第13回 日本における大日如来像


はじめに
 今回は最終回ということもあり、全般的な感想も多く見られました。記入していただいたものはすべて掲載しました(一部省略した部分もあります)。その分、私からのコメントはあまりありませんが、質問があるものには簡単な回答を付しました(それでも全体はかなりの量になりました)。全般的に「興味が持てた」「これまで知らない世界に触れることができた」という感想が多く、よかったと思います。この授業は仏教美術ではなく仏教文化史なので(東方文化交流史でもあります)、仏像の紹介だけではなく、その背景にある文化や信仰、儀礼などについても触れるようにつとめました。実際、主要な作品を紹介するだけでも情報量は多いのですが、それだけではつまらないし、本に書いてあることを読めばすむことです。むしろ、作品を通して文化や宗教全般について考えを深めてもらいたいと思っていました。「文献と作例の関係」「感得像が意味するもの」「儀礼と聖なる空間」「修験との関わり」「宗教における超越的存在」などのトピックを取り上げましたが、それが「自分で考えること」のきっかけになればと思います。

今日だけに限らず、この講義では自分がほとんど知らない新しいものにふれることができた気がして楽しかった。スライドはとても見やすかったし、実際に美術作品を見ることで、理解も深くなった気がする。国ごとに変わっていく美術作品や、各国によって仏教世界の表し方が違うということは、私にとって興味深い話だった。

スライドを使わず説明で聞くときは、それなりに自分の中で「大日」や「不動」のイメージを持って聞き、内容もなるほどなーと納得できるのですが、実際にスライドで作例を見ると、それぞれ「大日」とか「不動」という一言に収まらないくらいさまざまなイメージがあって、そのギャップをなかなか楽しめました。その「収まらない」ところがいいところだなと。
五重塔の全体構造についてもっと詳しく知りたいです。
蛇足ですが、岩手出身者としては中尊寺の一字金輪像がなんだかすごく田舎っぽくて、なるほど地方色出てるなぁと思いました。
五重塔の構造を含め、日本の仏塔については以下の文献があります。
濱島正士 2001 『日本仏塔集成』中央公論美術出版。
濱島正士 1992 『寺社建築の鑑賞基礎知識』至文堂。
また、杉本卓洲先生の『インド仏塔の研究』(平楽寺書店)はインドの仏塔についての研究ですが、この分野の名著です。中尊寺の「人肌の大日」はなかなかいいですね。

栃木の光得寺の大日如来坐像の扉についていたなマークには、何の意味があるのですか。
以前にもお答えしたような気がしますが、金剛界大日如来を表すシンボルの文字(種子)です。反対の扉には胎蔵大日の種子もあり、両者で「金胎不二」つまり金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅は本質的には同一のものであるということを表します。

毘盧遮那の遮那は源義経の遮那王という名と同じ字を使うが、それだけではどういう意味を持っているのですか。
たしかに源義経の幼名は遮那王のようですね。この分野のことはさっぱりわかりません。勝手な推測ですが、修験や天台宗と関係があるのかもしれません。蔵王権現、不動明王、大日如来という授業で取り上げた同体関係とかも。遮那そのものは独立した単語ではないので、意味はとれません。毘盧遮那仏を日本では盧遮那仏と呼ぶようになり、さらに遮那というように、はじめの音節が欠落したのではないでしょうか(言語学でそのような法則があるのでは?)。

五重塔の二重から五重部分に仏は置かれていないのでしょうか。もしくは置けないとか。
置いてある場合もありますが、第一層に見られたように、建造物全体の構造と結びついたような配置は難しいでしょう。

仏の目はすべてが半眼に見えますが、やはりそれは下界を常に見守っているというふうに解していいのですか。
日本ではそのような解釈があるようですが、通俗的なもののようです。インドでは目を見開いた仏像もたくさんあります(むしろ、時代で変わります)。半眼というか半開きになっているのは、瞑想の状態を表すという解釈もあります。

高野山大塔はコンクリート製ということでしたが、それは別に問題にならないのでしょうか。永平寺を参観したとき、鉄筋の建物などあってがっかりしました。
高野山大塔はたしか大正時代のものですが、鉄筋コンクリートというのは当時の最先端技術だったようです。伝統的な宗教建築が古い時代の技術で作られなければならないわけではないので、別にいいのではないでしょうか。高野山大塔は形態的には伝統に則っています。

