密教美術の世界

2008年10月9日の授業への質問・回答


仏教ってあまり、身近にあっても、身近に感じることがなかったりするけれど、講義を聴いて、知識を深めるようにしたいと思います。トリヴィアの仏教の解説を聞いてたら、宗教って信じる人によって、違う部分もあるんだと、答えはひとつじゃないんだと思います。
そうなんですね。仏教は日本人にとって一番身近な宗教のはずなのですが、ほとんど知識としては備わっていないようです。お寺に行っても、そこで唱えられているお経とか、置いてある仏像の名前とか、わからないことがほとんどでしょう。この授業の目的のひとつは、そのような「身近でありながら知らない世界」を、インドの仏教を通して、再発見してもらうことにあります。でも、単に知識を増やすだけではなく、その知識の背後にある人間の考え方や、文化の枠組みを見つけてもらうことも重要です。宗教の問題に限らず、大学で学ぶことは、答えがひとつではないことに、すでに気がついている方も多いでしょう。この授業ではそれをさらに強く実感することになると思います。ついでにいえば、答えを導く前に、何が問題であるかも、けっしてすべての人に共通ではありません。問題を見つける段階で、すでにわれわれは自らの思索をはじめているのです。

スライドショーで、いろいろな写真を見せていただきました中で、地下に造られた寺院など、仏像(神像?)の多さに驚きましたが、最後にストゥーパを見せていただいて思ったのですが、なぜ、ドーム型なんでしょうか。あと、入り口の門・・ですか?あの形と日本の鳥居と関わりはあるのでしょうか。
最初にお見せした階段井戸は、ヒンドゥー教の建造物なので、まつられている像も仏教の仏ではなくヒンドゥー教の神です。たしかに多いですね。他にも、ヒンドゥー教の神様がびっしりくっついた建造物も、いくつか紹介しましたが、構造的には、私はこの階段井戸がとても驚きでした。ストゥーパの形がドーム型というか、半球型であるのは、この授業で重要なポイントになるので、ここでは答えるのは控えます。学期の真ん中あたりで、形を含めて、ストゥーパの持つ意味を考えたいと思いますので、それまでお待ち下さい。入り口の門はトーラナといいますが、たしかに鳥居に形が似ています。名前の「トーラナ」というのも、鳥居とよく似ているので、関係があるような気がしますが、直接は結びつかないようです。しかし、ひょっとすると、インドから伝わったのかもしれません。

インドにはストゥーパがいくつもあるらしいですが、本当にひとつひとつに釈迦の灰が入っているのですか。形だけの問題ですか。
ストゥーパに入っているのは、基本的には釈迦の灰ではなく、遺骨で、舎利といいます。ただ、はじめに建立されたときは、舎利以外にも、灰を埋めたストゥーパもひとつ作られたと伝えられますので、灰のストゥーパもあったようです。それはともかく、ストゥーパがインドにたくさんあって、インド以外にもたとえば、日本の五重塔や三重塔のようにたくさんあるのは事実です。そのひとつひとつに舎利が入っていなければ、ストゥーパの役目は果たしていないことになりますが、そこが問題です。いったい、どうしてそんなに舎利がたくさんあるのでしょうか。この答えも仏塔を取り上げるときにお話しするつもりですが、早く知りたい方は、私の書いた『仏のイメージを読む』の第4章を読んでみてください。図書館などにもあります。

昨年、大熊先生のインド思想史をとっていて、おもしろかったので、この講義をとりました。階段井戸が頭から離れません。宗教的にも建築的にも美しいですね。
大熊先生の授業は共通教育の中でも人気があるおすすめの授業です。扱う対象が、彼の授業は思想で、私の授業は仏像で、かなり異なりますが、ときどき同じような結論になることがあります。そのあたりも注意してみてください。大熊先生の勤め先は、かほく市の宇ノ気にある西田幾多郎記念哲学館です。ここの展示はほとんど大熊先生の考えたもので、なかなか見応えがあります。山環を使えば大学から30分ほどで行けますので、時間があるときなどにお出かけ下さい。近々、哲学館の近くに北陸最大級のイオンができるそうですので、そのついでなどにもどうぞ。

