インド仏教美術の諸相
第5回 マトゥラー:礼拝像の誕生
相即相入はそれ自体がひとつの完全体で矛盾するものではないということでしたが、当時の人たちはそれを本当に受け入れることができたのでしょうか。私には抵抗があります。
経典の内容をどれだけ当時の人々が理解していたかは難しい問題です。ただし、経典そのものも当時の創作であることを考えれば、知的レベルの高い人々にはかなり理解できたのではないかと思います。経典の神変の内容は荒唐無稽で、合理的な理解が困難であることは確かですが、相即相入そのものの考え方は、私には現在のエコロジーや環境問題などにも通じるものがあるように感じます。また、中国や日本の仏教の中の華厳思想として、インド以外でも受容されました。そもそも、インドはウパニシャッド以来、宇宙(ブラフマン)と自己(アートマン)との関係について延々と議論をし続けてきた国です。毛穴の中の世界ぐらいはそれほど突飛な考え方ではないのかもしれません。仏教の思想にはいわゆる常識を徹底徹尾、否定することが、しばしば見られます。たとえば、中論を書いた龍樹という大学者は、「行く者は行かない」とか、「すべての存在物には、それ自身の性質というものが存在しない」とか主張しました。
仏像ってなよなよとしたイメージがあったんですが、意外に力強くてがっしりした感じの像が多いんですね。銘文には菩薩って書いてるのに、仏の像だというのは、当時の人もあまり区別できてなかったということですか。
インドの仏像は日本の仏像と共通する点も多いのですが、たしかにはじめに受ける印象は、日本の仏像よりも「男性的」であるようです。インド美術の魅力に、作品の持つ生命力や躍動感、力強さなどがあります。日本の仏像が中性的に見えるのは、中国の影響もあるでしょうが、日本人の美意識や民族性にも関係あるのでしょう。銘文の問題ですが、仏像を刻みながら「菩薩」としたのは、仏像制作のタブーに配慮しためと解釈されていますが、決定的な理由はわかりません。ガンダーラをはじめ、それ以外の地域の仏像にはないことです。マトゥラーの銘文は制作者の願文のようなものが多いのですが、当時の僧団や仏教徒の実態を伝えてくれる重要な情報です。最近のショペンの研究は、このような銘文を手がかりにしたもので、注目を集めています。
ショペン、G. 2000 『インドの僧院生活』小谷信千代訳 春秋社。
・仏教における部派の分裂で、十時について論を争ったと言っていたのですが、よければ、どのようなことが論じられたのか教えて欲しいです。
・仏教の区別については高校で少し話を聞いたことがあるが、お金に関することが原因で分裂したとは知らなかった。たしか上座部の方が昔からの戒律を厳格に守っており、大衆部の方は「祈れば極楽に行ける」的な大衆受けのいいものだったと思うが、仏陀自体は戒律を守ることが往生の条件になると考えていたのだろうか。
根本分裂の時に問題になった「十事の非法」については資料を添付しました。
上座部と大衆部が分かれたのは、伝統に対して保守的が革新的かというのが基本にあるのはたしかですが、戒律や一般の信徒に対する考え方は、それほど単純ではなかったようです。大乗仏教でも仏教である限り、出家が原則で、戒律は厳格に守られていたようです。現代の日本の仏教のように、ほとんど戒律が無視されるような状況とは違います。また、上座部仏教にも、一般の信者の救済は重要な課題です。スリランカや東南アジアで現代に到るまでその伝統が続いているのは、一般の信者の支持があったからで、出家僧というエリートのみの宗教ではなかったからです。仏教と社会の関係は、経典や戒律などの文献だけではなかなかわからない問題です。なお、極楽往生の思想はインド仏教でも萌芽的に見られますが、中央アジアや中国で流行しました。日本もその流れにあります。また、釈迦が戒律を重視したのはもちろんですが、出家者と一般の信者では内容が異なり、さらにそれぞれ男性と女性でも違います。