授業を通じていろいろな仏教の作品を見てきたが、これまでこんなに種類が多いことや不動や如来でもいろいろな形があることは知らなくておどろいた。また、ひとつひとつに意味を持っていたり、時代や作者の特徴が見られたりするのはおもしろかったです。これからはいろいろな宗教作品を自分なりの視点をもって鑑賞したいです。

この講義を通してつねに思ったのは、人類が信仰の対象として仏を創造してから、幾百年もの間伝えられてきたことの不思議さだ。高校生まで家の近くのお地蔵さまには必ず挨拶して学校に行ったし、花祭りのときは、菓子をふるまわれた。そのお地蔵さまと菩薩というものがすぐには結びつかないくらい、生活の中に自然に溶け込んでいた(田舎だからだけど)。自分が宗教をもっているとなかなか思わないけれど、もっと普通にそばにあるものなのだと思う。五智如来、空海と高野山展を見に行ったとき見ました。あの資料館は広くておもしろかったです(森注・安祥寺の五智如来のことだと思います。京博の常設館の方にいつも展示してあります)。

大日如来(京都・安祥寺)は、仏像の右手は左手を握っている位置が他の大日如来坐像とちょっと違う気がするけど・・・。
大日如来坐像(和歌山・金剛峯寺)の方は、右手は左手を握っているときは、人差し指と中指の間であいている空間があったが、とくに手の握り方は意味があるのですか。
同じ智拳印でも仏像によって少しずつ形が違うようです。時代や作者の嗜好によるため、制作年代や作者を考える上で役に立ちます。同じ智拳印であれば、とくに意味の違いはないでしょう。

慈光院毘盧遮那仏坐像を囲う格子模様の金の屏風みたいなものが、ちょっと派手でけばけばしかった。

不動と異なり大日如来はとてもおだやかな印象で、今にも動き出しそうな「動」のイメージの不動と、静かに瞑想にもふけっているかのような「静」のイメージを感じる大日如来は、本当に正反対だと思いました。今、仏というと「静」のイメージ(授業の中でいわれていた言葉を用いれば母性的な方の)神を一般的には連想すると思うのですが、それは時代的なものなのでしょうか(時代的に癒しを求めているとか)それとも日本的なものなのでしょうか、どちらなのかなと思いました。
時代的なものもあるとでしょうし、日本的なものもあるとでしょうし、他にもいろいろな要因があると思います。他の宗教、たとえばキリスト教やイスラム教などを比較として考えてもおもしろいでしょう。キリストとマリアは親子ですが、見方によっては父なる神と聖母でもあるわけですし。

運慶、快慶という高校のとき、日本史で出てきた名前が出てきて、ちょっと身近に感じた。話の最後の方に、塔自体を大日如来というのがあっておもしろかった。

大日も不動も、ほとんどが青年(中年?)の姿のようです。以前に、子どもの姿をしたものは見せていただきましたが、老人の姿のものはないのでしょうか。
如来や明王のグループにはいないようです。仏像一般であれば比丘(高僧)の像に高齢者がときどきいたり、修験のときに取り上げた役行者のような像もあります。

私は西洋史を専攻していたので、仏教のその平和的なことに驚きました。「不動」というのは畏怖は与えますが、民衆にとっては守ってくれる力強い存在でした。しかも宗派で争うことも、他方を否定することもなく、寛容を旨とする仏教は、多様性を包括する精神を持ち合わせていたのだなと思いました。仏教にこれまでほとんどまったく触れたことがなかった私には、ちょっぴり難しい授業でしたが、新鮮な考え方がいっぱいでとても興味深いものでした。ありがとうございました。

大日如来のスライドを見ていてすごく気になったのは、額にある○です。これはいったい何ですか。考えてみると、インドの女性も額につけているのを見たことがある気がします。最後にこんな初歩的な質問をしてすみません。今期、この講義を受けて、はじめて仏教の世界に触れました。なかなか複雑なんだなぁというのが感想です。無知のあまり、「なぜ?」というより「そうなんだ・・・」という思いをしてきた気がします。ありがとうございました。
仏像の額にある○は「白毫」(びゃくごう)といって、白い毛の渦です。仏には通常の人間にはない身体的な特徴があると信じられ、それが32種類あることから三十二相と呼ばれています。白毫もそのひとつで、伸ばすと一メートルぐらいあるそうです(ほんとかなと思いますが)。大乗仏教の経典では、ここから光が発せられて世界中が照らされることが説かれます。とても大事なところのようです。

