インド仏教美術の諸相

第8回 エローラ:大乗仏教から密教へ


この間、東京へ行く機会があったのですが、そこで偶然、アマラヴァティー・ガンダーラ展が開かれていました。思わず入ってしまったのですが、実際に作品を見ると作品がさらに魅力的に見えました。それだけでなく、アマラヴァティーのものなどには親しみを感じました。そこで思ったのですが、作品制作の担い手はどんな人々だったのでしょう。専門家がいたのでしょうか。
アマラヴァティー・ガンダーラ展は上野の東京国立博物館で開かれています。日本で行われる久しぶりの本格的なインド美術展です。授業で取り上げた作品、たとえばアマラヴァティーの三尊像やガンダーラの大乗神変図などもきているようです。機会があれば、他の方もぜひどうぞ。図録の執筆は宮治昭、肥塚隆、秋山光和というこの分野の第一人者が書いています。会期や道順などはホームページを参照して下さい。その時、もし余裕があれば、本館の地下にあるミュージアム・ショップにも足を運ぶといいでしょう。市販されていない各地の展覧会の図録などがよくそろっています。なお、アマラヴァティー・ガンダーラ展はこのあと各地を巡回するようで、近いところでは名古屋市博物館に4月頃来ると聞いています。近い人はそちらでもいいでしょう。作品制作者については、専門の職人がいたと思います。制作者の名前や工房についての情報もほとんど残されていません。今でもヒンドゥー教の石像彫刻などはあちこちの工房で大量に生産されていますが、おそらく千年前でも同じような状況だったのでしょう。インドにおいて芸術家という概念はきわめて現代的なのです。

密教のメインの仏である「大日如来」は、それまでの仏教でいう「仏」「如来」「世尊」とは違った存在なのですか。もっというと「密教仏」は既存の諸仏とは違うとらえられ方をされているのですか。密教とそれまでの仏教とでは、仏のとらえ方が違うのかと言いかえてもいいでしょう。
密教以前の仏としては、歴史上の仏である釈迦、過去の仏たちである過去七仏、未来仏の弥勒、極楽世界の阿弥陀や薬師などがいます。以前の授業で仏陀観の変遷や仏の数の爆発的増加などは説明しましたが、密教の仏もこの延長線上にあります。超越的な存在の仏である大日如来も、『華厳経』のような大乗仏典ですでにその基本的な性格をもって登場します。簡単に言えば、大日如来は仏教の教えである「法」そのものが仏となった「法身」です。したがって、無数に増え続けた仏を統轄するような位置にあります。その意味で「既存の諸仏」とは決定的に違います。ただし、このような別格の仏は、つねに刷新されることが求められたようで、日本密教では大日如来が法身であることがいわば常識ですが、インドの後期の密教やチベット、ネパールなどでは、別の仏がとってかわります。大日如来については私の『インド密教の仏たち』の第1章、2章を読んで下さい。また、刊行は来年になると思いますが、アジア各地の大日如来をまとめた本を、現在、数人で準備しています。

曼荼羅に決まった配置があるなんて知らなかった。パネルタイプや礼拝像タイプの八大菩薩の並び方も、曼荼羅につながるものであるのかもしれない、というのは納得できた。キリスト教の最後の晩餐とも似ているのもおもしろいことだと思った。なぜ、観音と金剛手が一番仏に近いところに置かれるのかということに疑問を持った。
マンダラについては今回、くわしくみる予定ですが、基本的にマンダラの中の仏の配置は厳密に決まっています。これは日本でも、チベットでもどこでもそうです。マンダラが何を表しているかなどについては、十分説明する時間がありませんが、「仏の世界図」という定義がよく用いられます。仏の世界では、すべてが整然としていなければならないのです。キリスト教との対比は、日本の仏教美術とは違い、直接の影響関係などは無視して、似ているものを探しています(一種の「遊び」です)。しかし、それでも宗教美術としての共通点がみられることや、相違点の中にそれぞれの宗教の特質のようなものがみられるような気がします。観音と金剛手の位置は、もともとこれら2尊を脇侍とする仏三尊像が広い範囲で知られていたからだと思います。これに準じる菩薩として、弥勒と文殊がいます。これらを第一グループとすれば、八大菩薩の残りの4尊は重要度の低い「第二グループ」ということになります。これについては『インド密教の仏たち』の第6章でくわしく述べています。

