第10回 不動と儀礼:修験道


現在の修法の形式は、院政期の多様化・特異化の結果と変わらないものなのですか。
おそらく現在の密教寺院で行われる修法の種類は、平安時代に比べるとずっと少なくなっているでしょう。儀礼というのは、実際に行わなくては伝えられませんが、長い時間の中で、多くの儀礼が姿を消していったようです。しかも、密教儀礼の特徴として、儀礼の方法のすべてを文字に書き記すことはなく、師から弟子に口伝の形で伝えられる要素が多いため、伝統が途絶えることがしばしばあります。儀礼のひとつの所作でも実際にそれを見ていないものには、想像することも不可能です。しかし、逆に、平安時代から千年以上の歳月が経過したにもかかわらず、いくつか現在でも残っている密教儀礼を見ると、その伝統が固く守られてきたことに驚かされます。さらにその起源を古代のインドにまで求めることさえできるのです。その中で、護摩というのはもっとも基本的な密教儀礼ということで、現在でもさかんに行われています。ただし、密教の儀礼体系の中では、護摩は初歩的というか、一般向けの儀礼で、それほど高い位置を占めているわけではありません。弟子のイニシェーションに相当する灌頂儀礼のようなものの方が、重要な儀礼と考えられています。

護摩の杓に絵がついているのが気になりました。何の絵が描かれているのですか。
丸い形の小杓には法輪、ひょうたん型の大杓には金剛杵の絵が描いてあるようです。このような装飾が杓に描かれるようになったのは、仏教の護摩になってからで、ヴェーダの護摩では見られません。チベットやネパールでも護摩がありますが、やはり、装飾的な杓が用いられることが多いようです。大きさは日本のものよりもずっと大きいです。ヴェーダの杓もスライドでお見せしたようにずいぶん大きいので、日本に伝わる途中で、小さくなってしまったのでしょうか。

私には宗教の考え方が非科学的なものに思え、また、どうしてそんなに信者がいるのか疑問です。小学校で神仏は実在するかどうかディスカッションをしたことがありますが、救いを求める人の心に実在すると今も考えています。しかし、何とも理解しがたいのです。我ながら貧弱な考え方ですが、なんの根拠もない護摩などが、現代まで受け継がれていることが不思議で仕方ありません。
おっしゃることはよくわかります。私の授業は仏教に関するものなので(授業の科目名も仏教文化論です)、おのずと宗教に関係はするのですが、宗教がいいとか悪いとか、神がいるとかいないとかは問題になりません。宗教を信じた人たちや宗教に関わった人たちが、何を考え、何を残し、何を伝えたかったのかを問題にしています。したがって、どの宗教がすぐれているとか、この仏像の方が霊験があるとか、宗教や儀礼を信じるべきいうことも、まったく言うつもりはありません。宗教とはもちろん非科学的なものですが、人間が生きていく上で重要なことは、すべて科学的であるとは限りません(むしろ科学的である方が少ないかもしれません)。また、護摩に根拠があるかどうかは、あくまでも主観的なことなので判断のしようがないと思います。一般に宗教の問題はきわめてデリケートであり、かつプライヴェートなことなので、授業で扱うときには気を遣います。そういう意味で「神仏は実在するか」をディスカッションするというのは(しかも小学校で!)、ディヴェートの勉強かもしれませんが、あまりいいこととは思えません。証明できないのですから、結論として実在しないことにならざるをえないからです。

キリスト教では神への供物として、生け贄を焼き尽くして、その香を捧げたそうですが、護摩の場合は、供物を捧げた炎そのものを神に献上するのですか。それとも炎そのものを神とみなすのでしょうか。調伏で呪うときに、依頼した人は何か犠牲は払わなくてはならないのでしょうか(死後、地獄に堕ちるとか、魂が汚れるとか、西洋の悪魔の魂を売るのとは違うのでしょうか)。
キリスト教で生け贄を焼いて神への供物にするというのは、私は知りません。おそらくオーソドックスなキリスト教では行わないと思います。旧約聖書の中にある供犠(くぎ)の記述か何かではないでしょうか。護摩の場合、起源となるヴェーダのホーマでは、炎がアグニという火の神そのもので、アグニが供物を天界(神々の世界)に運びます。供物といってもバターのみで、これを燃やすことで神々を喜ばせると言われています。護摩でよく見られる護摩木はこのときには用いられておらず、ヒンドゥー教の護摩になって登場したようです。それとともに供物の種類も増え、穀物や植物が火の中に投じられるようになりました。密教の護摩はヴェーダのホーマではなく、このようなヒンドゥー教の護摩を直接の起源とします。調伏法の代償とか儀礼ですが、基本的には考える必要はありません。密教の経典にはこのような調伏法や呪殺の儀礼がときどき現れますが、いずれも「仏の慈悲」によって行われると説明されます。五大明王のときに紹介したように、降三世明王が大自在天を殺すのも、度し難い悪しきものを仏の慈悲によって絶命させ、その功徳(!)によって仏の世界に再生させると説かれています。立場を変えれば「よけいなお世話」というか「はなはだ迷惑」なことなのですが、それも宗教です。これをエスカレートさせればオーム真理教になることも予想がつくと思います。ただし、日本でも昔から調伏護摩などは頻繁に行われたようですが、修法を行った僧侶が逆に命を落とすこともしばしばあったようです。同じような話はチベットでもありますので、やはり「こわい儀礼」だったようです。

