密教美術の世界

2008年11月6日の授業への質問・回答



仏の名称問題、むずかしかったです。聞いたことのある名前は正解だったんですが、知らないものは読み方さえわかりませんでした。神々の世界にも下剋上があることをはじめて知りました。その「下剋上」も人間が信仰する中で勝手に起こしたものなのでしょうが、「神々の下剋上」と聞くと、何だかものすごいことのように思えます。
仏の名称問題は、けっこうむずかしいと思います。皆さんに結果を書いてもらいましたが、38問の出題で、最高点は31点で、ふたりいました。かなりのハイレベルですね。あとはばらばらで、最低点は5点くらいでした。こういう問題は、学力というよりも、これまでの経験や関心によるので、結果は気にしないで下さい。この学期が終わる頃には知っている名称もずっと増えているでしょう。仏教の神々の世界が流動的であることを「下剋上」と表現しましたが、もちろん、仏や菩薩がお互いに戦っているわけではありません。人々の信仰が特定の神々を上位に押し上げたり、人気が廃れたりするだけです。そのときに、特定のイメージが変えられたり、あるいは維持されたりするところが、仏教美術の研究のおもしろいところです。最高位に位置する神や仏が、次の時代には姿を消してしまうこともよく見られます。インドやヨーロッパの神話を見ると、古い時代には天空神が最高の存在であったことが推測されていますが、次の時代には別の神がその地位にいます。たとえば、インドの場合、ミトラとヴァルナという神です。しかし、彼らもリグ・ヴェーダの時代にはすでにインドラ(帝釈天)に人気を奪われています。そのインドラ自身も、ヒンドゥー教の時代には雑多な神々のひとりになってしまったことは、授業で紹介したとおりです。日本の密教では大日如来が最高の仏であるのが常識なのですが、日本には伝わらなかったインドの後期密教やチベット密教では、大日如来にかわって、あらたな仏たちが最高位に就きます。彼らのことを守護尊といいます。日本の神話では、イザナギとイザナミが世界創造の神ですが、古事記や日本書紀が編纂されたときには、アマテラスやスサノオの方がはるかに重要な神になっています。

文献の中で名前が出てくる仏の数はとても多いのに、像として表される仏の数が少ないのはなぜかというのはおもしろかった。それほどまでに数が多いと、作る方も知らない仏がいたり、特徴を表すのがむずかしいというのもありそうだと思いました。文献の中で仏があらたに増えるというのは、具体的にどう書かれたりしているのでしょうか。
新しい仏が現れる文献は、おもに大乗経典と密教経典です。大乗経典の場合、たとえば過去仏を列挙するときに、それぞれ固有名詞を示しますが、それがどのような姿をしているかは書かれていません。未来の仏も同様ですが、例外的に弥勒は特別にいくつかの特徴が説かれているので、実際に作例があります。賢劫千仏という千の仏のグループなどは、お経の中でただ単に名前が延々と続いています。大乗仏教では空間的にも広がりを見せ、この世界以外にも無数の世界があり、それぞれで仏が法を説いているといわれます。その仏の世界の名前と仏の名称が、多くの経典に見られますが、それも名前だけで、具体的なイメージは説明されていません。これに対し、密教では実際にマンダラなどで仏の姿を描かなければなりませんので、文献の中にその情報も含まれます。しかし、だからといって、そこに多様なイメージの仏が現れることにはなりません。これについては、今回お話しします。

仏、観音、菩薩、明王、天と、名前の後に付けるものがいろいろありますが、どういった違いがあるのですか?(基本的な質問だったらすみません)。そもそも宗教ってどうしてできたんですか?わざわざ自分より身分が上の仏や神を掲げることで、人々は何を望もうとしたんでしょうね。
仏はすでに悟ったもので、釈迦がその代表です。ほかにも阿弥陀や薬師などがよく知られています。菩薩はまだ悟りに至っていない修行中のものです。したがって、釈迦も悟る前は菩薩でした。大乗仏教ではこの菩薩を非常に重視し、菩薩こそがわれわれ衆生(生きとし生けるもの)を救うありがたい存在と考えました。菩薩の修行の徳目として、衆生の救済を最重要項目としました。観音はその代表ですが、あまりに種類が多いので、観音を菩薩から別立てして、観音のグループを作ることもあります(とくに日本で)。明王は密教の時代になって現れた「怒れる仏」で、力ずくででも衆生を救済するというありがたい(場合によってはありがた迷惑な)存在です。天は本来は仏教以外の宗教に属していた神々で、ヒンドゥー教の神、自然神、ヤクシャ(夜叉)やナーガ(龍)などの下級神などが含まれます。宗教がどうしてできたかは、宗教学の根本的な問題です。いろいろな説明が可能ですし、ひとつの理由だけではないでしょう。しかし、その根本にあるのは、人間の有限性と、その存在の非合理性にあるのはないかと思います。その最たるものが死でしょう。人はなぜ死ぬのかは、合理的に説明できませんし、もし説明されたとしても納得できないでしょう。そのようなときに、人智をはるかに超えた超越的な存在を意識します。逆に言えば、人間の卑小さを知り、謙虚になることが、宗教の基本にあるのでしょう(カルトの宗教や霊感商法などは、その逆ですが)。