石窟寺院が造られた山が岩山ではなくて森のような山だったのは驚きでした。エローラには仏教石窟寺院とヒンドゥー教石窟寺院が混在しているようですが、同時代のものなのでしょうか。それとも時代にずれがあるのでしょうか。
石窟寺院というと、アフガニスタンのバーミヤン、中央アジアのキジルやクムトラなどのイメージがあるので、荒涼とした岩山を想像することが多いのですが、インドの場合、どこも緑の豊かな山岳地帯です。水が豊富であることもほぼ共通していますが、これは僧院を作るときには河の近くにというきまりがあって、それに従っているとも考えられます。生活に必要であることばかりではなく、儀礼にも水は欠かせないものだったからです。エローラの仏教窟とヒンドゥー教窟では、一般に仏教窟の方が古く、ヒンドゥー教窟は仏教がインドで滅んだ後も、ずっと開窟が進められました。そのため、ヒンドゥー教窟の彫刻には仏教の影響もみられるようです。ただし、両者が重なっていた期間もあったようで、仏教の尊像に多面多臂や群像表現がみられることに、ヒンドゥー教の彫刻の影響を想定することもあります。

エローラの仏や菩薩は迫力があるなぁと思った。どちらかといえば、こわい迫力だった。そういえばあまり喜びの表現とかはない気がする。石の質にもよるのだろうか。キリスト教の彫刻とかは悲しみや喜びが細かく表現されてるけど(たとえばピエタ)、それは石が白くて柔らかい雰囲気があるからかもしれない。全体的にごつごつとしていて黒いインドの石窟では細かな心理描写はむずかしいのでしょうか。
たしかにエローラの浮彫は迫力があります。それは石窟という閉ざされた石の空間ということにもよるでしょう。授業では紹介しませんでしたが、仏像に混じって供養者や礼拝者の像も刻まれています。おそらく寄進者(つまり石窟を依頼したパトロン)の像だと思いますが、これらがとてもリアルで、私は仏像よりもこのような「人の像」に、とても強い印象を受けました。仏の前で永遠に礼拝し続けるわけですから。仏教美術における感情表現についてですが、たしかにエローラではあまり明瞭ではないようです。これは仏が悟りという人間の感情を一切排除した境地にあることも関係するでしょう。また、説話図であればドラマティックな表現が求められるので、喜びや怒りなども込められますが、礼拝像ではむしろ形式性を重視されることが一般的です。それはキリスト教でも同様でしょう。今回のパーラ朝の密教美術では、忿怒尊や女尊にいくらか動きや感情が感じられるかもしれません。

3階建ての石窟が印象的でした。洞窟に住む、そこを飾るといった行為はネアンデルタール人だかあたりまでさかのぼれると思いますが、「寺院」といった宗教建造物にまで発展する例はまれなのではないでしょうか。韓国、中国、インドの他にもあるのですか。
エローラの第11窟、第12窟はインドの仏教石窟の中でも、最も規模の大きなものです。ヒンドゥー窟ではカイラーサナータのようにさらに大規模で、しかも複雑な構造の石窟がありますが、仏教ではこれ以上のものは生み出されませんでした。西インド以外では石窟の仏教寺院そのものがほとんどありません。石窟寺院はアフガニスタンのバーミヤンや中央アジアのキジル、クムトラ、敦煌など、いわゆるシルクロードに沿って多数ありますが、不思議なことに日本にはほとんどありません。洞窟のような空間が宗教実践の場として重要であったことは、たとえば空海の伝記などからもわかりますが、その内部を荘厳するという発想はなかったようです。気候や風土とも関係するでしょうが、宗教空間にたいする日本人の特異性といえるのかもしれません。

三階構造の建造物で正面に広場のようなものもあって、非常におもしろい建築ですね。これが密教の時代の建築で、石窟そのものが巨大な立体マンダラとなっていたら、もっと興味深い構造になっていたでしょうね。パネルタイプの八大菩薩は、仏たちのブロマイド写真を並べたもののような感じがしました。
建造物をひとつのコスモスとみることは、インドでは一般的です。ヒンドゥー教の寺院には、このようなコスモロジーが明瞭に読みとれるものもあります。マンダラは建造物を基本的なモティーフにしてできていますが、チベットにみるような立体マンダラはインドには存在しません。かれらにとってマンダラを作ることは、マンダラを「リアルに表現する」こととは別だったようです。今回の資料に添付したように、マンダラは儀礼のための装置であったからでしょう。

