インド仏教美術の諸相

第11回 チベット:仏教美術の最先端


昨年8月富山県利賀村の「瞑想の館」で現代のチベット;ネパールの仏教画の展示を見てきました。鮮やかな極彩色をふんだんに使った仏教画に圧倒される思いでしたが、それでもいやらしさや毒々しさは全くなく、飽きずに眺めていたことを思い出します。
利賀村の「瞑想の館」(瞑想の郷?)は、日本では珍しいチベット仏教美術の常設展示があるところです。ネパールのツィクセ村というところのチベット系の絵師が描いたマンダラが展示されています(ネパールもチベット文化圏に重なるところがあります)。金剛界と胎蔵などの大きな絵が壁に描かれていますが、いずれも儀軌にしたがって正しく描かれています。これは学術顧問に田中公明氏というこの分野の第一人者がいるためです。昨年の夏にはチベットのタンカ展が開催されました。韓国のコレクターが集めた作品の巡回展ですが、質的にもすぐれた作品が多く並べられていました。このコレクションの優品は、以下の3巻の文献で見ることができますし、一般向けにも解説書が刊行されています。
田中公明編 1998〜2001 『ハンビッツ文化財団蔵 チベット仏教絵画集成 第1〜3巻』臨川書店。
田中公明 2001 『タンカの世界:チベット仏教美術入門』山川出版社。

今さらですが、仏が人間に似た姿をしていることに、ふと疑問を感じました。仏教だけではないけれど、宗教において神や仏などはだいたい人間の姿をしているように思います。ある動物を神聖なものとする宗教もありますが、像はやはり人の姿のものが多いと感じます。私の中の神や仏はもっと実体のないもののイメージですが、それだと信仰の時、何かと不都合なためかとも思いました。
仏教やキリスト教はたしかに神や仏などの聖なるものが人の姿をしていますが、これは世界の他の宗教を考えると、特殊とも言えます。日本の神道も鏡や玉、剣などがご神体ですが、おなじようにモノを礼拝の対象とすることもよく見られます。インドでもシヴァリンガなどがあり、必ずしも人の姿だけではありません。神が人と同じ姿をすることはギリシャ神話が有名ですが、キリスト教にも受け継がれ、「神人同形説」という神学的な理論も与えられています。聖なるものを何かの形であらわすことができるかどうかということが、神学上の大問題になるからです。ユダヤ教やイスラム教が徹底的に偶像を拒否したこともよく知られていますが、むしろその方がオーソドックスでしょう。初期の仏教が釈迦を象徴的に表現したことや、密教の忿怒尊が多面多臂などの人間離れした姿をとることもこれに関係します。聖なるものをどのように表現するかが、宗教美術を理解する上でのポイントとなるでしょう。レポートの課題の最初に「聖なるものの顕現」をあげたのもそのためです。

ヴァジュラヨーギニーのスライドがインパクトが強かったです。この講義のスライドで血を飲むという場面を今まで見たことはなかったと思うのですが、「血を飲む」という行動にどのような意味があるのですか。
インドの宗教史の中では、一般に血は不浄なものを象徴します。たとえば、古代インドのヴェーダの祭式では、血が儀礼の場面に出てくることを極力嫌います。逆に見れば、血には特別な「力」が宿っているので、これを避けるとも言えます。インドの密教ではこのことをむしろ積極的に評価し、不浄なるものや穢れたものを悟りを得るために利用することがあります。仏教が本来否定してきた性行為でさえも、悟りの方法のひとつに位置づけられることがあります。ヴァジュラヨーギニーが血を飲むのは、ヒンドゥー教の女神カーリーの姿を借用したからでもあるでしょう。

マンダラといってもいろいろな形式があって、それぞれしっかりどういう形式化分けられるのにおどろいた。仏画などの絵画にしても、マンダラにしても、宗教画にはちゃんと配置の形式があるようだけれど、そのあまりにも正確な合同さにおどろいた。スライドに大量に映されたとき、ならんでいる白描画は縮小されているせいか、本当に同じものがならんでいるように見えた。キリスト教などの宗教画の持つ意味とは別物なのかなと思いました。
マンダラについては、その言葉は知っていても、いかなるもので、何を意味しているかはほとんど知られていません。ごちゃごちゃした絵という印象もあるかもしれませんが、きわめて精緻に構成されたものです。その種類も100以上を数え、それぞれ、決まった仏が決まった配列でならんでいます。マンダラについては来年の私の授業(仏教学特殊講義)で取り上げるつもりです。また、授業で紹介するつもりですが、大阪の国立民族学博物館で3月の中旬から「マンダラ展 チベット・ネパールの仏たち」という展覧会があります。キリスト教との比較ですが、たしかにわれわれの知っているヨーロッパのキリスト教美術にはさまざまなヴァリエーションがありますが、たとえば、ギリシャ正教では「イコン」といえば、決められた形式で必ず描かれます。チベットの仏教美術にも似た宗教美術の形式重視の立場が守られています。

密教の分類は、後になるほど教えが高度だったりするんですか。初期にはないものが後期にはあって、それがものすごくありがたい教えだったりすると、伝わってきていない日本はすごく損した感がありますよね。なぜ日本に後期密教は伝わらなかったのでしょうか。
チベット密教内部の価値体系では、たしかに後期の方が高度と考えられています。仏教であることは一貫していますから、目的とする悟りの内容に違いはないのですが、それにいたる手段や方法が変わります。とくに後期密教の場合、呼吸法や瞑想などの身体技法が発達します。『時輪タントラ』などはその究極的なものです。日本は損をしているというのも、どこに視点を置くかです。日本密教では『大日経』と『金剛頂経』を頂点にするので、「損をした」とは考えていません。後期密教の伝統はほとんど伝わっていませんが、一部は漢訳されて日本にも伝えられています。ただし、過激な内容が含まれているので、翻訳をするときにわざとわからないようにしています。日本密教の中で異端扱いされている「立川流」というのは、後期密教とも似た実践方法を持っているので、実際には伝わっている部分もあるようです。
真鍋俊照 1999 『邪教・立川流』筑摩書房。

