密教美術の世界

2008年11月13日の授業への質問・回答



仏のイメージの画一化の話でしたが、ポイントのみの記述をもとに、仏像を作る場合、わからない部分は既存のイメージ頼らざるをえず、それが画一化につながったのかなと考えました。「仏をコントロールする」という考えはよくわかりませんが、例はとてもわかりやすかったです。
「既存のイメージに頼ることが、イメージの画一化につながる」というのはいい指摘です。新しい仏が文献の中に登場しても、それに見合ったイメージが存在しないのが一般的です。そのときに、すでにイメージが確立した仏にならったり、その部分的なイメージを借用することが、イメージの画一化を生んだという見方で、妥当な考え方だと思います。授業で取り上げたのは菩薩が中心で、いずれも大乗仏教やそれ以前から、ある程度、個々のイメージが確立している仏たちです。それが、密教の時代になると、個性を失い、画一化していったプロセスを紹介しました。しかし、密教の文献には、それまでは信仰されていなかった新顔の仏が大量に生み出されます。それぞれに個性豊かなイメージを与えることは不可能です。そこでとられた方法が、ポイント(シンボルや固有の持物)を変えることで、イメージの変化を与えるというものだったのです。「仏をコントロールする」というのは、説明をほとんどしていなかったため、わかりにくかったと思いますが、密教では密教の修行者と密教の仏が、いわば同等のレベルで向かいあい、修行者が仏そのものになることを修行の基本としました。大乗仏教までの「絶対的な仏」と「無力な信者」という図式とは、根本的に異なるのです。これについては、マンダラと灌頂のところで、もう一度取り上げますが、密教では仏になることが、それまでの仏教よりもはるかに明確に打ち出され、そのために、仏についての視覚的なイメージが重視されます。仏を明瞭にイメージし、それを自分のものとするというのが、「コントロールする」ということに含まれています。

釈迦が生きていた頃の弟子たち(アーナンダなど)は、仏教においてどんな位置づけをされていますか。言い換えると、彼らは後世の人びとにどんなとらえられ方をされたのですか。
釈迦の弟子には阿難(アーナンダ)をはじめ、舎利弗、摩訶迦葉、須菩提などさまざまな人たちの名前が知られていますし、それぞれ、さまざまなエピソードも伝えられています。実在の人物とされていますが、釈迦と同様、神話的な要素も多く、後世付加された物語も多いでしょう。また、大乗仏教の経典では、ある時は聴衆の代表として登場したり、ある時は、菩薩たちの新しい勢力を引き立てるため、保守的な立場のものとして登場します。興味深いのは、日本や中国など、インド以外の国ではこれらの弟子たちの姿を彫刻や絵画で表すことがめずらしくないのに対し、インドでは釈迦の生涯を表した仏伝図をのぞき、弟子を表した作品がほとんどないことです。とくに、パーラ朝の仏教美術には皆無です。これは、説話図が人気を失い、礼拝像が中心となったこととも関連するようです。伝説的な存在であるにしても、歴史上の人物は礼拝の対象とはならなかったようです。同じ仏教美術でも、本家のインドと、それ以外の国とで異なる点のひとつです。

その像によって、同じ仏を表現しているのに、作り手によってまったく違うものになるのは、その作り手のイメージが強く影響しているからだと思うけど、そんなに空想的で、つかみどころのない世界を、どうして人びとはここまで強く信じて、よりどころにしてきたのだろうと不思議に思った。仏の画一化によって、イメージがひととおりになって、個性を失わせることで、シンボルだけで表現できたり、大量生産が可能になることで、仏の世界は人間によって管理されていることは、人の心理につけ込む人間の思いが隠れているのかなと思った。
宗教美術に見られる人間の情熱には、たしかに驚くべきところがあります。ただし、インドの仏像を作った人びとが、自らの信仰心の発露として仏像を表現したのではなく、あくまでも職人として、依頼された仏の姿を石に刻んだだけだと思います。そのときに参考になったのは、自分が頭の中で想像する仏のイメージではなく、職人として受け継いできた技術でしょう。すでに存在している作品を参考に、それに模した姿の像を刻んだにすぎないのです。その中で、新しい仏が誕生し、新しい像が必要になったときには、僧侶などからアドバイスを受けたかもしれませんが、それでも、基本となるのは既存の作品です。イメージが画一化するのは、このようなことも理由に挙げられます。なお、仏の大量生産や仏の世界の管理といったのは、上記のように、密教独自の世界観や実践法に関連することで、「人の心理につけ込む」という霊感商法のようなものとは異なります。