ヴェーダのホーマという表現があったが、このヴェーダというのはリグヴェーダとかの文献のヴェーダのことなんですか。
そうです。ヴェーダについての説明も必要でしたが、省略してしまいました。古代インドで支配階級となったアーリア人たちが有していた聖典がヴェーダで、それを中心とした宗教を「ヴェーダの宗教」と呼んだりします。「バラモン教」と言うこともありますが、これは英語のbrahmanismの訳語です。聖典ということで、ヴェーダを聖書やコーランのような一冊の本とイメージする人もいるかもしれませんが、実際は膨大な量を持つ文献群です。リグヴェーダといった場合も、中心となる「本集」(サンヒター)があって、それへの注釈書、儀礼の手引き書、哲学書などさまざまな文献が付随します。これらは基本的に祭式を主題とした文献です。ヴェーダの宗教というのが、祭式を中心とした宗教で、それが当時のアーリア人社会においてもっとも重要な位置を占めていたからです。

修験道は山が舞台となっていますが、どうして山なんでしょう。海ではいけない理由でもあるのでしょうか。
修験道は今週取り上げますが、基本的に「山の宗教」です。山を聖地としてとらえ、そこで修行をすることが背景にあったからです。古代日本において山は独自の意味を持った場所でした。そこでの修行はしばしば「死と再生」の役割を果たしています。海は修験とは直接結びつくことはありませんが、蓬莱信仰のような形で、日本人の他界観のひとつとなります。和歌山県の那智のように、山の宗教である修験と海上他界観が重層的に結びついているところもあります。海ではありませんが、修験に滝が重要な役割を果たすのも注目されます。

供養が死者と関係ないと聞いておどろきました。護摩の様子をはじめて見たけど、インドと比較しながらで面白かったです。こういう儀式はとても神聖なもので、あまり身近な感じがしないのですけど、どこに行ったら見られますか。
現在の日本で供養といえば、ほとんど使者や死者儀礼と関係がありますが、この語を当てるインドのプージャーという儀礼は、死者とは関わりのない儀礼という意味です。供養という言葉は一般的すぎるので、私はあまり論文などでは用いずに、原語の「プージャー」をそのまま使います。神々に対する献供というのが、本来に近い意味です。護摩を見たことがないという方がほとんどでしたが、真言宗のお寺に行けば、見ることができます。金沢や石川県にもいくつか有名なところがあります。あらかじめ、護摩を焚く日時を聞いておいて、お詣りをかねてご覧になるといいでしょう。一度見ればイメージしやすいです。

地元の成田山には必ず初詣に行って、お札とかをもらうが、なにやらお祈りのようなものが始まると、私は必ず寝てしまうので、今度はじっくり壇とかを見てみようと思う。調伏だけが使う手が違ったりするのが面白いと思った。五寸釘とかいっていたが、牛の刻参りみたいのものに受け継がれていったのだろうか。私はやったことはありませんが、地元では火渡りをするようです。火の道みたいなのをぐわーと走るようです。今もやっているのかはわかりません。熱くないそうです。足の裏の皮の厚さが宗教心の篤さかわからないけどすごいと思います。
成田が地元ということでしたら、護摩を見る機会はたくさんあります。成田山新勝寺は新義真言宗の智山派の重要な寺院です。よけいなことですが、おそらく売り上げは智山派随一でしょう。成田山は不動信仰を基礎においた寺院で、とくに江戸時代に江戸という都市を背景に勢力を伸ばしました。出開帳と称して、ご本尊を江戸にまで運んで、そこでもさかんに護摩や祈祷を行ったようです。五寸釘は密教儀礼と関連があると思っているので、授業で取り上げたこともあります。わら人形のような人型を作って、それに釘に似た仏具を突き刺して呪殺を説く経典もあります。チベットでも類似の儀礼がさかんで、先端の尖ったプルブという道具を用います。もともとこのような儀礼はインドの民間信仰としてさかんに行われていたようで、アジアの広い地域でみられるようです。