仏滅百年後の根本分裂の時に、まず大きく上座部と大衆部に分かれたということは、「自分の解脱」と「大衆の解脱」の違いで分派が起きたということなのですか。つまり、他にもいろいろ意見の相違があったであろうに、何よりも決定的に袂を分かつ原因となったのはこの違いであったということに興味を覚えるのです。そんなに重要なことなのでしょうか。自分の修行のついでに他人に教えを説こうがそうしなかろうが、それぞれの勝手な気がします。それとも他に何か重要な意見の食い違いがあったのでしょうか。
大乗仏教の起源がどこにあったのかは、インド仏教史上最大の問題のひとつで、今なお多くの説が提唱されています。かつて、仏塔信仰を中心とした在俗の信者が重要な役割を果たしたという説がありましたが(平川彰説)、最近ではあまり主流ではありません。大乗仏教の場合、「自分の修行のついでに他人に教えを説く」ということはなく、むしろ、自分の修行を後回しにしてでも、他人の救済につとめるのが、重要と考えられました。衆生救済こそが修行だったのです。大乗の菩薩思想もこれを基本とします。
ラクシュミーがインドネシアにまで伝わっているのが驚きだった。インドネシアの宗教史についてまったく知識がないのですが、多少はインド仏教の影響が見られるのですか。
インドネシアは現在ではイスラム教が多数派ですが、過去においてヒンドゥー教や仏教も伝わり、とくにヒンドゥー教の伝統は現在でも生きています。仏教は有名なボロブドゥールをはじめ、大乗仏教や密教の多くの遺跡が残っていますが、現在の仏教徒は上座部系で、直接のつながりはありません。学期の終わりの方でインドネシアの仏教美術を取り上げるつもりです。
タイかマレーシアに行って、寺院を見たとき、ヘビがたくさんいて祀られていたのが印象的だったのですが、これはどういう意味合いがあるのですか。今のところ、あまりヘビに関する話は出ていないと思うのですが、特定の部派にだけ関係あるのでしょうか。
タイかマレーシアの寺院はよくわかりませんが、仏教寺院ではなく民間信仰的な祠であるのかもしれません。ヘビは宗教学や神話学できわめて重要な動物で、世界中でさまざまな形で祀られたり、信仰されたり、あるいは忌避されます。日本でもヘビをご神体にした神社や、ヘビにまつわる神話や迷信が数多くあります。おそらく、ヘビの持つ両義的な性格がその理由でしょう。インドではヘビはナーガと呼ばれ、中国では龍と訳されます。古くはインダス文明でもその信仰があったとされ、いつの時代でも根強い信仰があったようです。仏教の文献にも、さまざまな形のナーガ信仰が現れます。ナーガについては今回取り上げるつもりです。参考文献は1ページ目を見て下さい。
「美」や「豊穣」を表すには、男よりも女がふさわしいと考えるのは、世界共通なのだろうか。人間の固定観念のような気はするけれど、やはり女性の身体や雰囲気の方がしっくりくる。男の身体や雰囲気では、なんだか固すぎる。
美や豊穣は美術の起源を考える上できわめて重要な概念で、さまざまなイメージと結びついて表現されました。一般に女性と結びつくのは、女性の持つ「産む力」のイメージが大きいのでしょうが、女性そのものがヒトという種にとって根源的なことによるような気がします。関係あるのかわかりませんが、発生学的に見て、ヒトは女性が基本となっていて、男性は受精卵が成長の過程で「無理やりに」男性化されたということを読んだことがあります。インド美術は女性の美を表すことにも大きなエネルギーをそそいだ美術で、それぞれの時代に独特の女性美があります。
仏像に刻まれていたあの銘文は何語で書かれたものなのだろう。文字と言うよりは記号のようだ。
サンスクリットが基本ですが、プラークリット化(俗語化)されています。文字は「カロシュティー」と呼ばれる書体です。ちなみに、どんな文字も、知らないものが見ると記号に見えます。
三尊の両側の菩薩の種類が固定されていないのはなぜか。
