不動明王の信仰と美術

2008年10月8日の授業への質問・回答


「不動」という存在は今までひとりの仏様のことだと思っていたのですが、黄不動、青不動、赤不動など、さまざまな不動がいるということは、「不動」は称号のようなものなのでしょうか。その辺がよくわからないです・・・。基本的にはどの不動も剣を持ち、怒りの表情をしていますが、牙の向き、目の開き方が違うので、同じものとは言えないですよね。この違いはなぜ生じたのか、色に意味があるのかが気になります。そもそも、なぜあんなに怒っていて、動き出しそうな存在に「不動」と名が付いているのか、少し疑問です。ただ動かなくても威圧感はすごく感じるのがすごいと思いました。
仏教の仏の名前は、基本的に固有名詞と普通名詞でできています。釈迦、阿弥陀、薬師、弥勒、文殊などが固有名詞で、仏(この場合は狭い意味での仏です。如来ともいいます)、菩薩、明王、天などが普通名詞です。後者は資格や身分を表しています。仏はすでに悟った存在、菩薩は修行途上で、衆生救済につとめている者(衆生とはわれわれ生きとし生けるもののことです)、明王は怒りの姿を持ったほとけ、天は仏教の教えを守る神のような存在です。なお、仏は狭い意味では「悟りを開いた者」ですが、仏教美術や仏教学では、菩薩や明王などもふくめて総称として用いることもあります。また、代表的な菩薩に観音がいますが、観音はあまりに種類が多いので、観音そのものが普通名詞のようになり、千手観音、十一面観音、不空羂索観音などが登場します。さて、不動明王の場合、不動が固有名詞、明王が普通名詞です。たしかにひとりの仏なのですが、それがさまざまな姿で表されます。これは、不動に限らず、仏の世界全体に共通して当てはまるのですが、とくに密教の仏たちにはさまざまなタイプがあり、不動はその中でも多くの類型がある仏です。そのさまざまな姿が生まれた背景を探ることが、不動研究のおもしろさとも言えるでしょう。授業でもそのあたりをくわしく取り上げます。黄不動、青不動、赤不動を最初に紹介したのは、この三つがそれぞれ異なる姿をしていて、不動の姿の多様性を示すのに好都合なのですが、もともとは、セットでまとめて作られたものではなく、単独の作品です。色を冠した名称も後世のもので、正式にはいずれも「不動明王画像」のように呼ばれます。

経典、儀軌の情報を図像で表現するならば、皆同じような像になると思うのですが、黄不動、青不動、赤不動で特徴に差があるのは、もともと三つの不動が別のものだからですか?それとも経典の解釈が違うのでしょうか。
文献の記述に忠実であれば、すべて同じ姿の像になるはずというのは、的確な指摘です。実際、ギリシャ正教のイコンのように、すべて同じ作品のコピーのような宗教美術の世界もあります。文献が作品を規定する密教でも、それと同じことが起きるはずです(これが、説話図などとは違う点です)。しかし、実際にはさまざまなタイプが現れるところがポイントです。もちろん、文献の解釈で、異なる像が現れることもありますし、文献の記述が不十分で、それを補う過程で、異なるイメージとなることもあります。しかし、黄不動や赤不動では、それが意図的になされたり、あえて文献の記述に合致しないように作られているところが重要なのです。これを「感得像」といったり、「阿闍梨の意楽(あじゃりのいぎょう)」と呼んだりします。くわしくは黄不動のところでお話ししますが、作品と文献との関係が重要であることは、この後も意識していて下さい。

一般の仏像は対称的だが、不動明王はアンバランスであるという話がなるほどと思いました。阿弥陀如来像を思い浮かべると、たしかに対称的だと思います。でも、非対称的な仏、アンバランスな仏は、本当に不動明王以外にはないのでしょうか。
アンバランスの仏もたくさんいます。作品全体がシンメトリーかそうでないかは、その作品の性質を示す重要な点になるような気がします。阿弥陀如来、とくに定印の阿弥陀(たとえば平等院鳳凰堂の定朝による阿弥陀如来像)などは、左右対称が強調されていますが、それは悟りの境地の絶対性や静謐さを示す格好の特徴となるでしょう。これに対し、観音菩薩などの多くは、腰をややひねり、片足を少し浮かせるなど、左右対称をわざとくずし、動きを感じさせます。これは観音菩薩が、われわれ衆生の救済につとめ、つねに活動を続けていることを表すと解釈できます。それとは別のレベルで、シンメトリーを好むか好まないかという選択は、時代や地域、文化、民族性、風土などで異なります。おそらく、日本人は好まない傾向が強いですし、インドや東南アジアなどは、逆に、好む方ではないでしょうか。建築様式などを考えるとわかりやすいでしょう。授業で、自然界にはじつはシンメトリーが少ないとお話ししたのは、素人の印象ですが、自然科学ではよく言われることのようです。DNAの二重らせんなどは左右対称のように見えますが、その中の塩基の配列は対称ではありません。左右対称というのは左右の混乱を生じるため、誤差を生まないために、自然界は左右対称をとらないのではないかとも思います。それをあえて対称とするのが、人間の文化かもしれません(これも素人の想像ですが)。

