インド仏教美術の諸相

第3回 ガンダーラ(1):永劫回帰の物語

釈迦の一生を直線で表したところがよく飲み込めなかったのですが、菩薩時代と写実的表現、仏時代と象徴的表現がおのおの対応していると理解してよいのですか。また、中村元氏の「人間釈迦」の追求して得られた論理的結果、幻覚とする説について、先生はどのように思われましたか?私はあの考え方はたいへんわかりやすかったのですが・・・。あと、髪型がインドと日本(中国?)で違うことに何か意味はあるのですか。
はじめの質問は、そのような理解でけっこうです。サーンチーのジャータカ図などを見ていると、釈迦を象徴的に表していた時代でも、前世の釈迦は写実的に、つまり人や動物の姿そのもので表現していました。象徴的に表現されるのは、釈迦としての生涯だけだったようです。仏になる前の修行の段階を菩薩といいますが、菩薩は象徴的な表現の対象ではなかったようなのです。釈迦としての生涯に関しても、悟りを開く前もやはり菩薩となります。サーンチーではこの段階でも象徴的な表現ですが、次第にこの部分は人の姿として、表すようになります。前世の菩薩と同じレベルでとらえているのでしょう。象徴的表現という制約が、釈迦であっても菩薩の時代に対してはゆるめられたと見ることもできます。仏像が誕生したマトゥラーでは、仏像にあえて「菩薩」という銘文を付ける例があります。これも、菩薩であれば写実的な表現も可能であったことを示しているようです。第二の中村氏の「人間釈迦」については、たしかに理解しやすい考え方であるし、合理的なような気もします。私も仏教の勉強をはじめた頃であれば、納得して「これが本当の釈迦の姿なんだ」と思ったかもしれません。しかし、今の段階では、かなり疑念をもっています。第一に、仏伝の作者(つまり梵天勧請についての記録を残した人)は、釈迦そのものではなく、それを伝え聞いた人たちです。彼らが「釈迦が幻聴を聞いた」と思いつつ、あえて梵天勧請というストーリーをねつ造したとは思えません。仏伝作者も気が付いていなかったと解釈することも可能かもしれませんが、それは文献にもとづいた考察ではなく、単なる憶測にすぎなくなります。第二に、仏教というのは成道において釈迦が悟りを開いたということを前提にして、成り立っている宗教です。それを「成道でもまだ迷いが残っていて、梵天勧請を受諾したときに真の悟りが得られた」と解釈すれば、仏教というシステムそのものを否定することになるのです。誤解がないように付け加えれば、釈迦が本当に悟りを開いたのが真実かどうかを問題にしているのではなく(それは信仰のレベルの話です)、あくまでも仏教という宗教のシステムを問題にしています。ちょうど、数学の証明をしているときに、公理や前提が本当は間違いでしたというようなものなのです。最後の髪型の問題は、様式的には意味がありますが、たとえば螺髪であることにはかわりはないので、特別な力を持っているとか、何かをことなるものを象徴するということは、あまりありません。

「梵天が懇願する」という大義名分がなければ、ブッダは動かなかったなんて話をなぜ作ったのだろう。人々に仏教を広めるために、こんな話を作ったのだろうか。前から諸仏が勧請されて説法を行うということが決まっていたのだとしても、もし、人間に教えを理解されなかったとしても、自ら熱心に説けば、わかってくれる人もいるのではないのか。しかし、そうやって断念の誘惑に負けそうになるところに少し親近感がわくのも事実だけれど。
世の中のすべてを支配しているのが、「法」「真理」だということについて。過去も未来も決められているのは納得いかない。それが「真理」なのだから仕方ないのだろうが・・・。幼稚な考え方だが、人間が間違った方向に進まないような世界をあらかじめ作ったりしなかったのはなぜだろう。仏の成道→初転法輪を決定づけられるぐらいなのだから、人間の人生も「法」や「真理」が決められるのでは?
「梵天勧請」のエピソードはいろいろな問題と提起して、なかなか興味深いです。われわれからすれば、中村氏のいうような「釈迦や仏教の権威づけ」と理解したくなるところかもしれませんが、仏伝の作者やこの物語を聞いた人たちは、そのような深読みはせずにきわめて自然に理解したと思います。釈迦の生涯を見ると、さまざまな神話や奇跡に満ち満ちていますが、これらがすべて、後世の付託や仏教の権威付けと見て、それをはぎ取ってしまっても、何の残らないでしょう。われわれが現代の社会を生きるようには、2千年前のインド人は生きていなかったからです。前回の授業のポイントは、成道から初転法輪にいたる過程でよく知られていた「梵天勧請」のエピソードが、大乗仏教になると、枠組みは残しながらも、まったく違う意味で書き換えられたことです。その背景には、仏陀観、つまり仏陀をどのようにとらえるかという問題があります。それが、ガンダーラにおける仏像の誕生と梵天勧請の作例の豊富さに、何らかの関係があるのではということを提起したのです。すべてが法(真理)によって支配されているという考え方には、授業を聞いた多くの方が納得できなかったと思いますが、大乗仏教の経典の作者たちは、そのような考えのもので仏伝を読み替え、しかもそれが人々に受容されていったのです。ところで、すべてはわれわれの自由な意志によって、決定することができるというのも、その逆に、すべてがすでに決定されているという考え方と同じぐらい、不確かかもしれません。また、すべての悪や罪も、仏の仕組んだことという考え方も、仏典には出てきます。たとえば、デーヴァダッタというのは仏伝の中の極悪人なのですが、『ミリンダパンハー』という文献では、デーヴァダッタのすべての行いも、彼の存在そのものも、すべて仏が生み出し、しかもそれは仏の「慈悲」によるという考えが現れます。実はこれはとても危険な考え方です。詳しくは最近書いた次のものを読んでみて下さい。
森 雅秀 2001 「仏教における殺しと救い」立川武蔵編『癒しと救い:アジアの宗教的伝統に学ぶ』 玉川大学出版部、pp. 154-171。

