第7回 五大明王・八大明王・十忿怒
今まで他の授業を含めたくさんの仏像を見てきましたが、あの家系図(?)はなかなか衝撃的でした。仏たちをつないでいくと、いつの間にかヒンドゥーの神々も巻き込んでいくという構造は、とても興味深かったです。運慶の八大童子像も、ただの八つの像ではなく、体の向き、視線、並べ方など、別の視点から見ることで理解が深まり、仏の世界は本当に奥深いと思いました。
五大明王をめぐるイメージの形成を、黒板を使って説明しましたが、ほかにも「なんだかよくわかんないけどすごい」「こんがらがった」「神さまの世界は複雑」など、いろいろな感想がありました。授業ではおもにイメージの借用と、敵対者という関係から示しましたが、これに加えて、それぞれ神話的な背景があったり、機能や性格などの共通点や影響関係などもあります。また、学問的には、これらのつながりひとつひとつに、歴史的な背景や根拠となる文献を示す必要があります。インドには無数の神や仏がいますが、かれらは長い年月をかけて、それぞれのイメージや性格を形成したのです。その場合、仏教やヒンドゥー教という枠組みは、あまり意味をなさないこともあります。授業でときどき紹介する私の『インド密教の仏たち』は、このような神々の世界のダイナミズムを、密教を中心にたどったものです。前回の授業で紹介した内容は、第3章と第7章に含まれています。そこではもう少していねいに説明しています。前回の配付資料では「生協に平積みされています」と書きましたが、最近、生協に行ったら、すでに返品されていました。若干は手元にありますので、購入したい人は私のところに来て下さい。
運慶の八大童子像については、授業でも言ったように、実際に実物を見ながら考えたことです。授業でお話しするためには、もう少し詳しく調べてからの方がいいのですが、また取り上げるのもむずかしいので、とりあえず紹介しました。運慶が八大童子を不動堂の中にどのように並べたかは、わかっていませんが、ためしに白描図像のように並べてみると、すっきり落ち着いて見えるのにおどろきました。おそらく正面から見ると、白描図像のように見えるように配置したのでしょう。八大童子の何人かが、やや伏し目がちにしているのも、正面に坐って見上げて礼拝するものに視点を集中させる効果が計算されていると思います。もっとも、これらは推測の域を出ませんが、いろいろ想像してみるのもおもしろいのではないでしょうか。
密教と聞いて頭に浮かぶのは御真言である。現世の御利益のためにとか、平安時代の陰陽道の中などで呪術を行う際などに唱えられている。それぞれの仏、明王、菩薩、天部などごとに、微妙に異なった真言を持っているようだが、そもそも真言を唱えるという行為によって、何らかの力を得ようという行為は、何を起源にするのか。
真言はサンスクリットでマントラ(mantra)と言います。「考える」という意味の動詞manから作った名詞で、儀礼の中で用いられる呪術的な言葉を指します。古くは、古代インドのヴェーダの祭式で、祭官が唱える呪句がマントラと呼ばれました。ヴェーダの祭式は、紀元前1500年ぐらいからインドに侵入してきたアーリア人が行っていたもので、その伝統は現在に至るまで続いています。そこでは、すべての儀礼はマントラを基礎に置いています。マントラを唱えることで人は神々と交信することができ、神々への供物の奉献と、その果報の享受が可能になるのです。仏教でも古くから呪文のようなものがありました。しかし、これはマントラとは呼ばれず、呪とか呪文に相当する言葉です。密教の時代になると、その流れを受け継ぐ陀羅尼(だらに)という呪文が流行します。しかし、ヒンドゥー教やヴェーダの儀礼に影響を受けて密教儀礼が形成されると、同じように儀礼の中でマントラが重視されるようになります。それぞれの仏に固有のマントラがあるのは、その仏と儀礼のなかで交信するための言葉だからです。陰陽道と真言の関係はよくわかりません。陰陽道は最近ブームのようなので、ご存じの人は教えて下さい。
愛染明王は「明王」という名が付いているのに、八大明王にも含まれていないのはなぜか。「明王」というと、五大、八大明王のみかと思っていたが、もっといるのだろうか。「馬頭」と聞くと明王よりもむしろ観音の方が先に思い浮かぶ。馬頭観音と馬頭明王は実は同一の仏ということはあるのだろうか。
愛染明王に対する信仰は日本では重要でしたが、インドではほとんど認められず、中国でもそれほど顕著ではなかったようです。その名前からも類推されるように、愛染明王は男女間の恋愛成就に功徳があったりします。インドではこのようなはたらきをする神として、カーマというヒンドゥー教の神の方が有名です。両手に弓矢を持っていますが、これは西洋世界におけるキューピッドと同様です。愛染明王もそのイメージを継承していて、多臂のうちの一組は弓矢を持っています。ちなみに、カーマというのは神の名前ですが、普通名詞としても用いられ「愛欲」という意味になります(カーマ・ホームセンターというのがありますが、関係はないと思います。たぶん)。なお、今回紹介する十忿怒尊には、愛染とよく似た明王が登場します。馬頭については質問のとおりで、観音になることも明王になることもあります。経典に説かれる姿は忿怒形で、明王と呼ぶ方が適当です。現存するインドの作例も例外なく恐ろしい姿をしています。しかし、観音の眷属のひとりとして信仰されていたようで、観音とは強い結びつきがあります。中国や日本ではたくさんの種類の観音が現れましたが、その中には、もともと観音の眷属だったものもいます。馬頭もそのひとりです。
