インドと日本の仏教儀礼の比較研究
2008年12月4日の授業への質問・回答
グリヒヤスートラの儀礼変容を見ると、生の循環から祖霊の供養へと儀礼が姿を変え、さまざまな儀礼が追加されたりしている。儀礼は神代に完成されたような「神の儀式」ではなく、人びとの信仰や営みによって変化する人間的な性質を持っているようでおもしろいと思った。
授業で紹介したグリヒヤスートラは、『アーシュヴァラーヤナ・グリヒヤスートラ』という名の文献で、比較的古い成立のもののようです。以前に配布した「ヴェーダ文献一覧表」を見ると、リグヴェーダの系列のグリヒヤスートラであることがわかります。グリヒヤスートラの内容が「人間的」であるのは、扱っている儀礼が「グリヒヤ」すなわち家庭内祭式であるからです。グリヒヤと対になるのが「シュラウタ」です。こちらは、三種の祭火を用いる大規模な儀礼で、王権や国家と結びついた儀礼です。国王即位儀礼としてのアビシェーカ(灌頂)も、代表的なシュラウタ祭式なのですが、グリヒヤのジャンルに属する人生儀礼(サンスカーラ)と一緒になって、さらに、プラティシュターという新しいタイプの儀礼もこれに関わるところが、おもしろいと思います。プラティシュターは寺院や神像が現れるようになって成立した儀礼で、シュラウタには取り上げられず、グリヒヤスートラの中でも新しい層の文献にしか登場しません。シュラウタ祭式は寺院や神像を前提としない祭式だからです。儀礼の変化や追加は、必然性があって起こることで、その背景にあるのは、ご指摘のように人びとの信仰や営みであり、そこを読み解くことが儀礼研究のおもしろさだと思います。
現在、私たちが行っている通過儀礼には、地域によってさまざまな違いが見られると思うのですが、グリヒヤスートラの場合、どうだったのでしょう。変容は起きても、違いは生まれなかったのでしょうか。それとも、グリヒヤスートラ自体が狭い世界で行われていて、違いの生まれようもなかったのでしょうか。
伝統的なインドの儀礼も地域によってかなり異なります。現在の例ですが、一般に南インドの方が伝統的な儀礼世界がよく残っていると言われます。それとともに、インドの儀礼文献は、ヴェーダの体系にしたがっているので、4つのヴェーダ(さらにその中の分派)がそれぞれの文献を有しているという特徴があります。グリヒヤスートラもそれぞれの学派が固有の文献を持っていますし、シュラウタスートラも、法典(ダルマシャーストラ)も同様です。授業で紹介したアーシュヴァラーヤナ・グリヒヤスートラも、マヌ法典もそのうちのひとつの例にすぎません。パワーポイントで紹介したグリヒヤスートラの変容は、数あるグリヒヤスートラの内容を網羅的に取り上げ、内容を比較した結果です(この分野の日本の第一人者である永ノ尾信悟氏の研究)。そこでは、個々のグリヒヤスートラが成立した時代の状況が反映されています。さらに、グリヒヤスートラには、少し遅れて「補遺文献」(パリシシュタ)というジャンルが生まれます。現在のヒンドゥー教の儀礼は、このグリヒヤスートラ補遺文献の成立と密接に関わっていると言われます。
ネパールでは女子の初潮でも儀礼をすることがわかった。日本だったら母親や女友達にしか言いたくないことでも、儀礼をするということは、宗教によってもそういうできごとのとらえ方が違うものなのだなと思った。
初潮儀礼はネパールに固有の通過儀礼ではありません。意外に思うかもしれませんが、世界中の通過儀礼でもっとも一般的なもののひとつでしょう。かつての日本でもそうでしたし、今でもその片鱗が残る地域や共同体などもかなりあるはずです。通過儀礼は出産や葬儀のように生と死に関わることが多い儀礼です。生は性とも関連しますので、結婚や割礼も重要な通過儀礼で、初潮もそれに加えられます。通過儀礼のもうひとつの特徴は、しばしば「死と再生」のモチーフをともなうことです。成人式にあたるイニシエーションで、しばしば「擬似的な死」を体験し、あらたな誕生がその後に置かれます。「擬似的な死」はさまざまな試練や、母胎をイメージした空間にとどまることなどで、象徴的に示されます。この「死と再生」も「生と死」と重なることがわかります。通過儀礼については、参考文献のファン・ヘネップの『通過儀礼』が古典ですが、そこに「死と再生」を読み取るのは、エリアーデをはじめとする宗教学者や人類学者の著作に頻繁に見られます。
