インド仏教美術の諸相

第6回 マトゥラー:礼拝像の誕生

前回のプリントで「一仏から多仏へ」という章がありました。わたしの知る範囲内においても仏教界では如来部、菩薩部、明王部、天部の各部に数多くの仏様がおられ、それぞれ礼拝の対象となっております。こういう多産系(言葉は不適当かもしれませんが)の発想のルーツは舎衛城の神変にあると考えてもよろしいでしょうか。
複数の神や仏の世界を宗教学や神話学では「パンテオン」といいます。仏教のパンテオンは長い時間をかけて形成され、他に類を見ないほど壮大なもののなっています。しかし、同じ仏教でも時代や伝統によって、さまざまなパンテオンがあります。仏像について紹介する本などでは、日本の仏教、とくに密教系のパンテオンを中心にするため、これが固定的なように思えますが、同じ密教でも日本とインド、チベットではそれぞれ異なるパンテオンがあります。全体的な流れから見れば、仏の数や種類は少数から多数へと変化しますが、その変化の背景には様々な要因があります。資料として出したものは、そのうち、時間的な軸での仏の増加です。これについては、今回説明するつもりです。「舎衛城の神変」はの中の千仏化現には、たしかに多くの仏が登場しますが、これらがそのまま多仏のモデルになったわけではないようです。

「口から花綱を吐き出すヤクシャ」「花綱を担ぐガナ」など、今、日本で発表してもかなり受けそうな作品だと思った。現に仏教美術は今、若者の間で流行っている(もちろん仏教美術に限らず、イスラム教や他のアジアアフリカの土着宗教の文化美術もそうであるが)。ファッションや生活空間に取り入れたり・・・。エキゾチックな雰囲気がよいのだろうが、この2作品を見て、正直、ちょっと笑ってしまう。この迫力!が、今日のエスニックな美術等が受ける理由なのだろうなぁと改めて感じた。西洋の宗教画や日本の仏教画などに比べ、インド仏教美術はかなり力強いし、何か毒々しい。このどろどろなパワーを今の若者は心のどこかに求めているのだろうかと思った。
ヤクシャやガナの造形に強い印象を受けたという感想が多く見られました。また、これらが何を表し、何のために作られたのかという疑問をもたれた方も多かったようです。装飾モティーフととらえるのが適当でしょうが、単なる装飾というよりも、もっと作った人や見る人にとって身近な存在だったような気がします。仏教美術をはじめとするインドの宗教美術の陰の主役だったのかもしれません。最近、日本では仏像の鑑賞が一種のブームのような感じで、専門家ばかりではなくさまざまな分野の人が本を出しています。ただし、中には、ほとんど他人の本の受け売りであったり、勝手な思いこみのものもありますので、気をつける必要もあります。仏教美術の場合、単に姿や形を愛でるだけではなく、そこに隠された意味や、成立の背景などを知ることで、さらに理解が深まると思います。エスニックな美術については、最近ばかりではなく、20世紀初頭からアフリカをはじめとする民族美術が、現代美術に大きな影響を与えています。アフリカの彫刻を知った後、ピカソの作風が大きく変わったことなどもよく知られています。

遠近が上下で表されていると、実際のストゥーパでは奥まった場所に置かれている重要なものを高い位置におけるのかと思いました(高低で重要度を表現)。
たしかに画面上の高低で重要性を表すことも可能と思いますが、アマラヴァティーのストゥーパ図では現実の高低と遠近感とが結びついているようですが、聖性の度合いなどはあまり認められないようです。今回お話しするつもりですが、ストゥーパの中心部分に、一番重要なものが描かれているのではないかと考えています。実際にストゥーパでも、舎利を安置した場所です。なお、仏像の光背装飾にさまざまなモティーフが表されますが、上中下の三段に分割され、天、空、地の三つの世界を表すと解釈できるものもあります。これは現実の世界というよりも、理念的なコスモロジーを反映したものです。

