不動明王の信仰と美術

2008年11月5日の授業への質問・回答


あるひとつのものを形式的に模倣しすぎても、また逸脱しすぎても人に受け入れられないという主張は、非常に共感できた。どんな芸術においても同じだと思うが、人は芸術を見るときに、自分の予想どおりのものを見て「安心感」を得たいという思いと、予想外のものを見て「驚き」を得たいという一見矛盾するふたつの思いを抱いているのだろうと思う。
前回の授業は「規範と逸脱」という視点から、宗教美術一般の特質を考察しました。黄不動という感得像は、そのための格好の題材であるからです。「共感した」「納得した」という感想が多く見られ、理解してもらえてよかったと思います。従来の美術史の研究では、このような視点があまり見られなかったと思いますし、宗教学では具体的な作品についての考察はほとんどありません。一般に、美術史は個々の作品の制作の背景や歴史的な意義について研究する学問です。そのため、複数の作品に共通する理論や、その普遍化にはあまり関心を向けません。これは、私自身の経験として、美術史のシンポジウムや学会でしばしば感じることです。その一方で、宗教学は、はじめから理論の枠組みを想定して、それに合致する事例を示すという傾向があります。結論が予定調和的すぎて、あまりおもしろくありません。両者のこのような弱点を乗り越える斬新な手法が必要なのではないかと思っています。これを機会に、皆さんも個々の事例から普遍的な理論を導くという思考方法を身につけていっていただきたいと思います。さて、コメントにある「安心感」と「驚き」というとらえ方もおもしろいと思います。「安心感」は、絵画に限らず、すべての古典が持っている良さですし、一方の「驚き」は、人々が芸術に求める歓びであり、快感でもあります。私は芸術作品を見ることは「視覚の冒険」であると思っています。

描こうとしている題材にあまり変化は見られないのに、描く表現は変わっていく。刷新と正統が拮抗しているというのは、宗教画や芸術だけではなく、ありとあらゆることにいえるのではないか。あまりに特異に走ると古典復興とかいうような・・・。
私もそうだと思います。音楽でも演劇でもファッションでも、何か形式を持った表現であれば、どんなことでも「刷新と正統」のせめぎ合いの中で、新しいものが生まれていくのでしょう。パロディー、和歌の「本歌取り」、浮世絵の「見立て」などは、とくにその対比を意識した表現技術でしょう。

グロテスクなものは滑稽だというのは、昨年の授業で習いましたが、そのような特異なもの、逸脱的なものも形式的なものと同様、宗教的な力を無くすという点ははじめて知りました。マネの「草上の昼餐」のように奇抜な作品は、その時代の人々の批判を受けるけれども、そのような逸脱的なものが美術史にとっては大きな意味を持つのではないかと思いました。
「グロテスクなものは滑稽に通じる」というのは、私の持論のひとつなので、いろいろな授業で顔を出しますね。宗教的な主題の場合、とくに見る人に「恐ろしさ」や「畏怖の念」を植え付けるために、世界中の宗教美術に「グロテスクなもの」が現れるのですが、その多くが、他の文化に属するものには滑稽に見えるという実感があります。ただし、われわれはこのようなグロテスクな作品を、画集や展覧会で見ることが多いため、そのように感じるのですが、実際にそれが置かれた場所、つまり寺院や教会などで見ると、また異なる印象を持つはずです。たとえば、授業で紹介したチベットの忿怒尊も、暗いお堂の中で、灯明の光だけで浮かび上がり、横ではチベットのお坊さんの読経の声が低く聞こえるような状況では、画家の意図通り、恐ろしさを感じるのが普通でしょう。宗教美術はそれが置かれた空間と切り離してしまっては、本来の意味や迫力を失ってしまうのです。コメントの後半の、批判され、逸脱した作品が美術史にとって意味を持つというのはそのとおりです。しかし、その中で歴史に残る作品は、やはりごくわずかです。あたりまえのことですが、批判される作品であることが傑作であることの十分条件ではありません。歴史の中に消えていった無数の「逸脱した作品」があるのです。そうすると、その違いを生んだ要因は何だったのでしょうね。

