密教美術の世界

2008年12月11日の授業への質問・回答


以前、仏教のイメージの画一化の講義で、画一化の背景には仏を操ろうという意思が働いているといわれました。今日の講義では、絵とは制作者の意図が反映されているといわれました。このふたつのことから思い浮かんだのですが、本来は表現することのできない仏の世界(悟りの世界)、つまり人間の手の届かないものを、人間が自身の意図で再構成し、曼荼羅という簡潔で把握の容易な表現を生み出すことで、仏をとらえる、もっと言えば、統制下に置くことが、人間が仏の世界を無理にでも表現する必要性のひとつにあったのではないかと思いました。
そのとおりです。画一化のときに、あえて最後に「仏をコントロールする」という項目を加えたのは、密教、とくに密教儀礼における人間と仏の関係がそのことと結びつくからです。仏を統制するとかコントロールするというと、尊大な印象を受けますが、むしろ両者が対等の関係にあり、人が仏として儀礼を遂行する必要があるということです。それとともに、世界と自己との関係をくわしくお話ししたのも、マンダラという仏の世界を生み出すときに、マンダラの中心の仏になった自己が、世界全体を創造する必要があるからです。「聖なるものは、本来表現できない」ことや、その代替として、インドでは形式的、象徴的に表現することを好むことも、マンダラの表現方法に通じます。この他にもこれまでの授業で取り上げたことが、マンダラを中心にいろいろ顔を出す予定です。今回のテーマが終わった段階で、それまでの簡単なまとめもしておくつもりです。

マンダラが以前授業でやった「聖なるものは表現できない」というところに通じているのに、「あえて」表現されたものであるという、この矛盾にまたもどかしさを感じた。宗教にはこのもどかしさがつきものなんだろうなと思いました。
「あえて」を強調しましたが、それを理解することが、マンダラそのものを理解するカギになります。マンダラという形式は、たまたま偶然にできあがったものではなく、インドの宗教美術や儀礼のひとつの必然として、現れるべくして現れたのです。「もどかしさ」が気になるのはいいことだと思います。「もどかしさ」を自分なりに納得すると、「わかった」という感覚を味わうことができます。「もどかしさ」があるのは宗教だけではないと思います。人間というのが本来もどかしく、矛盾に満ちたものなのです。

チベットのマンダラは回りの仏が中心の仏の方に向いているものが多いみたいですが、日本のマンダラはすべて同じ方向を向いています。日本のマンダラはチベットのまねのようなことはしなかったのですか。(仏像などではまねのようなものがあった気がしたので)
今回の授業で紹介しますが、灌頂という儀礼で使う敷曼荼羅は、チベットのマンダラのように中心から外に向かって仏たちが描かれています。また、それをシンボル(三昧耶形)で表したマンダラもあります。逆に、チベットでも日本と同じように同じ方向に頭を向けたマンダラもあります。ラダックというところにある古い壁画のマンダラがよく知られています。もともとマンダラは特定のグループの仏の集合図のようなものだったので、そのように描く伝統もあったようです。それが灌頂などの儀礼で用いられることで、儀礼に適した形態として、放射状の配置が一般化したようです。チベットではこの形式の方が主流になり、日本のような軸装の絵画でも、マンダラの仏たちは放射状に描かれます。なお、日本とチベットでよく似た仏たちがたくさんいることは、これまでの授業でも紹介してきましたが、これは日本とチベットのあいだで影響し合ったのではなく、両者がインドという共通の起源を有していたからです。伝播の方向が違うだけで、もとが同じだったから類似のイメージになるのです。

