インドと日本の仏教儀礼の比較研究

2008年11月13日の授業への質問・回答


敬愛の修法の話を聞いていると、密教(というか仏教)の儀礼であるのに、ずいぶんと俗世的な願望のためのものなんだなと思いました。もっと聖なるものだと思っていたので・・・。こうした俗世的な願望をかなえるためのものなのに、何もとがめられないというか、禁止されないのはなぜなんでしょうか。願望、つまり欲そのものが否定されそうなものだと思ったのですが・・・。
おそらく皆さんが同じような疑問を持ったでしょう。性行為や殺生を禁じる仏教が、どうして、それを儀礼の力で実現させたり、促進したりするのか不思議です。いろいろな説明が可能と思いますが、たとえば、あらゆる宗教は、このような世俗的な願望成就に対応できる要素をそなえているというのが、もっとも基本的なところでしょう。とくに、仏教やキリスト教のように、長い歴史を持ち、広い範囲で信仰されている宗教は、高度な哲学や教理とともに、このような現実的な問題を対処するメカニズムを持っています。また、儀礼が多義的に解釈され、たとえば護摩の火を焚くことは「煩悩を焼き尽くすため」という仏教的な解釈を、現実的な願望と重ね合わせることもあります。仏教ではこれを「世間的」「出世間的」と区別します。さらに、日本の密教の場合、空海によって導入されたときから、国家のため、もっと言えば、天皇のための宗教でした。そのために儀礼も遂行するのですから、世継ぎの誕生を祈ることも、天皇の不老長寿を祈ることも、密教にはじめから課せられていました。加持祈?というのは単なるおまじないではなく、国家にとって最重要の仕事のひとつです。したがってそのための知識(つまり、儀礼の方法や呪文など)は、最高機密事項です

降伏のような、人に害を与える護摩に対して、害を受ける人は対抗する手段があるのでしょうか。また、護摩による効能はすべてアグニによって行われていると考えてよいのでしょうか。
密教のこのような儀礼のことを「修法」とよびますが、調伏などの呪に対して、それをはね返すような修法もあります。有名なものでは、雨乞いの儀礼(請雨法といいます)を行ったときに、それを妨害するために、逆の結果をもたらす修法(止雨法)をライバルの僧侶がこっそり行ったことが、記録にも残っています。このような儀礼の効果のことを「験」(げん)と言いますが、「験を競う」という状況です。護摩の効能は、日本ではむしろ、本尊である不動明王に帰せられることが一般です。不動への信仰が日本密教でとりわけ重要であるのは、人びとの願望に応える代表的な仏だったからです。

星座の話が気になりました。現在ある星座(星占いなどのもの)は、ヨーロッパから来たものであって、日本において星と関係することと言ったら、星をつなげる星座というより、むしろひとつひとつの星を見ていたと思っていました。彦星とか。でも、日本でも星座というとらえ方は昔からあって、それは中国、インドなどから伝来したものということなのでしょうか。それとも、日本の星座、欧州の星座(現代日本の星座)、インドの星座はまったく別なのですか。
星座は護摩のときの祈願の対象として言及しましたが、いずれも同じあたりに起源があります。ヴェーダの祭式のときにも触れましたが、インドでは古くから天文学や占星術が発達した国で、これと同系列の学問がアラビアにもあります。ヨーロッパの占星術はこのアラビアの知識を継承したもので、結果的には、日本に伝わる古い占星術と同じものになったのです。もちろん、日本で現在一般的に行われている星占いは、明治以降にヨーロッパからもたらされたものですが、古い時代に日本に占星術が導入されたのは密教を通してで、とくに「宿曜道」とよばれます。平安時代はこの宿曜道と陰陽道が人びとの生活を決定づけていました。平安貴族たちも、私たちと同じように、生まれた日の星座などから、運勢を占い、それにあわせて行動をしていたのです。密教の曼荼羅に「星曼荼羅」というのがあり、先日まで開催されていた「法隆寺展」にも有名な作品が来ていましたが、そこにも、牡羊座や乙女座などの絵が描いてあって、気がついた人はびっくりしていました。また、最近の星占いでは、この宿曜道に基づいたものもときどき見かけます。