脇侍として選ばれる菩薩には、地域や時代にしたがっていくつかのパターンがあります。代表的なものに、観音(蓮華手)と金剛手、観音と弥勒、釈迦太子(出家前の釈迦)と観音などがあります。脇侍の組合せで、その時代に流行していた仏教がどのようなものであったかも、推測することができます。
マトゥラーの作品の中に酒宴のシーンのものがあるのは、それにまつわる説話が存在して、それに基づいて作られたのですか。(日本の神話の天の岩戸のような感じで)
酒宴のシーンは何かの説話を連想させるものですが、実際は特定の物語にもとづくものではないようです。酒宴を描いた作品はガンダーラでも多数見つかっており、クシャーン時代に好まれたテーマのようですが、その起源はギリシャ、ローマ世界にあるようです。ギリシャ彫刻で、酒杯を持ち、ご馳走を前にした貴族の浮彫などが、やはり多数残されています。「饗宴」のシーンと呼ばれます。インドではヤクシャが酒宴の主人公となりますが、そのモティーフは、これらの饗宴の浮彫とおどろくほどよく似ています。
お釈迦様の死後2回結集があって、論争もある中で、お釈迦様の説いた「本当の仏教」は変化しなかったのだろうかと疑問に思った。どんなにお釈迦様の教えに忠実に伝えようとしても、人や文を通して、また時代を経て伝えられていく中で、なにかかにか一番最初の仏教から変化したものはなかったのだろうかと疑問に思った。
仏教を研究する人たちの主要な関心のひとつに、本当に釈迦が説いた教えは何であったかがあります。日本仏教は大乗仏教の流れの中にありますが、明治以来、近代的な仏教学の導入によって、大乗経典を釈迦が説いたことはありえないことがわかり、少しでも古い時代の仏教を求めようとしました。「大乗非仏説」といわれます。しかし、ご指摘のように、口伝や文献によって伝えられた教えが、釈迦の説いた言葉そのままである可能性はきわめて低いでしょう。現在のわれわれに残されているのが、文献のみであり、しかもその成立が釈迦の死後数百年後であるという状況では、釈迦の言葉そのものを求めるのはまず不可能です。むしろ「本当の仏教」というものを釈迦自身の教えに限定するのではなく、仏教の流れ全体としてとらえた方が、いいような気がします。信仰の立場からは認められないかもしれませんが、仏教を文化現象としてとらえるのであれば、その方が合理的でしょう(ちなみにこの授業は「仏教文化論」です)。
仏坐像の台座の左右の動物は獅子だということですが、インドですからライオンと解釈してよろしいでしょうか。そして常信寺釈迦三尊像の文殊菩薩が乗っている獅子はいわゆる唐獅子だと思いますが、やはりインドのライオンの系統ですか、それともまったく空想の動物ですか。テレビで中国五台山の文殊菩薩を見たのですが、やはり唐獅子の上に乗っておられました。
インドにはおそらくライオンは生息していないでしょうが、古くから聖なる動物として、造型表現されてきました。アショーカ王柱の装飾動物としての作例などが有名です。現在のインドでは、国家の紋章のような形で用いられています。いわゆる百獣の王というイメージです。これらの作例を見ますとかなり写実的で、おそらく西アジアなどから実際の姿が伝わったのではないかと思います。日本の文殊は中国の影響が強く、とくに、ご指摘のある「五台山文殊」という形式が一般的です。インドの文殊はあまり獅子に乗りませんが、密教系の特殊な文殊に若干作例があります。インドではドゥルガーという女神がライオンに乗りますが、これも西アジア系の女神の影響といわれています。文殊と女神をつなぐライオンのイメージについては、拙著『インド密教の仏たち』で取り上げています。
マトゥラーのヤクシャ像の表現が、ヴァリエーションに富んでいておもしろかった。人間味がある。
今回は、ヤクシャ像のさまざまな姿が印象的であったという感想が多く見られました。とくに「イーをするヤクシャ」に人気が集中していました。
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