見えていないところを描くという点で、マンダラとピカソというほとんど関係のないと思っていたふたつに共通するものがあるということに驚きました。それぞれの目的は、マンダラは機能として必要だから、ピカソは表現技法としてあのような表現をしていると考えていいのでしょうか。
マンダラについては、儀礼の装置として最も合理的な形態をとったと考えられるので、機能という理解でいいと思いますが、それに加えて、インドにおける宗教美術の伝統(象徴的表現、仏塔との共通のモチーフなど)があげられます。ピカソについては広い意味では表現方法でしょうが、ピカソという画家の持つ個性やオリジナリティーも重要ですし、美術史において20世紀前半というのが大きな変革の時代であったことをあげる必要もあるでしょう。ピカソだけが突出しているのではなく、この時代の画家たちは、ヨーロッパ絵画の伝統と格闘し、あたらしい美術を生み出そうとしていました。フォービズム、キュービズム、シュールレアリズムなど、その後の大きな流れがこの時期に一気に出現したのです。マンダラとピカソはもちろん、もともとは関係ありませんが、「絵とはありのままを描いたものではない」ということを理解していただくために、よく知られた作品を3点紹介しました。別に、ピカソの代わりに、モンドリアンでも、クレーでも、アンディ=ウォーホルでも誰でもよかったのです。授業では省略しましたが、視点をひとつに固定するというヨーロッパ絵画の伝統的な表現方法は、遠近法の問題とも関係します。とくに、消失点を持つ線遠近法が、ルネッサンス以降、主流となります。これが完全にくずれるのが20世紀の初頭ですが、マンダラも線遠近法では描かれていません。その点で、現代美呪とマンダラは通底するところがあります。

立体マンダラはマンダラの本質とずれているものの、美術品としてはおもしろいと思おう。逆に言えば、表現されたものの芸術性を重視すると、本質はおろそかになってしまうのも仕方がないのではないか。
立体マンダラはなかなかやっかいです。一般の平面のマンダラを示して、その立体的な構造を説明してもなかなかわかってもらえないのですが、立体マンダラを見せると、簡単に理解してもらえます。しかし、このような具体的な表現方法が、マンダラの持っている機能を逆にわかりにくくしているのも事実です(屋根があったのでは中身が見えないなど)。立体マンダラの作例はインドにはありません。チベットでも中国の明や清の時代以降にしか現れないようです。はっきりした根拠があるわけではないのですが、中国の人びとが求めた具体的な表現に、チベット人が応えた結果が立体マンダラなのではないかと推測しています。建築形態があきらかに中国的であることもその理由のひとつです。芸術性と本質(本来的な機能)が両立しないという指摘はおもしろいですね。必ずしも常にそうであるとは限らないと思いますが、たしかにしばしば起こることです。

マンダラを一度聞いて理解できるものではないとあらためて思った。話の流れで、ボッティチェルリ、レンブラント、ピカソの3枚の洋画を紹介していただきましたが、「レンブラントを好きな日本人は多い」と聞いてたしかにと思いました。レンブラント作の夜警は、先生がおっしゃったように、集団(集合体)の絵ですが、高校の美術教師が、写実的であると同時に、写実的ではないというような説明やら、レポートをやらされた記憶が思い起こされました。まさか、マンダラを読み解く(理解する)カギになるとは、思っていませんでした。
マンダラを理解するのはたいへんかもしれませんが、授業の内容と、教科書でがんばって理解してください。何かを理解するカギは、レンブラント以外にもいろいろなところに転がっています。一見、無関係なものを結びつけると、斬新なものの見方ができることもあります。レンブラントの夜警は、授業で言及しようと思ったのですが、忘れてしまいました。この作品も、有名な集団肖像画で、人物の配置やその表現方法などが、きわめて周到に計算された絵画です。規模も大きく、たしかアムステルダムの国立美術館の目玉として展示してあったと思います。レンブラントは私も好きな画家ですが、最近の研究では、レンブラントの作と伝えられる作品の多くが、じつは贋作であるという説も出ています。また、ヨーロッパ絵画史の中では、ほぼ同時代のルーベンスの方が高い評価を受けることがあります。ルーベンスの絵に頻繁に登場する「ぶよぶよした裸婦」は、一般の日本人にはかなり不評なのですが・・・。

