インドと日本の仏教儀礼

第2回の授業への質問・感想


あたりまえのことをあたりまえではないとして疑問を持つことは、研究者に不可欠な態度であるが、なかなか困難である。まして、自分に近いものほど見えにくいのだから、実践者が研究者になりにくいのも当然だろう。哲学者と思春期の人間は別として、いちいち自分の行為に疑問をもっていたら、生活しづらいだろうと思う。どうも感想をつらつら考えていると、講義の方がおろそかになってしまうようだ。供養というのは仏だか聖者だかに感謝と尊敬を示すものだと思うのだが、そのくせマントラの誦唱が最後に付け足しのようにあるのは変な話だと思った。
たしかに自分にとって身近のことや当たり前のことを研究対象とするのは困難な場合があります。しばしば、客観的な観察や相対的な評価を妨げるからです。その一方で、当事者でなければわからないことがあるのも確かです。そもそも、まったく自分と無関係なものに、知的な関心を持つこともむずかしいでしょう。研究者と研究対象の関係は、なかなか一筋縄ではいきませんが、結局はどれだけ「知りたい」かという欲求の度合いによるのでしょう。実際に儀礼を行う人は、儀礼についての研究にあまり関心を示さないということを紹介しましたが、もちろん例外もたくさんあります。授業の感想や質問についてですが、考える時間を最後にとれるようにしたいと思いますが、なかなかその余裕がありません。最後の、マントラについては、マントラは儀礼を通じて唱えられますが、とくに最後のものを16の項目のひとつにあげています。ヴェーダ以来のインドの儀礼は、マントラによって神々とコミュニケーションをとるのを基本とし、ヒンドゥー教でもその伝統が受け継がれます。仏教儀礼の中では密教の儀礼が、やはりマントラを重視し、日本では「真言」(しんごん)と呼ばれます。

儀礼の内容は話してもらうだけではイメージがうまくつかめませんでした。
華や香、食物などはどんな感じかイメージがつきやすいのですが、右遶、お迎え、お帰りはイメージがつかないので映像で見たいです。
今回、儀礼の写真をスライドで少し紹介します。儀礼というのは一種のパフォーマンスなので、いちばんいいのは、その場に参加して、見るだけではなく音やにおいや雰囲気などをすべて体験することでしょう。静止画ではしょうがないのですが・・・。

「聖数」が決まっているようだが、儀礼の手順がその聖数に足りなかった場合はどうするのだろうか。
16ウパチャーラプージャーの場合、16という数は『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ讃歌」の偈頌の数に一致させています。簡略な形の5ウパチャーラプージャー(パンチャ・ウパチャーラプージャー)という儀式もありますが、これは16の中の一部を取り出したものです。実際のプージャーは一連のさまざまな行為からなり、そのうちのどれを16の項目として選ぶかということになります。聖数として選ばれる数は、民族や文化でさまざまですが、1,2,3,5,7のような素数や、4,8,9,16,64のような同じ数をかけてできる安定した数が選ばれる傾向があります。これは「聖」という概念が、日常的なものとはことなる特殊なものという側面と、秩序や完全体といった側面を、あわせ持っていることによるのでしょう。

宗教は教理と実践からなり、実践=儀礼ということなのだろうが、実践というのは必ず教理によって裏付けされているものなのか?それとも実践の方が独り立ちしてしまって、「どうしてやるのかまったくわからないかがそうする」というものが中心なのだろうか。
そのどちらもあるようです。仏教の場合、実践が教理的な意味によって裏付けられていることが多いのですが、その意味がまったく読みとれないような部分もたくさんあります。また、本来は考えられていなかったような意味づけが、伝承の過程で加わることもしばしばあります。その一方で、特定の教理やイデオロギーを表現したり、人々に周知させるための儀礼もあります。儀礼は基本的には行為からされますが、行為と意味との関係はさまざまです。儀礼の歴史を考えると、特定の意味をそこに付与する「教理化」と、本来の意味が失われ、所作や方法のみが残る「形式化」という、相反する二つの流れが見られます。

16のふるまいをいったい誰が考えたのだろうかと思いました。そういう儀礼のようなものは、信仰を深める中で自然にできあがっていくのか、それとも誰かが作るのかどちらなのだろうと思いました。
ヴェーダの祭式やヒンドゥー教の儀礼は、特定の創始者がいるわけではなく、長い時間をかけて整備されたもののようです。そのため、同じ名称の儀礼でも、流派や文献でしばしば異なります。このような相違点に着目して、儀礼の形成と変容を研究している人たちもいます。ちょうど、進化の系図を描くように、儀礼の変遷を表すことができることもあります。信仰と儀礼の関係は密接ですが、信仰の深化と儀礼の発展の関係は、一般化することは困難でしょう。なお、インドの一部の儀礼は特定の聖人などに、そのはじまりを求めていることがありますが、大半は伝説の域を出るものではありません。