塔をひとつの世界とみなすという考えかたがおもしろかった。心柱を大日とみなすという方法がおもしろく、そこまでしてひとつの世界を作ることにこだわるのがすごいと思った。

金剛界大日如来坐像や胎蔵界大日如来坐像など、冠が一層ヴァージョン・アップしたものを見て、瞬間、違和感を覚えました。なんだかものすごく俗っぽい装身具に思えたからです。個人的には仏の頭にあまりに仰々しい冠はちょっと・・・という気がします。

レポート課題が難しそうで、できるかどうか不安です。あと、前回見た外国の仏像より、今回の日本の仏像の方が何となく雰囲気が丸い感じがして、日本のよさが出ているような気がした。

今まで自分がまったく知らなかったことばかりで勉強になりました。以前から知っているものごとでも、今度は仏教というあらたな側面から考えることができそうです。

半年間、ご苦労様でした。

塔全体を宇宙とする、ということは、当時は宇宙を重層的なものとしてとらえていたということの表れなのでしょうか。あと、塔の二階から五階の内部はどうなっているのでしょう。
五重塔のような多層式の塔の構造そのものは中国の建築の影響があると思います。日本人にとって宇宙を構造的にとらえるということはあまりないので、おそらく重層的なものとしてはとらえていなかったのではないでしょうか。塔の内部については上記の参考文献を見て下さい。仏塔の構造については大日如来のついでに少しふれただけですが、インド以来、仏塔は世界をあらわす重要な建築物です。来年の前期には「仏教の空間論」というテーマで授業をする予定で、その中で仏塔についてもくわしく見たいと思っています。

高野山の大塔を見て、色彩の鮮やかさにびっくりした。もちろん再建されたものだが、朱、緑、白の色は、当時の都的な文化と通じるものなんだぁと思った。あと、幼いころも考えていたことだが、スライドを見て思ったことは、ばからしいことかもしれないが、仏の表情について、仏の目は開いているのか閉じているのか。その違いは何なのかと考えてしまった。見る方向によって閉じているように見えたり開いているように見えたりするのだろうか。でも開眼供養があるということは、やはりすべての仏は目を開いているのだろうか。10月に京都に行き、さまざまなお寺や博物館へ行って来たが、その時はただ「すごいな」としか感じなかった。しかし、授業を受けたので、もう一回お寺や博物館へ行って、しっかり仏像を見てみたいと思った。
高野山の大塔は5年ほど前に修復工事をして、あざやかな色がよみがえりました。密教寺院というのは基本的にとても派手で、その色彩感覚は日本的なものとはかなり異なります。

現在残っている仏像などは、復元されたものなども結構あるそうなので、消失してしまった文化的遺産もたくさんあるのだろう。この授業で今まで見てきたものは、個々の特徴や背景など、どれもがとても興味深いものだ。だから私たちが目にすることのできなかったもののことを思うと残念でならない。

前回の私の小さな疑問にていねいに答えて下さってありがとうございました。八大菩薩は持ち物によって特徴づけられるんですね。「個性の消失」は何となく寂しい気がしました。ちなみに7人の小人は性格で区別されていますよね。ごきげん、おとぼけ、おこりんぼ、てれすけ・・・。
大日如来の髻(もとどり)に今回よく注意を向けて見てみました。それぞれ大きさや形がいろいろですね。あらたな発見でした。

安祥寺の五仏が京都博物館に展示されてるそうですが、「そのお寺のお堂にある」ということに意義はないのでしょうか。動かしてしまっていいのかなと思いました。運慶・快慶の作品は他の仏像に比べて曲線がきれいだった。「自分の味」を出そうとする意識もあったのかなと思うほど個性的に感じた。

絵画の中の仏は肌の色に近いのに、像となると金ぴかになるのはなぜですか。
基本的に仏像は金ぴかにすることになっています。上記の三十二相のひとつに「金色身」というのがあるからです。絵画の場合、金が変質して、肌の色に近く見えることがあるのと、実際にはじめからそのような色を塗る場合があるからです。

よくは知らないのですが、日本の神にも荒魂と和魂とかがあると聞きました。キリスト教の神も旧約の律法の神と新訳の愛の神とか対比しますよね。荒ぶる神は柔和な神へ変化する印象だったのですが、仏教だとむしろ逆のベクトルが感じられておもしろいです。

今日見たスライドの中には、実物を見たことがあるものも含まれていたので、説明を聞いてなるほどと思った。このような作品を見て十分味わうためには、最低限の予備知識が必要なことがわかった。

