インド仏教美術の諸相

第4回 ガンダーラ(2):大乗菩薩信仰

三昧は神変(奇跡)を起こすために集中している状態と考えてよいのですか。また、昔の火葬場のことを「サンマイ」と言いますが、今回出てきた三昧と関係あるのでしょうか。
三昧はサンスクリットでsamaadhiと言い、これを音写して作った言葉です。3という数とは関係ありません。本来の意味は「正しく置くこと」で、心を一点に集中した状態を指します。仏教ばかりではなく、瞑想などにおいて、精神集中をした状態を指し、とくにヨーガの実践でしばしば用いられます。仏教もインドの他の宗教と同様、ヨーガの実践を重視するため、用語が共通するのです。神変と三昧の関係は、授業で取り上げた部分では神変の前提のようになっていますが、むしろ、大乗仏教の神変というきわめて特殊な状況で、三昧が重要な役割を果たしていることが重要と考えます。この先駆はすでに「舎衛城の神変」での仏伝にも見られました。大乗仏典の冒頭に神変が登場するのは、大乗の教えが説かれることそのものが、神変とみなされていたということです。しかも、これを説くのは仏そのものではなく、仏からある種の「力」が与えられた大乗菩薩や仏弟子たちです(この力のことを「加持力」(かじりき)と言います)。このような出来事も神変とみなされます。
 火葬場とサンマイの関係はわかりません。どなたかご存じの方は教えて下さい。

説法の前段階(神変)はあまりにもうさんくさく感じた。インドではなく、中央アジア〜日本にはこのような話がお経として伝わっているのはなぜなのだろうか。
神変はたしかに理解を超えていますが、むしろ、理解を超えていることが重要だと思います。大乗仏典が強調することに仏の「不可思議」があります。仏やその教えは、われわれの思考を超えた存在であることが、彼ら大乗仏典創作者たちのねらいだったのです。ところで、宗教はしばしば人間を卑小なものとして、聖なるものの不可知性を訴えますが、それはわれわれ人間が想像力によって、自らは体験できないものや無限などを「思考」できることを、むしろ逆説的に評価しているからではないでしょうか。なお、大乗の仏典は「偽経」と呼ばれるもの以外は、大部分、インドで成立しました。中央アジアを含む中国や日本には、これが漢訳経典の形で伝来したものです。

今までいろいろな絵や彫刻を見てきたが、必ず仏の周囲には、神変を目の当たりにし、おどろく衆生が描かれているように思った。仏像のみを描いたり、作ったりして礼拝の対象にするということはしなかったのだろうか。これらの絵や彫刻は当時は寺院の飾りとしてしか用いられず、他の用途はなかったのだろうか。
はじめのコメントは、前回紹介した作品や、以前に取り上げた「三道宝階降下」が、いずれもそのようなモティーフの作品であったためと思います。今回からは礼拝像として制作された作品が、たくさん登場します。インドの初期の仏教美術が、どのような目的で制作されたかは、諸説があります。必ずしも装飾だけが目的ではありませんが、ストゥーパの欄楯の浮彫などは、その性格が強いようです。ガンダーラでは、仏伝やジャータカなどの説話図は、パネル形式で、やはり寺院を荘厳していたでしょうが、単独の仏や菩薩の像は、礼拝像であったと思います。いずれも、目的や機能はひとつではなく、どこにウェイトが置かれていたかという問題でしょう。

