密教美術の世界

2008年12月4日の授業への質問・回答


・子どもの絵を見ていて、そういえば、自分も幼稚園に通っていたころに同じような絵を描いていたなぁと思いました。私たちが描く絵は大人たちによって「正しい」ように直されたもので、実際、子どもたちが見ている世界の方が本当は正しいのかもしれないと思った。
・子どもの絵は、見えるものをすべて描くので、その点でピカソの絵の描き方のようだと思った。曼荼羅を読み解くカギがあるというのは驚いた。
・子どもの複数の視点から見ている絵がありましたが、幼い子どもたちは、自分が見たままの絵しか描けず、他の角度から見た風景を想像できないと思っていましたが、そうではないのかなと考え直しました。子供は自分が持つ情報のすべてを絵に描き込んでいるのかもしれません。マンダラもひとつの面にすべての情報を詰め込んであるのかなと思いました。
・子どもの絵が自分中心に世界をとらえていることがわかりました。そこには「自分から見た風景」ではなく、「自分を中心とした世界」があるのでしょう。
・最後の子どもの話からは、前回聞いた法華経の、宇宙の中心にいる仏が、宇宙全体を見渡したという話を連想した。
授業の終わりに紹介した子どもの絵に関するコメントが多くありましたので、そのうちのいくつかをまとめて取り上げました。学校における美術教育の結果、われわれはひとつの視点から見た絵を描くことが、正しい絵の描き方であると無意識のうちに信じるようになってしまいました。さらに、対象をありのままに描いた絵、すなわち写実的な絵であればあるほど、優れた絵であるという意識も強くあります。しかし、これは美術や造形の表現方法のひとつでしかありません。はじめのころの授業で紹介したような象徴的、形式的な表現は、その逆の方向にあります。そしてそれも、けっして「正しい絵」ではありません。そもそも「正しい絵」などというものは存在しないのです。今回の授業では、このような絵画の「常識」に、疑問を付けるところからはじめる予定です。子どもの絵がピカソの絵に似ているという指摘は、私もその中で紹介します。「情報をすべて詰め込んだ絵」や、「自分を中心とした世界を表した絵」というのも、マンダラを理解するためのポイントになります。また、コスモロジーで取り上げた法華経のような世界観が、マンダラの表現方法の基礎になっているのも、重要な指摘です。マンダラが「仏の世界」を表していることを理解するためには、密教の知識よりも、それ以前の大乗仏教のコスモロジーの理解が必要だからです。このあたりのことは、教科書を読んで、すでに皆さんもおおよそのイメージを持っているはずですが、授業ではそのことを確認しながら進めていきます。

舎利=遺骨だと思っていましたが、「身体」という全体のことを言うとはびっくりしました。「仏舎利」で骨というイメージをずっと持ち続けていたのですが、たしかに仏の「身体」だと思うと、卵の中に入っているというイメージは、すごく合っていると思います。遺骨というイメージは、日本のお墓のイメージから考えていたのかと自己分解していたのですが・・・。日本はお墓に骨を入れる風習は、仏塔と関係あるでしょうか。そういえば、沖縄ではお墓の形は「家」のような形をしていました。あれは個人の墓と言うより、個人の「身体」が入っているように思えます(ちがうかもしれませんが)。仏塔のような風習はめずらしいのでしょうか(東アジアとかぐらいなのでしょうか)。
もちろん、仏教において舎利とは涅槃に入った釈迦を荼毘に付して、そのあとにできた遺骨を指して用いられた言葉です。白米のご飯のことを「銀シャリ」というのもそのためです。しかし、舎利の言語の「シャリーラ」といのは、遺骨という意味ではなく、身体を表す言葉です(ただし、身体の中で骨格が意識されています)。身体を内に含む仏塔をつぎつぎと増やすことで、世界に仏の身体が満ちあふれていきます。南インドのアマラヴァティーやナーガールジュナコンダからは、仏塔を表現した浮彫に、仏の姿を重ねて描いたものがあります。仏塔から仏が再び現れたように見えますが、これは仏塔という一種の孵卵器に入った釈迦が、その中で再生したかのようにも見えます。仏塔に埋められた遺骨を指す言葉に、「ダートゥ」という語が用いられることもあります。この言葉は「世界」を意味しますが、それとともに「根」や「根源」という意味も持っています。仏塔の中に仏を生み出す根っこが植え付けられるイメージになります。そして、それを「世界」と呼ぶのは、われわれという「自己」が世界と構造的に一致することも想起させます。(このあたりのことは私の『仏のイメージを読む』の第四章で詳しく述べています)。さらに密教では、五輪塔に見られるように、仏塔そのものが身体をかたどったと考えられています。五輪塔の五輪とは宇宙を構成する地水火風空の五大元素で、人間の身体もこの五つに還元されます。これを立方体や球などの形で表した五輪塔は、そのまま、人間の体の形を表すと考えられました。葬送儀礼については、また別のテーマとなります。遺骨崇拝はアジアで広く見られるのもので、日本もその一部になります。東南アジアから沖縄あたりまで行われている洗骨という風習もその一例です。墓を死者の家と見る考え方は、さらに広く世界的に認められるでしょう。中国の王墓、日本の古墳、エジプトのピラミッドなど、いずれも死後の世界とそこでの死者の永遠の生活を意識したもので、そのための容れ物がお墓になります。古代において、芸術が誕生したのは、このような死者の家としての墓が中心だったのも興味深いところです。