私は曼荼羅は建物を内側から開けたようだと、今日の授業を受けるまで思っていましたが、本当はいろいろな視点をごちゃ混ぜにしたものだったようです。そうやって、視点をたどっていくと、自分が宇宙を外から眺め、建物をぐるっと回って、内側に入って、今度は中央の仏の位置に立って、ぐるっと回りを眺めたっていう流れができそうでおもしろいです。
今回お話しする灌頂の儀礼が、まさにその流れを体験する儀礼です。マンダラを作り出す視点は、宇宙全体を鳥瞰する視点であるため、外の円の部分も、建物の四角い部分も、視点は外にあるのですが、建物の内部の仏たちの描き方は、マンダラの中心に置かれています。なぜ、マンダラの仏と同じ視点で描く必要があったのかが、マンダラを理解するカギになります。この儀礼のことを灌頂というのですが、実際、灌頂を受ける弟子はマンダラの周りを回って、四方の門をひとつひとつ開けたあとで、マンダラに直面して立ち、その中に擬似的に入っていきます(くずれてしまうので、砂マンダラの上にはもちろん踏み込みませんが)。

マンダラの中に金剛杵がいくつか描かれていて、とても大切な役割があるとわかったけど、金剛杵の杵って、お餅をつくときの「きね」ですよね。中国の物語の中に「〜杵」というものが武器として出てきたのですが、金剛杵は「きね」みたいな意味はあるのですか。
金剛杵はインドで古くから現れる武器で、ヴァジュラ(vajra)というのがもとのサンスクリットです。リグ・ヴェーダの中に登場する武勇神インドラが持つことで知られ、インドラはこれによって、水を独占する「ブリトラ」という悪魔を退治し、人びとに水を開放します。神話学の説明では、金剛杵は雷霆に相当し、雨をもたらし、人びとの豊穣をもたらすのがインドラとなります。インドラによるブリトラ退治は周期的に行われ、これも、雨期のたびに雨が降ることを反映していると考えられます。ヴァジュラは仏教にも早くから取り入れられ、とくに、釈迦の護衛をつとめる勇壮な従者が持つことで知られています。これが金剛力士などと訳され、日本の仁王様となります。ヴァジュラを金剛杵と訳したのは中国の人ですが、杵というのはたしかに「きね」と訓読みされますが、特定の武器の意味もあるのですね。「大漢和」をひくと、武器のたぐいとありましたが、「たて」と「刀」のようなものでした。金剛杵とは形が似ていないので、どちらかというと、本来の餅をつく「きね」の意味で訳したような気もします。ヴァジュラの形がきねに似ているということです。

ここら辺の部分は、先生の本を読んでいたのでだいたいわかりました。マンダラは作るのがたいへんそうだと思います。あれだけ細かいものはどれくらいでできますか。あと、世界初のマンダラって発見されてますか。
教科書を読めば、確実に授業の理解が進むと思います。小レポートを課しているのもそのためです。あわせて、『インド密教の仏たち』も読むこともおすすめします。授業で取り上げているインドの仏像の知識も増えます。砂でマンダラを作るのは、準備段階も入れて、一週間といわれています。ただし、マンダラは簡単なものから複雑なものまでいろいろなので、どのマンダラを描くかで異なるはずです。世界初のマンダラは発見されていませんし、おそらく将来的にも発見されないと思います。文献の中にマンダラがはじめて登場するのは、5、6世紀のもので、漢訳で残っています。現存するマンダラで最も古いものは、じつは日本に残るマンダラで、京都の高雄山寺が伝える両界曼荼羅です。空海が中国から将来した(つまり日本に伝えた)マンダラから直接写し取ったものです。したがって、9世紀前半の制作になります。一般に高雄曼荼羅と呼ばれています。インドにはもちろん、チベットにもこれだけ古いマンダラは残っていません。この作品をはじめ、日本には古いマンダラがたくさん残っていますし、マンダラという名称を持つさまざまな作品があります。マンダラ研究者にとって、日本はマンダラの宝庫なのです。


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