第3回  日本への不動の伝来と初期の図像


理屈っぽい言い方になりますが、初期の不動明王像を制作するときは、規範になる文献のようなものは存在しなかったのでしょうか。それとも天才的な宗教美術家が直感とヒラメキで制作したものでしょうか。あるいは、不動明王の出自がインドの俗神であり、年月を経てそれなりの形態が造り上げられていったのでしょうか。
作品と文献の関係は私自身のこだわりもあって、前々回から問題にしていますが、なかなか難しい問題です。授業では説話的な作品と、礼拝像的な作品というふたつのグループに分けて、作品と文献の順序が逆になるという図式を示しました。わかりやすいように一般化しましたが、実際はさまざまなケースが考えられます。文献と作例の関係は「ニワトリとタマゴ」のようなもので、明確にどちらが先であるとは断言できないでしょう。日本で作られた多くの不動の作品が、経典や儀軌の記述に忠実であることは、それらが典拠になったと考えられます。しかし、次週取り上げる予定の黄不動に見るように、文献の裏付けのないイメージが、連綿と作り続けられることもあります。また、大師御筆様(東寺講堂像など)の不動が、斜視を示さず、大きく見開いた目をしていることは、文献と一致しませんが、日本の初期の不動に強い影響力を持っていました。基本的に、芸術作品が生み出されるときには、文字でそれを記述するよりも、作品そのものが先にできていると思います。「はじめにイメージありき」ということです。

弁髪について、長い髪には力が宿るという考え方が日本にはあり、他国(西洋)にもあったと思うが、不動のものにもそのような意味があるのかと思った。
不動についてはよくわかりませんが、髪の毛に力が宿るという考え方は、たしかにありますね。旧約聖書の有名なサムソンとデリラの物語などがあります。これは、武勇で知られたサムソンが、美女デリラの妖しい魅力におぼれて、力の源泉が自分の髪にあるという秘密をデリラにもらして、眠っているあいだに髪を切られて敵に眼を潰されるという物語です。レンブラントの絵やサン・サーンスのオペラが有名です(金沢では美容室の名前になっていますが、この場合、美容師がデリラで客がサムソンということになるのではと心配してしまいますが・・・)。不動の髪は燃えさかる火のイメージと重なるようですが、これも力の源泉というイメージがその背景にあるのかもしれません。インドやチベットの忿怒尊には、しばしば「炎髪」と呼ばれる逆立つ髪を示すものがあります。不動の眷属の八大童子の中にも、そのような姿をとるものがいます。

・「作品→文献→意味」という流れの原点となる「作品群」はさかのぼれば「村の守り神」(民間信仰の神々)、「人面石」や「人面草」・・・アニミズム的信仰の対象となるものに行き着くのでしょうか。
・でも、仏教には本来仏像はないですよね。最初の(釈迦の?)像は「意味→作品」の流れで作られ、図像づくりが一般化してから「作品→意味」の流れが主流になったのでは?(具体的な図像からはイメージが膨らみやすく、いろいろな仏サン達が「派生」「枝分かれ」しやすくなっただろうと思います)
はじめの質問ですが、たしかに先史時代の彫刻や絵画には、きわめてプリミティヴなものがあります。また、村の神が昇格して、より広い地域で信仰される神となり、そのときに新しいイメージが与えられることもあります(インドではとくにしばしば起こります)。しかし、その一方で、具象性に富み、芸術的な価値が極めて高い作品が、古い時代に出現して、時代が下るほど、作風が衰える場合もあります。ヨーロッパにおいてギリシャやローマの芸術が、ルネッサンスの規範となったことなどは、その好例です。インド美術でもガンダーラ彫刻の最盛期は紀元後しばらくで、後になると出来も悪くなります。美の歴史とは進化論的に進むものではないことがおもしろいところです。それは、宗教や思想についても言えることで、アニミズムからすべての宗教が「進化」していったのではないのと同様です。作品と意味についての二つ目の質問について。たしかに、作品が生み出された後で、そのイメージが広がるとともに、新たな意味が与えられることもあります。また、インドにおいて礼拝像が誕生したのは、釈迦を中心とした説話的な作品から、釈迦のみを抽出したり、それをモデルに別の仏や菩薩を生み出したことによります(すべてではありませんが)。授業で示した作品と文献(そして意味)についてのふたつの図式は、断絶したものではなく、ひとつとなることもあるのですね。上にも書いたようにこの問題は、仏教美術を考える際に重要な点となります。さらに、いろいろ考えてみて下さい。

なぜ、ハスの花を頭に載せているのですか
よくわかりません。ハスそのものはインドをはじめ、世界各地で好まれた植物で、さまざまな姿をとって芸術作品に登場します。前に紹介した「頭から貨幣を出すヤクシャ」は、小太りの男性像という全体的なイメージも不動と共通しますが、貨幣の出てくる源が頭の上のハスであるのが注目されます。

