密教美術の世界

2008年10月16日の授業への質問・回答


仏にはいろいろなイメージがあり、そのイメージから当時の文化等が考察されるとおっしゃっていましたが、宝冠仏坐像が多く出土しているにもかかわらず、「仏像としてダメ」という評価をしてよいのでしょうか。また、この像が造られたのにはどういった背景があったのですか?
たしかに「仏像としてダメ」というのは言い過ぎですね。別にダメではないのですが、一般的な仏像のルールとして、悟りを開いた仏は、世俗的な栄華を捨てた存在なので、飾りを付けないということがあり、これと相容れないという程度の意味です。それならどうして、わざわざ作ったのかというのが問題になります。このあとの授業で何度も繰り返されますが、仏教では仏と王の存在がとても近いのです。前回紹介した三十二相もその例のひとつですが、王権の象徴である宝冠や、その財を誇示する豪華な装身具などを用いて、仏と王のイメージを重ねたのです。ただし、それだけではなぜこの時代に、この地域に現れたのかは説明できません。現在のところ、定説はありませんが、可能性のある答えを少し列挙すると、この少し前に、インド北西部のカシミールという地方で、宝冠仏が流行し、その影響を受けたこと、宝冠仏として表される仏は、大日如来のように、それまでの仏とは格の違う存在であるため、特殊な姿が求められたこと、そのときに、菩薩のイメージが取り入れられたが、それは大乗仏教以来、菩薩の人気が仏をしのぐこともあったこと、などあげられます。なお、前回の授業で、宝冠仏を指して「これは(仏のイメージとしては)バツです」といったところ、「バツ」を「罰」と理解された方もいて、どうして大日如来が罰を受けるのかという質問もありました。誤解を招く表現をしましたが、「ダメです」という程度の意味で、「罰」ではありません。

日本の弥勒菩薩半跏思惟像が、ロダンの有名なあれとポーズがそっくりで驚いた。たくさん顔のある仏像がいくつもあったけれども、あの顔はひとつひとつ別の人格をもっているのですか。そうだとしたら・・・ひとりでも会話ができておもしろそうですね。
半跏思惟像とロダンの「考える人」のポーズはたしかに似ています。文化史的には直接つながりがあるわけではありませんが、このポーズは古今東西の芸術家に好まれて、それ以外にもさまざまな場面や作例があります。ヨーロッパでは「メランコリア」(憂鬱気質)を表す寓意画として好まれ、有名なデューラーの「メレンコリア」という銅版画もあります。ルネッサンス以来、憂鬱気質とは芸術家に固有の気質として知られ、占星術では土星と結びつきます。西洋美術の大きなテーマのひとつになります。

ウダヤギリ遺跡の色が違う像のスライドを見ているときに、インドでは土に埋められたままも多いと聞いた。見たこともないような新しい仏像が発見されるかもしれないというのは、何だかロマンがあるなと思った。愛染明王はインドにはいないみたいだが、仏像の起源はほとんどインドだと思っていたから驚きだった。そして、どのような歴史があるのかも興味がある点だと思った。
ロマンがあるというのはそのとおりです。まだまだインドからは新しい仏像が発掘されています。私が研究を始めたのは20年ほど前ですが、それ以降でも、新しい発見がたくさんありました。すでに知られている作品でも、じつは別の解釈や比定が可能で、あらたな意義が見いだされた作品もあります。私自身も、そのような発見をいくつかしてきました。とても魅力的な分野だと思います。まったく知られていない仏像も大事ですが、日本にあるのにインドにないと思われていた仏像が、インドにあったということもあります。ひょっとすると愛染明王も、どこかの遺跡から発掘されるかもしれません。いずれの場合も、作品を生み出すのは人間なのですから、その上で、どのような考えにもとづいて作ったのかを考えるのが重要だと思います。

ガウタマ=ブッダは苦行では悟りを開けなかったと高校で習ったのですが、それならなぜ釈迦苦行像のようなものが作られたのですか。
仏のほとんどはあぐらをかいたようなすわり方をしていますが、お葬式や座禅では正座をするものだというイメージが私にはあります。仏のすわり方には何か意味があるのですか。
手や顔がたくさんある仏がいくつも出てきましたが、体の他の部分、たとえば、足がたくさんある仏(タコやイカみたいですね・・・)はいないのですか?
そもそもなぜ手や顔を増やした仏がいるのですか。
カニシカ王のコインは世界史の教科書にも出ていたけど、裏に仏の絵が写されているのは知らなかったので驚きました。
 たくさんの質問なので簡単にお答えします。釈迦が苦行のみでは悟りを開けなかったのはたしかで、苦行のあと、体力を回復させてから、もう一度、瞑想を行って、ようやく悟りを開くことができました。苦行像はガンダーラからしか出土されていません。インド内部では、このような姿の釈迦を表すことは好まれなかったようです。ガンダーラでは釈迦の生涯のさまざまな場面を作品に表すことにつとめました。そのため、苦行の場面も取り上げられたのでしょう。単独の礼拝像の形式なので、この姿の釈迦に何か特定の意味を見いだしていたことも予想されます。仏のすわり方は「結跏趺坐」(けっかふざ)といいます。あぐらではなく、座禅を組んだときのポーズです。これがもっとも長時間、同じ姿勢で坐るのに適したすわり方のようです。正座もあぐらも長時間は無理です。足がたくさんある仏はあまり多くありませんが、スライドで紹介した大威徳明王は六本足なので「六足尊」とも呼ばれます。千手観音の中に、足も千本もっているという観音の作例もあります。チベットではヴァジュラバイラヴァがたくさん足をもっています(これもスライドの中にあります)。手や足を増やしたのは、それだけ威力があるということを表したかったからでしょうが、ヒンドゥー教の神像の影響もあります。シヴァやヴィシュヌはしばしば多面多臂で表されます。カニシカ王のコインの裏に仏の像が刻まれていることの意義については、今回紹介します。
 補足ですが、「ガウタマ=ブッダ」(あるいはゴータマ=ブッダ)という表記は、中村元という有名な仏教学者が使い始めたのですが、仏典(仏教の経典など)には用例がなく、疑問視されています。教科書にあったかもしれませんが、現在、仏教学者でこの用語を用いいる人はいないでしょう。私も授業では普通に「お釈迦さん」とよく呼びます。