マンダラを背負っている仏像がおもしろいなと思いました。当時の人々はつねにマンダラを意識していたのでしょうか。それとも時代の特徴なのでしょうか。
光背にマンダラの仏たちを表している大日は、東寺の講堂の作品が最もはやいようです。製作を指揮した空海や他の高僧たちは、マンダラであることを当然意識していたはずですが、それを見るものにはおそらくわからなかったでしょう。金剛界の37尊をすべて光背に表す大日如来の作品は、日本以外にはないようです。

大日如来は不動尊と比べて「異形」のものが少ないと思いました。不動の持つ「動性」が大日には欠ける分、変化するエネルギーも少ないのかもしれない。また、不動のレパートリーの多さが御利益の多様さに通じる気がします。要するに不動は大日よりマルチな仏様なわけで、その不動の方が日本でより広く信仰されているのが、日本における仏教のなんたるかを反映している気がしておもしろいと思いました。五重塔の心柱=大日や、また柱に仏画が描かれている、つまり柱と仏を重ねるというのは、世界を「支える」仏の姿を建築物の上でも表している気がします。

少し、仏像の地方色という話が出てきた。国(というか大陸)が違えば、仏像の顔とかが違うのもわかるのだが、日本国内の同時代で顔とかの雰囲気が全然違うと不思議に思える。制作者のオリジナリティーなのか、モデルとなるものにはやはり地方色というものがあったのだろうか。
マンダラを背負う大日如来というのがあったが、マンダラの中心に小さい大日如来がいる一方で、マンダラと同じくらいの大きさの大日如来がいる。大日如来の存在のあり方とか、仏教でいわれる大日如来の大きさを象徴しているようで、おもしろいと思った。
今まで見ても意味のわからなかった仏像について学べて、興味を持てた。資料もたくさんいただけたのでよかったです。ありがとうございました。
神仏(聖なるもののイメージ)とかのふたつの面は、宗教の内に向けたものと外(異教とか)に向けたものの表れでもある気がする。キリスト教は父性が強いというが、それは布教において多くの異教に対してきたからではないかなぁと思った。

絹本着色大日如来像を見て、数珠を思い出しました。小さい除き窓のついた玉がついている数珠がありますが、あの中に描かれている像はなんなのでしょうか。
手元にないのでわかりませんが、各宗派で本尊とする仏ではないでしょうか。浄土真宗では阿弥陀、禅宗では釈迦、真言宗では大日といった具合に。

平安→鎌倉と時代が移るにしたがって、どっしりとした印象から、しなやかな印象に変わったのが時代背景も表しているのかなぁと興味深く感じられた。半年間ありがとうございました。おもしろかったです。

はっきり言って、私は仏像にまったく興味はなく、教職のためにこの授業を受けていたわけだけれども、先生のひとつひとつの解説や、その知識等におそれいった半年間でした。

運慶や快慶は教科書にも登場するほどなので私も知っていた。しかし、仏教の世界に二人が具体的にどういった影響を与えたかというのはよくわからない。それから「芸術家」には作風というようなものが必ずあるとは思うのだが、その人の若い頃と晩年とではやはり違いがあると思う。何か見分ける方法などあるのであろうか。
個々の芸術家で異なると思いますが、「若々しいはつらつとした」とか「円熟の境地に達した」という表現もあるので、類型化することが可能かもしれません。

石に彫った彫刻というのが出てきましたが、あれは本当に自然の岩にいきなり彫られているんですか。あれは他の作品のように、「誰かが作った何という作品だ」と認められるものなのでしょうか。
自然の岩に掘ったものです。日本の場合、ほとんどの仏像は作者がわかっていません。とくに平安時代の中期頃までは、作者の銘のあるような作品はないでしょう。仏像を彫るのは芸術家ではなく仏師という職人なのです。

今日の平安、鎌倉期の日本の大日如来像のスライドを見て、時代が似通っているかもしれませんが、どの像もそっくりに作られており、像による動きの差異等がほとんど感じられなかったので、やはりそういう点が不動との違いなのかなぁとあらためて思いました。
講義を通して、個人的にはこれほどの宗教的(仏教)の事物に触れることははじめてだったので、知識不足、理解不足も甚だしく、講義の意図を汲み取れたとは言い難いですが、今後、それらへの関心、知識を伸ばしていけたらなぁと思いました。

私は滋賀県の石山寺のすぐ近くの高校に通っていました。これまでたくさんの仏像を見てきた中で、石山寺にあるものがいくつかありました。身近に感じたし、また一度も行ったことがないので、行ってみたいと思いました。