マトゥラーにおいて仏伝図が礼拝像化した(説話性が薄れた)という話がありましたが、(特に降魔成道や初転法輪などはもともと正面性が強く)もともと礼拝像としての性格を持っていたのではないでしょうか。
マトゥラー内部では確かにそうです。初期の仏教美術が残るサーンチーやバールフットなどに比べ、マトゥラーは礼拝像の形式を好む傾向があります。同じ降魔成道や初転法輪も、これらの地域では、物語のモティーフの要素が画面の大半を占めていました。ガンダーラでも初期の美術では説話図が多く見られましたが、次第に規模の大きい礼拝像の作品が増えていくようです。この背景には王の肖像彫刻を重視するクシャン朝の人々の嗜好も関係します。

ストゥーパ図に見られたライオンは、他のストゥーパにも見られるものなのですか。狛犬みたいなものでしょうか。
アマラヴァティーやナーガールジュナコンダのストゥーパ図は、同じストゥーパを表すバールフットやガンダーラとはずいぶん異なります。実際のストゥーパそのものも異なる形態や要素を持っていたと考えられますが、それ以上にストゥーパを特別なものとして造形表現する姿勢が感じられます。ライオンがストゥーパ図に描かれるのも、この地域に特有です。ライオンそのものはアショーカ王柱の上端に置かれる聖なる動物の一つで、古くから多くの作品があります。以前お見せしたバールフットの浮き彫りの一つに、このようなライオンを置いた柱がストゥーパの近くに表現されていたものがありますが、おぼえていますか。

彫刻はどれくらい深く彫ってあるのですか。写真だけでは想像できないので。
アマラヴァティーのものはそれほど深くありませんが、これまで見てきたバールフットなどの作品に比べると、少し深いようです。立体的な表現を追求する過程でそうなったのかもしれません。日本の仏教美術では浮き彫り彫刻はそれほど作品の数が多くありませんが、インドでは大半が浮き彫りです。いわゆる仏像を刻んだガンダーラやパーラ朝の美術でも、高浮き彫りといって、背面は彫らないで、板状に残すことが一般です。これに対し、全体を掘り出すものを「丸彫り」といって、サールナートの仏像やヒンドゥー教の彫刻でよく見られます。ついでながら、浮き彫りは写真を撮るのが難しく、とくにストロボをたくと陰影のない平板な写真になってしまいます。

転輪聖王は七つの宝を持っているとされていたが、この転輪聖王と仏陀がどう結びつくのかがわからなかった。釈迦は家族、宝、地位などすべてを捨てて修行を始めたのに。
仏陀と転輪聖王の関係は、仏教美術を扱うわたしの授業ではよく取り上げるので、説明していたような気がしていました。転輪聖王はチャクラヴァルティンといい、文字通り「輪を回すもの」という意味です。インド世界において理想の帝王を指す名称として、古くから知られていました。インド全域(つまり彼らにとっての全世界)を統治する存在で、伝説的であると同時に、実際の王たちも自分たちを転輪聖王になぞらえます(たとえばマウリヤ朝のアショーカ王)。釈迦の場合、誕生する前から転輪聖王との結びつきが強調され、たとえば摩耶夫人が托胎の夢を見た後、その夢を占ってもらっところ、世俗にあれば転輪聖王となり、出家すれば仏陀となると予言されます。同じようなエピソードは、誕生後の占相(身体的特徴からの占い)でも見られます。インドにおいては世界は「聖なる世界」と「俗なる世界」という二つの領域があり、そのいずれにおいても釈迦は頂点を極めることができるということになります。釈迦は王子として誕生したのですから、その判断は自然なような気がしますが、むしろ、仏陀のイメージに転輪聖王のイメージを重ね合わせたと見るべきでしょう。三十二相八十種好が仏陀と転輪聖王のみに現れるという考えも、これに同じです。転輪聖王と仏陀が重なるというのは、仏教徒の巧みなイメージ戦略であったようです。