エローラの仏像群は、表現や配置の芸術性が、今までのものより高くなっている気がした。「リンガから出現するシヴァ」や八大菩薩の装飾など、表現が非常に細かい。多面多臂について、くだらないことですが、足の多いものの事例はないのでしょうか。足は増えてもあまり有効ではないということでしょうか。
アジャンタやエローラの彫刻は中世インドの仏教美術のひとつの頂点にあります。授業では取り上げませんでしたが、サールナートを中心とするグプタ朝の美術が、ほぼ同時代で、これもきわめて高い芸術性を持っています。装飾が細かいことはたしかに注目されますが、装飾過多になってかえって逆効果の時もあります。今回取り上げるパーラ朝を中心とした密教美術は、時代が下るほど装飾が手の込んだものになり、それに反比例して生命力や写実性が失われていきます。足の多い仏像はあまりありませんが、日本の大威徳明王に相当する仏が、6本の足を持っています。これは6という数が重要だったようですが、6本足というのは異様なため、このほとけは「六足尊」とも呼ばれたようです。観音に十一面観音や千手観音がありますが、百足だったかの作例が、日本にあったと思います。

八大菩薩は大きくびっちりならんで低圧感があるので、本当にこわい。今にも動き出しそうなリアル感がある。インドの像には女性、男性、中性の像があるということですが、中世というのは仏像に置いてどういうことなのですか。私は中国語専攻だったのでくわしくはわからないのですが、ロシア語やフランス語を専攻していた友達が、女性名詞、男性名詞、中性名詞があるといっていたのですが、この中世における定義みたいなのがわかりません。
私の説明が悪かったようです。インドの言語であるサンスクリット語に男性、女性、中性という三つの性があるということで、仏の名前を表す場合、男性の仏であれば男性名詞、女性の仏であれば女性名詞となります。中性の仏というのは存在しません。名詞に性があるのはインド・ヨーロッパ語の特徴で、語尾の活用がそれぞれの性で異なります。英語にはほとんど残っていませんが、代名詞にhe, she, itなどがあり、それぞれ格で形が変わることがその少ない例です。ちなみにサンスクリットの場合、名詞は八つの格と三つの数(単数、両数、複数)があるため、ひとつの単語に24の活用形があります。これが語尾によって異なり、さらに性によっても変わります。サンスクリットのはじめの段階では、これらの活用をせっせと覚えることになります。

八大菩薩の選定に関しては、8という数字が先にあって、その数だけ順に選んだのか、それとも重要な菩薩を選んでみたらちょうど8だったのか、どちらだったんでしょうか。曼荼羅は左右対称であることが重要だし、仏を囲むときに8だったらすき間もあまり生まれないし、うまく左右対称になるから、意図的に8という数字を設定したのかと思いました。以前の授業で画面にあわせて話を選ぶというのがありましたが、美術で教えを表したり、布教を行っていくためには、視覚効果も重要なんだと思いました。
ご指摘の通りです。マンダラを構成する仏の数は、同一グループが4の倍数でできていることがほとんどです。これは左右上下が対称というマンダラの幾何学的な形態によるためです。たとえば、金剛界マンダラを構成するのは中央の大日如来以外は四仏、十六大菩薩、内の四供養菩薩、外の四供養菩薩、四摂菩薩という36尊です。ただし、初期のマンダラは左右の対称のみで構成されるため、1+2の倍数という構成となります。また、後期密教のマンダラは、水平方向に加え上下という2方向も加わるため、4や8ではなく、それに二つ加えた6や10という数も出てきます。造型作品が宗教にとってどのような意味を持つかはさまざまですが、布教や教化などもその重要な要素です。日本でも高僧の行状絵巻や、今回紹介する予定の参詣曼荼羅などは、参拝者の前で「絵解き」をすることが重要だったでしょう。その場合、単なる民衆の教化という一方的なものではなく、参拝者の娯楽や余興でもあったはずです。テレビも映画もビデオもDVDもない時代には、造型作品で荘厳された寺院とは、視覚を中心とした非日常的な体験ができる空間であったと思います。


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