不動明王の信仰と美術

2008年11月26日の授業への質問・回答


五大明王の説明に、不動を中心として東西南北に他の四尊の明王を配置するとありましたが、それを聞いたとき、中国の青龍、白虎・・・といった四方を種とする神獣を思い浮かべてしまいます。この場合、不動が上位にあって、他の4明王が不動を守護しているということはないのですか?何をもって、こういった配置になったのですか?
五大明王やそのうちの四方の4明王の配置に、青龍や白虎などの風水は関係しなかったと思います。直接の典拠となったのは先週も紹介した『仁王経』関連文献で、五大力菩薩を五方に配するところから、それと同体視された五大明王を五方に置く儀礼や寺院構成ができたようです。五大明王それぞれはインド密教の仏たちと何らかのつながりがありますが、五大明王というグループはインドまでさかのぼれません。中国もむずかしいかもしれません。あくまでも日本密教で流行した明王のグループのようなのです。しかし、東寺の講堂に並べられたり、さまざまな儀礼で登場することで定着していきます。今回取り上げる予定の五壇法などはその典型です。別尊曼荼羅に登場することも頻繁にあります。五大明王の中で不動が特別なのは、不動が大日如来と結びつけられたことからもわかりますが、四方の明王が不動を守るという発想はおそらくなかったでしょう。五尊で一組というのが重要だったようです。

明王はかなりインドの神と結びついているんですね。仏教オリジナルの明王はいないんですか。インドで見つかった降三世の像は珍しいとのことですが、ヒンドゥーの神を踏んでるから後に壊されたのか、それとも元々作品数が少ないんですか。
明王のイメージの形成を知るには、インドの神々を視野に入れる必要があるのは、前回の授業で紹介したとおりです。仏教オリジナルの明王というのは、たしかに思いつきません。しいてあげれば授業のテーマである不動ですが、それもヒンドゥー寺院の守門神と関係があるのではないかと考えています。馬頭は日本では観音に分類されるのが一般的ですが、本来は忿怒形の明王のひとりでした。馬頭のイメージに対応するヒンドゥー教の神はいないようです(ヴィシュヌと結びつける説もありますが、明確ではありません)。降三世の作例はインドで4,5例だけです。授業で紹介したボードガヤの作品が代表的で、そのほか、ナーランダー博物館に、腰から下だけの像があります。降三世明王も含め、明王系の作品はインドからは意外なほど見つかっていません。中期密教から後期密教にかけて、このような見るからに密教的な仏たちが主役となっていくのですが、実際の作例数はそれに比例しません。壊されたわけではなく、元々少なかったからのようです。いろいろ理由が考えられますが、基本的に造像の世界は文献よりも保守的だったようです。この時代、もっとも作例が多いのは釈迦像と観音像で、それに次いで、ターラーがあげられます。伝統的な仏や菩薩が、依然として作品として好まれたようです。

昔の人はちゃんと心臓の位置を知っていたのかと思った。この頃からすでに心は胸にあると考えていたのは興味深い。また、以前から気になっていたんですが、運慶をはじめとする当時の仏師たちの作品は各地で見られますよね。これは、仏者が寺院等から依頼されて、その地に足を運び、そこで制作をしていたんですか。それとも、各地から依頼されたものを工房などを構えて、そこでまとめて制作していたのでしょうか。
心臓が胸にあることは、おそらく、ずっと昔から知られていたでしょう(心臓という表現があるくらいですから)。密教の場合、体のいくつかの部位をポイントにして、さまざまな修行を行うのですが、その中でも心臓は中心的な役割を果たします。仏と行者が一体となる修行では、心臓がそのための核になります。現代のわれわれは心が心臓にあると必ずしも考えず、むしろ、脳にあると考える人が多いかもしれませんが、かつては人間の中心は、文字通り、心臓だったのです。各地に残る仏像については、その大半が、その地で作られたようですが、一部に京都や奈良の工房で作られたものが運ばれたこともあるようです。このあたりは私も専門ではないのでよくわかりません。慶派については毛利久『仏師快慶論』や根立研介『日本中世の仏師と社会』などを参照してください。

