密教美術の世界

2008年12月18日の授業への質問・回答


弟子に仏の姿を真似させたり、人生(というか、仏となる過程)をなぞらせるのは、「形から入る」みたいだと思いました。そうやって、自分が仏になれることを自覚させ、形のあるものから、逆に形のない状態を想起させるのかなと思いました。だいたい、人間は与えられた形に頼りがちなので、形のないものへ逆にたどるのは困難ではないでしょうか。
マンダラが儀礼の装置であるというが、前回の授業の主要なテーマでした。儀礼というのは、いいかえれば「形式化された行動」です。意味よりも形が重視された行動様式なのです。これは、授業の全体的なテーマである「聖なるものはどのように形をとるか」という問題とも関わります。これまでの授業では、おもに彫刻や絵画などの造形作品からそのことを見てきましたが、儀礼のような人間の行動も、同じ枠組みでとらえることができます。人間は形に頼るというのはそのとおりです。しかし、それと同時に、教科書でも書いたように、形のあるものよりも形のないものを重視する傾向があります。形のないものこそが真理であり、形のあるものはそれを便宜的に表したにすぎないという考え方です。形のあるものから形のないものを求めるというのが、宗教的な場面ではしばしば見られるのです。困難であるからこそ、求めるのでしょう。

家が聖なる空間という話には驚きました。たしかに家は他と切り離された聖なる空間と呼んでよいと思います。そうなると、自分の部屋や教室などの境界で区切られている空間は、すべて聖なる空間となり、それが最終的に広がって、宇宙に帰結しているのだと思いました。曹洞宗では弟子となる際に水をかける動作を師からされます。また、葬式の際にも死者に水をかけています。たしか、死者を「仏」に導くことを葬式で行っているのですが、水をかけているのはやはり灌水と何かつながりがあるのかなと思いました。
「家が聖なる空間」と言われると、多くの人は「そんなはずはない」と思うでしょうが、授業で紹介したように、建築儀礼はそのことを強く意識しています。しかし、日常生活ではそのことにあまり気がつきません。これは、現代の多くの家屋が、機能を重視した合理的な構造を持っていることにもよります。マンションや団地などはその典型です。かつての日本の家屋には、仏間をはじめとするさまざまな特別な空間がありました。そこはふだんはほとんど使わない部屋であるにもかかわらず、家の中で最も重要でかつ広い場所を占めています。地方の旧家に住んでいる人にはわかるでしょう。ひとつの家の中にも階層(ヒエラルキー)がある空間は、聖なる空間として意識されていることがよく分かります。また、葬儀や結婚式のような特別な儀式を、家で行うときには(かつては日本中がそうでした)、日常的な空間が聖なる空間に変わります。ハレの空間ができるのです。そのため、日常的な空間(ケの空間)は容易にハレの空間になるような構造をしていました(襖を取り払うと広い部屋ができるなど)。曹洞宗の入門儀礼については、私は知りませんでしたが、灌頂の作法があるようですね。死者儀礼に灌水を行うのも興味深いです。日本仏教の葬送儀礼は、しばしば灌頂をその内部に含んでいるようです。死者を「ホトケ」と呼ぶのはそのためです。

マンダラを作っているところのスライドがありましたが、かなり細かく計算して、線を引いたりしていて、たいへんな作業だと思いました。当然のことながら、マンダラは宗教的な面から見なくとも、れっきとした美術作品だと思いました。
マンダラの線を引く作業は、きわめて正確に行われます。そのための説明がインドの文献には詳細に記述され、それにしたがえば、われわれも当時のマンダラの形を復元できます。私が大学院の時から続けている研究のひとつに、このような文献の読解があります。サンスクリット語で書かれた文献で、これまで誰も本格的には研究していないものですが、インドのマンダラを知るために格好の素材です。その記述はほとんど「製図法」のようなもので、線の引き方や測量法などが事細かく記されています。驚いたことに、それに従って復元したマンダラの形は、われわれがチベットで見る砂マンダラに完全に一致していました。砂マンダラはチベットの特異なマンダラとして、これまでにもしばしば紹介されてきましたが、実はインド密教で成立したマンダラを忠実に受け継いだものなのです。私の『マンダラの密教儀礼』には、このあたりのことを詳しく紹介していますので、関心のある人はぜひお読み下さい。