天皇は神道のいわば長であり、宗教的に空海が「御請来目録」として仏教という異宗教をそんなお方に紹介するというのは、二種の宗教観において、ずいぶん都合よく受け入れられたなぁと驚いたのですが、なぜ、天皇に対して、このような行為ができたのでしょうか。その後の本地垂迹説等とつながるものなのでしょうか。
明治以降の国家神道の立場からは、そのような疑問も起こるでしょうが、平安時代は状況が違います。天皇が国家において絶対的な存在であるのはたしかですが、それは「神道の長」だからではありません。仏教は日本に伝わった最初から、国家的なイデオロギーとして権力と密接に結びついていました。平安時代の前の奈良時代の仏教は、南都六宗と総称されますが、いずれも国家のための宗教であり、権力者のための宗教でした。個々の人々を救う癒しの教えなどではありません。大乗仏教ですから、衆生救済は唱えますが、それはむしろ二義的です。空海が中国に渡り、新しい仏教を日本に伝えたのも、それを国家が必要としたからです。「御請来目録」はそのような使命をしっかり果たしたことを、朝廷にアピールするための報告書なのです。その後、空海は嵯峨天皇をはじめとする当時の国家権力と深い関係を持ちますが、それも空海が伝えた新しい仏教、すなわち密教が、国家に必要であったためです。

頭の大きなかわいらしい(?)像がありましたが、当時それをつくった人も、「かわいい」と思って作ったんでしょうか?それとも、当時はそれを「かっこいい」と思っていたのだろうか・・・と当時の美意識やセンスを考えていました。動物に乗っている象は、迫力があってよいです。
頭の大きな像は五劫思惟の阿弥陀で、授業で紹介すると、かならず人気の集まる仏像です。このような作品は鎌倉から室町にかけていくつか知られています。当時の中国(元や宋)の影響を受けたもので、一種のリアリズムが好まれまたからです。五劫という途方もない長い時間思索にふけったため、螺髪も伸びてこのようになったと説明されます。アフロのような髪型の作例もあります。美意識が時代や地域によって異なるのはそのとおりで、われわれが「美しい」とか「かわいい」と感じるものが、状況によってはそうではないこともめずらしくありません。「聖なるもののイメージ」が普遍的ではないことと同じです。

仏像が先に伝わり、後から教えが伝わるとのことでしたが、未知のものを受容するときに、何か形として感じ取りたいがために、形而上の存在である仏を、形而下の仏像として表現したのではと思いました。一神教と多神教という二元論的考えは、仏教だけを対象にしても、各地の仏教には多くの相違があり、日本では神仏習合まで進んでいるために、「仏教」というくくりでさえも、ともすれば否定されかねないものであるから、強引なものであると感じました。
一神教と多神教という乱暴な分類はやめましょうという話をしました。共感を覚えたというコメントが多く見られたのでよかったと思います。別に、この考え方が絶対に間違っているということではなく、ある場面ではこのような分類も意味を持ちます。しかし、はじめから特定の宗教は多神教であるから(あるいは一神教であるから)、こうなのだという考え方は、適切ではありませんし、場合によっては危険です。とくに宗教はイデオロギーと結びつくことが多いので、そこから宗教や民族に優劣の価値を押しつけることになります。(たとえば、イスラム教は一神教だから、寛容のない宗教であり、それに対して、寛容な多神教をもっている日本民族は優れた民族であるというようなデタラメな論理)。別にこれは宗教に限ることではありません。学問というのは基本的に多様な中から法則を見つけるべきものなのですが、先入観にもとづいた分類に、多様な現実を無理やり当てはめることになるからです。

観音はとくに名前を省略してあるものが多いと聞いたことがあるけど、どうなんでしょうか。たしか千手観音は千手千眼観世音菩薩だったような気がします。よかったら正式名の紹介をお願いします。あと、愛染明王というのがいた気がするのですが、あの明王は愛の神だった気がするのですが、怒れる神なのでしょうか。
観音は授業で紹介したとおり、さまざまな種類がいます。変化観音と総称されます。もともと観音は、弥勒や文殊と同じように、ひとりの菩薩だったのですが、人気が高かったため、さまざまな種類が生まれました。とくに『法華経』の「普門品」という章で、人々の願いに応じて観音がさまざまな姿をとることが説かれたことで、その信仰は広がります。ただし、一般に変化観音とよばれるのは、密教系の特殊な観音のことで、千手観音も十一面観音も不空羂索観音も、密教経典に説かれています。観音は観世音や観自在ともよばれます。これは漢訳のときの訳者の考えや、もとの言葉の違いによります。千手観音の正式名称が千手千眼観世音菩薩というのはそのとおりで、経典によっては千眼千臂観世音とも訳されています。掌に目があるので、腕の数と同じだけ目があるのです。愛染明王は日本密教で人気の高い明王で、とくに敬愛法という修法の本尊となります。これは恋愛祈願の呪法で、たしかに愛の神とも言えるでしょう。ただし、調伏すなわち呪い殺す儀礼の本尊にもなる恐ろしい神でもあります。

日本には薬師如来像が多いということですが、なぜ多いのだろうと思いました。「薬師如来」の助けが必要な状況が多かったからなのでしょうか。仏教美術を年代ごとに分けると、その当時の人々の悩みや日本の状況がわかるかもしれないと思うとおもしろいと思いました。
薬師如来は病気や怪我からの回復を祈るときの仏です。もちろん他の仏や菩薩もそのようなはたきがありますが、医者(くすし)の師という意味の薬師には、とくにその霊験が期待されたのでしょう。一般の人々ばかりではなく、天皇や貴族の病気治癒、延命などのために造られ、祀られた像もたくさんあります。病気や死は、身分の上下や老若男女を問わずおとずれるものです。人間のもっとも基本的な願望は、そのような災いから逃れたいということでしょう。仏像の作例状況でその当時の状況がわかるというのはそのとおりで、たとえば、平安時代の中期以降、阿弥陀如来がたくさん作られますが、これは浄土教信仰が流行したことを背景にします。統計的な研究はあまりありませんが、個々の作品を考察するときに、その作品を生み出した社会状況を分析するのは、美術史の常套的な方法です。


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