水牛の首から悪魔が出てきて、それを女の仏様がやっつけるスライドを見せてもらいましたが、水牛の中から出てくるってことは、水牛がよくない動物であるからですか?もしそうならば、それはどうしてですか。
水牛の悪魔を殺す女神は、マヒシャースラマルディニーといいますが、一般にはドゥルガーの名で知られます。インドでもっとも人気のあるヒンドゥー教の女神でしょう。この女神は悪魔(アスラといいます)を退治する神話が有名で、その中に、水牛の姿をした悪魔を殺すというエピソードがあります。この神話に水牛が現れるのは、水牛がインドの神話や宗教で重要な役割を果たしているからです。女神以外にもヤマ(閻魔に相当します)というインドの死の神や、スカンダという少年神、さらに仏教の文殊菩薩、大威徳明王なども水牛に関連します。さらにさかのぼると、西アジアの神話にも、神によって殺される水牛が登場します。このあたりのくわしい説明は、『インド密教の仏たち』の第3章で行っています。

最初の写真にうつってた建物には驚いた。あんな谷間にあったら、水がどんどん流れてくるはずだと思う。それがないということは、ちゃんとした排水のシステムがあるということで、その技術をすごいと思った。また、日本の仏像とかには、あまり動物はいないが、インドのやつにはけっこう出てきていたのがおもしろいと思った。
階段井戸には、おそらくしっかりした排水施設があるのでしょう。インドの建築技術はすごいですよ。仏教美術にも意外に動物はたくさん登場します。文殊とライオン、普賢と象などはその代表で、ほかにも孔雀明王、聖天(ガネーシャのことで、象の頭をしています)などもあげられます。このような動物に着目すると、仏教とヒンドゥー教のつながりがわかることがあります。授業でもそのあたりのことを取り上げます。

仏教というと、大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教くらいしかよくわからないので、密教の特徴、特殊性を学びたい。最後のクイズで、「観音は“菩薩なので”男性である」と言われていましたが、菩薩に女性はいないのでしょうか。女性は菩薩にならないということでしょうか。
大乗仏教と小乗仏教とチベット仏教がわかれば、十分と思いますが、密教はその中では大乗仏教とチベット仏教と関係が深いです。インドでは6、7世紀頃から、大乗仏教の中に密教と呼ばれるような動きが現れます。チベット仏教ではそれを全面的に継承します。密教は教理的には大乗仏教と大きな違いはないのですが、大乗仏教では悟りへの道のりがとても長いのに対して、密教では仏との直接的な交流を重視し、それによってすみやかに悟りに至ると説きます。いわゆる即身成仏の思想です。それと関連して、壮大な仏の世界と、それを統括するような絶体神的な仏の存在を主張します。たとえば大日如来です。さらに、密教ではヒンドゥー教と共通する儀礼の世界を重視する立場もとります。その中で、師から弟子に秘儀が伝授されたり、仏との合一性を体験するのです。密教とは神秘主義的な仏教と言うこともできます。このような潮流の中で生まれた経典は、従来の「スートラ」(経)にたいして「タントラ」と総称されることから、欧米では密教のことを「タントリズム」(tantrism)と呼ぶことも多いです。日本では空海が開いた真言宗と最澄が開いた天台宗が、密教の流れをくむ仏教です(天台宗は法華経を重視する天台思想も大きなウェイトを占めますが)。密教寺院に行くと、さまざまな密教固有の仏像がありますし、護摩などの儀礼を見ることができます。いずれもインド以来の密教の伝統をくむものです。観音の性別については、疑問に思った方も多いでしょうが、「菩薩」というのは男性名詞なので、基本的にすべての菩薩は男性です。観音を表すサンスクリット語も、男性名詞です。しかし、多くの日本人が観音を女性のイメージでとらえているのも事実です。実際、水月観音、馬朗婦観音、さらにはマリア観音のように、明らかに女性のイメージで観音を表す例もあります。かつては「山口百恵は観音である」というような本もありました。これは、観音が持っているイメージやシンボルが、しばしば女性と結びつくからです。「観音は男性である」というのは、あくまでもインドの言語からの解答であり、中国や日本の観音のイメージを基準にすれば、女性であるというのもけっして否定はできません。


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