今日は神話を聞けておもしろかった。中には聞いたことのある神もいたが、どのような神でどのような役割を持っているのかを、少し理解できて、興味深かった。また、そのような神々は、名前がひとつだけではないのが不思議である。
インドには無数の神がいますが、授業でも紹介したシヴァ、ヴィシュヌ、ドゥルガー、カールティケーヤ、ガネーシャなどはとくに有名です。これらを含め、インドの神はしばしば多くの異名を持ちます。ひとりの神が数百の別名を持つことさえあります。興味深いのは、重要な神が持つ別名が、本来別の神であることです。ヴィシュヌはクリシュナやラーマと同一視されますが、本来はそれぞれ別の神格です。シヴァの妻はパールヴァティーがもっとも有名ですが、ウマーやドゥルガー、カーリーも妻とみなされます。これらはそれぞれ単独で信仰されてきた恐ろしい女神たちです。このような神々相互の包摂や同一化に、インドの人々の信仰の特徴や神観念が読みとれます。
五大明王はヒンドゥー教と結びついているいうところにおどろいた。なんだかすごく複雑で、よくわからなかったのが悲しかった。神様の間にも上下関係があって、降伏したり(中には踏みつけられていたり・・・)しているところが、少し神聖さを欠いている気がした。
インドでは神が別の人物や動物の上にのっていることがよくあります。降三世明王の場合は、大自在天と烏摩妃というヒンドゥー教の神にのり、その背景として、降三世明王によるヒンドゥー教の神々の降伏神話があります。しかし、むしろこれは例外的で、足の下にいるのは眷属や従者であったり、自分と同類の仲間であったりします。たとえば、ヴィシュヌがガルダ、カールティケーヤが孔雀、シヴァが牡牛にのるのは、いずれもこれらの動物が従者であり、彼らの乗物だからです。また、毘沙門天が邪鬼の上に立ったり、地天と呼ばれる大地の女神の上に立つのは、毘沙門天が彼らと同類で、その首領であるからです。シヴァと同一視される大自在天の上に降三世が立つことも、同じように両者を同類と見なすことができます。降三世はシヴァから多くのイメージを借用しているのですから。降伏神話はもちろん仏教徒による創作ですが、このような関係を隠蔽する役割を果たしています。
スカンダはドゥルガーの子であり、パールヴァティーの子でもあるんですか。
スカンダはクリッティカーと呼ばれる7人の女神の子です。7人のうちの6人と火の神アグニが交わることで生まれました。6面を持つなど6が重要なモティーフになるのはそのためです。クリッティカーは星座のスバルで、その子どもということでスカンダはカールティケーヤともよばれます。後世になると、スカンダはシヴァとパールヴァティーの子どもとされますが、これはシヴァ神崇拝がインドで隆盛になってから、スカンダもその中に取り込まれたからです。象頭の神ガネーシャも同じようにシヴァの子ども、スカンダの兄弟となります。ドゥルガーは悪魔を殺戮する美しい女神で、こちらも本来は独立した神でしたが、同様に、シヴァの妻の地位が与えられます。スカンダとドゥルガーは、ともに悪魔を殺戮する類似の神話をもっています。また、スカンダはマートリカーと呼ばれる女神群と、母子のような関係にあります。マートリカーは「母なる女神」という意味ですが、子どもの生死をつかさどる神です。同じような役割はスカンダにもあります。ややこしくなりましたが、要するに、ヒンドゥー教には少年神と母神に対する信仰があり、その両者が密接に関係しているということです。少年神の代表がスカンダ、母神の代表がドゥルガーということになります。
「八大」とか「五大」とか作ったことは、格に上下がなく、同じくらいのポジションってことですか。もしそうだとしたら、明王の中で不動なんかだけ知名度が高いのは何ででしょうか。人気ですか。あと、スンバの話は何に載っていますか。読んでみたいです。
八大明王の場合は基本的には同格でしょうが、五大明王の方では、たしかに不動は一段格が上になります。これは先回紹介した「三輪身説」のなかで、不動が大日と同体とされることによります。大日如来は五仏の中心的存在であるばかりでなく、すべての仏たち、あるいは森羅万象の根源的な存在であるからです。また、不動が重視されたのは、儀礼との関係もあります。これについては今回から見ていきます。スンバやドゥルガーの神話は、ヒンドゥー教の聖典のひとつ『デーヴィーマーハートミヤ』に含まれています。最近、和訳が発表されました。私も以前、この文献の図像作品を出版したとき、要約を載せました。ヒンドゥー教の神話に関する入門書もあわせて紹介しておきます。いずれも比較文化の研究室にあります。
小倉 泰・横地優子 2000 『ヒンドゥー教の聖典二編』東洋文庫 平凡社。
M. Mori & Y. Mori, The Dev エm敬荊mya Paintings Preserved at the National Archives, Kathmandu. Bibliotheca Codicum Asiaticorum No. 9, Tokyo: The Centre for East Asian Cultural Studies for Unesco『ネパール国立古文書館所蔵『デーヴィーマーハートミヤ』絵画集』 ユネスコ東アジア文化研究センター(財団法人東洋文庫附置)1995.