護摩の儀礼のところで、樒を使うのはなぜなのでしょう。降伏では毒を使うなどということがありましたが、たしか、樒にも毒があったと思うのですが、それは何か関係があるでしょうか。また、左右逆にするというのは、私は着物の着方を思い出しました。生者は左前、使者は右前と区別していると思いますが、そうしたことは関係しないでしょうか。
樒については私はほとんど知識を持っていません。たしかに宗教と結びついた植物で、葬儀のときにも樒の「花輪」が飾られることなどがあげられます。密教でも灌頂の中に投華得仏という重要なプロセスがありますが、そこで灌頂の受者は樒を手にして、マンダラにそれを投げます。インドでは花なのですが、日本では樒を使います。その他、閼伽器の水の中にも樒を入れます。左と右の対立は、ご指摘のとおりで、右に対して左がネガティヴな性格を帯びているため、意図的に逆転させて左を用いるのです。これは、黒魔術によく見られる方法です。

護摩の火はどうやって火を付けるのでしょう。チャッカマンだったら、興ざめですが・・・。宗教的空間の話をされていましたが、それでふと思い出したのが、ドイツのDom(大聖堂)です。天井が高く、ステンドグラスに光が差していて、当時のキリスト教の権力の強さを見せつけられると同時に、神がそこにいるのかなと畏れ多くなりました。キリスト教徒ではありませんが、不思議とそんな気分になります。
古代のインドでは護摩の火は火元がきまっていたようですが、火おこしの木を使って、儀礼の一部として発火させることもあるようです(ウルヴァーシーとプルーラヴァスの物語で紹介しました)。日本の護摩ではどうなんでしょうね。私もよくわかりませんが、なにかきまった手続きがあるのでしょう(儀軌などで調べてみます)。宗教的空間として、キリスト教の大聖堂は好例です。仏教の大伽藍でも感じるでしょう。新興宗教でも、巨大建造物を造ることが多いのですが、それも、このような既存の宗教が持っている「宗教的空間」の演出にならったもので、信者に対してきわめて効果的です。まったく違う文脈ですが、全体主義国家で巨大な空間を舞台に大衆を動員したイベントを行い、国家や権力者への忠誠心を生み出すのも、同じ手法でしょう。ナチスドイツのベルリン・オリンピック、日本の皇居前広場、北朝鮮の軍事パレードなどです。

護摩がインドからどのように日本に伝わったか、もう一度復習して欲しい。
インドから日本に伝わったルートなどには言及しませんでしたので、簡単にまとめておきます。もともとヴェーダ祭式の基本的な儀礼であった火の儀礼ホーマは、ヒンドゥー教でも継承されますが、中世のインドでは本来の宇宙論的な意味は失い、火天に対する供養(プージャー)と、それによってもたらされる現世利益が中心となります。密教はこれを踏襲して、仏教的な意味づけも与えて、基本的な密教儀礼のひとつとしました。それが中国密教に伝えられ、さらに空海によって日本に伝えられたと言われています。インド密教にも護摩儀礼に関する文献がいくつか残っていて、それを日本の護摩とくらべると、かなり共通部分があることがわかります。しかし、本尊として不動明王を祀ることをはじめ、相違点もあり、どこで変化したかが興味深いところです。中国密教の実態があまり明らかではないので、明確にはできないのですが。

前に仏教文化論で、スライドを見せてもらっていたときに、マンダラが出てきて、先生がちらっと「マンダラは神様の家です」と言っていたのに、すごく興味を持っていました。マンダラって丸いのや四角形のがありますが、あれは意味的に何か違うのですか。「家」に神様そのものが描かれているのも不思議だなと思うのですが。
「マンダラ仏たちの家」というのは、私の書いたものに頻繁に出てきます。構造的にもそうですし、これから授業で取り上げるように、制作のプロセスも建築儀礼を用いますので、明らかに家として意識していたことがわかります。丸と四角の形から言えば、四角い方が家の外郭を表します。丸はそれを囲む大きな丸と、四角の中にある小さな丸がありますが、前者が宇宙全体を表し、後者は仏たちが上にのる月輪や蓮華を表します。丸や四角が好まれるのは、インドの宇宙観が基本的に幾何学的だからです。マンダラについては、前回の資料にあげた私の『マンダラ事典』が入門書としては便利ですし、少し詳しくは『マンダラの密教儀礼』がおすすめです。