日本と違い、インドの仏像は、この時期、手足が細長いスリムなものが多く見られるが、両者のこの違いの理由が気になる。奈良の大仏は逆にとてもふくよか。羂索は不動明王ももっていた気がする。明王は食玩コレクションで五大明王もっています。
パーラ朝期の仏像は、繊細で華奢な点が特徴です。とくに後の時代のものほどそれが顕著で、インド美術史の中ではあまり高い評価が与えられていません。パーラ朝の前のグプタ朝では、逆に充実した体格の仏像が多く作られました。日本の仏像のイメージに通じるものがありますし、実際、その影響を受けたものもあります。ただし、日本の仏像でも時代によって異なり、飛鳥時代の法隆寺の百済観音のように、異常なほど細見の仏像もあります。鎌倉時代には精悍な仏像もたくさん作られました。ちなみに、奈良の大仏は江戸期に改修されているため、時代としてはずいぶん新しいものです。不動明王が羂索をもつのはそのとおりです。右手に剣、左手に羂索を持ちます。現在、文学部では不動明王をテーマにした授業もしています。食玩コレクションの五大明王は、私も見たことがあります。なかなかよくできていますが、東寺の講堂の五大明王を参考にしたとしながら、実際は鎌倉以降の様式で作られていて、不思議なイメージです(東寺の五大明王は平安初期の作品です)。

マンダラは「仏の世界」「仏の宇宙」などのイメージは捨ててくださいと言われ、驚きました。実際、それくらいしか予備知識はなかったのですが、さっき先生の書いた記事の4を読み返して、「仏の居城の平面図や立体図をまとめたといえる」「立体的な構造を平面に置き換えた結果である」など、たしかにマンダラ=こういうモノということは描かれていないと気づいた。5、6回の授業でマンダラが何か、結論があるのかないのか楽しみです。
マンダラが「仏の世界」や「宇宙の縮図」というのは、世間一般からすれば、マンダラのいわば常識なのですが、この授業では、それをいったん捨てて、素直にマンダラを見ることからはじめたいと思います。なぜ「マンダラは仏の世界」と考えてはいけないかというと、そこからは何も生まれないからです。そのあたりのことは、教科書の後書きで、すこし戯画風に書いておきましたので、読んでみてください(後書きから読む人もいるので、すでに読んだ方もいるかもしれません)。一応、「マンダラとは何か」ということについて結論は準備していますが、むしろそこにいたるプロセスを皆さんにもよく考察してもらいたいと思っています。そうすることで、「何かがわかるというのはこういうことなのだ」ということを感じてもらえるはずです。

仏像イコール質素なイメージが強かったので、大日如来の装身具の派手さには驚いた。三面六臂などの姿をとるのは、明王のイメージだったので、不空羂索観音像が多くの手をもっていて驚いた。不空羂索観音がもっているものも武器なのですか?あまり観音のイメージと合致しない。日本の仏像にも水牛などインドをイメージさせる動物が多く驚いた。神話などによるのだろうか。
この授業では、ぜひ仏像の先入観を壊していってください。インドの仏像を見ることで、日本の仏像の特徴も見えてきます。授業では日本の作品もしばしば紹介するので、そのあたりの比較も重要なポイントになります。多面多臂の像は、日本では明王と観音でよく見ますが、その他にも弁財天などの天部にいます。基本的には密教系の仏の特徴です。観音は大乗仏教以来の仏なので、必ずしも密教の仏ではないのですが、十一面観音も、千手観音も、もともとは奈良時代の古い時代の密教に由来します。不空羂索の持物のうち、武器は羂索くらいですが、千手観音の持物には武器がたくさん含まれます。インド以来の神や仏の持物の、あらん限りのものを集めたようです。動物に乗った仏も、ほとんどが密教系です。仏の世界に、ヴァラエティに富んだイメージを供給したのが密教だといってもいいでしょう。インドから正確な図像が伝わっているのも興味深い点です。ただし、特別な姿をした神や仏がいれば、神話がありそうなのですが、密教の仏のほとんどは、特定の神話や物語を有していません。それも密教美術の特徴です。むしろ、作品が生まれたあとで、作品にまつわるさまざまな物語が、日本ではしばしば生まれます。


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