逸脱という観点からの感得像の言及は興味深かった。どこまでを逸脱と考えるかはむずかしいが、イメージとしての像があり、あえて逸脱することが感得像のたしかさを高める。違和感がありながら、それでも「不動明王」とわかることが大切なのであろう。真逆なイメージ(規範←→逸脱)というのは、背反するのではなく、同居するものでもある、というよりも同居することで宗教として、美術として力を持つのだろう。もし、円珍が感得したわけではなく、これを描かせたとしたら、どういった意図を持っていたのだろうか。
たしかに、円珍が黄不動を描かせた意図は何だったのでしょうね。『円珍伝』の中で、黄不動自身に「私の姿を描きなさい」といわせていることが、私は重要と考え、感得像があらたな規範となるための周到な配慮と思っています。黄不動像が円珍ゆかりの特別な像であることと、実際に図像的に特異な点が絡み合って、黄不動像の存在価値が高まったと思いますが、それを模倣した「黄不動像」が数多く作られるようになったのは、この黄不動自身による「コピーの奨励」が重要だったようです。その一方で、密教では仏の像を形で伝えることを重視しました。実際、インドから中国を経て日本に伝わった仏の中には、インドの作品に見られる特徴が色濃く残っているものがたくさんあります。黄不動もその仲間入りをしたのです。

ペリーの肖像画について、当時の日本人にとって、外国人のペリーは鬼のように思われ、鬼を意識して描かれたという説があるそうですが、個人的にはペリーの肖像も含め、「滑稽化」の絵の多くは、イデオロギー的なものより、単純に絵師の画力、画風によって、滑稽に見えてしまっているのではないかと感じました。
鬼を意識してペリーを描いたというのは、実際そうだったようです。その鬼を模したイメージが、グロテスクというよりも滑稽に見えるということです。現在、大阪の国立民族学博物館と国立近代美術館で、肖像画に関する展覧会が開かれていますが、異文化の人物像をどのような描くかというのも、その展覧会の主題のひとつです。自分たちとはことなる世界に属する人々は、しばしばグロテスクにうつったようですが、それを実際に表現するときには、しばしば滑稽な姿になります。それとともに、見慣れない外国人は、すべて同じように見えるという特徴もあります。これは、同じ文化に属する人は、共通する要素の中から相違点を浮かび上がらせて見るのに慣れているのに対し、異なる文化の人物に対しては、それが十分できないからでしょう。これはどちらかというと、心理学の問題かもしれませんが。江戸時代の絵師によって浮世絵などに描かれた外国人の姿が、巻き髪、極端に高い鼻、飛び出たあごなど、一律的でステレオタイプな特徴を持っているのもそのためでしょう。

そもそも感得体験、感得説話自体が眉唾なんですが・・・。もし、現れた不動が、儀軌とはまったく異なる姿をしていたら・・・というのは、発想としてすごくおもしろかったです。規範があって、そこから逸脱する(ズレる)と感得像になるという話にも説得力がありました。突発的な体験の中で見た黄不動を、その姿のまま画にするのはむずかしい気がするのですが・・・。ある面が誇張されて印象に残るということはないのでしょうか。感得像というぐらいだから、そこはあまり重要ではないのかもしれませんが。
「儀軌とはまったく異なる姿をした不動」というのは、私自身も、どこかユーモラスだと思っています。自己紹介しても、円珍に不動とわかってもらえなかったとしたら、どうしたでしょうね。私はこういう極端というか、正反対のことを考えるのが好きで、そこから論文や本のネタを思いついたりします。皆さんも自分の分野でいろいろ試してみて下さい。そもそも、感得像のとらえ方も、一般の美術史であれば「特異な像」「変わった姿の像」なのですが、私の場合、「それほど普通と変わらない像」ということです。感得像のある面が誇張されて印象に残るというのも、あり得ると思います。日常生活の中でも、人の顔や身体的な特徴で、どうでもいいような細かいところが印象に残ることがしばしばありますね。


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