チベットといえば先に「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画のことを思い出し、そこで見た情景描写を思い出しました。あのような高地でまた隔離されたような場所で、これだけ素晴らしい文化をもてることに驚きを覚えます。仏画は細かい部分まで鮮明に描かれていて、カラフルであり、たしかに高度な美術であると感じました。仏塔もきれいで大きいものですね。
「セブン・イヤーズ・イン・チベット」はハラーの同名の小説が原作ですが、その前に河口慧海という日本人僧侶のThree years in Tibetという冒険記があります。河口は明治時代の初期の入蔵者(チベットに入った人)のひとりで、この本は欧米でベストセラーになりました。チベットの仏教が高度であるというのは、美術に限らず、教理や哲学も同様で、しかもインド以来の正統な伝統を守り続けてきました。これは中国や日本の仏教史ではほとんど失われたものです。現在の仏教研究において、このようなチベット仏教の蓄積はきわめて重要な位置を占めます。また、欧米ではチベットに関心が高く、仏教といえばほとんどチベット仏教のイメージでとらえられます。人権問題がしばしば取り上げられるのも、チベット文化に対する畏敬の念があるからでしょう。隣国でありながら、日本ほどチベットの人権問題が知られていない国も奇妙なものです。
ハラー、H. 1989 『チベットの七年  ダライ・ラマの宮廷に仕えて』(福田弘年訳) 白水社。
河口慧海 1980 『チベット旅行記』(長澤和俊編) 白水社。

マンダラには女尊も中心におかれているものがあったが、女尊は密教ではどのように認識されていたんだろうか。日本にも女尊が大きく取り上げられたマンダラがあるのだろうか。今取り上げられたマンダラを見る限り、女尊はけっこう大きな役割をしている気がする。
女尊を中心とするマンダラは後期密教になるといくつかあらわれますが、大半はやはり男尊のマンダラです。男尊が女尊をともなっているものもあります。初期や中期の密教のマンダラでは、陀羅尼と呼ばれるグループの仏のマンダラが、女尊を中尊とします。陀羅尼は呪文のようなものですが、神格化されたり、特定のほとけと結びつけられます。陀羅尼が女性名詞であるため、そのようなほとけには女神が選ばれます。中世インド全般では、ドゥルガーやカーリーのような女神がヒンドゥー教のパンテオンにも登場し、重要な位置を占めます。女神信仰の隆盛が宗教の枠を越えて存在したようです。

私は仏教についての知識がなく、今回のチベットも前回のネパールも同じように見えてならないのです。どのようなところが共通していて、どのように相違があるのでしょうか。全体?体系化?
たしかに区別するのはむずかしいでしょうね。授業自体は仏教の知識を前提としていませんが、授業で紹介した文献などに目を通すと、さらに理解は深まると思います。授業でお話しできるのは限られた内容ですが、それがきっかけになればと考えています。チベットとネパールの仏教絵画の違いは、様式、主題、構図などいろいろありますが、両者は密接な関係も持ち、とくにネパールの様式がチベットで好まれた時代もありました。美術一般について言えることでしょうが、よいものをたくさん見ることが、理解するための最上の方法です。展覧会はあまりありませんが、図録や写真集が刊行されています。最近ではネットでも見ることができます。先回のプリントで紹介したホームページなどを見てみましょう。リンクも紹介されています。

授業の中で言っていたかもしれませんが、チベットのマンダラに見られる三部、四部という構成は、インドや他のマンダラすべてにあてはまるものですか。
説明が不十分だったようです。三部や四部はインドで成立した『大日経』や『金剛頂経』に見られるほとけたちの体系で、チベットではその伝統に忠実にマンダラを描きました。三部などの部は部族ともいわれ、仏たちのグループを指します。日本にも伝わっていますが、日本のマンダラは別のシステムで解釈されることが多かったようです。インド内部では部族の数はさらに増え、五部と六部があります。それぞれにしたがったマンダラがありますが、とくに五部が主流になります。七部以上はなかったようです。部族の体系を知っていれば、さまざまなマンダラを理解するのが容易になります。

スライドの一番最初に見た画像の中で、マンダラで二体の神が抱き合っている絵が必ずと言っていいほど出てきていたんですが、あの二体は何なんですか。プリントではカーラチャクラって書いてありますが・・・。
日本の仏像と違い、チベットの仏像にはこのような男尊と女尊が抱き合っているものがたくさんあります。そのため、淫祠邪教という印象が強いようです。仏教的な説明では、男尊は方便(ほうべん)、女尊は智慧(般若とも言います)を象徴し、その両者がひとつのもの(不二)となることで、悟りが得られるということになります。このような考え方はインド後期密教であらわれ、チベットはそれを継承したものです。その一方で、上の「血を飲む」ところや「後期密教の特徴」のところでも書いたように、性行為そのものを積極的に評価したり、性行為やそこから生まれる恍惚感が悟りの体験と結びつけられたりします。そこから、実践方法のひとつとして、性的なヨーガが取り入れられることになります。


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