赤不動のジャラジャラ飾りを見て、鶴来町のほうらい祭を思い出しました。ほうらい祭は金剣宮の秋祭りで、神社の御輿のあとに続いて、獅子舞や山車が町を練り歩くのですが、そのときにぼろ布をまとって、ジャラジャラ金属質な雑音を立てながら町中を歩き回る役の人がいます。仮面をかぶっているのですが、異様な風体で、子どもは泣き出します。何を表しているのかはわかりませんが、悪役ではないので、退治されたりはしません。怖いもの=異様な風体(嫌悪感すら感じるような正視に耐えない姿)、しかし、動くたびに耳障りな音を立てるので、視界に入らなくとも強い存在感を示すものでしょうか。
近くに住んでいながら、私はほうらい祭を見たことがないのですが、おもしろそうですね。赤不動の金属の飾りは修験道とのつながりが指摘されています。金剣宮は白山信仰と関係があるので、北陸修験の中で生まれたのかもしれません。修験というのは金属文化を重要な要素として持っていて、修験者の道具や身の回りのものに、金属製品が多く用いられています。金属を身につけることで、何か特殊な能力が与えられると考えていたのでしょう。異様な風体のものとしては、秋田のなまはげを連想しますが、こちらも大きな包丁を持っています。

黄不動や赤不動は、不動の中では特異、あるいは逸脱したものであるというような話がありましたが、どうして、そういったものが生まれるのだろうかと疑問に思いました。また、何をもって、それが不動明王であるといわれるのでしょうか。
黄不動にはくわしい伝説があります。黄不動の時にお話しします。特異な姿、あるいは逸脱した姿であるのに、不動明王である根拠は何かというのは、重要な指摘です。その点だけ先に紹介しておくと、不動がそのように自己紹介したからです。変な不動ですね。でも、そこが黄不動を理解するポイントになります。

アチャラがガネーシャを踏みつけたり、インドの神が踏まれる画像はよくあると聞いて驚きました。たとえば、ガネーシャは歓喜天と同一視されていると思っていましたが、必ずしもイコール関係ではないんですね。不動の日本での垂迹神というのはいるのでしょうか。
仏教の仏がヒンドゥー教の神などを足の下に踏むのは、たとえば日本でも降三世明王などに見られます。インドの後期密教やチベットの仏教では、広く見られます。これは、密教の時代になってからですが、仏教側が自分たちの仏のイメージを新しく作るとき、より過激な姿を与えるときの常套手段です。その一方で、ヒンドゥー教の神々は仏教のパンテオンの重要なメンバーになります。ガネーシャに相当する歓喜天もそのひとつです。要するに、仏教側はヒンドゥー教の神々を、状況に応じて使い分けているのです。このような扱いは、ヒンドゥー教側からは許し難いことでしょうが、実際はあまり問題にはされなかったようです。この時代、インドでは仏教に対してヒンドゥー教は圧倒的に優位にあり、仏教は相手にもされていなかったのでしょう。不動の垂迹神はたくさんいます。熊野本地仏曼荼羅などにも、熊野三山ではありませんが、その下のクラスの神のひとりが、不動を本地とします。修験道は密教と関連が深く、神道も密教の影響を受けたので、密教の仏が本地となることも多く見られます。このほか、阿弥陀や観音も本地仏として好まれます。日本の仏教で人気の高い仏は、大半が本地仏になっていると考えた方がいいでしょう。

本県の倶利伽羅にある倶利伽羅不動尊は、江戸期は長楽寺にまつられていました。明治に入って寺の仏像は金沢寺町へ流れ、戦後、倶利伽羅不動尊ができるまで、空白の時代がありました。江戸期、倶利伽羅峠の茶屋では、「砂糖餅」が名物で、できた狂歌が「倶利伽羅の餅に大小不同(不動)あり 客が混んから(コンカラ童子)亭主せいたか(あわてたか)(セイタカ童子)」
くわしい情報をありがとうございます。狂歌もおもしろいですね。不動は真言系のお寺にはたいていまつられているので、倶利伽羅不動以外にもあちこちで見ることができるでしょう。石川県の真言宗で有名なところは、他にも、加賀の那谷寺や、金沢市内の雨宝院(室生犀星が子どもの頃にいた寺)、伏見寺(芋掘り藤五郎伝説のお寺)などがあります。富山では上市町の日石寺の磨崖の不動が有名です。

東寺に五如来、五菩薩、五明王があるとこのとですが、五という数は何か意味があるのでしょうか。東西南北とその真ん中で五つという話を、神社で聞いたことがあるのですが(神社に使われる緑、黄、赤、白、紫という色についての話ですが)、仏教でも方角に関する理由で五になっているのでしょうか。
東寺の五如来などは、マンダラの仏に由来します。その場合、やはり中央と四方向で五になります。大日如来がマンダラの中央の仏で、それ以外の四仏が四方の仏だからです。五仏の思想は密教以前からあり、宇宙全体に無数にいる仏を、五人の仏で代表させます。東寺の講堂の五菩薩と五大明王は、五如来が姿を変えて現れたと説明されます。神社で用いられる五色は、ほぼ同じものが密教でも用いられます。その色は五仏の智慧を表します。神社のお話はおそらく神道に由来するものだったと思いますが、密教の影響を受けて使われるようになったのでしょう。


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