富山県にまんだら遊苑というものがあります。小学生の時に訪れたことがあるのですが、当時「マンダラ」という言葉すら知らず、まわりの人に何かと聞くと死後の世界と関係あるものと言われたのを、今日の授業で鮮明に思い出しました。それから、マンダラという言葉と接する機会もほとんどなく、本当にマンダラとは何かを考えてみたとき、まったく理解できていなかったことに気づきました。マンダラについて詳しくやる来週の授業が楽しみです。
富山県出身の皆さんは、たいてい、高校までのどこかの段階で富山県[立山博物館]とその付属施設であるマンダラ遊苑などを訪れているようです。とてもいいことだと思いますが、ただし、「マンダラ=死後の世界」という先入観が植え付けられるとすると、それは少し問題ですね。マンダラ遊苑を含む富山県[立山博物館]は、私も何度か訪れたことがありますが、よくできた博物館です。ここではマンダラといっても、この地域に残る立山曼荼羅を中心に解説がされています。立山曼荼というのは代表的な社寺参詣曼荼羅で、立山信仰や立山登拝に関するさまざまなモチーフで構成されています。マンダラ遊苑も、このような立山曼荼羅の思想を実際に疑似体験できるようにできています。そして、その内容が死後の世界を含む「あの世とこの世」であるのは、立山が一種の地獄としてとらえられ、「地獄めぐり」の性格があるからです。これは、私の授業で取り上げるインド密教のマンダラとまったく異なるものなのです。日本のマンダラは、本来の密教の「仏の世界」から、われわれを含む人びとの生活空間に、その基本的な性格を変えてしまっています。その背景には日本人の「聖なる空間」のとらえ方が深く関係しています。立山マンダラについては『マンダラ事典』で項目をひとつ立てていますし、「日本人はマンダラをどのように見てきたか」『点から線へ』50: 78-102(2007)という文章で、そのあたりを含めて、日本におけるマンダラ理解の変遷を詳しく説明していますので、読んでみてください(後者は私のHPからPDFファイルがダウンロードできます)。

日本まで来ると仏塔のイメージがかなり異なって伝わっているように思えますが、日本やネパールでも仏塔を宇宙と考えて建造していたのですか。また、水のモチーフのようなものは見られないのですか。
ネパールの仏塔は、インドのストゥーパをかなり忠実に受け継いでいます。四方に仏を安置するのは、パーラ時代の仏塔の伝統を継承したものです。ただし、ネパールの仏塔に見られる「大きな目」は、インドでは確認できません。仏塔全体をひとつの仏の姿ととらえ、これを具体的に、四方を向いた大きな目で表現するのは、ネパール特有のようです。これは、宇宙をひとつの原理(仏教では法身)としてとらえる考え方を、具体的に表現したからのようです。日本の仏塔の場合、多宝塔に球形の部分が含まれることを除いては、インドのストゥーパのイメージはほとんど認められないでしょう。じつは、五重塔などのてっぺんに付いている双輪の部分は、ストゥーパでも上部に建てられた柱のようなものに相当するので、この部分の形態は受け継がれています。水のモチーフはないようですね。そもそも、日本人にとって、マンダラや仏塔が宇宙を表すという考え方は、ほとんど理解できなかったようです。日本人は宇宙全体をひとつの原理としてとらえたり、それを表現するという発想そのものがきわめて希薄だったからです。