神変がとてもおもしろかったです。火や水を出したり、世界中に広がる神変は、自分でイメージすると手品みたいで、笑ってしまったのですが、それが世界(浄土)を表しているという説明でしっくりきました。最初の「如来説法図」も、周囲を「世界」と見れば、そこの人物がみな、釈迦の説法を反映した身ぶりをしているので、「浄土」を表しているのでしょうか。
「如来説法図」が浄土そのものを表しているかはわかりませんが、のちの中央アジアや日本の浄土図につながる作品であるのは、おそらくたしかでしょう。それは単に構図や印象が似ているというだけではなく、神変という大乗仏教固有の出来事が、のちの浄土思想の形成に大きな影響を与えたということです。宇宙全体に仏が放つ光に照らされることによって、一切衆生(すべての生類)が悟りを得ることが「決定」(けつじょう)されるという神変のあり方は、阿弥陀の救済を絶対化し、他力によってのみわれわれは救済されるという浄土思想と、きわめて近いのです。実際に『般若経』のような浄土教経典ではない文献に、すでに「浄土」の語が登場するのは重要です。ところで、神変では「世界」や「宇宙」という言葉が頻出しますが、日本人にとってはイメージしにくいかもしれません。日本仏教は個人の救済に重点が置かれ、それを取り巻くものには無関心です。これに対し、インドでは古代より、個と宇宙の関係に大きな関心が向けられました。最近出た仏教の宇宙論の本を紹介しておきます。
クレツリ、W.ランドルフ 2002 『仏教のコスモロジー』瀧川郁久訳 春秋社。

三十二相八十種好の「種好」とはどういったものなのですか。仏一体でそういった特徴がすべて含まれているというわけではなくて、何かひとつでももっていれば仏であるといったことになるのですか。
三十二相の方は肉髻相や白毫相、金色相など有名なものが多いのですが、八十種好の方はそれほど目立った特徴ではないので、あまり知られたものはありません。また、三十二相は仏の他に転輪王もそなえており、八十種好は仏と菩薩が有しているそうです。たとえば、指の爪は狭長で薄くて潤いがあり、光り輝いて清らかであるとか、臍は深くて円好であるなどがあるそうです。三十二相は、仏であればすべて備わっています。どれかひとつかけても、だめですが、そういった発想は仏典にはあまり見られないようです。悟りにいたる修行の段階で、少しずつ身に付けていくというものではなく、仏であれば無条件にすべてそろっています。あまり進化論的ではないのですね。もっとも、三十二相八十種好の内容が何であるかは、文献の間で必ずしも一致せず、いくつかの系統があるようです。これについての研究もあります。
逸見梅栄 1935 『印度に於ける礼拝像の形式研究』 東洋文庫。
山田明爾 1967 「観仏三昧と三十二相  大乗実践道成立の周辺」『仏教学研究』24: 27-48。

ゼミで『日本書紀』『日本後紀』などを読んだことがあるが、そこでは瑞相と同じように「瑞しょう」(字忘れました)記事というものが多く見られた。それは天皇の政がとてもよいということを表すときに書かれる(出現する)ものだった。仏教に大きく影響された天皇制だっただけに、こういうところも影響されているのだろうか。(ただ、天皇の場合はその人の徳、善政を表現・示すために瑞しょうがあるのだが)。授業の最初にある作品の特徴として「中心性、対称性」をあげておられたが、どの作品にも共通している気がした。中心性は縦はもちろんのこと、図像・画像表現の中での聖なるものの中心性というものも一貫していると思った。
はじめのご指摘については、とても興味深いですね。「瑞しょう」は「瑞祥」でしょうか。私自身は知識がありませんので、ぜひ調べてみて教えて下さい。仏典の中の瑞相は、授業でも紹介したように、たとえば釈迦の生涯で重要な事件が起こる前に、天変地異や奇跡的な現象があらわれることです。日本では高僧の伝記でも同じような記述が見られますが、仏伝の釈迦に範をとったものでしょう。「中心性」についてもたしかにそうだと思いますが、仏伝やジャータカなどの説話図では、必ずしも中心を持たないものもあります。「異時同景図」のように、複数の場面をひとつの画面におさめる場合、さらに視点が分散されることになります。聖なるものの表現のひとつとして、中心性や対称性をあげることができますが、つねに認められるわけではないようです。