私たちの一番、身近な宗教的空間が家だと聞いて驚きました。たしかに、実家には仏壇もあるし、宗教的だとは思います。しかし、それしか思いつきません。他にどのようなところが宗教的なんでしょうか。
家が宗教的空間と聞くと、たしかに少し変な感じがするかもしれません。仏壇や神棚があるからというのも、その理由とはなりますが、私自身は、すべての家というものは、宗教的空間(あるいは聖なる空間)だと思っています。これについては、今回お話ししますが、それをとくに意識するのが、建築儀礼なのです。宗教的といっても、神や仏が宿っているというだけではなく、人間にとって何らかの意味を持った構造を持つという程度です。でもそこに、宗教的空間の基本的な性格があります。

・全体の流れは変えず、儀礼に用いる道具を変更することで、儀礼の目的が異なるものになるという話を聞き、儀礼において、道具は重要な位置を占めているのではないかと思いました。道具にヴェーダ祭式の名残があるのも、道具が重要なものとされてきた結果なのだろうかと思います。
・護摩の道具で、古代インドでは油を供物にしたという点に興味を引かれました。やはり「火」を使い、「火天」を招くといったことと関連があるのでしょうか。また、儀礼で用いられるものの形もおもしろく、そこにも何らかの意味があるのだろうかと疑問に思いました。たとえば、清めの水が散杖という2本の箸を軽くしめらせ、炉の口をたたくというものでしたが、なぜ、ひしゃくのようなものではいけないのかといったようなことです。儀礼において、それに関するものは必ず何らかの意味を持つのだろうと私は考えているので、そういったことも詳しく知れるとうれしいです。
類似のコメントだったので、まとめて紹介しました。儀礼の道具は儀礼を考察するときの重要な要素になると、私も思います。何か意味がある場合は、できるだけ紹介するようにしますが、必ずしも常に意味があるわけではないのも事実です。たとえば、大杓の形がひょうたん型をしていることをお話ししましたが、密教儀礼としてはとくに意味は与えられていないでしょう。何か仏教的な意味づけが与えられているかもしれませんが、それはこじつけのこともあります。あくまでも、伝統の中で受け継がれた形でしかないことの方が多いです。しかし、それでもヴェーダ祭式に由来するという、別のレベルの意味は確認できます。はじめの頃にもいいましたが、儀礼に意味を求めすぎると、解釈が恣意的になる危険があります。儀礼を行っている人が考えてもいない意味や、何ら根拠のない推量にも続く意味を、ひねり出すこともめずらしくないからです。少なくとも、儀礼を行っている人が自覚している意味、歴史的な知識としてわれわれがたどることのできる意味、そして、ある程度、客観的に認められる普遍的な意味といった、レベルの違いを意識する必要があります。人類学に「エティック」と「エミック」という用語がありますが、これに似ています。

ヴェーディのように、必要がなくなったにもかかわらず、残り続けているものがあるということが、考えてみると不思議でした。生物の進化では、普通、必要ないものは淘汰されていくと思うのですが、それでも、依然として進化は不完全だということに似ていると思います。むしろ、完全な進化を遂げたら、生物の多様性すらなくなってしまいそうですし・・・進化の不完全さや名残があるから、いいんだと思いました。
たしかに、儀礼は進化に似ています。実際、私のよく知ってるヴェーダの儀礼研究者は、インドの儀礼の変遷を、進化の系図(生物の教科書などによくありますね)のように描くことをめざしています。私自身は、必要ないものが残ることに興味を覚えます。儀礼というのは「形式」が尊重されるので、すでに意味を失ったり、他の意味を持つようになっても、さまざまな形式は残ります。そこに、儀礼の歴史や変化を読み取ることができると考えています。生物の多様性がなくなったら、たしかにつまらない世界になってしまうでしょうね。


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