画一化が進んだ結果、イメージのみにて区別するという話、たいへんおもしろく聞かせていただきました。それらのシンボルの変遷や画一化の様相は、時代によってひどく異なると思うのですが、仏教美術はどういった手法で研究しているのですか(図像、イメージを追う?考古学遺物等の編年をする?文献、史料批判?etc.)
すでに答えも提示してあるようです。質問の最後にあげているようなものを、総合的にあつかいます。とくに、仏教美術の場合、文献の情報が重要になります。そこに記述されていることで、多くの作品の解釈が可能となります。しかし、それが過大になると、作品は文献の内容を造形化しただけというとらえ方になり、危険です。図像やイメージには、それ自身の自律的な変化があることも重要です。もちろん、実際の作品の編年や様式の変化も、基本的な情報としておさえておく必要があります。

仏像の画一化によって人びとの持つ仏へのイメージも画一化されていく変化がおもしろいと思った。こういった画一化によって、それぞれの仏が持つ特徴がはっきりとしたし、より姿がシンプルになればなるほど、逆に崇高なものに見え、人間が想像する仏の世界の広がりも感じた。しかし、この画一化で仏のシンボルがより目立つようになったのは、どういった目的や考えがあってのことなのかが気になった。
画一化の目的や考えには、おもにふたつあります。ひとつは伝統的なシンボル尊重主義、形式主義が、依然として重要であったことです。インドの初期の仏教美術に見られたこれらの特徴は、大乗仏教において仏像が誕生し、さまざまな仏が造形化された段階では、いったん、弱まりましたが、密教の時代になって、ふたたびよみがえったのです。もうひとつは、最後に簡単にふれたように、密教の実践や儀礼の中で、仏のイメージを明瞭にする必要があったり、たくさんの仏の世界を、瞑想の中で生み出す必要があったためです。これについては、もう少し先の回で紹介します。

未来仏である弥勒菩薩を拝むことに意味があるのならば、釈迦よりも前のヴィパッシンやシッキンを拝んでも意味があるのでしょうか。仏によって、いくつかの個々の要素があり、「この仏ならばこの要素を持っている」という、ある一定の形式主義的な考え方さえも、時を経ることで変容していくのだと知りました。デリー博の「触地印仏と八大菩薩」を見た瞬間に、授業の最初にいわれた「仏教の世界の画一化」の意味が理解できた気がしました。増えることによる画一化とは、アイディアの枯渇ではなく、意図的に画一化されたということがおもしろいと思いました。
未来仏や過去仏の信仰もあったようです。実際に、ガンダーラやアジャンタには、未来仏である弥勒と、過去七仏とを並べた彫刻や壁画が残っています。過去仏はいずれも釈迦と同じ姿で、弥勒は菩薩の姿です。また、エローラの第一二窟には、過去仏と未来仏を7体ずつ刻んだ作品あります。これは、過去仏だけではなく、三世仏という意識が強くはたらいた作品のようです。過去仏の中で、過去七仏には入りませんが、シャカの前の仏として燃燈仏という仏をたてることがあります。燃燈仏は釈迦に「将来、汝は仏になるであろう」という預言(授記)を与えたことで有名で、燃燈仏授記という形式の説話図が、ガンダーラから数多く出土しています。地域的な嗜好もあったようです。玄奘の『大唐西域記』には、過去仏をひとりずつ祀ったストゥーパがあったという記述もあります。

日本よりもチベットの方が画一化が進んでいるようですが、チベットにも個性的な仏は残っているんでしょうか。
チベットにも個性的な仏はたくさんいます。チベット仏教は、かつて「ラマ教」などとよばれたため、特殊な仏教、あるいは猥雑な仏教のようなイメージでとらえられているかもしれませんが、インド密教のもっとも正統的な継承者です。とくに、大乗仏教の哲学と、密教の儀礼や美術の体系は、他のどの国よりも忠実に受け継がれています。そのため、仏の種類も途方もなく多く、画一化された仏のイメージも広く見られますが、仏の図像の体系は厳格に定められ、その中には個性的な仏のイメージもたくさん含まれます。最近、おもに政治的な場面でチベットが取り上げられることが多いのですが、チベットの豊かな、そして高度な仏教文化にも関心が高まることを願っています。私の属している文学部(人文学類)の比較文化研究室には、チベット仏教美術に関する文献もたくさんあります。関心のある人は閲覧に来て下さい。


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