双神変で火と水がセットになっていますが、火と水は古代から人類にとってたいへんに貴重なものであり、かつ恐ろしいものであったと思います。釈迦がその火と水を支配する力を持つということで、その釈迦像に対して現世利益的な願望みたいなものがあったのでしょうか。火と水という二つをセットするものとして、奈良東大寺のお水取りがありますが、これも関係あるのでしょうか。
火と水についてはたしかにそうだと思います。授業でも紹介しましたが、サンスクリットを含むインド・ヨーロッパ語では、水と火に生命のあるものとないものの2種ずつの語彙を有していました。釈迦がコントロールできるのは、もちろん、生命ある火と水です。とくに水は生命の源でもあり、単なる物質ではないことは、古代の人々だけではなく、われわれにも容易に理解できることです。双神変に「現世利益的」なものがあったかどうかはわかりません。むしろ、焔肩仏という形式にも結びつくことから、釈迦の超越的性格と見るにとどめた方がいいかもしれません。何を「現世利益」と考えるかも、難しい問題です。東大寺のお水取りについては、詳しくはわかりません。水は「閼伽」という名を持ち、インド古来の宗教儀礼の水ですが、日本古来の「若水」信仰とも結びついているといいます。火はたしか「だったん」というかと思いますが、語源にはいくつかの説があるようです。

山越阿弥陀図や求聞持虚空蔵などは、下の方に山が描いてありましたが、なぜですか?仏の尊さを表現しているのでしょうか。すごく遠い存在であるようにとらえられるのですか。
単なる情景描写ではなく、日本人の持つ他界観に関係すると思います。つまり、現実の世界とは別の世界が、山の彼方にあると考えていたからです。中国では極楽浄土を山の情景とともに描くことはありませんが、これが浄土の本来のあり方でしょう。われわれの世界(此岸)と仏の世界(彼岸)との間に、想像を絶するような断絶があるからです。これに対して、日本人の世界のとらえ方は、もっと自然や景観に結びついた「やさしい」方法で彼岸をとらえているようです。山の他にも海も日本人の他界観として重要です。
山折哲雄 1987 「仏教的世界観と民俗的世界観」『仏教民族学大系 3 聖地と他界観』(桜井徳太郎編)名著出版、pp. 267-279。

キリスト教の宗教画があんまりにも見事な遠近法を使っていたので思い出したのですが、マンダラ(立山曼荼羅もそうだった)や仏画には、遠近感を無視したものが多い気がします。文化の違いや技法の違いだけなのでしょうか。
遠近法は美術史上の重要なテーマで、古来多くの研究があります。遠近法と言えば、消失点を持つ線遠近法を連想しますが、これは遠近法の1種にすぎず、しかも、きわめて限定された時代と地域で優勢であっただけです。われわれはこれを学校教育の中で教えられるので、身に付いているのです。マンダラと遠近法の関係は、下記の私の本で取り上げていますので、読んでみて下さい。子どもの絵や現代絵画と、意外なところで結びついています。
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社。
若桑みどり 1992 「ルネサンス的空間の崩壊  マニエリスムとバロックへの道」『遠近法の精神史  人間の眼は空間をどうとらえてきたか』平凡社、pp. 149-222。

仏教とは何なのか基本的なことがわからないので、仏教の教えがどういうものなのかとか、仏教の概説的なものを読みたいのですが、どれがいいのかわからないので、わかりやすいものがあれば教えていただきたいです。
この授業は「仏教文化論」で、おもに図像作品からインド仏教のさまざまな姿を探るということを目指しているので、概説的な話をすることがなかなかできません。以下のような概説書がありますので、ぜひ、ご自分で読んでみて下さい。

渡辺照宏 1967 『お経の話』(岩波新書) 岩波書店。
渡辺照宏 1974 『仏教 第二版』(岩波新書) 岩波書店。
高崎直道 1983 『仏教入門』東京大学出版会。
立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書) 講談社。
平川 彰 1974/1979 『インド仏教史』(上・下)春秋社。


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