仏像には魂が入れられていて、展覧会で私たちが見るときなどは、抜かれている場合があるということでしたが、抜かれた魂は抜かれているあいだ、どこに行っていると考えられているのかと思いました。魂がなければ、ただの木石だととらえられるということは、魂が入っていないと認識された仏像は、魂が入るまでは拝む対象にはならないということだと思いますが、それって見る人が見たら入っているか入っていないか識別できるのでしょうか。
たいていの展覧会では、オープンの前に法要をして、魂を入れるようです。魂とは言わず「お精(しょう)」とか「お精根(しょうこん)」と言うようです(次の方のコメントも参照して下さい)。これは仏像の修理をするときや、仏壇を購入したり、あるいは廃棄するときにも行いますので、そういうことに関係する人にはよく知られた知識でしょう。抜かれた魂は仏の世界に行っていると考えるとわかりやすいのですが、仏というのはどこか特別な世界に住んでいる天人のような存在ではなく、われわれとは次元の異なる存在なので、空間移動をするというわけではないようです(私がいつも使うマンダラの図式は、誤解を生みますね)。仏に魂が入っているかいないかは、わかる人にはわかるようです。見てわかるという視覚的なものではなく、何かを感じるそうです。残念ながら私にはその能力がありませんが。
家を改築するとき、仏壇は一時的に移転しますが、その際にお手次の寺から僧に来てもらい、一度「お精(しょう)」を抜いてから移動し、移転先で「お精(しょう)」を入れてもらいます。新しい家が完成したときも、同じ手順で僧に来てもらいます。神棚の場合はとくに神職は呼ばず、戸主が手袋をして、移転先に運びます。家が完成した場合は、吉日を選び、神棚を選びますが、占いに凝り固まっている人で、完成前が吉日の場合、神棚を安置し、戸主は未完成の家に布団を敷き、一晩泊まってきます。こんな人を当地方では「御幣かつぎ」と呼びます。完成式の流れにおいて、乳粥の儀式は釈迦が悟りを開き下山したとき、スジャータが捧げた飲み物にちなむものでしょうか。
仏壇の「お精入れ」や神棚の安置の情報、ありがとうございました。仏壇に関しては基本的には仏像の完成式と同じようです。仏壇は仏の世界を表すものですから、小さな寺院に相当します(浄土真宗の場合、さらに極楽浄土もイメージされています)。神棚に関する儀礼は日本固有のものという気がしますが、個人の家に神棚を置くようになったのは、おそらく明治以降なので、伝統としては比較的新しいものかもしれません。乳粥の儀式は、仏教の文献ではスジャータによる乳粥布施に関連づけられているようですが、もともとはヒンドゥー教のプラティシュターでおこなわれているものが、仏教でも踏襲されたようで、後から結び付けられたようです。なお、スジャータによる乳粥布施は、悟りを開いた後ではなく、苦行による修行の限界を知った釈迦が、苦行を放棄し、体力を回復させるために摂取したもので、悟りを開くのはその後です。
灌頂儀礼を受けた人が、その内容を漏らしてしまったらどうなるのでしょうか。そもそも、そういう人がいないと内容はわからないままですよね。それても、自分以外の人の灌頂については話しても大丈夫なんですか。ウパナヤナのところで、「受胎後8、11、12年目」とありましたが、これは年齢の8歳、11歳、12歳とは別なのですか。よい言い方がわからないのですが、「十月十日で産まれる」という言葉を用いるその十月十日も含めるということでしょうか。