イメージのつながりはあらためておもしろいと思いました。インドのヤマーンタカは童子形で、大威徳とつながって、クマーラ、スカンダと結びつく。たくさん結びついて混乱してしまったので、ぜひプリントほしいです。生駒の宝山寺では、ウスサマに拝むと泌尿器の病気が治るといわれています。汚水を取り除くトイレの仏様というイメージから来ていたのですね。それを知ることができてスッキリしました。
イメージのつながりは私の好みの領域で、『インド密教の仏たち』や『仏のイメージを読む』でいろいろ紹介しています。とくにヤマーンタカを含む童子神については、『インド密教の仏たち』の第3章でくわしく説明しているので、参照してください。神々の世界相関図は今回配布します。生駒の宝山寺のウスサマが、泌尿器疾患の仏様とは知りませんでした。たしかにありそうですね。日本独自の明王信仰の展開としてとても興味深いです。生駒は聖天さんが有名ですが、それ意外にもいろいろな神様がいるのですね。トイレの神様の本性がわかり、スッキリしたというのは、なかなか絶妙です。

インドの神々と五大明王の複雑なつながりを、当時の人々はきちんと理解していたのでしょうか。それとも、図像表現の際に意識されることはあっても、一般的には浸透していなかったのでしょうか。
後者だと思います。個々の図像が形成されるときには、仏師や僧侶はオリジナルとなるヒンドゥー教の神のイメージを当然意識していたはずですが、いったん形成されてしまえば、そのような起源や来歴は必要ありません。一般の人々がわざわざ図像学的な考察をするとも思えません。そもそも、明王系の図像がインドにあまり残されていないのは、一般の人の信仰の対象としては定着していなかったことが予想されます(日本の不動とは大きな違いです)。インドで仏教が急速に衰え、13世紀頃にはほとんど衰亡してしまうのは、このような密教系の仏のイメージが民衆に根を下ろしていなかったことも、理由にあげられます。ヒンドゥー教の神様とそれほど違いがないというのは、密教とヒンドゥー教とのあいだの境界線が曖昧になったことを意味しています。両者のこのような同化は、儀礼のような実践面でも見られます。

明王は不動明王しか興味なかったけれど、他の五大明王もいいですね! この世界の男性が全員明王だったらいいのに・・・。というのはおいておき、明王は位置的にどのあたりにいるのか考えていたのですが、三輪身ということは、如来とかと同格と考えていいんでしょうか。という考え方をしたら、如来と菩薩が同格になってしまうので、やっぱり違うのか、それとも、そういうものとして独立して考えた方がいいのか・・・。授業であげられていない明王も、愛染明王をはじめたくさん存在しますよね。烏枢沙摩ってかんちがいかもしれませんが、便所の神様と聞いた覚えがあります(←後記・説明有り)。こういった明王も、全員、三輪身説でもとの仏がいるんでしょうか。でも、不動ももとの役目を離れて、水場にいたり。明王って何だろう・・・。
この世界の男性が全員明王だったらという発想は、なかなか斬新で面白いです。でも、たいへんなことになると思いますし、その場合、女性はどうなのでしょう。天? 観音菩薩? それはさておき、明王の位置づけはたしかにむずかしいです。そもそも、明王というグループを立てるのは中国と日本の密教だけで、インドではそれに相当するグループはありません。近いものとしては「忿怒尊」ですが、これは仏の外見的な特徴を表す言葉で、かならずしも仏教パンテオンの中の階層を表す言葉ではありません。ところで、インドでは仏のグループの中に多面多臂で忿怒の姿を取るものたちが、後期密教ではたくさん現れます。サンヴァラ、ヘーヴァジュラ、カーラチャクラなどはその代表です。彼らのイメージのもとには、『金剛頂経』で活躍する降三世明王がいます。足の下にヒンドゥー神を踏むという共通の特徴もあります。日本の明王が仏と同格と見なされることと、後期密教におけるこれらの神々の流行は、重なるものがあると思われます。日本密教でも明王を中心としたさまざまな儀礼や信仰が、すでに空海の時代から認められます(後七日御修法など)。三輪身説は日本密教では重要な考え方で、愛染明王などの他の明王たちも、本来の仏が誰であるか、定められます。このような「異なる階層の仏の同一視」は、密教の得意とするところで、新しく登場させた仏の権威付けや正当化の役割も果たします。