今回のスライドのはじめに出た砂マンダラについて、その内陣の中心の仏の位置している場所が、他よりも盛り上がっているのが目につきました。マンダラを真上から見て、その中央から外への方向が、われわれの世界の下から上への方向に対応していることは、教科書を読み知りましたが、砂マンダラ(立体マンダラ)における垂直方向の高低の差は何に対応しているのですか。中央の仏が高い位置に置かれていたので、仏の位による差なのかと考えたのですが。
砂マンダラで中尊の場所だけが盛り上がっているのはたしかなのですが、これは上記のマンダラの制作を解説した文献にも記述がありません。おそらく、一種の玉座のようなもので、世界の中央で即位した王が、他のところよりも高い座についたイメージでしょう。チベットで制作された立体マンダラでも、この部分を他よりも高く作っています。砂マンダラでも、中央が他の部分と同じ高さのものがあるので、伝統によって異なるのではないかと思います。

灌頂の話を読んでちょうど洗礼のことを連想していました。キリスト教では新生児以外にもキリストを信じて生きると決めた人に洗礼を行います。洗礼を受けると説教(証し)ができるようになり、これは洗礼者ヨハネにキリストが洗礼を受けたことに由来します(うろ覚えですが)。灌頂の話に似ていると思いました。宗教において水というものは再生の象徴であることが多いようで驚きました。文学でもよくそのような表現がありましたし。開眼に関しても、パウロの目からうろこが落ちて、迫害者から宣教者へと変わるエピソードがあります。本当に宗教というものは共通点が多いんですね。他の宗教でも水は洗礼は灌頂のように用いられるんでしょうか。
洗礼と灌頂の類似は私も興味を持っています。たしかに、洗礼は生まれたときだけではなく、キリスト教の入信するときの重要な手続きですね。洗礼者ヨハネによるキリストの洗礼がモデルであることもそのとおりで、これはユダヤの民のあいだに古くから行われてきた風習とも言われています。水が誕生や再生の機能を持つことは、以前に紹介したストゥーパにもあてはまります。ストゥーパの周りに水に関するモチーフが多数現れたことと、ストゥーパのがその中に生命を宿し、それを増殖させることで、世界が無数の仏で満ちあふれることを表したというあたりのことです。「水による仏の誕生」は灌頂の時にはじめて出てきた話ではなく、すでに、ストゥーパの時に基本的な考えを紹介しているのです。ストゥーパを上から見た形がマンダラによく似ていることや、いずれもインドのコスモロジーを基本としていることも、それに関わります。宗教と水の縁が深いのは、水が生命と結びついているからでしょう。宗教も人間の生死、すなわち生命に関わる文化です。

マンダラの制作にはいろんな儀礼があるのがすごくおもしろいと思った。本にも書いてあったようにマンダラは設計図のようなものであるので、家を建てるのと同じように作られるというのはたいへん興味をそそった。マンダラにもいろんな種類があるのはなぜなんでしょうか。以前、授業で言っていたように、仏の姿の画一化は進んだのに、マンダラ全体としての画一化は進まないのでしょうか。また、マンダラの彩色に砂が使われるのはなぜなんでしょうか。
マンダラにいろいろな種類があるのは、それを説く経典にさまざまなものがあるからです。さらに、それらの経典を生み出した人びとが、それぞれ重要と考える仏が異なるからです。インド密教の歴史の中では百種類以上のマンダラができました。日本ではおもなマンダラとしては、金剛界と胎蔵界の二種類があるだけなので、ずいぶん違うことがわかります。ただし、日本では別尊曼荼羅と言って、特別な密教のマンダラが多数作られましたし、密教以外の仏画もしばしばマンダラと呼ばれます。さて、インド密教で生み出されたこれらのさまざまなマンダラが、画一化されたかという質問ですが、画一化しています。中に含まれる仏たちは違っていても、マンダラ全体の構造は、ほとんどのマンダラで共通です。もともと経典に説かれているマンダラにはいろいろな相違点があったのですが、時代が進むにつれて、共通の形に収斂していきます。最終的な段階で、独自の形態を持つマンダラは時輪マンダラというマンダラだけで、それ以外はすべて同じ形になってしまいました。このことは、以下の論文に書いています。
森 雅秀 1996 「マンダラの形態の歴史的変遷」立川武蔵編『マンダラ宇宙論』法蔵館、pp. 101-124。
砂をマンダラの彩色に使うのは、もともと、宝石を砕いて作ったからのようです。赤はルビー、青はラピスラズリなどが用いられたようです。現在では色のついた砂で代用しています。また、砂マンダラのように粉で描く神々の図は、仏教に限らず、広くインドで見られます。