仏教でも、西洋に対して、白魔術、黒魔術のような分け方は一般的なのだろうか。
白魔術、黒魔術というのはわかりやすいように用いた用語で、インドにはありません。護摩の修法の目的を考えた場合、外見上は4種やそれ以上に分かれるのですが、実際の儀礼の方法や要素を注意深くみると、調伏とそれ以外という分け方がしばしばみられるのです。しかも、その場合、左右や有無のような二項対立的な対比が認められます。この背景に、古代インドの呪術家グループであるアタルヴァンとアンギラスが対応するようです。ヴェーダの時代の宗教や呪術については、辻直四郎『インド文明の曙』(岩波新書)がおすすめです。

護摩壇の配置は複雑であり、配置の仕方や道具の使い方には何かきまり等があるような気がしました。大きなお寺には護摩壇があるそうですが、地元の小さなお寺には実際そのようなものがあるのか気になります。また、護摩の儀式をひととおりすると、どれくらい時間がかかるのですか。あと、最後のようでしめ縄で囲って儀式をしているスライドがありましたが、しめ縄は仏教や密教と関係あるのですか。何となくしめ縄といえば神様の方かと思っていました。
配置も道具の使い方もすべてきまりがあります。基本的に儀礼というのは決められた方法で行われてはじめて効果があるものです。儀礼の所作、唱える言葉、用いる供物など、いずれもきちんと決められています。護摩壇があるのは密教系、つまり真言宗か天台宗の寺院です。その場合も、本堂の一部にある場合と、護摩堂とか不動堂という独立の建物の中に置く場合があります。北陸に多い浄土真宗や禅宗には、護摩壇も護摩堂もまずないでしょう。護摩の時間は儀式に用いる儀軌によりますが、一般の護摩の場合、短いものなら1時間もかからないでしょうし、長いものでも数時間でしょう。ただし、修験で行う八千枚護摩のように、相当長時間かかるものもあります。スライドでみた修験の柴燈護摩で、しめ縄がいつから用いられたかはわかりません。密教の護摩の場合、護摩壇は五色線(五色の糸)で囲まれていますが、柴燈護摩ではこれのかわりにしめ縄を用います。一般に柴燈護摩は多くの信者を集めて行われますが、儀式の間はしめ縄の内部には入ることができません。しめ縄を張ることで、不動を表す火を中心とした聖なる空間ができあがるのです。

四修法の火種をとってくる場所には、それぞれ理由があるんでしょうか。儀礼はやっぱり面白いと思います。
それぞれ理由というか、安易な発想が背景にあると思います。増益が裕福な商人とか、敬愛が娼婦の家とか。ヴェーダの儀礼の専門の方とお話ししていたら、このような火種の規定もヴェーダの祭式ですでに見られるそうです。儀礼は研究対象として私も面白いと思いますが、なかなか扱うのにやっかいです。授業で取り上げても、言葉の説明では聞いている方はなかなかイメージできないですし、問題になるところが、瑣末なことになりがちで、興味を持続させるのが困難なようです。ついでに言うと、かつて20年ほど前には人類学でも儀礼研究がさかんでしたが、現在ではまったく下火です。なぜでしょうね。

・前回の授業への質問・回答で、火天アグニ(ヒゲ・やせた聖人)が、不動(ふくよかな童子の使者)と、対称的で、同じ「火」関係の神なのに面白いと思った。
・調伏儀礼で左右が逆になるのは、(福を)呼ぶ→(災いを敵に)送るというパワーの逆流を表しているようだと思いました。左手で儀式を行うのは、(左手はインドでケガれた手とされるので)ケガレ=悪性のものから力を借りるという意味があるのでしょうか。
・結界の「五色のロープ」は、前回の「地水火風空」の五元素を表しているのでしょうか。
アグニと不動のイメージの対称性はたしかに面白いですね。インド的なイメージからすれば、アグニは聖者=聖職者階級のイメージで、インドラのような戦闘者のイメージとしばしば対称的になります。童子形はスカンダや文殊のような別の系統になりますが、不動の童子形はこれらとも異なるようです。宗教における左右の関係はいろいろな解釈が可能です。「パワーの逆流」という見方も可能ですね。左手で儀式を行うのは「ケガレ」の問題とも関係しますが、逆に左手で行うことがケガレと理解されるようになったのかもしれません。そもそもインドでは、日本民俗学で用いられるような「ケガレ」の概念があるかどうかも検討の必要があります(たとえば、ケガレと不浄は同じではありません)。五色線は仏の智慧である五智に対応します。さらに五智を体現する五仏=五智如来(大日、阿◎、宝生、阿弥陀、不空成就)に対応します。密教ではしばしは、この5という数が重要になり、構成要素の数が5となるものが、五智や五仏に対応します。そのひとつとして五元素が五智にあてはめられることもあります。