花や灯明を供えるというのは、お墓参りという身近なものをイメージするせいか、神に対して行うには俗っぽい感じがするのですが。供える花はインドで「聖なる花」などとされるような神聖なものですか。また、インドの花というものが想像つかないのですが、どのような花なのですか。
授業で例として出した日本のお供えがお墓参りだったのですが、別に仏壇へのお供えや葬儀の花輪などでもよかったのです。「俗っぽい」という感じはよくわかります。インドの人々にとっての神への礼拝とは、日常生活の一部となっていますので、たしかに「俗っぽい」かもしれません。神へ供える花の種類はよくわかりませんが、とくに限定はされていないと思います。一部の神は特定の植物を好むので、それを供えるということはあるようです。ちなみに、日本でも高野山ではお寺や弘法大師に「高野槙」を供えます。インドの植物については以下のような本もあります。
西岡直樹他 1989 『ネパール・インドの聖なる植物』八坂書房。

pradak.si.na(右遶)ではどうして右回りが神聖なイメージがあるのでしょうか。また、インドでは右手が神聖なイメージを持ち、左手が不浄のイメージを持つのはなぜでしょうか。一般に右手は食事するときに箸を持つもの、左手は汚物を処理するときに使うものという考えと関連がありますか。
右と左、聖と俗、浄と不浄、善と悪のように反対するものを対立的にとらえる二項対立の考え方は、人間の最も基本的なもので、おそらく世界中に認められるでしょう。人間の知覚が差異による区別をベースとして成り立っていることによるのかもしれません。もちろん、世の中の現象は、単に二つに分類するだけでは処理できないのですが、宗教や儀礼はそのような複雑なものを単純化することがしばしばあります。インドの場合、とくに浄と不浄の対立が、宗教で重要な意味を持ちます。人類学者が好んで取り上げるテーマのひとつで、文献もたくさんあります。
エルツ、ロベール 1980 『右手の優越---宗教的両極性の研究』 吉田禎吾、内藤莞爾、板橋作美訳 垣内出版。
関根康正 1995 『ケガレの人類学:南インド・ハリジャンの生活世界』東京大学出版会。
長島信弘 1976 「遠似値への接近  右と左の象徴的分類に関するニーダムの所論をめぐって」『一橋論叢』77(3): 315-323。
ニーダム、R.1993 『象徴的分類』みすず書房。

インドからチベット・ネパールへ移って、ただの供物が世界と同一と見られるようになったのはなぜでしょう。食糧事情の違いでしょうか。
ネパールで行われているグルマンダラ儀礼が、いつ頃成立したのかはわかりませんが、インド密教にすでに原型があったのではないかと思います。神々に奉献する世界をかたどった「マンダラ」は、一般に「マンダラ」と呼ばれるものとはずいぶん違いますが、マンダラが「世界」をかたどったものであることは同じです。ただし、そこは仏の世界であって、われわれを一部に含むような単なる須弥山世界とは異なります。むしろプージャーの対象である仏の世界がマンダラと呼ばれるべきでしょう。チベット人は両者の違いを意識して、一般のマンダラは「キンコル」(dkyil ユkhor)と訳し、供物としてのマンダラは、そのまま音写しました。

聖と俗の差は一般化できる問題なのだろうか。何かを聖として俗な事象から拾い上げるには、たいした手間はいらない。どんな事象にも聖となる可能性はある。
聖と俗はエリアーデをはじめとする宗教学者たちが好んで用いる分析概念です。たしかに「聖なるもの」はあらゆるものとして顕現します。これをエリアーデは「聖性顕現」(ヒエロファニー)と呼んで、注目しました。何を聖なるものとみなすかは文化や伝統で大きく異なりますが、人間は「俗なるもの」とは異なる「聖なるもの」を感じる能力を普遍的に持っていると考えた方がよいようです。そういう意味で、聖と俗の差は一般化できる問題だと思います。