基本的には話してはいけないといっているので、話さないのでしょう。実際、灌頂儀礼の体験談のようなものは、私の知る限りでもほとんど発表されていません。他の人の灌頂についても同様です。儀礼に関与したものは、その儀礼について口外してはならないのがきまりです。ただし、古い文献を紹介することは問題ありませんし、実際、いくつも儀軌類が発表されています。過去においても、古い時代の儀礼を研究する僧侶が大勢いました。この分野のことを密教では「事相」(じそう)といいます。これに対して、教理的な研究は「教相」(きょうそう)といって、この両者を均等に学ぶことが、密教の僧侶のつとめとも言われます。ウパナヤナについては、わざわざ「受胎後」と言っているので、おそらく妊娠期間も含むのでしょう。日本で言うところのいわゆる「数え」の年齢かとも思います。
投華得仏はおもしろいと思いましたが、花がどこに落ちても真ん中に移動させるようになったことで、形式的なものになってしまったのではないかと感じました。花がおどろおどろしい仏の上に落ちた場合を考えると、そちらの方がよいのかもしれませんが。
たしかに形式的ですが、空海の故事にならったと考えるならば、大師信仰のひとつのあらわれともとれます。投華得仏は灌頂の儀礼の中では謎のプロセスです。別にこれがなくても、灌頂の儀式の流れは成立します。何か別の要素(それも仏教以外の)が混入したのではないかと思っています。なお、投華得仏は灌頂の中ではレベルが低いプロセスなので、結縁灌頂という在家者向けの灌頂でも行うことができます。私のいた高野山では、春の大型連休と秋の文化の日の頃に、2回、結縁灌頂が行われます。観光客でも気楽に受けられますので、関心がある人は一度受けてみて下さい(ただし、無料ではありません)。
仏塔は、それ自体が仏であるとのことでしたが、仏の姿をした像を本当の仏にするのはわかるのですが、建物である仏塔を仏にするということに、疑問が残りました。仏塔は、高徳の僧の遺骨を安置する場所だったと思うのですが、骨となり、形を無くしてしまった仏に、あらたな形を与えるためのものであるような気がしました。仏を安置する場所は、ただの建物ではなくて、神聖なものにする必要があるから、建物も仏にするということでしょうか。
仏塔や寺院のような建造物のプラティシュターは、これまでの授業で取り上げたさまざまなトピックとも関連します。ヴェーダの時代以来、儀礼の場はひとつの宇宙を示し、それが身体(とくに儀礼の祭官の身体)と重ねられました。これは、インドの伝統的な「小宇宙と大宇宙の相同」という考え方を具体的に表しています。小宇宙が身体、大宇宙が実際のコスモス、そして両者の媒介となるのが儀礼空間です。ヒンドゥー教の寺院が恒常的な祭祀空間であり、神の家、すなわちコスモスであることも紹介しましたが、ここでも寺院が身体であるという意識が強く働いています。建築儀礼において、大地の女神とバラモンとのあいだの聖婚によって、胎児である寺院が誕生するというプロセスにも言及しました。仏塔の場合、さらに仏教的な背景があります。もともと、仏塔とは涅槃に入った釈迦を荼毘に付して、その遺骨である舎利を祀るために建立されたものです。しかし、舎利とはもともと遺骨という意味ではなく、身体を表す言葉です(ただし、身体の中で骨格が意識されています)。この仏の身体を内に含む仏塔は、その後、無数に増え続けていきます。はじめの仏塔も分舎利の後、十基建立されますが、さらにアショーカ王の時代には八万四千に増やされ、その後も数多くの仏塔がアジア各地に建てられます。日本の奈良時代の百万塔陀羅尼の百万塔もその例です。これによって、仏教の教えである法が世界中に広がることを意図したのですが、その具体的な方法として、仏の身体を含む仏塔を増やし続けたのです(このあたりのことは私の『仏のイメージを読む』の第四章で詳しく述べています)。さらに密教では、五輪塔に見られるように、仏塔そのものが身体をかたどったと考えられています。五輪塔の五輪とは宇宙を構成する地水火風空の五大元素で、人間の身体もこの五つに還元されます。これを立方体や球などの形で表した五輪塔は、そのまま、人間の体の形を表すと考えられました。
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