インドと日本の仏教儀礼の比較研究

2008年12月11日の授業への質問・回答


悟りには段階があるということが意外でした。あと、人間(小野小町さん)が腐っていくさまをスライドで見ましたが、あれは本当に全部小野小町さんを描いたものなのかと思いました。だとしたら、小野さんはあのような死に方をしたのか、それとも美人の象徴とも言える彼女でも、不浄の体を持つ人間であることを強調したかったのでしょうか。
インドのヨーガや瞑想では、悟りには段階があるのが基本です。釈迦が悟りを開いたときも、初禅から二禅、三禅、四禅と、順を追ってレベルがあがっていきました(悟りを深めたという見方もできます)。配付資料の『仏教要語の基礎知識』にも、このあたりの悟りの体系が簡単に説明されています。しかし、おそらくほとんどの日本人にとって、悟りとは「はっと気づく」とか「突然、何かの拍子で悟る」というイメージが強いと思います。これはインド的な悟りではありませんが、禅宗でしばしば説かれる悟りは、このタイプです。日本の禅宗は中国の禅に起源を持ちますが、そこでは大きく「頓悟」と「漸悟」というふたつの流れがありました。文字どおり、前者が「突然悟る」タイプで、後者が「順序立てて悟る」タイプです。もともとインド仏教の悟りは後者だったのですが、中国で前者が有力となり、日本の禅宗はそれを受け継いだのです。人間の不浄観を絵巻にした『九相詩絵巻』の方ですが、小野小町という説と、嵯峨天皇の后である檀林皇后という説のふたつが古くからあります。解釈については、コメントの最後にあげてくれている「美人の象徴とも言える彼女でも、不浄の体を持つ人間であることを強調したかった」というとおりですが、小野小町ととるか、檀林皇后ととるかで、少し意味合いが違うそうです。九相詩に描かれている腐乱死体は、有名な聖衆来迎寺の「六道絵」という絵にも含まれ、図像学的な研究も盛んに行われています。最近も以下のような研究が発表されています。
鷹巣 純 2007 「腐乱死体のイコノロジー:九相詩図像の周辺―」『説話文学研究』42: 125-132.
泉 武夫・加須屋誠・山本聡美 2007 『六道絵』中央公論美術出版(加須屋氏の解説).
西山美香 2008 「九相図の展開 小野小町と檀林皇后の<死の物語>」『国文学 解釈と鑑賞』73(12): 120-127.

カルマンとカルマは違うものなのですか。日本語では「業」で同じに見えるのですが・・・。ヨーガが涅槃に至るための手段であることはわかりましたが、私たちが知っている「ヨガ」は、ヨーガの中に身体によいものがあって、それをダイエットなどに転用しているということでいいのでしょうか。どうもつながらなくて・・・。
カルマンもカルマも同じです。サンスクリットの正しい形(辞書の見出しに出る形)は「カルマン」なのですが、主格、単数では「カルマ」となるので、それを用いることも多いのです。anで終わる名詞は、他にも「ブラフマン」(梵)とか「アートマン」(我)とか「ラージャン」(王)など、重要な単語が多くあります。ヨーガは基本的に瞑想や実践の手段であり、体操やダイエット法ではありませんが、身体技法を中心とするため、現代では一般にそのようにとらえられています。正しい姿勢、とくに坐り方と、呼吸法が基本にあるため、ヨーガ教室でもそのあたりをまず徹底してトレーニングするはずです。しかし、インドで修行した先生などは、きちんとその精神的背景も勉強して教える人もいるでしょう。あまりそれが昂じると、宗教的な要素が強くなります。ちなみに、オウム真理教も本来はそのような瞑想やヨーガを基本とする宗教団体だったはずです。

瞑想は他人からしたら何を考えているのかわからなく、本人の世界のみの行為ととらえてしまいがちだが、ちゃんとした儀礼のひとつであるとわかりました。他を遮断して、煩悩を捨てるというイメージがある。これはけっこう難解なことなのではないかと思いました。
瞑想をそのまま儀礼とみなすのは少し無理がありますが、インド世界の儀礼を考えるためには、瞑想のような個人的な宗教実践を知る必要があると思います。以前に取り上げた灌頂で、阿闍梨が仏の振る舞いをしたり、弟子に仏のエッセンスのようなものを与えるときには、必ずこのようなヨーガや瞑想がはじめにあります。頭の中だけで、自分自身が仏であると考えているのではなく、身体の感覚として、仏と一体になっていることが前提となるからです。今回の授業では、それとは別の方向で、観想法や成就法のような個人的な宗教体験が、集団による儀礼の場で共有される事例を紹介します。集団的な儀礼と個人的な宗教実践が、さまざまな形で絡み合っていくのです。コメントの最後にある「煩悩を捨てる」のはもちろんたいへんで難解なのですが、儀礼はそのようなレベルとは別のところで作用するので、煩悩の有無にかかわらず、実践されなければなりません。