曼荼羅の図は何度か見たことがあったのだけど、四隅の仏が供養仏だということは知らなかった。また、同じ世界(宇宙)をさまざまな次元で表しているところもおもしろいと思った。
マンダラに供養菩薩(広い意味ではほとけですが、菩薩のグループになります)が描かれるのは、日本のマンダラでは金剛界曼荼羅と理趣経の曼荼羅がありますが、インドやチベットでは必ずしも一般的ではありません。チベット人による密教の時代区分で、ヨーガ・タントラと呼ばれる時代のマンダラにほぼ限られます。そのため、その前の時代に属する胎蔵曼荼羅には、供養菩薩は登場しません。世界を表すマンダラを捧げる図はチベットで「集会樹」(ツォクシン)と呼ばれ、何種類かの作例があります。これは「ラマ供養」という名の瞑想法とも結びついた図で、チベット仏教美術の独自性をよく示しています。
森 雅秀 1999 「集会樹の造型と儀礼」『印度学仏教学研究』47(2): (194)-(201)。

アルガについて、水を神にあげることで[神と]人との間の親しみを表そうとしているのなら、普通の人々の間で身分の低いものから水をあげてもよいのではと思いました。
インドでは神と人とのあいだの距離はさまざまですが、古代のヴェーダ祭式では比較的接近していたようです。祭式において人は神に供物を供えますが、これを運ぶのは火の神アグニでした。祭官がアグニに供える水は、両者の間にコミュニケーションが成り立つことを確認する手続きのようなものだと思います。「親しみを表す」というのは、後世のヒンドゥー教のプージャーでは見られますが(むしろ神に対する人間の忠実性を示すと言った方が適当でしょう)、ヴェーダ祭式ではあまり当てはまらないようです。社会的な身分制度の中での水や食べ物の授与の関係は、参考としてあげましたが、その背景はより複雑でしょう。贈与の関係については、フランスの社会学者モースの『贈与論』が有名ですが、宗教的な文脈だけでは説明できないと考えています。
バンヴェニスト、エミール 1987 『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集 II』(前田耕作監訳)言叢社。
モース, M.、ユベール, H. 1983 『供犠』小関藤一郎訳 法政大学出版局。

護摩という単語自体が、私の人生の中では聞いたことのないものだったので、とにかく初めて見たり聞いたりしたことばかりだった。こういうのは昔あったゾロアスター教など、火を神聖なものとする宗教の名残かなと思った。
日本でも密教系の寺院では護摩をひんぱんに焚いているので、金沢でもお寺によっては見ることができますが、多数派である浄土真宗ではまったく行いません。スライドの写真などで、イメージを膨らませて下さい。ゾロアスター教もアーリア人の宗教で、おもにイランや西アジアで流行したものです。ヴェーダの宗教と兄弟のようなものといってもいいですが、ゾロアスター教がヴェーダの宗教になったわけではありません。インドでは「パールシー」と呼ばれ、今でもわずかですが信者がいるそうです。ニーチェの「ツァラトゥストラ」がゾロアスターであることはよく知られています。ゾロアスター教については次のような一般向けの新書も出ています(仏教や密教との関係についての記述はいささか杜撰ですが)。
岡田明憲 1988 『ゾロアスターの神秘思想』講談社現代新書。

プージャーの重要な段階の水の献供と、火を用いた献供儀礼が、特別な儀式として行われているのを聞いて、別の授業の方(注・木曜3限の仏教文化論)で、釈迦が行った奇跡の、火と水を出したものを思い出しました。
「仏教文化論」で少しお話ししたことですが、インド・ヨーロッパ語族の言語では、火と水にそれぞれ「命あるもの」と「命なきもの」という2種があるそうです。いわば生物と無機物という2種を分けているのです。たしかに、あらゆるものを焼き尽くし、熱と光を発する火や、生命が誕生する根源である水は、単なる物質ではなく命があるようにも感じられます。現代の日本では、水はともかく、火を直接見ることは、日常生活ではずいぶん少なくなりました。火のイメージがこれほど貧困になったことは、人類の歴史の中でなかったことでしょう。

十八道次第の六法十八道という「六」と「十八」も聖数のような意味を持つ数なのでしょうか。
よくわかりませんが、明確な意味づけや教理的な説明はこれまで見たことがありません。十八という数はヒンドゥー教の十八ウパチャーラプージャーとの結びつきを連想しますが、内容はずいぶん違うので、直接、影響を受けたわけではないようです。