ネパールのチャンダマハーローシャナが抱きかかえているパートナーは誰なんでしょうか。
配偶神つまり妻です。インド後期密教の伝統を受け継ぐチベットやネパールの仏教では、高位の仏がしばしば自分の妻をともなっています。教理的には男性の仏は方便を、女性の仏は般若を象徴し、両者が合一することで悟りが得られます。それにしても、あの格好ではなかなか走れそうにないように見えますが・・・。

本編とはあまり関係がありませんが、仏教の中にヘレニズム的な要素は多く入っているのでしょうか。
もっとも有名なものが、授業で紹介したガンダーラの仏教美術ですが、その影響はインド内部にも及んでいます(ガンダーラはインドから見れば北西の辺境です)。また、仏教やヒンドゥー教の神々には、西方世界に起源を持つといわれているものもあります。どのような文化もそれ自体が孤立しては存在せず、つねに周囲からの影響を受けていますが、インドという国は、とくに北西からの異文化を受け入れつつ自分たちの文化を形成してきました。インド文化の中心を占めるアーリア人の文化そのものも、同じように入ってきました。

「くりから」が剣の名前であることにおどろいた。倶利伽羅峠の名前もこれから来ているのだろうか。だとすると、あのあたりにある不動寺に関連して「倶利伽羅」という地名が付いたのだろうか。それとも、土地の方が先にあって、後から不動信仰が入ってきたのか。
前者です。「倶利伽羅」というのはもともと龍の名前で、原語は「クリカ」です。仏典に登場する龍のひとりで、密教経典では八大龍王のひとりになります。不動の剣にいつからこの龍の名前が与えられたかは確認していませんが、剣の持つ形態と龍が通じていることや、龍をご神体としてまつる儀礼が関連していると思います。不動寺は金沢からも近いので、一度、お参りに行きたいと思いつつ果たしていません。

仏教美術は格好良いなと思った。走り出す格好より、坐像の方が堂々としていると思う。走り出すというのは、いかにも使いっ走りのようでおもしろい。ところで、前期の授業を受けてないのでわからないのですが、マンダラというのは何なのですか。絵を見れば「マンダラ」とわかるのですが、なぜこういうものを作ったのか、何を意味しているのかがわかりません。教えて下さい。
不動の姿が単なる使いっ走りから、堂々とした男性像に変化したということが、日本における不動の重要性をそのまま示しているようです。今回を含め、これらかいろいろな不動の姿を紹介するのでお楽しみに。マンダラについては、他にも「わからないので説明して」という質問が何件かありました。別の授業(仏教学特殊講義)で1年かけて講義をしています。この授業ではマンダラについて説明する時間的な余裕があまりありません。一般向けに「マンダラとは何か」をまとめた資料を配付しますので、読んでみて、わからないところをまた質問して下さい。

仏教美術にはどんな細かい箇所にも名前が漢字で付けられているというのをはじめて知り、何か雰囲気が出てておもしろいなとおもった。
どの分野もそうですが、仏教美術の専門用語はとくに日常からかけ離れたものが多く、覚えるだけでもなかなかたいへんです。しかし慣れてしまえば、専門的な本を読んだり話を聞いたりするのが楽しくなります。また、具体的なイメージをともなうことが多いので、抽象的な仏教の概念などより、はるかに取っつきやすいと思います。

涅槃の図像はストーリー性があって、とてもおもしろい。教会にある字の読めない人のための聖書の絵みたいだと思った。
仏教美術に限らず、説話的な内容を持った作品は、それを解説する「絵解き」のようなものをしばしばともないます。一般信者に絵の内容を語ることで、布教の役目を果たします。日本でも高僧絵伝や浄土図、曼荼羅図(とくに参詣曼荼羅)などが、絵解きの材料として有名です。不動のような礼拝像も、その特徴が教理的な意味と結びつけられることで、絵解きの対象となります。不動を拝みにきた信者に、たとえばしかめた眼や上下に向いた牙がそれぞれ意味があることを僧侶が説明すれば、それがどれだけこじつけのようなものであっても、信者たちは「ああ、なるほど」と思うでしょう。作品と意味についての関係に、このような機能や用途の視点をくわえると、また別の問題へと広がっていっておもしろいですね。

不動は条帛以外に上半身に何か衣をまとっているのでしょうか。上半身、裸の上にアクセサリーを付けているようにも、ぴったりとした薄い服を身につけているようにも見えます。
条帛以外は何もまとっていません。条帛も付けていない不動もあります(『胎蔵図像』の不動や黄不動など)。上半身裸であることは、不動が本来童子であったことと関係するでしょうが、日本の不動の場合、その筋骨隆々としたところが強調されるという効果があります。

カルラ炎のカルラって何ですか。
インドの想像上の鳥で、ガルダといいます。神話に登場し、とくにヴィシュヌ神の乗物として有名です。蛇を食べるので毒蛇除けの神にもなります。ちなみに、インドネシアの国営航空がガルダ航空というのはここから取られています。