立川武蔵、石黒 淳、菱田邦男、島 岩 1980 『ヒンドゥーの神々』 せりか書房。
上村勝彦 1981 『インド神話』 東京書籍(ちくま文庫として2003年に再刊)。
五大明王がヒンドゥーの神々からイメージを借りていることについて。シヴァはよく蛇と一緒にいますが、軍荼梨明王が蛇と関係するらしいのと、つながりはあるのでしょうか。イメージ借用の図だけを見ると、金剛夜叉は降三世の祖型(ヤクシャ)であり、大威徳(文殊・スカンダ)は降三世に降伏されたもの(大自在=シヴァ)の息子ですが、位の優劣はあるのでしょうか。
軍荼梨明王が身体に巻き付ける蛇と、シヴァの蛇はおそらく関係があると思います。シヴァが蛇を伴っているのは、苦行者としてのシヴァの特徴のひとつですが、蛇の持つシンボリックな力(とくに男性の性的な力)とも関係があります。宗教学的に蛇が重要なシンボルであることは、さまざまな神話や図像などから知られます。軍荼梨明王に限らず、仏教の忿怒尊は、腕輪や瓔珞などの装身具のかわりに、しばしば蛇を身体に巻き付けます。インドの場合、ナーガと呼ばれる龍神への信仰があり、イメージ的に蛇に重なります。忿怒尊が身体に巻き付ける蛇も、文献ではナーガと規定されています。軍荼梨明王の起源はよくわかりませんが、アムリタクンダリン(甘露軍荼梨)というのが本来の名称で、不死の霊薬である甘露という言葉も含まれています。クンダリンという言葉の意味はよくわかっていませんが、蛇のとぐろを指す言葉にも用いられるので、もともと蛇と結びついていたことも予想されています。後半の質問のヒンドゥー神と五大明王の関係は、上記の回答を参照して下さい。
私は京都出身なのですが、金沢には美術展みたいなのが少ないような気がします。なぜですか。
なぜでしょうね。一応、県立美術館と歴史博物館という「容れ物」はあるのですが、なかなか大規模な展覧会は少ないようです。しかし、注意していると、なかなかよい企画の展覧会もやっています。先日も「能登の仏像展」が歴史博物館でありました。現在、広坂に現代美術館を建設中で、来年には完成する予定です。ここはかなり期待できそうです。
三十六童子も眷属として、それぞれにちゃんと名前や特徴があるのかなぁと思った。八大童子の構造、バランスだけでもあんなによく考えられているのだから、三十六童子もバランスとかたいへんだろうなぁと思う。埋没してしまいそうな童子もいるのでは。シンメトリーを崩すというのは、ラファエロか誰かの絵の説明であった気がする。崩すことで特徴が生まれ、そこに目がいくのかなぁと思う。
三十六童子は衿迦羅と制多伽以外は名称の比定は困難なようです。文献としては「勝軍不動明王四十八使者祕密成就儀軌」という経典が典拠と考えられていますが、ひとりひとりの尊容については規定がないからです。ラファエロ論は知りませんでしたが、シンメトリーを含め、画面構成は画家の腕の見せどころのひとつでしょう。自然な情景を描いているように見えても、その背後には画家の周到な計算があるのが普通です。しかも、優れた芸術家はそれを直感的に行います。ロラン・バルトは『明るい部屋』(みすず書房)という写真をあつかった本の中で、われわれに強い印象を残す写真は、画面の中にわざと全体の秩序を壊すような「点」が含まれていると書いています。