プージャーはどのくらい時間をかけてするものなのですか。日常のプージャーは5分から10分くらいでしょうか。1年以上かけてするプージャーなどはありますか。
プージャーはその内容によりますが、短いものであれば数分、長いものでも1時間程度でしょう。寺院の中で行われる日常のプージャーは毎日数回ずつ行うので、それほど時間をかけるわけにはいきません。私がむかしカトマンドゥで見たものは、30分ぐらいでした。普通の家で行うものはもっと短いでしょう。1年以上かけて行うプージャーはありませんが、インドの儀礼で国家儀礼的な大規模な儀礼の中には、数ヶ月や1年以上を費やして行うものもあります。「アシュヴァメーダ」と呼ばれるものなどがよく知られています。これらの国家儀礼は「シュラウタ祭式」と総称され、プージャーなどとはジャンルの違う儀礼ととらえられています。

閼伽の3種の水というのはひとつのそなえられる水に三つの意味が込められているということですよね。聞き逃していたかもしれないのでもう一度確認です。
私の説明が不十分だったようです。3種の水それぞれにひとつずつ水の入った容器が準備され、区別されます。容器の形態や中の水に違いはないのですが、目的が異なります。単なる水がそれぞれ意味を持つところに、儀礼の儀礼たるところがあります。閼伽の水の種類と目的については、以前に論文を書いたことがあり、私にとって愛着のあるテーマです。読みやすい内容なので、関心があればどうぞ。人類学(民族学)の学術雑誌に掲載されています。
森 雅秀 1991 「インド密教儀礼における水」『国立民族学博物館研究紀要』15(4): 1013-1047.

儀礼を瞑想でやる(十八道では実際に道具を使ったりしない)のと、ホーマのように火を使って献供するのがあったと思うのですが、この違いは?マンダラは壁に掛かっているものというイメージが強かったので、いろいろな種類があるのにおどろいた。また、以前見たマンダラ(壁に掛かってるやつ)にきれいな色が残っていて、昔のものが今もきれいに残っているのは何でだろうと思った。
儀礼における瞑想は密教儀礼においてとくに発達しました。実際に行っている外的な行為が、瞑想の内容とパラレルになっていることもあります(今回お話しする予定の密教の護摩はその代表的なものです)。しかし、ヴェーダ祭式のホーマであっても、実際の儀礼の外観と、それぞれの行為や装置が持つ象徴的な意味(しばしば宇宙論的な意味)との二重構造になっています。儀礼における瞑想は、密教固有の特徴ではなく、多くの儀礼が有する意味の重層性の特殊なあり方とも言えます。マンダラについては私の『マンダラの密教儀礼』をお読み下さい。陳腐な表現ですが、目からうろこが落ちると思います。

神格化された供物とはどういうものですか。
金剛界マンダラの供養菩薩のことだと思いますが、実際に供物を手にする女性像で表されます。たとえば、金剛華菩薩は華鬘(花輪のこと)を持ち、金剛燈菩薩は灯明を手にします。これらとは別に金剛嬉、金剛鬘、金剛歌、金剛舞からなる「内の四供養菩薩」という女尊もいて、それぞれ身ぶりと持物で、名称ともなっている供養の内容を表します。これらはいわば人工的に作られた仏たちですが、まったく何もないところから生み出すわけにはいかないので、密教の黎明期に有力であった「陀羅尼」の女尊たちをもとに作り出したようです。

人と神の献供と恩恵について。恩恵の中に「戦勝」が含まれていたが、敵方も同じように神に献供し、戦勝を祈ったらどうなるのだろう。神々の争いになるのだろうか。負けてしまった方はその神を恨んだり、もう信じなくなったりすることはないのだろうか。自分たちの献供がよくなかったのだと考えるのか。
征服民族であるアーリア人たちの、直接の戦争の相手はインド土着の人々だったでしょう。かれらはヴェーダの祭式とは無関係だったので、同じような儀礼はしていなかったと思います。ただし、アーリア人同士の戦いも起こったはずですし、その場合は、両者ともに同じような儀礼をして神に祈っていたでしょう。もっとも、それに類することは世界中であったことで、日本も例外ではないでしょう。日本でも第二次世界大戦の末期には、怨敵退散のために調伏護摩や大元法がさかんに行われたことはご存じですか?儀礼とは戦争に勝つための技術のようなもので、今で言えば、軍事衛星を飛ばしたり、核爆弾や大陸弾道ミサイルをどれだけもっているかという「最先端技術」に匹敵しています。そのため、ヴェーダの祭式は「正しく」行うことが至上命令でした(技術に正確さはつきものです)。儀礼の技術とは所作が正しいこと、発せられる言葉が正しいことなどです。今回、ヴェーダの宗教の一般的な話をしますが、これも技術としての儀礼に関係することです。


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