大日如来のスライドを見ていて疑問に思ったのですが、なぜ、ライオンなのでしょうか。個人的にはライオンに東洋的なイメージはないのですが・・・。獅子というと日本的に聞こえるし、今まであまり気にしたことはなかったのですが、よく考えたら、日本の美術にライオンというのは、なんだか違和感を感じます。インドとかのイメージから来ているのでしょうか。あと、耳が異様に大きいのはなぜでしょうか。あまり意味のある疑問ではないかもしれませんが気になりました。仏像には色を付けない(金とかは別として)ものだと思っていたので、色彩の鮮やかな仏というのは新鮮でした。仏には「光」というイメージがあるので、あんな風に色が強調されているものは、逆に怖かったです。不動のイメージが日本や中国で発展したものではないかという話は、とても興味深かったです。どのような背景があったのでしょうか。
ライオンはインドには生息しませんが、そのイメージはかなりはやくから伝えられています。有名なアショーカ王の石柱の装飾にも登場します。王権のシンボルでもあったのです。その関係で、釈迦も獅子にたとえられることがあり、その説法はライオンの吠え声である「獅子吼」と呼ばれます(鶴来の地名にもありますね)。それに加え、ライオンはヒンドゥー教の女神信仰でも重要な動物で、文殊やスカンダなどの童子神と結びつくのも、このことに関連します。くわしくは『インド密教の仏たち』の第2章と第3章を読んでみてください。仏像の彩色は日本人にとっては意外というか、不自然に感じるかもしれませんが、本来は必要なものです。とくに、密教の場合、仏のイメージの重要な要素として、体の色があげられます。平安時代以降作られた多くの密教仏は、はじめははっきりと彩色されていたものが大半です。仏像を金色にするのは、三十二相のひとつ「金色相」と関連しますし、来迎図などに登場する阿弥陀の場合、光を表すために金色にするのが一般的ですが、その一方で、さまざまな色が塗られた仏像もたくさんありました。いまでは色がすっかり落ちてしまった作品も、かつてはそうだったのです。日本で不動のイメージが発展した背景は、授業全体のテーマですので、それを通して、明らかにしたいと思っています。

五大明王はいずれも大日如来の化身になるのでしょうか。菩薩も含めて、すべて大日如来とすれば、仏の世界はすべて大日如来の内側なのかと思いました。立体マンダラはマンダラではないとありましたが、たとえば、ボロブドゥール遺跡などは何なのでしょうか。自分は立体マンダラのようなものと思っていました。
三輪身説では五大明王は五仏それぞれの化身なので、大日の教令輪身は不動だけです。それとは別のレベルで、密教の教理では、すべての仏は大日如来であり、そもそも、この世界すべてが大日如来であるという一元論的な仏身観があります。この場合は、仏の世界もわれわれの世界も大日如来となります。ボロブドゥールはしばしば立体マンダラと紹介されますが、特定の経典に基づいたマンダラではありません。釈迦信仰、大乗仏教(とくに華厳経)、『金剛頂経』系の密教などをベースにした建造物で、複数の考え方にもとづいています。くわしくは私の『マンダラ事典』の該当項目をご覧ください。

今日、スライドで見た醍醐寺、不退寺の大威徳の乗る水牛は、まったく日本の牛で、今月上旬、東寺講堂で見た像は水牛の実像に近かった。国東半島で見た真木大堂のも巨大な日本の牛でした。東寺の仏像を彫った仏師は、現物を見たのでしょうか。
ご指摘の通り、日本の大威徳明王が乗る水牛は、本物の水牛に近いものと、和牛の2種類があります。日本に水牛がいないのですから、やむを得ないことでしょう。水牛は典拠となった白描のようなものがあり、それにもとづいて制作されたと推測されます。水牛に限らず、インド的なイメージが忠実に日本にまで伝わっているのは、そのような図像のモデルがあったからです。真木大堂の大威徳は、私も数年前に見たことがありますが、堂々とした立派な作品です。単独の大威徳像として有名なものです。


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