釈迦苦行像ははじめて見たんですが、いつも見る仏像とあまりにも違っていて、おどろきました。それ以外の仏像は釈迦苦行像にくらべれば普通(?)だったんですが、それでも日本のよくあるものとは様式が違うなと思いました。日本のものは中性的なものが多い気がします。仏教の権威付とありましたが、梵天とは仏教で作られた独自の神だと思っていたんですが、仏教徒は関係なく存在していたものだと知っておどろきました。一番最初の初転法輪図に、天使のようなものが描かれていたんですが、あれは何ですか。
釈迦苦行像はそのあまりの凄惨さに、見るものに強い印象を与えるようです。ただし、授業でもお話ししたように、ガンダーラの代表的な作品のように紹介される苦行像は、作例はきわめて限られていて、けっして一般的な主題ではなかったようです。また、インド内部ではこのような釈迦苦行像の作例はまったくありません(ガンダーラはインドから見れば西北の辺境です)。それは、インド仏教徒にとって「聖なるもの」のイメージを、このような姿で表すことに抵抗があったからのようです。釈迦苦行像に似たものに「釈迦出山図」というのが日本にもあります。釈迦が苦行を終えて、山から下りたときの姿で、やはり、やせ衰えて、無精ひげを生やした姿をしています。禅宗で好まれた主題で、比較的作例も豊富です。梵天などについては、帝釈天や弁財天や韋駄天のように「天」という言葉が付いたものたちは、いずれもヒンドゥー教の神々です。またその多くはヴェーダの神話に登場する神々です。このような神と「共存」していた社会で、当時の仏教徒たちは生活していたのです。ヴェーダやヒンドゥー教の神については以下の文献がすぐれいています。
辻直四郎 1967 『インド文明の曙  ヴェーダとウパニシャッド』(岩波新書) 岩波書店。
上村勝彦 1981 『インド神話』 東京書籍。
初転法輪図の天使のようなものは、プットーと呼ばれる童子で、他の多くのモティーフと同様、西方のヘレニズム世界からもたらされたものです。のちに、キリスト教の天使のイメージ形成に関係します。森永のマークなどでおなじみの天使のイメージも、そのひとつです。天使そのものは必ずしも少年の姿をしているわけではなく、むしろ青年や若い女性のイメージで表される例が多いようです。パノフスキーの次の文献に、プットーを含む童子のイメージの変遷をたどった考察があります。
パノフスキー、E. 1987 『イコノロジー研究』(新装版)浅野徹他訳 美術出版社。

ラリタヴィスタラの梵天勧請のエピソードの中で、しきりに過去の仏、すべての仏と出てきたのですが、それら仏の中での位の差(えらさ)みたいなものはあるのですか?また、仏教美術の中で、どれが梵天であるかはどうやって見極めているのですか。エピソードを元に考えるのだと思いますが、エピソードも大量にあり、たいへんだなぁと思うのですが。
過去や未来においても無数の仏がいる、あるいはこの世界とは別の世界でも仏が説法をしているというのは、大乗仏教の仏陀観の特徴ですが、この段階では仏相互の位はないようです。むしろ、仏から仏へ法が正しく伝わるという正統性や、すべての仏が同じ法を説くという法の絶対性が強調されています。しかし、時代とともに、これらの仏を統轄するような立場の仏がいるのだと考えるようになります。そして、それは彼らを支配している「法」そのものであると考えました。このような仏を法身(ほっしん)と呼びます。毘盧遮那如来は『華厳経』に説かれる代表的な法身で、後に密教では大日如来となります。これについては今回の授業で取り上げます。「梵天を見極める」ことについては、このように図像の主題や登場人物を特定することを「比定」とか「同定」といいます。英語ではidentifyという動詞を用います。比定の作業は宗教美術の研究では大きなウェイトを占めますが、そのために文献や他の図像作品に関する膨大な知識が必要となります。梵天に関しては、多くの図像で帝釈天と対になって登場し、図像上の特徴も二人の間で、意識的に区別されているようです。このような特徴は文献では明確にされていませんが、図像の伝統の中で確認することができます。詳しくは次の文献を参照して下さい。
宮治 昭 1992 『涅槃と弥勒の図像学:インドから中央アジアへ』 吉川弘文館。