灌頂儀礼の流れを見ていると、とても時間がかかりそうだが、どのように行われていたのでしょうか。大勢を一度に?ひとりずつ?数時間?それとも日をまたぐ?はたまた、意外にも流れ作業で早いのか。
インドでどのように行われていたかはよく分かりませんが、おそらく大勢を一度にすることが多かったのではないかと思います。現在の日本密教でもそうなのですが、流れ作業というのが近いでしょう。半日くらいで終わるようです。在家の信者でも受けられる結縁灌頂というのがありますが、これは全くの流れ作業です。

序盤、「究極的に言えば「家」が聖域である」という言葉に、何となく納得しました。この話になる前に、聖域と俗世の境界についての講義を聞いたので、納得できたのですが。そういえば地鎮祭(らしきもの)を2、3年前に経験しました。実家の改装にあたり、改築前にお坊さんに来ていただいて、儀礼(式でしょうか)をしていただきました。その中の作法は四方に仏(だと思うのですが)の名を書いた札を仏間に貼り、供物を捧げ、読経(?)をあげるもので、何となく仏間という空間に仏を配置した一種のマンダラのようだったと今、思ったりします。仏教の宗派によって違うのかもしれません。私の実家がマイナーな天台宗だったりしたので。
天台宗の地鎮祭というのは、私も知りませんでしたが、おもしろいですね。天台宗は数の上ではマイナーかもしれませんが、日本仏教の古い形態を伝えているとても重要な宗派です。とくに儀礼に関しては、真言宗とも異なる要素が多く、場合によっては、空海たちが伝える儀礼よりも古い形式が残っているかもしれません(図像ではしばしばあることです)。地鎮祭は一般には神主さんがやっていますが、仏教式の地鎮祭も残っています。そこではインドの家屋建築の儀礼がよく継承されているようです。機会があれば、そのあたりのことを調べてみるとおもしろいでしょうね。

今日の講義で直接は話になっていないのですが、教科書で、マンダラについて3種のマンダラで説明している、というのがとても大事な気がしました。物質的に表現したマンダラは、本当の仏の世界ではない。だからこそ、マンダラ制作儀礼によって「本当のものとする」のだと思います。また、そのように区別して認識するのは、仏になることを目的とする仏教だからこそあるのだと思いました。
3種のマンダラというのは、教科書の第4章の終わりの方で紹介した、形象のマンダラ、観想のマンダラ、自性のマンダラのことで、たしかに重要です。この区別は、多くのマンダラ入門書でも説かれていて、私のオリジナルではありません。インド密教の文献の中にも現れる言葉です。ただし、一般の紹介では、形では表されない自性のマンダラや、行者の瞑想の世界にある観想上のマンダラを、仮の形で表したのが形象のマンダラ、つまり、われわれが普通に見るマンダラであるとされるのですが、私は実際にはそれが逆転していて、目に見えるマンダラから観想するマンダラを再構築していることに注目しています。だから、現実のマンダラが設計図になるのです。さらに、そこから自性のマンダラに到達するのは、特別な瞑想のテクニックが必要です。しかし、それを行うことが密教のポイントになると思います。儀礼もそのために必要なプロセスなのでしょう。


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