされない」「恥をかかない」「健康への保証が得られる」「安心できる」「正しいことを行っているという自負が生まれる」等の心理的な作用があっただろうと思う。現代にも通じる感覚だ。・・・と思ってみたが、絶対者の存在が理解できない。日本人的な発想だろうか。
儀礼書および儀礼のとらえ方として、適切だと思います。儀礼の目的や機能はさまざまですが、現代的な儀礼の理解は、古代や中世のインドでも該当するものがあるでしょう。ただ、われわれ以上に過去の人々はいろいろな意味で「危険な状態」につねにさらされているわけで、人生儀礼に見られた種類の多さや煩雑さも、そのような状態からの回避が重要だったと思います。授業でも触れましたが、新生児や幼児期の儀礼の多さはそのあらわれでしょう。絶対者の存在はたしかにインドの宗教を考える上で重要です。しかし、サンスカーラのような儀礼ではあまりその存在が重要になることはなかったようです。むしろ、シュラウタ祭式のような大規模な国家的儀礼において、神やブラフマンが重要な位置を占めますし、王権の正統性などとも関係するでしょう。
結婚式の中の祭火の周囲を歩む儀式は、結婚式のようにみんなが集まったところでやるのですか。それだったら、今のキャンドル・サービスとかと何か関係があったりしないのかなぁと思いました。
直接の関係はたぶんないと思いますが、火の持つ象徴性という点では、共通するところもあるでしょう。火が純潔や繁栄、あるいは対象を燃やすことによる再生などの意味を読みとることができます。さらに、インドの場合、祭火というのは古代以来、儀礼の中心にあります。火に供物を投じるホーマはその典型です。家庭内においても火はつねに絶やすことなく保たれ、その火が調理ばかりではなく家庭内での儀式でも用いられます。結婚式の火はこの火とも結びつけられ、あらたな家庭の出現を示すものとなります。また、火とともに水がおかれていることも注目されます。一方のキャンドル・サービスは披露宴の定番ですが、いつごろからはじめられたのでしょうね。ご存じの方は教えて下さい。結婚式そのものではなく披露宴で行うので、宗教的な起源よりも、演出効果や雰囲気作りとして考案されたような気がしますが・・・。
人間は生まれたときから不浄であるという考え方は、キリスト教の人は生まれながらにして原罪を背負っているという考えと似ていると思った。人間が生まれた当初から清浄な存在だということはあまり聞いたことがない。不浄であるから儀礼を正しく行って浄化しなさいとか、原罪を背負っているからよいことをするようつとめなさいとか、こういう風に「人は悪いもの」としなければ、人間が増長して堕落していくと感じたから、人間不浄説を作ったのかもしれない。人々を善行に導くには自らが汚いもの、悪いものと自覚させる必要があったからではと思う。
多くの宗教の中心的な教えに、絶対的な存在を前にした人間の卑小さ、非力さがあるでしょう。それによってはじめて神のような絶対的な存在に対する信仰が生じることが可能になります。その点で、キリスト教も浄土真宗もかわりはありません。ただし、宗教を大きな枠組みでくくることも大切ですが、その一方で個別的な状況にも注意が必要です。たとえば、インドの宗教は輪廻を背景としていますが、これはユダヤ教やキリスト教のような一神教的な宗教世界では見られません。話は別ですが、中国などで性善説と性悪説という二つの立場があります。ふつう、性善説の方が人間を積極的に評価しているような印象を受けるのですが、以前、中国哲学の先生に聞いた話では逆だそうです。つまり、性善説は基準としているレベルが高いので、それにいたっていない人は見捨てられてしまいます。むしろ、性悪説の方が人間を寛大に見ることが可能になるというのです。
プリント19ページにあった誕生式の内容の「新生児にもみ米を背負わせる儀式」というのは、日本にある「産まれた子供に餅を背負わせる」というのに似ていると思いました。
私もそう思いました。日本の場合は、満1歳の誕生日に餅を背負わせることが多いと思いますが、地方によっていろいろな別の風習もあると思います。餅が貴重品であったことはもちろんですが、民俗学的には餅そのものに生命が宿っていると理解されています。1歳という節目に生命を刷新させるねらいがあったのでしょう。日本にとって稲作文化は外来文化なので、それにまつわる儀礼も外からやってきたものが多いでしょう。インドやネパールと関連がある可能性もひょっとしたらあるかもしれません(照葉樹林文化とか、タミル語と日本語がどうこうとよくいわれますが・・・)。
儀式は危険であったり不安定な境界にいるときに行われることが多いみたいですが、儀式を行っても新生児が死んだり、また役に立たなかったとしても、その儀式は有効とみなすのだろうかと思いました。
儀礼が境界の時間や空間と結びついていることはたしかで、授業で取り上げた通過儀礼はその典型です。儀礼の効果が得られなかった場合ですが、それほど明確に実際の儀礼の効果を確認できるとは考えられてはいなかったでしょう。だからこそ、習慣とかしきたりというのでしょうし、儀礼という言葉そのものも「形骸化した行動様式」というニュアンスで用いられます。これは、現代のわれわれが行う儀礼(たとえば初詣や七五三)でも同じことです。初詣に行ったから、その年は悪いことが起こらないとか、七五三をしたからといって、どんな子も賢く健やかに成長するわけではありませんよね。
インドやネパールは日本よりもかなり儀礼がたくさんある上に、それらの拘束力も強い国だと思った。しかし、日本にも昔は今より多くの儀礼があったはずなのに、終戦後の欧米化によって消えていったり、ほとんどやらなくなったものが相当あると思う。もし、インドやネパールも欧米の影響を強く受けていたら、儀礼は失われていただろうか。儀礼はその国の文化だけでなく、世界史上の役割や歴史に大きくかかわると思った。
たしかにそのとおりで、現代の日本の社会では伝統的な儀礼はかなり失われてしまっています。それはインドやネパールでも同様で、とくに都市部では顕著です。これは、日本でもインド世界でも伝統的な儀礼が地域とのつながりや、比較的、小規模な共同体と密接なつながりがあるからです。都市化や近代化はそれを壊滅的な状況へと押しやります。われわれが目にする社会的な変化と儀礼の衰退は、これまでに人類が経験したことがないほど、急速なものでしょう。ただし、だからといって儀礼そのものが消滅しつつあるというのは、早計です。たとえば、クリスマスやヴァレンタインデーのような「歴史の浅い」儀礼が、現代の日本では大きなウェイトを占めています。人間とは儀礼を必要とする存在なのであり、人間が必要とする儀礼の「総量」のようなものは、つねに一定のような気がします。エネルギー保存の法則のようなものでしょうか。
脳死判定というものがある。脳死を死とするかどうかはまだ結論は出ていないが、もし脳死を死だと認めるならば、脳死判定は儀礼といえるかもしれない。判定の前と後とではその人の生への距離、死への距離が大きく変化するとは思えないが、この手順を減ることで、その人は死んだと社会的に認められることになる。それはなんだか葬式に似ていると思った。
たしかにそうですね。脳死をめぐる問題については私はあまりくわしくありませんが、生と死を相反するもの、二者択一的なものと見る考え方にもとづいているのはたしかでしょう。このような考え方に、われわれはずいぶんならされていますが、生と死は実際はむしろもっと連続的で、明確な境界を引くことは困難なはずです。葬式はこのような状況に何らかの区切りをつけるという役割を果たす儀式で、死者のためというよりも、残された人々のための「喪の儀式」と見るべきなのでしょうね。