先生がこの仏像は30?ほどしかないといった作品に「えっ」と思いました。先生がおっしゃるように、小さいのにすごいというの本当だなぁと思いました。言わなければわからないので、作った人も本物だ!という感じがしました。
不動と大日如来の親しみやすさの違いは、やはり日本人の生活や考え方とかに密着しているんだなぁと思いました。

これまで余り触れることのなかった分野だったので、たくさんの像を見て、それに関してあらたな知識を得ることができておもしろかったです。かなり興味を持てました。

石像大日如来(大分・古園石仏)の周りの像が12体であることがどんな意味を持つのか、やっぱり疑問に思いました。あと、スライドを見ていて思ったのですが・・・、平安期のものの方が鎌倉期よりふっくらしているように感じました。鎌倉期から武士政権になったことと関係があるのでしょうか。
たぶんあるでしょう。時代の空気ということもありますし、仏像の制作を依頼する権力者が貴族から武士へと変化したという現実的な要因も考えられます。

かつて周縁部にいた神々が仏教の中心に侵入して来るというのは、いかにも多神教(仏教をそう呼ぶのは抵抗がありますが)のような気がして興味深かったです。やっぱりインパクトの強いやつは頭角を現してくるもんなのですね。

密教の像や絵は時代によってだんだん異なっていったのだとわかりました。

八大童子のときも思ったけど、運慶の作品は仏像である前にその仏自身の存在感があふれ出ているようです。大日如来は時代が下るにつれて親しみが感じられました。だんだん日本のお国柄に合うものになってきたということでしょうか。

この授業を受けるまで、仏像なんてどれも同じと思っていましたが、今は授業で見る仏像をそれぞれ違った特徴を持っていて、興味深いし、きれいだなと思うようになりました。とくに時代による仏像の特徴を見るのは、その時代その時代の信仰や文化のありさまをかいま見られるような気がしておもしろかったです。今日の話の不動明王が日本において大日如来よりも中心的存在になった理由も興味深かったです。私も大日如来は影が薄いな・・・と思っていたので。

柔和な神と荒ぶる神のもとは自然にあると思う。生物・植物を育ててくれる太陽が柔和な神へ、嵐や洪水、火山などが荒ぶる神へとなったのではないでしょうか。だから、この世にひとつだけの太陽から生まれた大日如来は、基本的に一種類で、不動は多種とも考えられるかなぁと思いました。

高野山の大塔や金剛三昧院多宝塔のように、柱にも仏が描かれていて、塔全体でマンダラを表すというのがおもしろいと思った。とくに高野山大塔の内部の写真は迫力があった。ぜひ実際に見に行きたいと思った。この授業を受けて、仏像などのことが少しわかるようになってよかった。機会があったら、いろんなものを見に行きたいと思うようになった。

宇宙の中心である大日如来が、日本では空洞化したのは、日本民族の発想法に宇宙的広がりを思考する能力が欠けていたためでしょうか。あまりにも即物的、現実的、近視眼的だったのかなと思います。

最後の方で、大日如来はどれも似たようだとおっしゃっていたので少し安心しました。私には本当にどれも同じに見える上、差の意味が理解できなかったからです。

最後に不動と大日の歩みの違いみたいな感じでとらえられてよかった。

唐招提寺の毘盧遮那仏像の隣にいる小さな仏像が気になった。スクリーンを見ていると画面から浮き上がってくるような雰囲気があったのだが・・・。

荒ぶる神の不動の方がインパクトが強くて中心となってきたということになるほどと思った。日本人には宇宙観というのが、インド人のようには考えられなかったのかな。さまざまな画像が見られて楽しかったです。

たしかに藤原期(でしたっけ)の作風は、別のとは違うように見えます。27枚目の大日如来像(滋賀・石山寺、鎌倉)はなんだか意地が悪そうな顔に見えます。目が開いているからかもしれません。高野山大塔は朱色がきれいな塔だなと思いました。それにしても、黒、白、灰、茶系の建物の中で朱色は映えますね。

この授業を受けるまでは、大日如来や不動がどんなものなのかもまったく知らなかったが、仏の世界観に少しでもふれることができてよかったと思う。

高野山大塔がすごく色鮮やかで、なんだかすごく意外でした。神社で赤色はよく使われてるけど、寺では・・・。

大日如来は今までの明王たちと違って質素だった。

変容していく宗教の神々がおもしろかったです。