「ラリタヴィスタラ」の作品の説法の断念や梵天勧請のとらえ方がおもしろいと思いました。同じモティーフを扱っていても視点の違いでまったく違った作品になるのが興味深かったです。仏も「法」(真理)に従うものならば、「法」は誰が作ったと考えられているのでしょうか?特定の人が作ったものではなく、最初から存在する絶対的なものとしてとらえられているのでしょうか。
作った人(あるいは仏)はいないことになっています。「法」が絶対的なものであることはその通りですが、「存在する」という考えは大乗仏教では認めていません。すべては「空」(くう)であるからです。そして「空」であることが真理そのものとなります。もっとも、仏教の場合、何が真理であるかは時代や学派によってさまざまです。空の思想は『般若経』という経典に登場し、龍樹という哲学者によって体系化され、インド大乗仏教の基本的な考え方となります。このような立場を「中観」(ちゅうがん)といいます。

梵天勧請を三度繰り返すのには何か意味があるのですか。3という数字に何か仏教に関する深いつながりがあるとか。
意味があるかどうかはわかりませんが、はじめは1回であった梵天勧請が3回に増え、それが定着していったのは、文献から確かめられます。仏教の場合、教えが数字と結びついていることが多く、四諦、八正道、十二支縁起など、さまざまな数字が登場します。3だけが重要であったということはおそらくないでしょう。むしろ、梵天勧請を含め仏伝が口承文学、つまり、文字で書き表さずに、耳で聞いておぼえ、口で伝えたということが関係すると思います。日本の昔話を含め、このような口承文学では、同じことを三度繰り返すというモティーフがしばしば現れます。3というのは一種の安定した数字なのでしょう。

初転法輪での法輪の近くになぜ鹿が2匹必ず描かれているのですか。他の動物ではなく鹿である理由そして意味を教えて下さい。
初転法輪が行われたサールナートは鹿野苑(ろくやおん)つまり鹿が遊ぶ公園という名称を持ち、じっさいにいたようです。初転法輪の物語に鹿が登場することはありませんが、舞台装置として重要だったようです。ちなみに、初転法輪図の台座にも見られた、中央に法輪をおいてその左右に鹿を2頭配するモティーフは、仏教の象徴としても好まれ、チベットの寺院では入口の上によく表されています。

仏典において同じエピソードが繰り返される(時には先取りされる)のは、仏の世界を「法」の下に秩序付ける(統制する)ことに目的があるのではないでしょうか。つまり、そうすることで、釈迦の権威を強調しようとしたのではないかと思いました。
私もそう思います。ただし「権威づけ」という理由については、そう断言できるかどうかよくわかりません。そのころ、釈迦の権威の低下があり、仏教徒が危機感をいだいていたわけではないと思いますし、権威付けをしたかったとすれば、誰を対象にしていたかわからないからです。むしろ、釈迦以外にも仏が無数にいると考えられるようになったことや、あらたに経典に登場するようになった大乗の菩薩たちを、どのように整理し、意味づけるかという課題から、出てきたのではないかと思います。仏と法についてのさらに壮大な(ある意味では荒唐無稽な)物語について、今回取り上げるつもりです。

ガンダーラ地方は東西文明の交流点だと思いますが、たとえばギリシャ神話の神像の影響なども考えられますか。
もちろん、ガンダーラ美術はインド的要素よりも、西方世界のヘレニズム的要素が顕著なことで有名ですし、仏教の誕生そのものに、このような外来の影響が強かったことは定説になっています。ガンダーラ美術において仏像を作るようになったのが、インドでもクシャン朝という西方民族の王朝だったことも重要です。ただし、授業で取り上げた梵天勧請を含め、スワートから出土した多くの作品は、授業でも強調したように、このような一般的なガンダーラ美術とは明らかに様式が異なり、むしろインドの仏教美術との共通点が多く認められることが特異な点なのです。近年の研究において、これらの作品においてはじめて仏像が表されるようになり、それがインド内部のマトゥラーの影響と考える人たちが出てきました。その真偽は定かではないですが、仏教内部の状況として、従来の釈迦のイメージから、大乗仏教の仏たちというあらたな仏陀観が登場したことが注目されます。このことと、仏像の誕生と何らかの関係があるのではないかと推測するのです。そして、そのような新しい仏陀観のもとであらたに重要な意味が与えられたのが、梵天勧請の物語なのです。


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