エリアーデの小説、読んでみたくなりました。絵巻は実際に死体を観察して描いたのでしょうか・・・。リアルで驚きました。観仏三昧では往復することが重要なのですか。同じ行為を同じ順番で繰り返すことよりも。仏の肩や足元から出るのは、水や火だけなのですか。
エリアーデの小説は日本語で読めるものがいくつかあります。私が持っているのは以下の文庫本です(持っているだけで未読です)。
エリアーデ、ミルチャ 1990 『ホーニヒベルガー博士の秘密』直野敦・住谷春也訳 福武書店。
ほかにも『マイトレイ』というのが代表作として知られていて、作品社から刊行されています(金大にはないようで、私も持っていません)。エリアーデは若いころ、インドに長期間滞在し、有名なインド哲学者のダスグプタの家にいたのですが、その娘であるマイトレイ(小説のタイトルにもなっています)と恋仲になり云々というさまざまな逸話もあります。観仏三昧の瞑想の順序は、おそらく往復することが重要だったのでしょう。反復でもあるのですが、一種の循環的な瞑想だと思います。多くの仏とひとりの仏を交互に瞑想するというのもありましたが、これも往復というか、循環的な瞑想法です。これの流れをくむ瞑想法が密教にもあり、広観と斂観といいます。瞑想の対象を宇宙大に広げたり、鼻の先に置いた芥子粒にまで小さくしたりという往復運動です。仏から火と水が出るのは、これまでの儀礼でも取り上げたように、インドの物質の中でこのふたつが特別な存在だからでしょう。エネルギーや生命力の具現化したものが火と水であり、それをコントロールするところに、仏陀の超越性や万能であることが見られます。

仏の三十二相では、宗教的な理想が現れていると書いてある。29の真青眼だが、古来より、「青」はあまりよい色ではなかったと「青の歴史学」というタイトル(・・・だったと思う)の本に書いてある。実際、1800年以降に人気の色になるまでは不吉な色であったらしい。宗教、仏教美術史の中でそうした色がなぜ使われたのだろう。
青い眼が仏像の三十二相に含まれていることは、授業でも紹介したように、実際にそのような身体的な特徴を持った人びとがいたことが背景にあるのでしょう。ほとんどの人が青い眼であれば、それが不吉とかは問題にならないと思います。青が不吉な色というのは、ヨーロッパの一般的な色彩感覚ではないでしょうか。インドでは青がとくに不吉ということはないようです。青い色の睡蓮が仏の持物などにもしばしば登場します。文学作品では美人の比喩にも用いられます。ただ、青といっても水色から紺色までさまざまな青があります。このうち、濃い青は不吉というのではありませんが、力強さや激しさなどと結びつくイメージだったようです。古くはリグ・ヴェーダの中のインドラへの讃歌に、「黒雲のような青黒いインドラ」という一節が現れます。一方、中央アジアや西アジアでは、ラピスラズリの青い色が高貴なイメージと結びついています。中央アジアの有名な仏教石窟のひとつキジルでは、青がしばしば背景に描かれますが、それも青の持つ高貴さからくるようです。

高校の時に「ヨーガ」とは「苦行」を意味し、自らの肉体を痛めつけたりすることで、人間的な感情や肉体から離れ、仏に近付くための儀式だと聞いたことがあります。ヨガの柔軟体操もその名残が運動に取り入れられたものと聞いたのですが、あくまでもヨーガの一流派なのでしょうか。
残念ながら、高校の時の先生のお話は、ヨーガと苦行(タパス)を混同、もしくは取り違えていらっしゃるようです(ひょっとすると、キリスト教の苦行も入っているかもしれません)。タパスの中にヨーガと共通する坐法や修行法が含まれることはありますが、両者は基本的に別の実践です。ヨーガの定義にある「心の働きの制御」というのは、苦行によって自らに過酷な苦痛を与えることとは、むしろ正反対です。ヨーガが柔軟体操のように見えるのは、特定の身体のポーズが、そのような「心の働きの制御」に効果的であるためです。もちろん、体の硬い人(私もそうですが)にとって、無理な柔軟体操は苦痛でしかありませんが、その場合もオーソドックスなヨーガであれば、けっして無理には体を曲げたりはしません。ヨーガの中で独得な一派としては、中世のインドで流行した「ハタヨーガ」というのがあります。古典的なヨーガと異なり、体の中のエネルギーを活性化させるという方法をとります。これも、「心の働きを制御する」ヨーガとは逆の方向をめざしますが、広く受け入れられ、とくに密教を含むタントリズムでは、ハタヨーガに似た実践がしばしば行われました。現在の日本で行われているヨーガも、このハタヨーガに含まれるものが多いようです。

仏の三十二相は能の詞章中によく出てきます。具体的にどんなものなのか知らなかったので、知れてよかったです。指のあいだに膜があるなど、知っているものもありましたが・・・。三十二相は不動の十九相観みたいだなと思いました。不動の場合は感得してその姿を描かせたといわれていますが、観仏の場合はどうなんでしょう。あと、十九より三十二は数が多くて観像はたいへんそうです。
能を理解するためには、いろいろな仏教の知識が必要なのですね。ぜひ、この授業も役立ててください。三十二相は数が重要だったようで、その内容は文献によって一部が異なります。三十二というのは二の5乗という整った数なので、好まれたのでしょう。不動の十九相観は、水曜の仏教文化論で取り上げましたが、観想法の特殊なものです。十九という数もめずらしく、観想法にしばしば見られる身体の16の箇所への文字の布置をベースに、頭の部分の三つの特徴を加えたものと考えています。感得像は、十九相観や弘法大師様(よう)のオーソドックスな不動のイメージとは微妙に異なることからそう呼ばれます。そのために、「画像として残す」ことが重要視されたのです。三十二相の場合、実際の仏像を参考にして、観仏を行ったり、あるいは、三十二相を直接表現するために、仏像が作られたりしたケースが考えられます。いずれにしても、仏の像をつくることと仏を瞑想することは、三十二相でも感得像でも、密接な関係があります。


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