授業で何度かでてきたのですが、弥勒菩薩や観音菩薩などの違いがよくわかりません。
仏の種類と名称については、今回少し時間をとって説明するつもりです。弥勒や観音が固有名詞で、菩薩、仏、明王などが普通名詞であることを、とりあえず理解してください。

今日のスライドを見ていてふと疑問に思ったのですが、インドの花輪や花綱はどのような種類の花からできているのでしょうか。日本で仏壇にお供えする花には菊の花が多いのですが。
同じように「花」といっても、インドと日本ではずいぶん違います。花の種類についてはわたしは知識がありませんが、花綱や花輪に似たものは日本では見ることができません。葉や枝の部分は使わないで、同じ種類の花をたくさん集め、これを糸でつなぎます。そのため、全体はずいぶん重くなり、綱という表現が適当です。綱引きの綱です(それほどは太くも重くもありませんが)。においが強烈であるのも、インドの花輪の特徴です。このような花綱や花輪を供えるのは、インドでもっとも一般的な神への礼拝方法で、プージャーといいます。浮き彫りに表された花輪や花綱は、このような供物の表現でもあります。

仏母のおなかに象が飛び込むというエピソードは、キリスト教の処女懐胎とどこか似通った感じがします。偉大な人物は生まれからして、いや、生まれる前からして違うということでしょうか。どちらも「啓示」的な要素が強いと思います。
たしかにそうですね。釈迦は生まれるときに母の右の脇の下から出てきたので、托胎も右の脇の下から六本の牙の白象が入ります。出口も入り口も同じということです。キリストの場合、とくに何かがマリアに侵入するということはなく、大天使ガブリエルが懐妊を告げに訪れるだけだったと思います。この場面は、キリスト教美術でもとくに好まれ、多くの画家が腕をふるいました。天使は百合の花を手にしていますが、これはマリアの処女性を表しています。釈迦が異常な出生をしたということは、たしかに常人と異なることを表しますが、このようなエピソードは、多くの神話で、英雄や神が生まれるときにも語られます。シェークスピアの「マクベス」にもあります。

立体感を表している彫刻があったけど、仏像のように一体一体を別に作ってそれを組み合わせたような作品はないんでしょうか。その方がずっと立体的だと思うのですが。それとも一つの世界において表すことに意味があるのでしょうか。
インドでは複数の彫刻で一つの作品を生むということはあまりないようですが、たとえば、ストゥーパのトーラナの浮き彫りが、全体で何らかのプランにしたがっているということはあります。んまた、アジャンタやエローラなどの石窟寺院では、石窟の内部にやはり特定のプランを見いだすことがあります。特殊な例ですが、マンダラの表現方法で、一つ一つの仏をプロンズなどで作り、これを平面上に配置して、全体で一つのマンダラを表すこともあります。このような例は日本やインドネシアでも見られます。

ストゥーパにはお釈迦様の骨が埋葬されているとのことだったが、ストゥーパは各地に点在しているのではないのか。そうだとしたらお釈迦様の骨がバラバラにされて眠っていることになるのだけれど・・・。
ストゥーパそのものは仏教以前からあり、信仰や礼拝の対象だったようですが、仏教に取り入れられ、釈迦の遺骨(舎利)をおさめる記念塔になります。このようなはじめの仏塔も、八基造られ、そのために舎利も八つに分割されます(舎利八分)。アショーカ王の時代には、さらに各地に仏塔を建てるために、すでに納められていた舎利を仏塔から取り出し、こまかく分割したと伝えられます。玄奘は『大唐西域記』の中で、インドや中央アジアの各地に仏舎利を納めた仏塔があることを伝え、さらに、釈迦の髪の毛や托鉢、衣などの聖なる遺物も信仰の対象であったことを記録しています。もちろん、このようなもののどれだけが本当の釈迦のものであったかはわかりません。骨がそんなに長く残ることもないでしょうし、その量も限りがあります。しかし、舎利に対する信仰は根強く、中国や日本でも継承されます。ある時期の中国では、インドから大量に舎利を輸入(!)しています。日本では国家レベルでも舎利が重要性を持ち、世の中が平和な時代(天皇の治世がよい状態)には、舎利が自然に増えるという信仰があり、毎年、舎利の数を数える儀式もありました。増殖するということです。また、はじめから舎利そのものは求めず、水晶を舎利と見なして仏塔に安置することもあります。舎利から仏教を見ると、いろいろおもしろいことが出てきます。