・仏塔が「増える」ということを自分の感覚として理解するのがむずかしかった。だんだん大きくなっていって(体積が増えるように)、宇宙全体と同化していくイメージならわくが、各地の仏塔にあるように、小さな仏塔が増えるというのがよく分からない。地理的、地図的にあちこちで建てられて増えて、法が広まっていくということなのか。
・仏教的考え方をすると、宇宙は無限であると同時に、有限の集まり(増える仏塔)でもあるのでよく分からない。
類似の質問なので、まとめて紹介しました。たしかに「仏塔が増える」というのはよく分かりませんね。しかし、そもそも仏塔が「無限の広がりを持つ宇宙」を表すシンボルととらえると、すこしわかるのではないかと思います。無限大には、1でも2でも何をかけてもその答えは無限大です。無限大である宇宙を表すためには、仏塔はひとつでもいいのですが、われわれはそれを数の量によって実感できるのではないでしょうか(詭弁のように感じるかもしれませんが)。また、無限大の広がりを持つ宇宙を、有限のものではけっして表現できないということも、以前の授業で紹介しました。さらにそれよりも前に、聖なるものも表現されることを拒むという話もしました。これらは根底ではつながっていて、聖なるものである仏と、それと重ね合わされる無限大の宇宙は、基本的には表現できないということになります。しかし、宗教美術というのは、この不可能をなんとか可能にしなければ成り立ちません。単に仏塔というシンボルがそこにあるというだけではなく、それが無限に増え続けるというダイナミックなイメージこそが、このような宇宙や仏のイメージとして、最適だったのではないかということです。

アショーカ王がナーガの守護する仏塔だけには手を付けなかった理由で説明された「ヘビ=多産」という話を聞いて、いろんなところに思考が飛びました。たしかに、ヘビ柄(皮)の財布だったり、ヘビの皮を財布に入れるという行為など、日本でもヘビが財産的に積極であるということがわかるような慣習があると思いました。あと、ヘビには何かしら普遍的なイメージがあったような気がするので、ひょっとしたら、それも関係するのかと思いました。
ナーガやヘビの話は、私の好きなトピックなので、授業でもときどき登場します。ご指摘のように、ヘビが多産や蓄財と結びつくのは日本でも見られますし、おそらく、世界中にあるでしょう。以前に、聖なるイメージの話をしたときに、ヘビの両義性にもふれましたが、それも関係あるでしょう。「いろんなところに思考が飛ぶ」というのはとてもいいことだと思います。頭の中のシナプスに、新しい回路がどんどんできているのです。なお、授業で私は「ナーガ」といったはずなのですが、「ナーダ」と聞こえた(あるいは板書の文字から?)人がいたようです。ナーガですので、確認しておきます。ちなみに、サンスクリットでは「ナーダ」は「音」を表す別の語です。

輪廻を越えて解脱したはずの釈迦の涅槃の象徴であるストゥーパに、生命を象徴させたのはなぜかと不思議に思っていたのですが、それはインドの人びとの宇宙観を示していたということですか。また、仏塔を建てることで支配を意味したと知り、アショーカ王や奈良王朝は策略として仏教を利用したということに驚いた。高校の教科書の印象だと、両者はただ平和を願ったのだと思っていた。
仏塔と宇宙については、すでにいろいろ紹介したので、ここでは省略します。アショーカ王や奈良時代の話は、さも悪いことのようにお話ししましたが、それは少し訂正しておきます。当時の王権や支配者の意識は、われわれの知っている近代国家のそれとは違います。社会政策や経済政策だけで、国家を成立させているわけではありません。もっと、さまざまな要素を必要としますし、その中で仏教や宗教がきわめて重要な位置を占めていたことは、歴史の授業でも強調されていたでしょう。とくに日本では、仏教は導入されたときから国家の支配のイデオロギーという役割が期待されていました。仏法は国を治めるための高度な知識だったのです。そのため、遣唐使のような形で、中国から仏教を学ぶことが、国家事業として行われたのです。そこで得られた仏教に関する知識は、今日でいえば、最新のテクノロジーや経済理論、さらには軍事機密にも相当しました。宗教と政治を分けるのが近代国家の特徴ですが、それでも政治の場に宗教がしばしば紛れ込むのは、必然的なことでもあるのでしょう。日本の創価学会はもちろん、アメリカにおけるユダヤ教、イスラム諸国のイスラム教はわかりやすい例でしょうし、共産主義でさえも一種の宗教ととらえられるでしょう。


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