斜めの不動と、正面の不動っていうのがよくわからない。黄不動って、アフロみたいだ・・・。ショック。
不動がどちらの方を向いているかは、われわれにはたいした問題ではないような気がしますが、美術史的には重要です。ほとんどの初期の不動は、やや右を向いていますが(専門家は「右に振る」と言います)、例外として高野山の正智院や、広島の大聖院の作例が正面を向いています。また、アフロ(?)の黄不動も正面向きですが、これは「感得」という宗教体験と結びつくと解釈する研究者もいます。

前回の授業への質問に対する答えで、女性の仏がいるということをはじめて知りました。仏にはさまざまな種類のものがありますが、今まではそれらは皆、釈迦がより多くの人々を救うためにさまざまな姿に形を変えて現れたものだと思っていました。この考えはあってますか?もしあってるとしたなら、女尊はもしかして、とくに女性を救うために現れたものであると考えていいのでしょうか。
女性の仏は大乗仏教の時代になって少しずつ現れ、密教では爆発的に増えます。マーリーチー、ターラー(多羅)、般若波羅蜜、チュンダー(准提)、パルナシャバリー(葉衣)などがあげられます。このほか、ヒンドゥー教から取り入れられた弁財天、吉祥天、民間信仰の豊穣神である鬼子母神なども女性です。観音はしばしば女性の仏と思われていますが、菩薩なので男性です。インドではインダス文明の昔から女神信仰があり、ヴェーダ文献にもさまざまな女神が登場します。中世にはドゥルガーに代表されるような、男神をも力で凌ぐ女神があらわれました。仏教における女性の仏の登場も、このようなインドにおける女神信仰の流れの中でとらえる必要があります。「釈迦がより多くの人々を救うためにさまざまな姿に形を変えて現れたもの」という考え方は、仏教の仏たちを整理して理解するために登場します。そこでは根源的な仏は法身(ほっしん)と呼ばれ、大日如来がしばしばその法身と考えられました。その場合、釈迦でさえも法身が姿を変えてあらわれたものになります。このような仏たちの関係についての考察は「仏身論」と呼ばれます。これについては、不動の後の大日如来の時に取り上げる予定です。

不動明王が文献をもとに固定観念が生まれたなら、文献のもととなったメ不動明王モはどうして生まれたのですか。インドの「使者」というイメージが一人歩きをはじめて、「仏」にまでなったのですか。また、マニュアルが存在するにもかかわらず、時代によって「不動」は変化しています。マニュアルは必ずしも守る必要はなく、時代に合わせて作成することがあったのですか。
前半の文献と作品については、今回の質問の前の方でも取り上げていますのでそちらを見て下さい。不動のイメージ形成については、授業で考えていきたいと思いっています。マニュアルからの逸脱や、マニュアルにないイメージについては、黄不動の時に感得や意楽(いぎょう)という問題で、詳しくお話しします。

もしよければ、スライドで見せる作品を、その授業の前の週にプリントで配って欲しいなぁと思います。そうすれば、先生の説明を聴く前に、この作品にはどのような意味が込められているのか、自分で考える時間が持てていいなぁと思ったのですが。それか、授業中に考える時間をとって欲しいです。考える前に教えられると、想像がふくらまないし、この像はなんでこのような格好なんだろう?って考えてみたいです。
そうですね。たしかにそれはいい方法です。また、まず自分で作品を見て、先入観なくいろいろ考えることは、美術研究においても重要です。問題は私が授業の準備をするのがたいてい授業の直前ということでしょう。毎年、同じ授業をしているのであれば、配布するプリントも、あるいはスライドで映すパソコンのファイルも、学期はじめに配布できるのですが、基本的に学部の授業は毎年変えていますので、そういうわけにはいきません。まぁともかく、何か改善策を検討してみます。

65,000円もする本を見たのは生まれてはじめてかもしれないです。ぜひとも本物も見たいなぁと思いました。一般の人も見られるのでしょうか。
本の値段として65,000円は別に高いわけではありませんが、あの大きさでは割高感がします。おそらく、版元の朝日新聞社が園城寺側に高額の使用料を支払ったからではないかと思います(勝手な憶測ですが)。黄不動は秘仏なので普通は見られませんし、定期的な御開帳もないようです。ごくまれに展覧会などに出品されることがあるようですが、さしあたっては予定はないでしょう。一番確実に見る方法は、園城寺の僧侶になることですが、別に強くはすすめません。

秘仏という言葉が何回か出てきたのですが、日本には一般の人が見ることができないものが、そんなにたくさん存在するのでしょうか。秘密にすることで神秘性を高めているのかと思いました。気になります。
秘仏というのはおもしろい存在です。まったく見ることのできない秘仏もありますが、大多数は周期的に見せる、つまり御開帳をするものもあります。秘密にしつつも、ときどきちらりと見せるということです。宗教美術には「秘密にする」という態度がしばしば見られますが。それは仏像などのイコンの「聖性」を維持するためのもっとも一般的な方法だからでしょう。偶像崇拝の禁止とも通じるものがあると思います。その一方で、「見えないからよけいに見たくなる」という人間の心理も、秘仏を生み出す要因にあるでしょう。秘仏ばかり集めた本(タイトルも『秘仏』で、毎日新聞社から出ています)もあります。