日本の仏教には律はないということでしたが、女犯とかはどうなるのですか。また、寺の修行の様子などを見ていると、戒律とかきびしく定められているように感じるのですが、それは律とはいわないのでしょうか。十事の非法を見ていると、わたしが思う日本の僧の禁止事項と同じような気がするのですが・・・。日本でも破戒僧と言いますし。仏教はヒンドゥー教の影響をかなり受けているようですが、釈迦がいたときにヒンドゥー教は存在していたのですか。キリストとユダヤ教のような関係はあったのでしょうか。阿弥陀とか弥勒とか、如来や菩薩にはたくさんありますが、それらは最初からいたのですか。仏像として現れるのは、後世になってからということですが、新しく仏が作られたりはしなかったのでしょうか。ヤクシャ(ガナ)にいろいろなものがあってとてもおもしろいです。前回の「イーをするヤクシャ」もそうですが、今回の貨幣の帯を出すヤクシャが私的には好きです(別にお金を出しているからではなく見た目がです)。また、法輪と蓮華のモティーフは似てる気がします。
律の問題はインドでも日本でも重要です。日本仏教における律一般については、資料を準備しましたのでそちらをご覧ください。女犯はたしかに破戒行為ですが、実際にはかなり広く行われていたようですし、同性愛もよく見られます(徒然草にもあります)。仏教とヒンドゥー教の関係については、釈迦の時代にはまだヒンドゥー教と呼ぶような形態の宗教は存在していませんでした。ヴェーダという聖典を中心とし、祭式を重視する宗教が正統的なものでした。バラモン教(英語のブラーフマニズムの訳)とも呼ばれますが、ヴェーダの宗教という言い方もします。これに対する批判的な思想家や宗教家が、釈迦の時代多数現れ、その中でもとくに釈迦とジャイナ教の開祖が有名です。古い時代の仏典には、ヴェーダの宗教に対する批判的な言葉がしばしば見られるのはそのためです。釈迦の思想を理解するためには、このような他の思想や宗教を知る必要もあります。

アマラヴァティーの「酔象調伏」の説明で、「仏の暗殺計画」を罰したとおっしゃていましたが、仏を暗殺する動機にはどんなものがあったのですか。歴史の中で政権交代などのために暗殺するというのはよくあることですが・・・。
酔象調伏のもう一方のデーヴァダッタも、仏教史の中の興味深い存在です。デーヴァダッタは仏伝の中で、釈迦を妬み、僧団を分裂させようとしたりして、徹底して悪役として描かれます。そればかりではなく、ジャータカでは、物語に登場する悪役は、すべてデーヴァダッタの前世の姿とされています。『観無量寿経』に登場し、アジャセ王にクーデターをそそのかしたのも、デーヴァダッタですが、これも同じ流れにあります。しかし、実際にデーヴァダッタが行ったことは、修行の規律を厳しくしようとするものでした。釈迦に対して、仏教教団の引き締めを要求したのです。しかし、これは認められず、デーヴァダッタは釈迦から袂を分かつことになります。彼には多くの僧侶がしたがったとも伝えられます。玄奘がインドを訪れた7世紀にも、デーヴァダッタの教団の末裔が活動をしていたと、『大唐西域記』に記しています。なお、デーヴァダッタという名前は仏教では忌み嫌われますが、本来、「神によって与えられた子」という意味で、インドではきわめて一般的な名前です。


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